愛に報いて   作:敷き布団

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第6話 意趣返し

白鷺千聖。日本でその名を聞いた時、きっと知らない人はいないであろう。子役としてキャリアを積み重ね、今や女優業の傍ら、本格派アイドルバンドでベーシストを務める、まさに同年代の芸能人としてトップを走り続けるような、そんな存在。子役からステップアップが出来ずに逃げた俺とは対極にいるようなやつ。あの時でこそ同じ土俵に立てていたと思っていたし、同じ舞台を経験したこともあったけれど、今となっては比べるほどもない。

 

「……そう、私のことを知ってるのね。……貴方は」

 

その立ち居振る舞いは、やはり大物のそれというのだろうか、しかし、俺を見下ろすその目には生気が宿っておらず深淵が覗いている。表情もまるで起伏がない。少し前の自分を見るかのようだった。ああ、俺、こんな酷い顔してたんだ。

 

「……誰だっていいだろ」

 

「あら、こちらは素性を明かしたのに、そっちは名乗らないというのは不誠実じゃないかしら? ……()()()くん?」

 

「……は?」

 

さーっと、血の気が引いていくような。名乗ってすらないのに俺の名前を一言一句間違えずに言い当てるやつのせいで、寒気がした。

 

「……さてと、こんなところに居ても風邪をひくでしょうし、どこか中に入りましょう」

 

「……なんで」

 

「話はそれからよ、いいかしら?」

 

「……あぁ」

 

あまりに面食らってしまって、なにも言い返すこともできずにその手を取るしかなかった。久しく温もりを感じていない手に体温が宿って、血が通ったような気がした。

 

「どうせその様子じゃ家に帰れないんでしょう?」

 

「それは」

 

スタスタと、フラフラの俺を支えながらもしっかりとした足取りで歩く白鷺千聖。

 

「……残念だけれど、今日は私も家に帰る気分じゃないわ」

 

「ならどこに」

 

「あら、酔っ払いを放り込むには最適なところがあるじゃない」

 

「……警察署?」

 

よくよく考えれば、俺は間違いなく補導されるし、それだけは勘弁願いたかった。

 

「突き出されたいならそうするけれど? まぁ、着けばわかるわ」

 

そんなことを言われて、少し歩いた先の建物に入る。随分と煌びやかな装飾を施した施設であった。

 

「……なんでこんなところ」

 

「……生憎私も人のことを気遣ってられるほどの余裕がないから。静かになれる場所なんて他に思いつかないわ」

 

そう言ってのけた彼女の顔は、ただただ無表情であった。そしてエレベーターで上階に昇り、部屋にたどり着いた。俺は驚きで忘れていた頭痛が歩いている途中から蘇り始めたため、ベッドの縁に座り込む。

 

「それで、なんで俺を知って」

 

「……知り合いから偶然貴方の写真を見せてもらったことがあるのよ」

 

「……そうかよ」

 

その知り合いって、なんて深く聞かない方が良いのだろうか。少なくともそれを聞き出せるような空気はここにはなかった。

 

「貴方やけに酒臭いけれど、どれだけ飲んでるの?」

 

「さぁ。数えてないから」

 

「……そう」

 

そう言うとまるでクズを見るような目でこちらを睨みつけた。

 

「悪いこと言わないけれど、酒に溺れるなんて碌なことにならないからやめておいた方が良いと思うわよ」

 

「……へいへい」

 

そんな話、絆から耳が痛くなるほど聞かされた。けれどその度に反発して、結局こうやって家を出て帰らずに夜中までふらついているわけであった。そのふらついた先からも同じことで怒られるだなんて、皮肉なことだ。

 

「……一番聞きたいことを聞いても良いかしら?」

 

「……なんだ?」

 

途端に雰囲気が変わる。その瞬間、俺の聞かれたくない部分が暴かれるのだと、直感的に理解した。

 

「貴方の不幸ってなにかしら?」

 

「……あんたと一緒」

 

「……そう」

 

浮気された、だなんて惨めで、情けなくて、悲しくて、言えるわけがなかった。けれど、それを聞いた彼女は、会ってから初めて俺に笑顔を見せた。

 

「……ふふ。浮気、されたのね」

 

「……そうだよ、悪いか?」

 

「いいえ? 私だって同じことだもの。……惨めよね」

 

「……そうかもな」

 

……まるで、哀れむようなそんな目を向けてくる。自分だって同じことなどと言いながら、なぜそんなことで傷を抉り出してくるのか。震えるような八つ当たりで、俺は、聞きたかったことを口に出してしまった。

 

「……あんた、アイドルで男がいたんだな。誰なんだ? 相手」

 

「……あら、貴方のよく知ってる人だと思うわよ?」

 

「俺の知ってる……?」

 

「ほら、最近ニュースにもなったと思うのだけれど」

 

「え……」

 

最近ニュースになった、俺の見知った人。そんなやつ、該当するのは1人ぐらいしかいなくて、俺が合点がいったと見るや、白鷺千聖は、自分自身を嘲笑うように呟いた。

 

「……各務菊磨」

 

その名前を聞くだけで、あいつの顔が浮かんできて、どうしようもなくやりきれない思いが思い起こされた。

どうして、どうして、どうして。

募る思いが溢れ出しそうになる。なんとか踏みとどまって我慢した。けれど、その堰を切ったのは、突如思い起こされた沙綾の姿だった。いつも俺のそばで笑ってくれていた沙綾。ずっと一緒にいるだなんて、そんな約束をした時もあった。けれど、そんな沙綾はずっと遠いところに行ってしまって。

 

「……うっ、……ううっ」

 

「……そう。……貴方も、なのね」

 

どうやら、彼女にも悟られてしまったらしい。俺を捨てたのは、その菊磨の女なのだと。でももうそんなことバレてしまったってどうでもよかった。もう今死んでしまったってそれでよかった。ついさっき、あの橋の上で誰にも看取られないまま意識が遠のいて死んでしまってもよかった。それで全て忘れて、消えてしまえればそれでよかった。

 

「……ふふ。捨てられた者同士、かしら」

 

「……。……らしいな」

 

コツンという物音がして気がつくと、何故か先程まで窓の外に広がる真っ暗な空を見上げて、物思いに耽っていた彼女は、いつの間にやら俺の隣に腰掛けていた。

 

「貴方は、どうしたいの?」

 

「……どうしたいって」

 

「私は、もう死んでしまいたいわ。……だって、私の全てだったから」

 

「……奇遇だな」

 

「……ふふ」

 

妖しく彼女は笑うと、冷たく凍ったような掌を俺の膝の上に載せてきた。凍てつくような体温が、身体中に一気に走った。

 

「けれどね、このまま終わるのは私、ちょっと嫌なの」

 

「……このまま?」

 

「意趣返しって言うのかしら? 偶然にも同じ相手に裏切られたらしいから」

 

「意趣返し……ね」

 

「別に貴方のこと、1mmも好きじゃないけれど」

 

「別に俺だって、白鷺千聖とか1mmも興味はないけど」

 

「……今日だけは千聖って呼んでくれないかしら?」

 

意趣返し。単純な仕返しという意味でも使われるが、本来は、心の奥底にドロドロに溜まりきった怨みを込めて、復讐を果たすことである。俺たちはそれぞれから大切な人を奪った者へ怨みを込めて、復讐を果たしたのだ。自暴自棄になった同じ立場の少女と、同じ過ちを犯した。これは紛うことなき浮気であった。

俺は、千聖と、一夜限りの関係を共にした。全て、この世の苦しみだとか全て忘れるように。これまで溜まりに溜まった恨み辛みとかを全て千聖にぶつけた。そして千聖はそれを受け止めて、俺は千聖のぶつける恨み辛みを全て受け止めた。

その晩、俺と千聖は一夜限りの同じ業を背負ったのだ。

 

 

 

身体中を襲うのは拭いきれない倦怠感と、犯した過ちへの後悔と、裏切りへの、愛に報いたことへの罪悪感であった。そんな複雑な感情を抱えながら目を覚ました俺の目の前には、昨日互いに慰め合ったその人が、あられもない姿で寝息を立てている。女性の裸体など直視すればきっと興奮を感じるはずであろうに、今の俺を包んでいたのはほんの僅かな安心と、死んでしまいたくなるような負の感情であった。こんな風になるなんてお酒と一緒だ。そんなわけだからお酒にも、女にも、『溺れる』だなんて言うのだろう。

 

「んん……」

 

布団の中でもぞもぞ動いていると、隣で眠っていたと思っていた白……千聖が反応したのか小さな声を上げた。どうやら俺が起きる前から起きていたらしい。

 

「……起きたのね」

 

「……あぁ」

 

特に言葉を続けるわけでもなく虚ろな目でどこかを見つめる千聖。彼女が今見ているものは何だろうか。そんな他の人には分かるわけもない考えを巡らせていると、不意に千聖がこちらに寄ってくる。

 

「どうした?」

 

「……ううん」

 

女性特有の膨らみが触れるだとか、そんな下世話なことに反応している暇もないほどに神妙な面持ちをする千聖に完全に見惚れてしまっていた。顔を俺の胸元に埋めた千聖はまるで寝起きということを感じさせないほどに真実を見抜くような目を俺の胸元に隠した。そして、体温を僅かに含んだ涙を流した。

 

「……なんで」

 

「……うん」

 

「ひぐっ……もうやだぁ……うぅっ」

 

それが演技などではないということは容易にわかる。心の全てを曝け出した涙。

 

「ごめんね……菊磨ぁ……うっ、ううっ……」

 

最初に裏切ったのはあいつなのに、なんてことを考えはするけれど、きっと千聖からすれば、あいつが全てだったはずなのだ。それは俺と同じように。そうだとすれば、俺はどれほど心の醜い人間なのだろうか。

 

 

 

「ふふ……復讐しても、……ちょっと気が紛れるだけなのね」

 

「……そうらしいな」

 

千聖が泣き出してからちょっとして、千聖は泣き止んでから、またどこにもない虚無を見上げていた。

 

「……けれど、少しでも楽になれるなら、……なんて考える私は、下衆なのかしら」

 

「……そんなことはない」

 

「そう……。まぁ、酒に逃げる貴方よりはマシかもしれないわね」

 

「……どっちもどっちだろ、そんなの」

 

何を答えるでもなく、ゆっくりと布団から這い出る千聖。

 

「その、巻き込んでしまってごめんなさい」

 

「……別に、助けられた身だから」

 

「……いいえ、助けられたのは私こそ。それに私のエゴに付き合わせてしまったから」

 

そういうと、脱ぎ捨てていた服をさっと纏い、こちらを振り返らずに歩き始める。

 

「……もう会わないようにするから、本当に、ごめんなさい」

 

そして部屋を出て行く。何も答えられないまま、そこで裏切りの逢瀬は終わりを告げたのだった。











裏切りに衰弱した2人の細やかな復讐劇。
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