愛に報いて   作:敷き布団

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第22話 解放の束縛

リビングのカーテンから覗く外はまだまだ暗い。今の時刻は朝の4時過ぎぐらいで、きっと人によってはとてつもなく早い朝だろうが、私は今日もここでゆったりとした時間を過ごすのだ。今は隣の部屋、寝室ではきっと蓮が寝ているだろうけれど、少しだけ暇だから蓮の顔を眺めに行こうかしら。そう思い立った私は、ソファから腰を上げて、廊下へと向かう。しかし、廊下まで来た私は違和感というか、変な胸のざわつきを感じた。そして持っていた端末を見て、私はそのざわつきがただの杞憂ではないことを確信した。

 

「……そう」

 

そして私は廊下の真ん中。ある部屋の扉の前に立つことにした。ただ無言で。ただただ無表情で。肉食獣が草食獣を狩るように。

立つこと30分ぐらいだろうか。私の待ち続けていた獲物はそろそろやってくるだろうか。

 

来た。

 

扉が音も立てずに、ゆっくりと、ゆっくりと、慎重に開けられる。

 

「……ぇ」

 

「……あら、おはよう。絆ちゃん。今日も元気かしら?」

 

「嘘……」

 

絆ちゃんは突然現れた私に驚いているらしい。それもそうか、だって今は早朝。私が起きていないとでも思ったのかしら。けれど生憎、朝早くからレオンのお世話をすることもあった私にとってこの時間は早すぎる時間というわけではない。

さて……色々お話を聞いて、教えてあげないといけない。

 

「……ふふっ、それじゃあ、ちょっとだけ部屋に戻りましょうか」

 

私は絆ちゃんを部屋に戻し、私もその部屋に入る。以前は応接間になっていた場所。今となっては一つの牢獄であった。そんな牢獄から少しだけ外の空気を吸おうとしてしまった絆ちゃんはまるで絶望に浸るような顔をしている。

 

「色々聞きたいことはあるけれど、拘束が甘かったのかしら?」

 

「……」

 

「だんまりを決め込むのね」

 

まぁ絆ちゃんの縛り方は蓮と比べると、自分である程度何かをできるよう、縛りつけるのも少し適当、というか抜け出せる縛り方になっていたのかもしれない。

 

「……もう一度、私を縛りますか?」

 

「……あら、縛られたいの?」

 

「いえ……」

 

以前この家に初めて来た時に比べたら、絆ちゃんは幾分か従順になっていた。特別痛いことだとか、そんなことをしたわけではないけれど、すっかり大人しくなってしまったのだ。まぁそれも仕方あるまい。人は本当の狂気を目にした時、恐れをなす。絆ちゃんにとっての本当の狂気が私だった、それだけのことだ。だから現に、絆ちゃんはこうやって、致命傷を負って草原で斃れ伏す草食獣のように怯えているのだ。

 

「そんなにこの家から出たいのかしら?」

 

「……」

 

「ずっと黙っていても、分からないわよ?」

 

「……お兄を出してあげてください」

 

「それは出来ないと前から言っているでしょう?」

 

「そう……ですか……」

 

絆ちゃんは酷く落胆したような表情で座り込んでいる。……そうね。

 

「……分かったわ。じゃあ、貴女は出してあげましょう」

 

「……え?」

 

絆ちゃんは信じられないことを聞いたとばかりに目を見開いた。そりゃそうだろう。だって前まで外部に漏らすリスクがどうとか言っていた人が、自分だけを出してくれる、と言っているのだから。普通に考えたら、意味がわからないのかもしれない。

けれど、絆ちゃんをここまでの状態に出来たのであれば、きっと大丈夫だ。それに……むしろ、これ以上絆ちゃんをここに監禁しておく方がリスクが大きかったのは紛れもない事実だった。ならば、私に刃向かえない状態で野に放ってしまった方がよっぽど良い。それだけのことだ。だって、私には、蓮が居てくれるのだから。これは以前の交渉の時とは明確に違うところだった。

 

「……どういう、風の吹き回しですか」

 

「別に、嫌ならここに居ても良いのよ?」

 

「……私には、貴女が何を考えているか、分かりません」

 

「へぇ……」

 

極限状態に陥った人間の思考回路なんて高が知れている。それは私自身が経験していることだ。何も考えられず、簡単に何かに溺れて、依代を見つけようとする。絆ちゃんが何に溺れるかは分からないけれど。

 

「ずっとここに閉じ込められていては、貴女が可哀想だから。名案だと思ったのだけれど、嫌なのかしら?」

 

私がそう問いかけると、憔悴している絆ちゃんの顔は張り詰めた表情になる。

 

「……私が、このことを外に漏らすかもしれないのに、ですか?」

 

「……えぇ。だって、貴女はこのことを外部に漏らすことなんて、出来ない。そうでしょう?」

 

「……」

 

私がそのことを教えると、絆ちゃんの表情は一気に追い詰められた表情へと変貌した。だから私は徐に立ち上がり、絆ちゃんの座るソファの背後に立つ。そしてそっと耳元に口を近づけて囁くのだ。

 

「……もしも漏らせるというのならしてみたら? 勿論貴女の大好きなお兄さんは無事では済まないでしょうけど」

 

「ぁ……ぁ……」

 

カタカタと、震え上がる絆ちゃんの歯が当たる音が静かな部屋に響く。あぁ、こうやって怯える絆ちゃんを見るととても可愛らしくて癖になりそうになる。

そして私はトドメを刺すように、絆ちゃんの髪を撫でるのだ。ゆっくりと、ゆっくりと、撫で回すのだ。

 

「お兄さんだけで済むと良いわね。貴女の大事な人は、もしかすると……少しずつ……少しずつ消えていくかもしれない……」

 

「あ……ぁ……」

 

我ながら残酷だと思う。けれど、ここでしっかり刷り込んでおかなければ最低限の時間さえ稼げないから。だから、酷ではあるけれど、絆ちゃんの首元にナイフを突きつけるのだ。

 

「蓮から話は聞いたのでしょう? 私が家を出た蓮を追いかけて、閉じ込めてしまった話」

 

「……はい」

 

「私は蓮がどこで何をしていても分かるわ。……それは貴女も例外じゃない」

 

「ひっ」

 

「ふふっ」

 

勿論そんな超能力を持ち合わせているわけではない。けれど絆ちゃんがリスクを感じさえすればそれで良かった。絆ちゃんの今の様子を見るに、あともう一押しというところかしら。すでに十分恐怖は感じているでしょうから。

 

「……ふふっ、それにね。貴女がそのことを外部に喋って、誰が幸せになるのかしら?」

 

「ぇ……」

 

「蓮は私と生涯添い遂げることを誓ってくれたけれど、それを他でもない、妹の貴女に邪魔されて、一番可哀想なのは一体誰なのかしら?」

 

「……お兄……」

 

「よく分かったわね。偉いのね……」

 

「ぁ……ぁ……」

 

「だから……分かるわよね?」

 

「は……い……」

 

小動物の如く小さく震える絆ちゃんは本当に可愛らしい。真っ青に染まったその顔色も。聞き取れないほど小さな声も。全てが全て、私に恐れをなしていた。

 

「……ふふっ、それじゃあ荷物を持ったら、出て行ってくれるかしら?」

 

そして私は絆ちゃんを玄関先で見送る。頑なに私と目を合わせようとしない絆ちゃん。私が目線を向けるだけでまるで蛇に睨まれたような反応を見せる。

 

「これは愛なの。貴女が歪んでいるだとか、思っても、私たちにとって、これが本当の愛だから」

 

だから、邪魔をしないでくれるかしら? と付け加える。絆ちゃんは震えながら、ゆっくりと首を上下に振った。ここまでのこれが演技だとすれば、私を超えるほどの女優になれるはずだ。

そして私は絆ちゃんが消える寸前まで見送る。見えなくなってから、ようやく部屋に戻った。時計を見れば、今の時刻は5時半ほど。まだ蓮が起きるまでは時間がありそうだ。

 

力が抜けたように、リビングに帰ってきた私はソファに倒れ込む。

 

先程の絆ちゃんの表情を思い起こす。先程まで取り繕っていた私の鉄仮面は剥がれ落ちた。

 

「はぁっ……はぁっ……」

 

呼吸が荒くなる。心臓が痛い。苦しい。

気がつけば視界がぼやけていて、目元と頬には生温かい涙が溢れていた。自分が怖い。絆ちゃんが'私'を怖がったように、私も'私'が怖いのだ。怖くて怖くて仕方がない。

自分の顔を鏡で見るだけで、震えが止まらない。

 

「……ひぐっ……うぅ……」

 

自分が嫌で堪らなくて、自分が醜くて堪らなくて、ただ苦しかった。

 

私は自分の意思と無関係に、蓮の大事な人を傷つけている。そして、蓮すら傷つけている。それが、そんな自分が、嫌で堪らなかった。

 

死んでしまいたい。自分の気持ち悪さに吐きそうだった。

 

「はぁっ、ひっ、はぁっ、ううっ、はぁっはぁっ」

 

ソファにはシミが出来そうなほどに私の汚い涙が溢れている。

もう何もかもが嫌になる。

 

「……千聖」

 

「ぇ……」

 

けれど、そんな蹲って涙を流し続けていた私の背中にほんのりとした温かさがやってきた。優しく抱擁がなされたのだ。

 

「……蓮……?」

 

「……千聖。泣かないで……」

 

「れん……蓮っ……」

 

私は蓮に泣きついていた。なんて情けないことだろうか。今震えているのは私で。

 

「……辛かったな」

 

「……蓮」

 

「俺はずっと……千聖の傍にいるよ」

 

「……うんっ」

 

心の底からの蓮の言葉に私は救われたのだ。

 

「……証が欲しいなら、ほら」

 

そういうと、蓮は自分の襟を引っ張り私の口元に首筋を晒した。咬めと言わんばかりに。

私は蓮を咬んだ。証を刻み込むために。蓮は私だけのもので、私は蓮だけのものだから。

 

「……蓮」

 

だから私も首筋を晒すのだ。喩えこの身に傷がつこうとも、これは蓮の所有物である証だから。

 

「……千聖」

 

互いに血を混ぜ合うのだ。

 

 

──────────────────────────

 

 

蓮を探し始めて数日が経った。とは言っても学校もあるし、ポピパの練習もあるし、迷惑をかけた分、お店の手伝いもしようって決めたから、それほど時間が割けたわけではない。それに正直、蓮を探し始めるとは言っても、心当たりは乏しかった。

蓮を探し始めようとするなら、蓮と私が連絡を絶ってから蓮が何をしていたかを知らなければならないだろうが、そもそもそれが全く分からなかった。まずもって、きっと一番蓮のことを知っているのは絆ちゃんだし、正直私は蓮の交友関係には疎かったから。

けれど、そんな頼みの綱の絆ちゃんも居なくなっているし、根本私は絆ちゃんと特別親しいというわけでもなく、きっと絆ちゃんも私のことを話で知っているとか、精々写真で見たことあるぐらいだろうから。

そんなわけで私は詰まる所八方塞がりだった。

 

「……はぁ」

 

それでも、諦めるわけにはいかなくて、どんな情報でも欲しいからと、私は結局またもや蓮の家の前へと来ていた。時刻は夕刻。空は茜色に染まり、見上げているだけで蓮が居ないという事実をありありと思い起こされる物寂しさを孕んでいた。

 

「……よし」

 

私はまたも呼吸を整える。もしもこの家の中にもう蓮が帰っていてくれたら良いのにな、とか。そうして、蓮に全部謝って、お互い思っていることを洗いざらい語り合って、また初めからやり直せたらいいのにな、とか。

……全部夢物語と薄ら分かっていても期待してしまうのだ。

そして私がインターホンを伸ばそうと、顔を上げた瞬間だった。

 

「え……」

 

「……え?」

 

私の隣から微かに聞こえた掠れた声。視線を左に向けると、そこに立っていたのは、1人の女の子。私と同じぐらいの年頃に見える。どことなく見覚えがあった。

 

「……え、嘘……」

 

「……もしかして、貴方が絆ちゃん?」

 

私の問いかけにビクリと大きく反応した。きっとその通りなんだろう。しかし、その子は何の答えも返さない。そして、私の呼びかけを無視して豊岡家の門を潜ろうとする。

 

「待って!! 蓮は……どこにいるの?」

 

私が蓮の名前を出しても、まるで何も反応すら見せない。けれど、小さく、小さく。人の歩く音で掻き消されるほどの小さな声で、その子は呟いた。

 

「……知らない」

 

「え……」

 

そしてその子は家へと帰っていく。私は門塀の表札を確認する。間違いなくここは蓮の家。……つまり。

 

けれど、絆ちゃんの様子が気になった。確かに、この間の蓮のお父さんの話が正しければ、絆ちゃんは数日かそこら帰っていなかったはずだ。きっと、何かあったのだ。

けど、私に明確に示された拒絶の態度に、どうすれば良いのか分からなくて、その日はもう出直してくるしかなかったのだった。











何気に実質初対面の絆ちゃんと沙綾ちゃん。
物語も終盤に差し掛かりました。宜しければ最後までお付き合いください。
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