蓮の家の前で絆ちゃんと遭遇してから、私はそれから足繁く蓮の家に通った。私とて絆ちゃんがそれを話すのを拒んでいるところから考えたら、きっとこれを話させることは酷で、思い出させるだけでも罪作りなことだとは分かっていた。けれど、けれども、それ以外に、蓮の居場所を知る手がかりはなかったから。
「……また、来たんですか?」
呆れられるほどには、しつこく、通い詰めた自覚はあった。
「うん。……だって、諦められないから」
私が蓮の家を訪れるのはいつも夕刻ぐらいだが、絆ちゃんは私が訪問するタイミングならいつでも家にいるようで、インターホンを鳴らせば出てきてはくれた。けれど、いざ扉から出てきて、私の姿を認めると、嫌そうに目を逸らし、そして居所のないような表情を浮かべていた。きっと、それを聞かれることが分かっていたからだろうか。
「……何の、用ですか?」
「蓮が、何処にいるのか、知っていたら教えて?」
「……どうして、そんなにもお兄の居場所を知りたがるんですか?」
「……私は、蓮に会わなきゃいけないから」
私がそう答えると、絆ちゃんは何かを答えるでもなく、ただ押し黙って、顔を下に向けた。
「……浮気したことを、謝るため……ですか?」
「……そう」
「貴女が……浮気なんてしなければ……」
私はそう言われてしまうと、もはや何も言い返すことは出来ない。だって……いくら事情があったとはいえ、蓮からすればそれは私の裏切りに他ならなかったのだから。私のせいで蓮が悲しんだことは紛れもない事実だったから。
「貴女が浮気なんてしなきゃお兄は……貴女に復讐しようなんて……、浮気し返してやろうなんて……思わなかったはずなのに……!」
「……そうだよ。私が、各務菊磨と……、……そんなことしなきゃ、こんなこと……ならなかったよ……」
「貴女のせいでお兄は……お兄は……!!」
私は、怒りに震える絆ちゃんを前に何も言い返すことなんて出来なかった。
「浮気された者同士なんて……馬鹿だよね……お兄も……」
絆ちゃんは乾いた笑いで蓮のことを詰る。けれど、それを肯定することも否定することも私には出来なかった。
「……ごめんなさい」
「謝るぐらいなら……どうして……お兄のこと、裏切ったんですか?」
絆ちゃんの言葉が頭に響いた。蓮を、裏切った。そんな言葉が頭に流れ込んで、私の頭に蘇ったのは、私を、ひいては蓮をも巻き込んだ狂愚の存在。
思い出すだけで、辛い。苦しい。……憎い。
私の中の何かを壊したのは、間違いなくあのせいだったから。
あれからずっと、私は暗闇の世界を生き続けていたのだ。愚かにも蓮に助けを縋りながら。
「……うるさい」
「……え?」
「私だって……あんなことしたくなかったっ!! 私はずっと蓮と一緒に居るんだって……そう思ってたのに……! 私の尊厳も、私と蓮の幸せだって、全部、全部壊されたっ!!」
「……ごめん……なさい」
私の慟哭に、絆ちゃんは小さく謝罪の弁を述べた。
「だから……私は、蓮に謝らなきゃ……。謝って……思ってること全部言い合って……、それから……やり直すんだ……。だから、蓮に……会わなくちゃいけない」
私は絆ちゃんを睨みつける。私の視界に浮かぶ絆ちゃんは何故かひどく滲んでいた。
「……もし沙綾さんが余計なことをして、お兄が死んだら……責任取れるんですか?」
「……え?」
私は言葉の意味が分からずに聞き返そうとする。けれど、絆ちゃんはハッとした顔をして口に手を当てた。
「……ごめんなさい。私からはこれ以上……何も言えません……」
「ちょっと待って、どういうこと?」
絆ちゃんは俯いた。私は先の発言の意図を問いただそうとして、絶句した。
「千聖さんごめんなさい千聖さんごめんなさい千聖さんごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
酷く何かに怯えた絆ちゃんは震え上がり、ただ只管に謝罪の言葉を述べるだけに成り下がっていた。壊れたロボットのようにその言葉だけ吐き出し続けるその様子は狂気さながらであった。そして絆ちゃんは翻り、家に駆け込むと扉をバタンと閉めた。
あまりの光景とその言葉の衝撃に私は何も言うことも出来ず、ただ呆然としていた。少し時間が経って、目の前で何があったかの理解が追いついてきた。まるで何かに脅されているかのような、絆ちゃんの様子。
「……どういうこと?」
その場に留まっていても仕方がないので、私は諦めて帰りの途につく。私は心を落ち着かせながら、絆ちゃんの発言を順に追っていった。それは絆ちゃんの発言には、幾つか気になる部分があったからだ。
絆ちゃんはきっと私を恨んでいるのだろう。その言葉の節々に棘があった。私が蓮を裏切ったことを相当恨んでいる様子だった。私のせいで、蓮が浮気に走ったのだと。蓮が死んだら、その言葉の意図はやはり分からない。そんな状態になっていると言うのに、蓮のお父さんたちは何か手立てを打つわけでもない。やはり何かがあったことは明白だった。
そして、最後の絆ちゃんの謝罪の弁。薄ら聞こえた『千聖さん』という名前。心当たりはあったが、まるで繋がりが分からない。
「……調べなきゃ」
家に辿り着くなり部屋に籠り、身近なその存在を思い浮かべ、スマートフォンで検索をかけてみる。
あった。
私が外の世界と隔絶された生活を送っていた頃の私と蓮を壊した悪魔と、千聖先輩の熱愛報道。やがてその悪魔が逮捕されたという報道に掻き消されてはいるけど、そんな報道がネット上には残っていた。けど、そこを見るに、蓮との関わりはやはり見えない。
とにかく頭を振り絞って、これまでの出来事を思い返す。さっきの絆ちゃんの話を。
『浮気された者同士なんて……馬鹿だよね……お兄も……』
「浮気された者……同士?」
絆ちゃんのさっきの発言を思い出した。お兄、即ち蓮がその片方なのはわかる。ならばその片割れは。浮気された片割れは……。
「……千聖……先輩?」
まるで繋がらなかった2人を繋ぐ隠された糸が見えた。
「……確かめないと。……待っててね、蓮」
まさか千聖先輩が何かに関わっているなんて思いたくもなかったけど、私は蓮を待たせているから。だから。
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まだ薄暗い部屋。ふと目が覚める。光が差し込まないし、照明も付けていないから何も見えないような真っ暗な部屋。時計すら見えないので室内灯を点けると、見えてきた時計の差す時間はまだ朝早い。けれど、隣で寝ていたであろう千聖はおらず、部屋の何処にもいそうにない。
「……千聖?」
俺は酷く不安になって震え始めた。急に自分の周りが真っ暗な闇の底に堕ちていくような気がして、震え上がったのだ。
「ふぅ……ふぅ……」
俺はカタカタと歯から音を立てながら、ゆっくりと扉を開けた。廊下もまだ薄暗いのだが、その廊下の続く先、リビングの方からは何やら明かりと音が漏れているようだった。俺は千聖だと確信して、ゆっくりとリビングの方へ向かった。
「……ひぐっ……ううっ……」
「……千聖?」
家具すらまともに置かれていないリビングの隅に蹲って泣き声をあげている千聖は俺の声が聞こえていないのか、何か反応を見せる様子はない。だから俺は後ろに座り込んで、とんとんと肩を叩いた。ピクリと跳ね上がった体。ゆっくりと振り向く千聖。綺麗に伸びたブロンドの中に隠れた表情は、目を赤く泣き腫らしていた。そして、腕には痛々しい歯形と、そこから滲み出た血が千聖の白い肌を染めていた。
「千聖?」
「……ぐすっ、ごめん……なさい……うぅ……」
「……謝ってるだけじゃ、分かんないよ」
俺がそう諭すと、しゃくりあげながらもなんとか言葉を続けた。
「……したくもないのに……貴方の大切な人も……、蓮さえも……傷つけて……」
「……うん」
「ひぐっ、……蓮を……痛めつけて……、うぅ……ひぐっ」
……千聖はきっと、こんなことしたくないんだ。本当は与えたくもない苦痛を、俺のために、俺が千聖に本当の愛を捧げてあげられなかったから、仕方がなく千聖はこうやって苦しみながらも俺に愛を教えようとしてくれているんだ……。
「……そっか、……千聖」
「蓮っ……ごめんなさい……、絆ちゃんも……ごめんなさい……私なんかが……居たから……ひぐっ、うぅっ……」
俺の腕は考えるまでもなく千聖のことを包んでいた。千聖を苦しませることが悲しかったのだ。俺はやっぱり千聖が悲しむところを見たくないのだ。千聖が傷つくところは見たくないのだ。千聖を傷つけるものが何だとしても。千聖自身が自らを傷つけるところなんて見たくないんだ。
俺は千聖が居ないと、生きていけないから。俺には千聖しか居ないから。
「ひぐっ……ううっ……」
そうして千聖はまたも自らの腕に噛みつこうとした。だから俺はそれを無理やり止めた。
「……止めないで……、これは……私への罰だから……」
「罰なんて受けなくていい」
「ここが痛い時は……心の痛みなんて感じなくて済むから……」
「……ダメだ」
壊れてしまった俺に寄り添ってくれるのが千聖だけであるのと同じように、壊れてしまった千聖の傍にいることができるのも俺だけだ。
千聖を守ることが出来るのは、俺だけなんだ。だから、千聖が守るためなら、俺はなんだってする。
「……どうしたの?」
「……そんなに痛いのが良いなら……俺が痛みをくれてやる……」
「え……?」
千聖の金の糸に包まれた白い肌。それは至高の名作ではあるが、綺麗なだけでは脆く、跡形もなく壊れてしまう。だから俺が壊すのだ。口を開いて、歯をあてがう。
「あっ……んあっ……あっ……」
薄い皮膚からはダラダラと血が流れ出る。それを全て吸い取っていく。
視界の端に映る千聖の顔は恍惚的で、その痛みに酔っているようだった。
「……んっ……はぁっ……」
俺が血を吸い終わると、力が抜けたように千聖の体重が俺に委ねられた。
俺はその時分かったのだ。千聖を守れるのは俺しかいないと。千聖を守れるのは俺だけで、千聖を傷つけて良いのも俺だけなのだ。だって千聖は俺のものだから。
「蓮……、ありがとう……」
「……千聖」
お礼を言うなり、千聖の硬い歯を俺の首の皮膚に沈めていく。力が抜けるような快感と鈍痛が身体中に流れ出る。俺が千聖を抱きしめる強さも強くなる。
「んはぁ……、ふふ……美味しい……。気持ちいい……」
「……千聖」
俺の掌は千聖の頭を撫でている。それだけで千聖の顔は綻ぶ。
「ふふふ……もっと……もっとちょうだい……?」
「……次はどこを噛みたいんだ?」
俺がそう問いかけると千聖はゆっくりと首を横に振った。
「……痛みをもっとちょうだい? 蓮の存在を感じさせて……?」
2人の間を媒しているその痛みは、以前のような俺たちを傷つけるような痛みではない。2人の存在を確かめあって、2人の愛を示すための痛み。永遠の愛を互いに刻み込むための。まさに、誓いなのだ。
「れんっ……蓮……」
「千聖……」
俺が命を賭しても千聖を守り抜くという誓いなのだ。そして俺は千聖に真実の、究極の愛を捧げるのだ。
「ふふっ……もっと、蓮でいっぱいにして?」
自分たちを守るために、俺たちは自ら毒を打ち込むのだ。もう二度と壊れてしまわないように。もう二度と2人が離れ離れにならないように。
病み具合が深刻。
☆9をくださった、貝になりたいって思った様。
高評価していただきありがとうございました。