愛に報いて   作:敷き布団

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第4話 裏切りの謝罪

「……沙綾?」

 

リビングに響く、力の抜けた声。テレビの画面に映された、ある週刊紙の1ページに写っているのは、若手俳優であり、俺と子役時代の知り合いの各務菊磨と、俺のよく見知った人の姿。顔なんかは見えないように加工されているので、絶対に知らない人から見ても、多少仲のいい知り合いなどからみても、それが誰かは分からないだろう。しかし、俺にははっきりと分かった。

 

そこに、菊磨の隣にいたのは、山吹沙綾だと。

 

遠いアングルから撮られているので、2人の詳しい様子などはそれほど伝わってこないが、別の写真では2人が手を繋いで歩いている姿も激写されていた。記事を移しながら、キャスターが記事の文面を引用して読み上げているようだが、そんな言葉は俺に耳にはもはや届かなかった。

 

なんで? どうして沙綾が菊磨と? どこで知り合ったのか、どうしてそうも仲睦まじい姿で歩いているのか。頭の中に、考えても仕方のない疑問が浮かんでは消え、浮かんでは消え、ただどうしようもできない絶望だけが感じられる。

 

「なんでだよ……」

 

沙綾の格好は、まさに俺が先日沙綾とショッピングモールへデートに行った時の姿そのものだった。いや、もはやあれはデートとは呼べないのかもしれない。もしも沙綾の心がすでにあの時、俺から離れていたのだとしたら? 沙綾の心が菊磨に移っていたのだとしたら? そう考えると、まるでこの間の沙綾の態度が全て合点がいって、自分でも驚くほどにストンと腑に落ちてしまった。

浮気、だったのだ。

 

「はぁー、んー? お兄どしたの?」

 

長すぎる説教を終えてお手洗いに行っていた妹がリビングに帰ってきた。暢気な声を上げる妹に無性に腹が立ったのだが、このやり場のない思いを妹にぶつけたところでなんの意味もなかった。

 

「へぇ、各務菊磨の熱愛かー! えぇ、良いよね、カッコいいし、この間の映画も良かったしなー!」

 

だが、その場にいることがいたたまれなくなって、俺は妹を置いてリビングを出た。階段を昇る足音がいやに大きく響いて聞こえる。それはまるで弄ばれた俺のことを嘲笑うように耳に届き、俺は思わず心から込み上げてくる怒りと悲しみを階段の壁へとぶつけた。痛みは感じられるし、それだけでこれが現実なのだと理解する。俺は自室に戻って、思い切りドアを閉める。そして布団に倒れ込むと、声も上げずに泣いた。

 

 

 

目が覚めると、まだ窓の外に見える空は真っ暗であった。部屋の時計には『4:36』なんていう、これまで起きたことのないような時間が表示されている。なんとなく起きるのが気怠くて、体だけを起こして体を壁にもたれさせた。

枕元に置いてあったスマートフォンの画面をタップすると、よくわからないメールの通知が数件来ているだけで、特には他になにもなかった。

俺は惰性で普段よく使うメッセージアプリを開けるが、沙綾の顔の表示されたアイコンを見ただけで吐き気がして、思わずアプリを閉じる。自分が何をしたいのかもよく分からなくって、SNSを開いてタイムラインを漁る。自分の友人たちの楽しそうな旅行の投稿や、美味しそうなランチの投稿なんかが出てくるが、どれもよく見る気が起こらない。それどころか、急上昇している記事の欄には、『各務菊磨熱愛!』という、今まさに俺が直視したくない記事が表示されてしまった。気がつけば呼吸が荒くなっていて、詳しく見るのが怖くなって結局アプリを閉じてしまった。

はぁとため息をついて、覚悟を決めてもう一度メッセージアプリを開いた。俺が眠りにつく前、いや、もっと言えばあの報道を見る前に、絆の鞭撻を受けて送信したメッセージの返信を見るためだった。

沙綾に送った、『今度の休み、沙綾と2人で出かけたいところがあるんだけど、一緒に行きたい』、というメッセージ。送信したのは昨日の『20:18』と出ている。当然朝は店の手伝いで起きるのが早い沙綾とはいえまだ起きている時間だろうし、そのあと寝る前にもきっとスマートフォンを開けることぐらいあるだろうし、以前にもそれ以降の時間に返信が来るなんてザラにあった。そういうわけで返信を期待しても良いだろうから、沙綾とのチャットを見る。画面には『既読』という文字だけが書かれていた。もちろん沙綾からの返信はない。

 

「……くそ」

 

沙綾にメッセージを送ろうとキーボードをタップする。しかし、俺は沙綾に一体何を言えば良いのかすら分からない。何も知らない顔をしてこの間のデートのことを言うべきか? それともあの報道を問い詰めるべきか? そもそも沙綾はあの報道のことを知らないかもしれない。

本音を言うならば、俺は間違いなく沙綾に真相を問い質したいのだろう。そして願わくは、あの菊磨の熱愛の相手が沙綾でないということをしっかりと沙綾から聞いて安心したいのだ。だが、正直になれば、その真相を知るのは怖かった。沙綾じゃないと、俺は願っているし、信じている。けれど、もしも、あれが本当に沙綾だったら。沙綾の心が本当に俺から離れているのだとしたら。

俺は正気でいられる自信がなかった。どうなってしまうかわからない。それがとんでもなく怖かった。俺が眠りに落ちる前に感じていた怒りは、沙綾が浮気をしたかもしれないことへの怒りではなくて、沙綾を失うかもしれないという恐怖を隠すための怒りだった。

 

「はぁっ、はぁっ」

 

気がつかぬ間にまた呼吸が荒くなっていた。どうやら心の余裕はもうなかったらしい。俺は意を決してもう一度アプリを立ち上げる。そして俺はSNSの菊磨の熱愛報道を見る。

そこには菊磨と隣を歩く女性の画像。やはりその立ち姿は沙綾にどことなく似ていた。報道ではそこを歩く女性の素性などは全く明らかにされておらず、その報道は明らかにゴシップ程度の記事であった。実際に報道の半分以上は菊磨の経歴が書いてある。

しかし、見る人が見れば、きっとこれは沙綾の姿だと容易にわかった。少なくとも俺は、これが沙綾だと確信した。

そして俺は沙綾にメッセージを送る前にもう1人の渦中の人物、菊磨とのトーク画面を開く。

 

「……どうなってんだよ」

 

菊磨に送ったメッセージはそのまま、熱愛報道の真相を問い糺すようなもの。きっと菊磨なら、これまでの感じからすれば今が早朝だということを考えれば今日の昼ごろまでにはきっとメッセージを見て返してくるだろう。俺は菊磨にそんなメッセージを送ると、深呼吸を数度繰り返して、沙綾との画面を開いた。

やはり、さっきと変わらぬ既読の2文字が俺の送ったメッセージに付けられている。沙綾から返信が返ってくるような気配はない。まぁ、流石にこの時間は起きていないだろうか。そんなことを思いながらキーボードを打つ。なんて返そうか、と考えるけど、正直答えなんて分からなかった。疑いたくはないし、疑っているなんてことを沙綾に悟られたくもない。けれど、悟られずに真相を確かめる方法なんてない。八方塞がりだった。

 

『沙綾、あの各務菊磨の報道、見た?』

 

結局俺は、まるで世間話のような体を装って聞くことしか出来なかった。

真相を知ろうとしているのに、いざその真相を知るということになるとそれを怖がるような臆病な人間だったから。

浮気を疑っているのに、沙綾のことを信じることができないだなんて思われたくないような傲慢な人間だったから。

沙綾のことが、大好きだったから。

 

だから、そんなメッセージを送ってしまった。時間は5時前。まだ沙綾は起きていないだろう。僅かな後悔を残しながら、画面を閉じようとした。その時だった。不意に画面に現れた文字を見て、目を大きく見開いた。既読という文字が出たのだ。沙綾がこの話を見たのだ。俺は途端に冷や汗が止まらなくなって、呼吸が止まったような気がした。世界そのものまで、止まったような錯覚すら覚えた。

 

無機質な音が俺の荒い呼吸しか聞こえないような静寂の部屋に響く。暗闇の中に光るブルーライトが俺を詰るように部屋を照らす。

 

『ごめん』

 

そんな短い言葉が、画面に現れていた。

 

 

 

ふと我に返って辺りを見渡す。外はすでに明るくなっている。どうやら朝が来たらしかった。けれど眠っていたわけではない。ベッドの上で体を起こして、俺の右手にはスマートフォンが握られている。スマートフォンは何を言うでもなく、ただ青々と俺にナイフを突きつけていた。

沙綾からの続く言葉を待った。けれど、沙綾から、あれ以降の返信はなかった。何に対して謝っているのか、最初は理解できなかった。デートに行けないことだろうか、そんな風に現実逃避しようとしていた時もあった。けれど、ただ無気力で、ただ無心で、画面を眺めていて、一つの答えに行き着いた。沙綾の言葉の意味が分かったんだ。

 

「あ、あ、あ」

 

まるで自分の立っている地面そのものが崩れ落ちていくような。あっという間に世界が暗闇に包まれて、浮遊感に囚われたまま意識を刈り取られるような。ただ絶望を感じる中で、最愛の人の顔が過った。その瞬間、その姿は立ち消えて、一瞬で闇に葬り去られた。終わったんだ。

 

「ああああああぁぁぁぁぁっっっ!!!!」

 

それからのことは、何一つ覚えていない。

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