愛に報いて   作:敷き布団

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第20話 正反対の日常

朝。私は日課のように、スマートフォンでメッセージを立ち上げて、その画面を見ている。それは今日とて同じこと。

 

『沙綾、久しぶり。俺も沙綾に言わなきゃいけないこと、謝りたいこと、沢山あるから、沙綾が許してくれるなら俺も会いたいです。だから、また、会えるようになったらすぐに連絡します。待たせちゃってごめん。けど、絶対に沙綾に会いに行くから、待っててくれると、嬉しいです』

 

そのメッセージが届いた時は嬉しかった。蓮がこうやって返事を返してきてくれたと言うことは、蓮も、私も、同じ考えだと言うことだから。

遠い過去に置いてきたはずの、ぼんやりとした細やかな幸せの味を少しだけ思い出した。

けど、そんな幸せな味も少しだけ黒いモヤで霞んでしまった。有咲から聞いた、私の知らない蓮の姿。もちろん有咲は蓮と面識すらなかったから、蓮からの伝聞にしか過ぎないのだけど、私以外の人ときっと関係を持ったということだから。……私がそれをとやかく言う資格は無いと思っている。だって、蓮がそんな罪を重ねてしまったのは、私が発端だから。私が……あの悪魔と……。

いや、もう考えるのはよそう。誰も幸せにならないのだから。

けれど、私には一つだけ疑問があった。どうして蓮は有咲と会ってから、私の家に来てくれなかったのだろうか。蓮とのメッセージでは誤魔化したけど、私の友人だと分かっている有咲にあそこまで事情を話してしまったのだとすれば、私と話をすることもきっと覚悟はできていたのだろう。なのに、どうしてそこで、私には会いに来てくれなかったのだろうか。複雑と言われれば、きっとそうなんだろうけど……でも、会いたかった。

 

……なんて我儘だな、私。

 

「さて……起きて学校行かなくちゃ」

 

これ以上みんなに迷惑かけ続けるわけにも行かないもんね。それに、みんなが迎えに来てくれるって、言ってたから。

私は簡単に支度をして、家を出る準備をする。流石にお店の手伝いはまだできるほど元気じゃないけど、なんとかこれなら外に出られそうだ。

 

「いってきま……おおっ」

 

「あっ、沙綾。おはよう」

 

「沙綾ちゃん……元気そうでよかった……」

 

玄関の扉を開けて待っていたのは、りみとたえと、有咲だった。

 

「……おはよ、沙綾」

 

「……みんな、ありがとうね。香澄は?」

 

「……寝坊したってよ」

 

「……ふふっ、そっか」

 

なんだか香澄らしいや。そんなかつて当たり前に得ていた日常がとても貴重で大切なものだと感じられた。ずっと部屋の中で自分の惨めさを祟っていたが、私は案外、幸せものなのかもしれない。

 

久しぶりに通った学校はなんだか新鮮だった。段々学校に行かなくなって、暫く勉強してない分を取り戻すのとかは大変だったけど。有咲と家族以外の人なんて、みんな久しぶりだった。ポピパのみんなもそうだし。はぐみとか、こころとか、美咲とか、イヴとか、彩先輩も、千聖先輩も、紗夜先輩も、燐子先輩も、花音先輩も。そうそう、香澄もちゃんと来た。一限目間に合ってなかったけど。

なんだかとっても懐かしい。今まで足りてなかったものが、満たされていくような。

 

けど、そんな風に満たされていっているはずなのに、心のどこかではまだ物足りなかった。それはやっぱり自分でも分かっている。

蓮だった。私の心の中の、最後の1ピースを埋めるのには蓮の存在だけがどうしても足りなかった。

 

そんなことを考えている間に久しぶりの学校は終わっていた。今日は疲れているだろうからと、バンドの練習もないし、私は事情をよく知っている有咲と夕刻の道を歩いていた。

 

「それで、その、蓮ってやつに何か送ったのか?」

 

「……うん。会いたいなって言ったよ。会って直接、謝りたいなって」

 

「そっか……。それで、返信は?」

 

「蓮も、会いたいって。けど、何かで忙しいみたいで、待っててって言われちゃった」

 

「なるほどなぁ。……そいつ、いざ対峙しようとしたら逃げたのにまだ沙綾のこと待たせるのかよ……!」

 

「あはは、蓮のことは悪く言ってあげないで? きっと蓮にも、色々あるだろうから……」

 

「……そっか」

 

「というか有咲、私のことめちゃくちゃ心配してくれるんだね」

 

「な、そ、それはその……、あ、当たり前だろ?!」

 

「……ふふ、ありがとうね、有咲」

 

有咲の横顔は少し赤らんでいる。どうして有咲はこうも素直になれないのだろうか。そういうところはなんだか、すれ違いを重ね続けた私たちに似ていて、複雑な心境になった。

 

「……それじゃ、私こっちだから、ありがとうね、有咲」

 

「あ、あぁ。気をつけてな!」

 

別れ道で有咲と別れて家を目指す。通り抜ける商店街の姿は私が最後に見た時とそれほど変わっていない。私がいなくても世の中は変わらず時が流れるということを実感して、少しだけ悲しくなる。

 

「……蓮」

 

会いたいなぁ。早く会いたいなぁ。

そんな淡い期待を持って開いたスマートフォンの画面には、蓮からの返信はまだなかった。まぁ来なくても仕方がない。きっと、蓮が待ってて、なんて言っているのだから、それ相応のことがあるのだと思う。そうじゃなかったら何も言わずに、ふらっと明日にでも家の前で待ってくれているのかもしれない。

……なんて、ただの私の願望かな。そんな想いで、私は大切な人を想いながら、そしてはやる気持ちを抑えながら、会いたいという爆発しそうな衝動を抑えつけながら、待ち続けた。

 

 

──────────────────────────

 

 

学校が終わって、私は帰り道を急ぐ。だって早く、蓮に会いたいから。会いたくて仕方がないから。私の大切で、愛おしい蓮が、どれだけ私を求めてくれるか楽しみで仕方がないから。

今日久しぶりに沙綾ちゃんの姿を見た。挨拶をしてくれたのだけれど、少しだけ声に覇気はなかった。どういうわけか私の心に湧き出てきたものは後悔と罪悪感、それと優越感と興奮だった。まるで正反対の矛盾した感情が胸の中に溢れ出して、気持ちが悪くて吐きそうになった。けれどそんなところで体調を悪くして仕舞えば、隣にいた彩ちゃんや、沙綾ちゃんに感づかれてしまってはまずいから。平然としたフリをしていたのである。

 

「……ただいま」

 

私が声を出したところできっと返事を返す人はいない。……前までなら、蓮が孤独感と恐怖に怯える私を出迎えてくれて、ただ無償の愛を捧げてくれたのに。そう考えると、自分のしたことが余計に気持ちが悪くて、息が荒くなる。

私は、蓮を閉じ込めている、寝室に入る。窓もなく光も入ってこない寝室。きっとここに居れば外の世界の嫌なことだとか、考えたくもないことなんて考えずに生きていけるのだろう。

 

「……蓮、ただいま」

 

声をかけたところで、耳栓をしているからきっと聞こえていないだろう。だから私はそっと蓮に近づくと、私はゆっくりとその耳栓を外した。ピクリと蓮の頭が動いた。部屋の扉に背を向けているから、きっと音が聞こえなかった蓮は私が部屋に入っていたことに気づかなかっただろう。

 

「ひっ」

 

蓮の顔は恐怖か何かに歪んでいる。蓮が初めて起きた時、きっと痛めつけてしまったから。私は過去の自分を恨みつつ、危害を与えるつもりがないことを示す。

触れただけで壊れてしまいそうだから、そっと、そっと、力を抜いて蓮の体を抱きしめる。不思議なぐらいに蓮の体からは良い匂いがして、それが私の鼻腔を突く度にピクリと体が震えそうになる。そして私は、小さく囁くのだ。

 

「……ただいま、蓮」

 

「……おか……えり」

 

それはかつての日常のように。

そうして抱擁を解く。

 

「お腹が空いているかもしれないけれど、もう少しだけ待っていてくれるかしら?」

 

「……」

 

「待っていてくれたら、ご褒美をあげるから」

 

「……ご褒美?」

 

「そう……」

 

私は震える蓮の右頬に口づけを残すと部屋を後にした。

次に私は妹ちゃんのところに来た。妹ちゃんのその耳栓と目隠し、猿轡を取る。

 

「お腹空いたわよね、取ってくるわね」

 

「……要らない」

 

「……ご飯、食べないの?」

 

そう私が問いかけると、小さく絆ちゃんは頷いた。

 

「お腹は空いているでしょう?」

 

その問いにも、絆ちゃんは頷いた。

 

「けど……貴女の作ったご飯なら……要らない」

 

「……そう」

 

使いたくなかった手段だけれど、仕方がないわね。

 

「……なら、蓮は」

 

「……え?」

 

蓮の名前を出した途端、絆ちゃんは急に私の方に顔を上げた。

 

「貴女がご飯を食べないなら、仕方がないわね」

 

「……待って、お兄には……」

 

「……別に蓮に何かするなんて言ってないわよ?」

 

「……食べます」

 

「……良い子ね」

 

私の手は何故か絆ちゃんの頭を撫でていた。何故だろうか。よく分からないうちにキッチンで簡単に作ったご飯を2人それぞれのところへと持っていく。絆ちゃんは置いておけば食べてくれるから、カトラリーを口に運べる余裕だけ持たせて腕を縛って、耳栓をつける。そして私は蓮の部屋へと向かう。

 

「蓮、お待たせ」

 

「ちさ……と……」

 

「……お腹空いたわよね。……はい、口を開けて?」

 

私がスプーンを口元に持っていくと、なぜか頑なに蓮は口を開こうとはしない。

 

「……どうして食べてくれないの?」

 

蓮は何も答えようとはしなかった。私がどれだけスプーンを差し出しても、蓮はやはり口を開けない。

 

「……そう。……んっ」

 

私は諦めて自分の口にスプーンを放り込んだ。蓮は少し驚いたように目を大きく見開いた。私は自分の口で少し咀嚼して、そんな蓮の惚けた唇に口づけをする。粘性の音が脳に響き渡る。蓮と2人で絡まるように、私の食べたご飯を口移しして、蓮に無理やり咀嚼させる。口に入れたら流石に吐き出したりはしないようで、蓮は私の舌を受け入れて、深く、深く、絡まり始める。

そうして咀嚼が終わると、私は蓮を軽くハグして、もう一度ご飯を与えた。こうして私は蓮にお世話を繰り返すのだ。

 

「んちゅ……、ふふっ、よく食べられたわね……偉いわ」

 

私は蓮の頭をそっと撫で回した。それは慈しむように。

 

「千聖……」

 

「どうしたの?」

 

「……絆は……無事なのか……?」

 

その言葉は、私の脳に残り続けた。

 

「……どうして」

 

どうして、蓮から絆ちゃんの名前がまだ出るのかしら。蓮は私のモノなのに。私だけのモノなのだから、私のことだけを考えてくれたら、それで良いのに。どうして、私だけのモノになってくれないの? ……貴方は私だけのモノでしょ、蓮。……どうして、どうして貴方の口から他の女の名前が出るの?

 

「……貴方は絆ちゃんのことなんか、考えちゃダメ」

 

「……無事なのか?」

 

「……考えちゃ、ダメよ」

 

「……無事……なのか?」

 

「考えないでと言っているでしょう?! どうして私のことだけを見てくれないよっ!!」

 

私は思わず声を荒げてしまった。

 

「心配……だから……」

 

「……まだ私の愛が、分からないのね」

 

「え……」

 

私はなぜか、笑っていた。私の笑い声は、部屋にいやに反響した。

 

「ふふっ、お仕置きよ、蓮」

 

「え……え……?」

 

私は耳栓と、さっきまでは蓮に付けなかった目隠しまで取り出した。それを見た瞬間、蓮の顔は恐怖に歪んだ。あぁ、とてもそそる表情だ。

私はゆっくりと蓮に目隠しを装着する。蓮はピクリと震えた。

 

「……ふふっ、蓮……貴方が私の言うことを聞いてくれないから、貴方はまた暗闇の世界に閉じ込められちゃうの……」

 

「いや……嫌だ……」

 

震えた声の蓮も素敵。耳まで蕩けちゃいそう。

 

「大丈夫……、何も見えなくても……私だけはずっと、貴方の傍に居るから……」

 

「ち……さ……」

 

そして私は蓮の聴覚を断ち切った。蓮は声を荒げているが、お仕置きだから仕方がない。蓮が私の言うことを、聞いてくれないから。思い通りになってくれないから。

 

……だから、仕方がないのだ。

私はゆらりと立ち上がる。何故か視界は霞んでいて、歩こうとしたが、どうにも足元が覚束ない。部屋を出てリビングへと戻ると、私はソファにドシンと座り込んだ。

私の頭の中に流れ込んできたのは、さっきの蓮の苦痛に歪む顔。蓮が苦しんでる。……そんなの、見たくない。見たくないの……。見たくないのに……どうして私は。

 

「ひぐっ……もう……いや……」

 

何もかも、もう嫌だ。










狂気が加速する。

☆10をくださった、シュガーラスク様。☆9をくださった、知名艦長様。
高評価していただきありがとうございました。
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