愛に報いて   作:敷き布団

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エピローグ

最初は、本当に、ほんの僅かな心の中の悪魔が囁いただけだった。ほんの浮ついた心だったのだ。

 

『かなり具合が悪そうですけど、立てますか?』

 

この世の全てだと思っていたものが、一瞬にして崩れ去って、私は何か心の依代を求めていたのかもしれない。

 

『こんな様子で酔っ払って倒れてる人を放っておくなんてできるわけないでしょう?』

 

私は、あの憎き悪魔に復讐をしてやろうと、この男を、豊岡蓮を使って復讐してやろうとしただけだった。

 

 

けど、気がつけば溺れていて。

私はすっかり蓮がいなきゃ生きていけなくなっていて。蓮と生きることが幸せで。

 

……他の女が蓮に近づくことが許せなくて。

結局のところ私は怖かったのだ。蓮がどこか遠くへ、私の知らない遠くへ行ってしまうのが。

 

だから私は、蓮が私から離れて行かないように、離れ離れにならないように、あれこれと手を焼いたのだ。その過程で当然人には言えないようなことを多く犯した。これが公になればきっと、私と蓮は離れ離れになってしまうだろう。

 

だから、私は、蓮と2人で、どこか遠く、誰も私たちを知らないような場所へ逃げてしまおうとしたのだ。

 

けれど、あとすんでのところで私たちは見つかってしまった。それも、他でもない沙綾ちゃんに。蓮は沙綾ちゃんに対して、まだ未練というか、思うところがあるようだったから。私は焦った。

 

結論から言えば、私の予想は完全に間違っていた。蓮が沙綾ちゃんのことを思い出してしまって、私は捨てられるのだとばかり、思っていた。

けど、蓮は沙綾ちゃんじゃなくて、私を選んだ。

 

でも、でも、蓮に私と同じような罪を背負わせるつもりはなかったのだ。本当なら私が1人で、全部罪を背負って。

 

 

私は、ただ愚直に愛を注いでくれたら、それで良かったのだ。それだけで私は生きていけた。

 

 

だから、蓮が沙綾ちゃんをナイフで切り裂いた時、私の頭は完全に真っ白になった。叫び声だとかも、みんなノイズに消された。

 

蓮はいきなり走り出した。逃げるのだと察した。それは私とて賛成だった。このまま留まったところで何も変わらなかったから。

 

けど、外に出て雨に降られた時、私の心に襲い掛かったのは深い後悔だった。それは最早形容することすら難しい。浮気をした自分も。狂気に及んだ自分も。そして、蓮をその狂気に巻き込んでしまったことも。

 

 

私は気づいた。

これは罪滅ぼしなのだと。この、周囲を犠牲にしたとしても、私だけに偉大な愛を注いでくれる、蓮に偉大な愛で報いることこそが、私の義務であり、天命なのだと。

 

 

 

 

ねぇ蓮。

 

もう水に溺れてしまって何も喋れないけれど。

 

私の胸の中のこの気持ちは届いているかしら。

 

私、貴方に会えて幸せだった。

 

喩え、それがたった一瞬のものでも。

 

この愛は悠久に続く偉大な愛だから。

 

裏切りの復讐なんかじゃない、心の底から貴方を求める愛。

 

私に夢を見させてくれたのが、貴方で良かった。

 

私はずっと、この甘い夢に溺れていられるから。

 

だからね、蓮。

 

愛してるわ。

 

生まれ変わっても、また私のことを愛してね。

 

 

ありがとう。またね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

──────────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最初は、私のこの愛はずっと、無限に続くものだと思っていた。蓮と一緒に居られることが幸せで、デートの時なんかはぶっきらぼうだけど、いつでも私に幸せをくれて。将来は貴方とパンを一緒に焼ける日があればいいなぁ、なんて、そんな夢物語を描いていたの。

 

 

けど、私は愚かだった。愚かで、人を疑うこともせず、私はその甘い誘いに乗せられていて。私の意識はいつのまにか奪われていて、気がついたら見たこともないベッドの上にいた。私の服は今まさにはだけさせられようとしていて、私は思わず叫んだ。

 

私は愚かで。現実は非情だった。私の必死の懇願に、純潔こそ守られたけれど、私は言いなりにされて、逃げ出した。逃げ出した私は家に引きこもった。

後から考えたらもっと早くに、逃げられる場所だとか、もっと適切な場所だとかに助けを求めるべきだとわかる。けど、そんなのその時の私には無理だったから。

 

私の頭を支配していたのは、蓮に捨てられるかもしれないって恐怖と、蓮と離れたくないって欲望。だから、蓮が私のことを知った時、絶望した。この世界はなんて理不尽で残酷なんだろうって。

 

そして、私は蓮を裏切ってしまったと、後悔した。本当は助けて欲しかったのに、誰よりも助けて欲しかったのに、軽蔑されたりするのが怖かったから。私は蓮だけのものなのに、蓮以外の人のものに半ばなってしまった私を蓮が捨てるってなるのが怖かったから、何も言えなかった。蓮が私のこと捨てたりなんてするはずなかったのに。私って本当バカだった。蓮は絶対に、私の味方でいてくれたはずなのに。

 

 

それが、悪かったのだろうか。私は蓮と連絡も取らず誰にも顔を合わせることもできず、謝ろうとしても、……蓮に会うことすらできず。

 

私は絆ちゃんの心を傷つけて、蓮の居場所を得た。蓮が監禁されているってことも知った。その監禁している相手が、千聖先輩だということも。

 

万が一を考えて、刃物すら持っていった。監禁なんて、まさか自分が間接的にも当事者になるだなんて思っても見なかったから。

 

「ふぅ……」

 

家から出てきたのは、蓮だった。

 

「……蓮、久しぶり、だね」

 

「……沙綾?」

 

久方ぶりに会う蓮は少し痩せこけているようにも見えた。

私は謝った。そして、千聖先輩に懇願した。蓮を解放して、と。千聖先輩は声を荒げたけれど、千聖先輩の弁なんて、私にはどうでも良かった。

 

「……ふざけないでっ!! 私たちは今から……2人で幸せになるの。邪魔しないでっ!!」

 

「……千聖先輩のエゴに、蓮を巻き込まないでください! ……今助けるからね!」

 

だって、私には蓮しか見えてないから。けど、なぜか蓮が私の前に立ちはだかった。

 

「何してんの蓮! その人は……蓮を監禁して拷問してたんだよ!!」

 

私は蓮の行動の意味が分からなかった。

なんで? どうして? 私が蓮をこの女から解放してあげられるのに。

 

「え、何して」

 

蓮は振り上げていた私の腕を掴み、私からナイフを奪った。

 

「え……ぁ……」

 

私はそのナイフで切り裂かれていた。痛い。痛い。身体中から凄まじい量の血が流れ出ている気がする。視界がぐらぐらする。

 

「千聖を守れるのは俺だけだから」

 

蓮の声が遠く響く。

 

「千聖は、俺が、絶対守るから」

 

「ぁ……ぁ……」

 

「千聖の敵は……みんな消えちゃえばいい」

 

私は、その時分かったのだ。

 

これが愛なんだって。私が大切なものを守りたくて、千聖先輩に刃を向けようとしたのと同じように、蓮も大切なものを守りたくて、私に刃を向けたのだ。

これが愛なんだって。蓮が守りたかったのが、千聖先輩だったというだけの話。

たった一度のすれ違いが、こんな残酷な結果にしかならないだなんて。神様って、意地悪だな。

 

けれど、私は、ようやく愛というものが何か分かったかもしれない。ずっと前まで、蓮と穏やかな日々を過ごして、そうやって育んでいくのが愛だと思っていた。

 

けど、違った。それも愛ではあるのだけれど、違ったのだ。

私がこの残酷な世界に打ち拉がれたように、この辛い世界を生きていく中で、大切なものを守るために、命を賭すのが、愛なんだって。

 

「れ……ん……」

 

あはは、だからさ、蓮。私ね、愛ってやっと分かったよ。

 

「あり……がと……う」

 

だからね、今なら自信を持って言えるんだ。

 

 

蓮のこと、愛してるよって。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私は白い病室で目が覚めた。病室の中は何かの機械の発する無機質な音が響いていた。

 

「あっ、さーやが目覚ました!!」

 

「え?! ほ、本当か?! 沙綾ぁ……心配したんだからなっ!!」

 

「……あれ、みんな?」

 

私はポピパのみんなに見守られて目が覚めた。どうやら話によると、私は少しの間眠っていて、目を覚まさなかったらしい。

 

 

最初こそ、ゆっくりとしか動けなかったけど、みんなの支えがあって、なんとか学校に通えるぐらいには元気になった。

 

私って、やっぱり色んな人に支えられて生きているんだなって。家族もそう、商店街の人たちも、学校のみんなも、ポピパのみんなも。

 

 

……あれ、なんだろう。何か大切な人を忘れてしまっているような気がした。忘れてはいけない、大切な人。なんとなくいることは分かるのに、それが誰だか分かんなくて、顔を思い出そうとしても、名前を思い出そうとしても、靄がかかったように、思い出せないのだ。

 

「沙綾ちゃん、どうかしたの?」

 

「……まぁ、いっか!」

 

悩んだって仕方がない。思い出せないものは仕方がないんだから。

 

 

……それに、思い出せなくても。

心の奥底は、温かい何かで満たされているから。

だから、幸せを願って、別れを告げよう。私がきっと、深く深く愛を注いでいたその人に。

 

きっと、もう、2度と、会うことはできないから。

 

 

 

 

 

……またね。さようなら。

 

 

 

 

 













これにて、『愛に報いて』、完結となります。
長い間お読みいただき、本当にありがとうございました。また他の作品でもお会いできることを心よりお待ちしております。
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