愛に報いて   作:敷き布団

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目次通り、鬱展開等苦手な方はブラウザバック推奨です。

それでは、最終話。始まります。















最終話 愛に報いて

「……んぅ」

 

隣で眠っている千聖の顔は、無垢で、無防備な表情を浮かべている。慌ただしく動く日々にはこんなふうに、落ち着いて、心にゆとりを持って生きる瞬間が必要なのだと再確認する。

 

「……ん、蓮……おはよう」

 

「……うん」

 

暗い部屋。夜を彷彿とさせる暗い部屋。

 

「……ねぇ」

 

「うん?」

 

「……ハグ」

 

「……うん」

 

「こっちも」

 

「ん……」

 

そんな暗く苦しい現実を生きていくために、俺たちはこうやって、互いに溺れて、愛の形を創ってきたのだから。

 

カーテンの奥に覗く空からは、大粒の雨が降りしきっている。静かな部屋の中にいると、壁面に打ち付ける雨音が聞こえていた。今日は一日中、朝からずっとこんな調子だった。なんでも今シーズンでも一二を争う大雨らしい。もうすぐ門出の時間であったけれど、そんな門出を空は祝うつもりはないらしい。

部屋にはもう、俺たちの面影を残したものは何も残っていなかった。ただ無機質な部屋がそこには広がっているだけで、ここでアイドルの1人と、なんの変哲もない男が住んでいた、なんてことがわかるようなものは、何一つ残っていなかった。

 

「……さて、忘れ物はないかしら?」

 

「……俺は、大丈夫かな」

 

「私は、もう少しだけ準備があるから、もうちょっとだけ待っていてくれるかしら?」

 

「りょーかい」

 

出て行く家を名残惜しむように、俺は部屋のあちこちを見渡す。もちろん何もないのだけれど、リビングにキッチン、寝室も。

 

「……そういえば雨が酷いわね。傘ってあったかしら」

 

「1本だけなら」

 

「……そう、じゃあ2人で入ろうかしら?」

 

こちらに微笑み返す千聖の瞳は、この上なく綺麗だった。

 

「じゃあ、先に出てるな」

 

「えぇ、分かったわ」

 

俺は一足先に廊下を踏み歩いて、靴を履く。玄関に置かれた靴も、あともう1組、千聖の分の靴しかなかった。そして、長らく踏み出さなかった外界との境目を開いた。

目の前にある柵より向こうは黒い雲の下、雨粒が大量に降り注いでいる。

 

「雨、やばいな」

 

俺が、そんな呟きをふと残した時だった。

雨の降り注ぐ音に混じって、足を擦るようなそんな音が聞こえてきたのだ。俺はそっちの方へと視線をやった。

 

「……蓮、久しぶり、だね」

 

「……沙綾?」

 

マンションの廊下に立っていたのは、かつての俺の恋人だった。予想だにしない登場に、完全に俺は腰が引けてしまっていた。

 

「なんで、ここに」

 

「……蓮に会いたかったから」

 

「……そう、か」

 

そうやって言いのけた沙綾の目の奥には、炎が宿っているように見えた。そんな沙綾を見て、俺はすっかり立ちすくんでいた。けれども俺の後ろから、木の軋む音が聞こえる。

 

「蓮? ……あら、……少し出るのが遅かったわね」

 

「……千聖先輩」

 

「……やっぱり、昨日私の後を尾けていたのは、貴女だったのね、沙綾ちゃん」

 

「……バレてたんですね」

 

どうやら千聖が昨日の帰り道に尾けられた結果、ここが特定されてしまったらしかった。

 

「それで、一体何のためにここに来たのかしら?」

 

「……蓮に会うためです。蓮に謝らなきゃいけないから」

 

「……そう。なら、私は邪魔しない方がいいかしら」

 

千聖ばそう言うと、脇の方へ寄った。

 

「蓮、まずは私が、……あの男と浮気紛いのことして、ごめんなさい。きっと……蓮のことを……悲しませたから。……謝って許されるものじゃないとは、分かってるけど、……ごめんなさい」

 

俺は、そんな沙綾の心からの謝罪にどんな言葉を返せばいいか分からず、完全に頭の中が真っ白になってしまった。

 

「……話は、それだけかしら。それじゃあ」

 

「待ってください」

 

千聖の言葉を遮った沙綾は、まじまじとこちらを見つめてきた。

 

「……千聖先輩。蓮のこと、解放してください」

 

「……解放? まるで意味がわからないけれど」

 

「蓮が、監禁されてるってことは、知ってます。蓮のことを、痛めつけているってことも。絆ちゃんのことも」

 

「ぇ……」

 

「……言いがかりはよしてくれるかしら?」

 

「それじゃあ、なんで蓮は、そんなに怯えているんですか?」

 

「……蓮?」

 

「ぁ……ぁ……」

 

突如頭の中に流れ込んできたのは過去の記憶だった。痛みと恐怖で、思考が縛られていた記憶。絆を……。あ……あぁ。あの日、全て狂い出した日。いや、元から狂っていたのかもしれない。……暗闇に……閉じ込められた日。

 

「……これは愛よ。蓮は私に愛を、誓ってくれた……。囁いてくれた……」

 

「蓮を脅して、忠誠を誓わせるのが、愛って言うんですか?」

 

「脅してなんかいない。そうでしょう、蓮?」

 

千聖がこちらを、追い縋るように見つめてくる。もう、何も、分からない……。

 

「ほら、蓮はそんなの、思ってないんですよ。……帰ろう、蓮」

 

「……ふざけないでっ!! 私たちは今から……2人で幸せになるの。邪魔しないでっ!!」

 

憎しみの籠った声を大きく荒げて、明確な敵意を向ける千聖。

 

「貴方に……私の大切な蓮は渡さない!!」

 

狂気に染まる千聖を見て、沙綾が取り出したのは、銀色に光る、獲物だった。

 

「……千聖先輩のエゴに、蓮を巻き込まないでください! ……今助けるからね!」

 

千聖は突如出された刃物に驚いて、反応が鈍かった。

まずい、と思った時には、体が動いていた。俺は千聖の前に立ちはだかった。

 

「何してんの蓮! その人は……蓮を監禁して拷問してたんだよ!!」

 

その言葉の意味は分からなかった。

 

「え、何して」

 

振り上げられていた腕を掴んだ。ナイフを奪った。ナイフで、切り裂いていた。

 

「え……ぁ……」

 

「……え? ……蓮?!」

 

後ろから、千聖の声が聞こえた。

だって、そうじゃないか。これが俺の、愛だから。俺が見つけた愛は、移ろい行く日々の中で変わらないもの。ずっとずっと、永遠に変わらないもの。

千聖が教えてくれたのだ。千聖が導いてくれたのだ。これが愛なんだ。ずっとずっと、一緒にいるために。千聖がいないと、生きていけないのだから。だからこの愛は、間違っていて、正しい。

俺が千聖を守るんだから。千聖に仇なす者は……全部敵だから。

 

「千聖を守れるのは俺だけだから」

 

千聖を傷つけるやつは、誰であろうと、許さないから。

 

「千聖は、俺が、絶対守るから」

 

「ぁ……ぁ……」

 

だって俺には、千聖しかいないから。

 

「千聖の敵は……みんな消えちゃえばいい」

 

力の抜けた体が、目の前で倒れていった。ゴン、という鈍い音が響いた。

けど……まだ動いてる。声を出してる。

 

……消さなきゃ。

 

「……」

 

「……ダメ。蓮……」

 

「……なんで、止めるんだよ」

 

俺を、止めたのは千聖だった。千聖は後ろから俺を抱きしめるように、俺を止めていた。

 

「……たしかに、私は蓮だけのもの。蓮は私だけのもの。……邪魔をするなら、私たちは抵抗する……つもりだった」

 

蹲りながらうめく声と、千聖の声が混ざっていた。

 

「けど、……蓮がもう、これ以上手を汚す必要はないから……。蓮が……手を汚しちゃったら……意味がないから……。ひぐっ……、罪を背負うのは……私だけでいいからぁっ」

 

千聖の涙がこぼれ落ちる。自分の心は壊れていると思っていたのに、俺の涙は枯れてはなかった。だって俺は……沙綾を……傷つけて……。

 

「あ……ぁぁ……」

 

「だからもう……止めて……」

 

下に目を向けると、倒れた沙綾は血を流しているのに、どういうわけか、笑っていた。笑って……涙を溢していた。

 

いや……でも、これで、これで良かったんだ。

これで、ようやく、ようやく俺は千聖と同じ業を背負えたのだから。

そう思わないと、おかしく、なってしまいそうだったから。もうおかしくなっていたから。だって、きっと、俺の顔は恍惚に歪んでいたから。

 

「れ……ん……」

 

小さく、震えた声が下から響いた。

 

「あり……がと……う」

 

「え、……あ、ぁ……」

 

視界が歪む。何が起きているのかもう、分からない。

 

突然、背後から、人の足音のような音が聞こえた。

 

「えっ、いやああぁぁぁぁ!!」

 

「な?!」

 

千聖が振り向いたのに釣られて、俺も後ろを振り向いた。隣の住人だろうか。凄まじい声をあげて、こちらを指差していた。俺は、どうしたら良いか分からず。

 

「えっ、きゃっ」

 

走り出した。

 

「蓮……?」

 

千聖の手を引きながら。階段を駆け降りる。一気に地上まで駆け降りた。

雨が強く降っている。傘もささずに走り続けていて、服も、素肌も、ずぶ濡れで。千聖と繋がれた手だけが、温かく、濡れていた。

 

「れ……ん……待って……」

 

走り続けた足をようやく止めて、千聖の方を振り向いた。千聖は俯いているが、雨に濡れながら、青ざめた表情で大粒の涙を流している。

 

「蓮……ごめん、なさい……ごめんなさい。私が、蓮と、もっと純粋で、綺麗な愛を築けていたら……こんなことにはっ、ごめんなさいっ」

 

「そんなことは……ない。これが、運命だから」

 

俺の抱擁が解けないまま、体は雨に濡れていく。ずっとずっと、寒さだとかそんなこと気にしないぐらいずっと、俺は千聖を抱きしめていた。

気がつけば街からサイレンが鳴り響いていた。すぐそこの道路を、パトカーが駆け抜けて行った。

 

「……こっちだ!」

 

「う、うんっ」

 

それから逃れるように、走り出した。なんとなくだけれど、俺たち2人を、追い込んでいるように思えた。細い路地を抜けようとした。目の前を警察官らしい男が駆け抜けて、咄嗟に隠れる。やり過ごしたら、また駆け出した。

 

「はぁっ、はぁっ……はぁっ」

 

千聖の吐く息も、もはや限界を示していた。

 

「いたぞ!!」

 

大雨の降り頻る中、俺たちは走って逃げていた。ダメだ。捕まったらきっと、もう二度と、千聖と一緒にいることなんてきっと。それはきっと、千聖も分かっていた。

けど、俺たちが轟々と濁流の様相を呈した川に着いた時、後ろから大きな声が響いた。橋の方へ逃げ出すが、向こうの対岸にも人がいるのが見えた。

 

「……ごめんな、千聖」

 

「……いいのよ。だって私が蒔いた種だから」

 

橋の上へと辿り着く。

 

「ここ……覚えてるかしら、蓮」

 

「……あぁ、俺たちが出逢った場所だな」

 

全ての始まりの地。ここから運命の歯車は狂い出して、俺たちは、みんな、壊れ始めたんだ。

体を貫きそうな雨粒が降り注ぐ中で、川の下からは轟音が響く。酔い潰れた俺はあの時この音を聞いていた。この場所で、あの日、あの夜。俺たちは出逢ったんだ。

 

「千聖、ここから始まって、色々あったな」

 

「そうね。2人でホテルへ行ったり、同棲を始めたり、2人で泣いて、笑って」

 

千聖は息が切れているのに、その表情は綺麗だった。

 

「……捕まっちゃったら、私たち、離れ離れかしら」

 

「そう、かもな」

 

遠くからこちらにジリジリと、警官が、近寄ってくる。

 

千聖の美しい顔が涙と雨に濡れていた。その紫炎の瞳が哀しさを湛えてこちらを見つめた。

 

「……ねぇ、蓮。私ね、ぐすっ、……死にたくなっちゃった」

 

「……奇遇だな。俺もだよ」

 

「だって、元々こんな、辛い世界から逃げるためだったんですもの」

 

「……どうして、この世界って、苦しくて、辛いんだろうな」

 

「さぁ。……そういうものなんじゃないかしら」

 

「……でも、千聖がまやかしでも、幸せをくれたんだよ」

 

「あら、ふふっ……それは蓮だって一緒じゃない」

 

2人で微笑んだ。

 

「……ねぇ、生まれ変わっても、私のこと、愛してくれるかしら?」

 

「俺は……千聖のくれる愛に報いるために、愛を誓って、沙綾を消したんだぞ」

 

「……そっか、そうよね」

 

「だからさ」

 

息を吸い込んだ。

 

「次に会う時は、2人で、幸せな世界で、生きような」

 

「……えぇ、勿論っ」

 

俺たちは橋の欄干によじ登った。足元では茶色い水が轟々と流れている。

遠くから止める声が響く。けどそんなのどうでも良かった。

 

 

 

最初は沙綾だった。沙綾がこの世界の全てだったのに。いつのまにか沙綾は消えて行って、何もなくなった俺の世界。

 

けど、本当に偶然の。神様の悪戯としか思えないような自暴自棄な出逢いがこの世界を変えたんだ。千聖に出逢って、変わったんだ。

 

俺の世界には千聖しかいなくって。

 

千聖に慰められて。

 

千聖に救われて。

 

千聖を救って。

 

千聖と生きて。

 

千聖に愛を教えられて。

 

千聖に愛を誓って。

 

 

だから俺は愛に報いるのだ。報いたのだ。

千聖を殺すのは俺なんだ。俺を殺すのは千聖なんだ。

 

 

身体が軽い。時間がとても長く感じる。

俺の右手には千聖の左手が重ねられて。決して離れないように、固く結ばれていて。

 

千聖の微笑みが俺に向けられていて。俺は千聖に微笑み返して。

 

落下していく。ゆっくりと。

 

 

 

 

なぁ、千聖。

 

なぁに。蓮。

 

別に千聖のことさ、1mmも好きじゃなかったんだ。

 

そうなのね。私もよ。

 

けどさ、いつのまにか、俺の全部になっててさ。

 

蓮だって、私の全部だもの。

 

だからさ。

 

だからね。

 

死ぬ時は一緒だ。

 

えぇ、離れたくないわ。

 

一つだけ伝えたいんだ。

 

私も言いたいことがあるの。

 

 

 

愛してるって。

 

 

 

濁流に飲み込まれていく。けれど、俺は怖くない。だって隣には千聖がいるから。

ずっと傍にいるって、何があっても傍にいるって誓ったから。

俺はこうやって、溺れていったのだ。水底に沈んでしまうように、千聖に溺れていったのだ。それが幸せだったから。それが俺の見つけた愛だったから。

だから俺は愛に報いたのだ。偽物の愛に、本物の愛に、報いたのだ。

 

 

 

 

なぁ千聖。

 

 

ねぇ蓮。

 

 

 

ありがとう。またね。

 

 

 

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