愛に報いて   作:敷き布団

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第8話 裏切りを重ねて

窓の外に見える景色は真っ暗で、車の通る音すら聞こえない。俺の部屋のテーブルにはつい数時間前に、妹から見舞いとしてもらったパンの袋の残骸が転がっていた。昼間、ひいては夕方こそ虚無に浸っていたのだが、今はそれにも増して自身への嫌悪感だとか、思い通りにいかない現実への憎悪だとか、そんなものが渦巻いている。

 

「沙綾……」

 

もう今は二度と戻らない愛した人の名前を譫言のように吐き捨てた。もうとうに涙は枯れ切っていて、夜闇に消えてしまいたい自分がいた。

 

「……はぁ」

 

そうして俺はまた部屋を出る。部屋を出るといってもリビング、キッチンに潜るわけではない。財布をポケットに突っ込んで、家を出るのだ。

いつか止めようとした徘徊。妹を、絆を、心配させまいとして一度は止めようとした。けど、ダメだった。こうして見知った静かな街に居たら、沙綾を思い出して辛くなるんだ。辛くなるけど、辛くなると分かっているのに、向き合おうとしないとダメになるんだ。

 

『ほっとけないでしょ! 心配してるの分かんないの?!』

 

ふと、妹の顔が思い浮かんだ。妹が、俺に詰め寄った時の必死な顔。元気を出して欲しいと言った素直な表情。全部が全部、克明に浮かんでくる。けど、そんなことで俺の狂気は収まる気配はなくて、そんな顔がふと過ぎる度に歯軋りが止まなかった。なんとか忘れようとすると、今度は沙綾の顔が朧気に浮かんでくる、そんな状態だった。

 

だから俺は、今日もまたいつかの日のように酒を浴びる。手提げのビニール一杯に詰め込まれた酒瓶や缶。またこれを飲んだら、全て忘れられるのだろうか。何もかも忘れたように、苦しむことのない遠い世界に飛べるのだろうか。1週間近く酒を絶っていたせいか、味はよく覚えていないけれども、あの天に召されるようなあの感覚ははっきりと覚えていた。

 

「……ねぇ」

 

ぼーっと、夜道を歩いていた。それは今宵の酒場を探すため。そんな俺に背後から声がかけられた。まだアルコールの入っていない頭は冷静に振り返る。

 

「……また会ったわね」

 

「……白鷺千聖」

 

こんな真っ暗な路地には似つかないほどの美貌を持ち合わせた女。つい先日ともに過ちを犯した女が俺の肩に手を乗っけていた。

 

「って、くっさ」

 

「あら? ……うら若き乙女に臭いだなんて、失礼が過ぎるじゃあないかしらぁ?」

 

「……酔っ払いの相手はごめんだぞ」

 

「酔っれないわよ!」

 

「……はぁ」

 

突然大声で反論しだすと、勢いでふらついたのか、躓きかけるこの女。それをすんでのところで支える。

 

「セクハラっれ知らないの? そんなにベタベタ触っれ」

 

「支えただけだろうよ……」

 

「なんて、このあいらもっと下まで触れられらわね」

 

「呂律回ってねぇじゃねぇか、あとそういうこと言うのやめろ」

 

どうやらこの女、先日散々俺に酒に溺れることを咎めておきながら、自分はベロベロに酔い潰れているらしい。といってもすでに時間は日付を回っているぐらいだし、どうしたものか。一度は助けてもらっている手前、ぞんざいに扱うのも憚られた。

 

「ん……? あれ、貴方いっぱいお酒持ってるのね?」

 

この女、こんだけ酔っ払っているのにまだめざとく酒を発見したらしい。こいつらは俺がゆっくり感傷に浸りながら溺れようと思っていた酒なのだが、それはそうとこれ以上この酔っ払いに酒を飲ませるのはやばそうだった。

 

「丁度いいじゃない、一緒に飲むぅ?」

 

「遠慮しとく、1人で飲みたいんだ」

 

「あら、今をときめく女優から誘われてるのにつれないのね」

 

「自分で言うのかよ……」

 

酔っ払っている割には……いや、酔っ払っているせいだろうか、いつにも増して、といってもテレビで見るいつもだが、やたらと早口である。俺が呆れて、どうしようかと決めあぐねていると、クイクイと袖口を引っ張られた。

 

「それじゃどこで飲む? おみせ?」

 

「飲まないって言ってんだろ……、てかだから酔っ払いの相手はごめんだっての」

 

「前の時は私ちゃんと助けたのに……」

 

「うっ」

 

それを言われてしまうと何とも言い返せない。

 

「そもそも貴方が私にお酒なんて教えるから、今こんなことになってるのよ? 責任取りなさいよ」

 

「俺別に教えてないじゃん……」

 

というか前嗜めたのは何だったんだよ、とツッコミを入れたくなったが、そんなこと言ってもきっと徒労に終わるのであえて口をつぐんだ。

 

「なんでそんななるまで飲んでんだよ」

 

「……こうしたら許されるから」

 

「はぁ?」

 

この酔っ払いが言ってることは訳がわからない。呆れてため息をつくと、千聖は俺の袖口を掴んで口を開く。

 

「で、飲むの? 飲まないの?」

 

「飲まない」

 

「……いいのね?」

 

やたらといじらしい目を向けながらそう呟いたこいつに視線を戻した。一体何を言い出すつもりなんだと身構えた。

 

「貴方が私の言うこと聞かないなら今から大声で叫ぶ」

 

「はぁっ?!」

 

「『襲われた』って泣き叫ぶわ。貴方は未成年に酒を飲ませたあげく潰れた女を抱こうとした犯罪者、さてどうするのかしら?」

 

「……クソが」

 

この酔っ払い、ベロベロな癖してこちらと交渉しようとしている時はそこまで酔いを見せずに話してくる。なんなんだよと心の中で悪態をつきながら、渋々従うことにした。

 

「さてじゃあ行きましょうか、言っておくけれど私に少しでも抵抗しようとしたら叫ぶから」

 

「……分かったよ」

 

そんなこと言われちゃ敵わない、なんて不満を垂れる俺を引っ張り続けるこの女。幸いこの時間だからか人とすれ違わずにいれるのは幸運だった。

 

「で、なんでまたこういうとこ来るかな」

 

「だって私が普通のお店行けるわけないでしょう? バカなの?」

 

「は?」

 

「あ、叫ぶ?」

 

「……なんでもない」

 

なすすべなくまたもホテルに連れられて、部屋に入る。この酔っ払いを鎮めるために、仕方がなく俺は買ってきた酒瓶を開けようとビニール袋を置いて取り出そうとした。

 

「……ねぇ」

 

「ん?」

 

「立って?」

 

「はい?」

 

「……どーん」

 

「は?」

 

なぜか天井を見上げている俺。突如ずいっと視界を占領する酔っ払い、もとい白鷺千聖。

 

「前、これっきりにするって言ってたわね」

 

「……あぁ」

 

「撤回するわ」

 

「は?」

 

「ちょっと貴方が恋しくなったから」

 

「……なんで」

 

「千聖」

 

「え?」

 

「千聖って呼びなさい」

 

「……千聖、んんっ?!」

 

押し倒されている俺は抵抗すらできず、舌を無理やり捩じ込まれる。さっきまで酒の臭いしかしてなかったのに、気がつけばどこからかオンナの匂いが漂っていた。

 

「……んはぁっ」

 

「ねぇ」

 

「……何だよ」

 

「……私を、今晩だけで良いから……恋人にさせて?」

 

「なんで……」

 

「前は復讐だったけれど、今は何かに溺れていたいの」

 

「溺れたいって……」

 

「……だから、私を……今夜だけでも良いから、貴方に溺れさせて、蓮……」

 

「……千聖」

 

俺は結局、こうするしかなかった。どうせ簡単には埋まらないような寂しさを、隙間を埋める手段がこうやってあるなら、それで良いじゃないか。それでひとときでも沙綾を忘れられるなら。

 

「……他の女のことなんか考えちゃだめ」

 

「……そうかよ」

 

「私だけ……私だけを見て?」

 

そうして今日も俺は、また裏切りを重ねたのだ。

 

 

 

隣に眠る女が……いや、千聖が、俺をそっと起こした。部屋のカーテンの隙間から僅かに漏れて差し込む陽光が眩しかった。

 

「おはよう、ぐっすり寝ていたわね」

 

「……おはよう」

 

「ねぇ」

 

「ん? んっ……」

 

「んっちゅ……」

 

「……なんでキスして」

 

「酒って怖いわね。本当に何が起きるか分かったものじゃないわ」

 

「お前なぁ、俺の質問に答えろよ……」

 

「千聖」

 

無視されるだけではなく、呼び方の訂正までされる始末であった。正直寝起きではあるから口論する気はそれほど起きない。

 

「千聖って呼んでいいのかよ」

 

「……さぁ」

 

「大体なんであんな酔っ払って挙げ句の果て俺を連れ込んでおっぱじめようとしたんだよ」

 

「……煩いわね。私は2日酔いなの、静かにしなさい」

 

「はぁ……」

 

「……でも強いていうなら、寂しかったの、それだけよ」

 

「……そうか」

 

寂しかったから。千聖がそんな理由で俺を襲うことが許されるのだとしたら、俺はそんな理由を口走ってもいいのだろうか。結局酒に逃げて、女に逃げて、沙綾の代わりを探しているだけじゃないか。

 

「……なんだ、千聖」

 

「貴方が辛そうに見えたから」

 

「……まぁ」

 

「私は貴方の過去の女を知らないけれど、別に良いじゃない。縋るものがないと、生きていくことなんて出来ないんだから……」

 

「そんなこと言ったって」

 

「……いえ、こんなこと、良くないわね。……ごめんなさい」

 

バツが悪そうな顔を浮かべる千聖。俺はどうしようもできずに無言でいることしかできなかった。千聖もこうしていても仕方がないと徐に立ち上がる。

 

「……けれど、話を聞くことぐらいなら私にも出来るから」

 

千聖はペンを走らせ、メモ帳から紙を千切った。

 

「はい、私の連絡先。お仕事中は返せないけれど、貴方が外をふらついてるような時間なら出られるかもしれないから」

 

「……どうしてそんなにも気を遣ってくれるんだ?」

 

「そんなの、……私にも分からないわよ」

 

「そうか」

 

「でも、まるで……自分を、見ているようだったから……」

 

「……そうかよ」

 

「……なんてね。貴方には迷惑をかけてばかりね、ごめんなさい」

 

そうして支度を軽くして去っていく千聖。残された俺は朝、といっても既にお昼の時間帯に差し掛かりそうな頃だが、どうしたものかとため息をつく。

自分だってこれは、千聖との逢瀬はダメだって分かっている。沙綾に裏切られたことが事実でも、それは沙綾を裏切っていい理由にはならない。そう心の中で思い込もうとはしているけど、何故か俺は千聖と逢瀬を重ねることを楽しんでしまってもいた。それは千聖の言うように寂しいからなのだろうか。答えは分からなかった。

なし崩し的に始まってしまった千聖との関係を心地よいと感じてしまう自分が恨めしい。俺には沙綾がいるのに。そんな考えが日に日に薄くなっているような気がする。沙綾に捨てられたのだとしたらそう考えた方が良いに決まってる。だが、それと、千聖とこうやって慰め合おうとするのは別問題じゃないかと思った。

まるでそれは互いに傷を舐め合うようで、けれどさらにお互いを壊しているんじゃないかって。気がつけば沙綾のことよりも、千聖のことの方が好きになってしまいそうで。目の前で苦しんでいる千聖の方が大事になってしまいそうで。そんな自分がいるからこそ、俺はモヤモヤした気持ちを抱えたまま家に帰ったのだった。











過ちは繰り返す、の精神で少しずつ溺れていく二人。
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