未通過の(特に、今後プレイ予定がある)方におかれましては、閲覧をお控え下さいますようお願い申し上げます
・クトゥルフ神話TRPG『使徒生む天啓』(作:悠々笑夢 様)
・クトゥルフ神話TRPG『其ノ手』(作:悠々笑夢 様)
後日談:使徒生む天啓(岸上ケンゴ)
「ぐ――っ!!」
予期していた衝撃に、備える。全体重を集中させてガードをしても、一瞬たりとも拮抗しない。
腕が圧し折れる予感に従い、地面を蹴って後ろへ飛び退く。前方にただ広がる暗闇を睨みながら、衝撃を逃がすように転がった。
「この!」
視界は何も捉えていないのに、次に何か来るかを察知出来る。突き付けられるソレを振り払おうと腕を振り――。
――何も叶わず、頭蓋が弾け飛ぶ。音もなく命を奪った銃撃を見つめながら、俺は意識を手放していった。
夢での死を感じながら、そっと目を開ける。
電灯が点いていない、暗い天井が目に入った。
「知らない天井、だ」
漫画で見たような台詞を呟きながら、身体を起こす。節々が痛んだが、そっちに関しては心当たりがあったため無視出来た。
それよりも。
見たところによると、ここはどこかの病室らしい。
この部屋のような間取りは、何回も見たことがある。
けれど、自分にとって不自然に映るものもあって。
「なんだ、これ」
魔方陣を描いた羊の木彫り人形や、ペンデュラムのようなものなど、不可思議なグッズが置いてある。
患者を安心させる目的でファンシーなぬいぐるみを置くことはあっても、意図が不明なアイテムを置くことはあるだろうか。
変わったものを見つけてか、警戒心のギアが上がる。
改めて見回して、何もないことを確認。ひとまず病室から出ようと立ち上がろうとした時。
ガララ。ドアが何者かに開けられた。
「っ!?」
「ああ、驚かせてしまったかな。もう起きてたんだね」
入ってきた白衣の女性は、ドア近くのスイッチを操作。数度の点滅を経て、部屋に明かりをもたらした。
女性は、表情一つ変えもしない。甲高い靴音を反響させながら、ベッド近くの椅子へ腰かける。
次に立ったままの俺を見上げて、「座って」と言葉と所作で促した。
ベッドに腰掛けた俺へ、女性は落ち着いた様子で話し始める。
「まずは自己紹介から始めようか。私は七式ヒサメ。この診療所で医者をしている」
「……岸上ケンゴ。ここは」
どこですか。口にする前に、医者の視線に違和感を感じた。
水のように透き通った瞳は、俺を映している。
姿、呼吸、微細な動きを何一つ逃さず捉えている。その視線はついに内面さえも見透かしているような感覚を覚えて、
「お前は、何者だ」
身の毛がよだつ。背筋に冷たい汗が伝う。そう表現するしか無いものに襲われた俺は、咄嗟に質問を切り替えた。
明らかに態度を変えた俺の様子を気に留めることもなく、医者は質問に答える。
「さっきも言ったように、この診療所の医者だよ。警戒する気持ちは分かるけど、落ち着いて」
珈琲でも淹れようか? ……要りません。
「君が言いかけた質問にも答えよう。ここは七式診療所。君は佐藤ツバキさんとの組手中に意識を失って、ここに搬送された。経緯に覚えは?」
「……あります」
「記憶は確かで良かった。それと、敬語は外して構わないよ。君の場合、先ほどの口調の方が素に近そうだ」
そういうものと思えば、視線の不快感は薄れていく。
医者の様子は……やはり、落ち着いているままだ。
経緯についても答えた通りだ。
白天原で組手をしていた最中に、ツバキ――友人の格闘少女が訪れたため、試合を申し込んだのだ。
年下であるものの、彼女の実力は俺以上。何度も闘いを挑み、五回ほどKOされ――次の六回目の記憶は無い。おそらく、試合開始直後に倒れたのだろう。
「ならこれで話させて貰う。運ばれておいて何だけど、俺はこのまま退院出来るか?」
「……なるほど、そういう」
一瞥して、納得したように頷く。俺からすると、その挙動一つ一つが怪しいものだ。
音の無い病室で、視線だけが交わる。人の心さえ見透かしてしまうような医者の視線に、既視感があることに気が付いた。
尤も、あちらは
「肉体は問題無い。何日か入院して休ませた方が良いかもしれないけれど、それは自宅療養で問題無い範疇だ」
でも、と。医者が言葉を継ぐ。視線一つで、心臓を掴まれたような感覚を覚えた。
「私は精神科医でね。少し、君と話をする必要があると判断した」
「どういうことだ」
「分かりやすく言うなら、カウンセリングだよ」
おもむろに席を立つ。一歩一歩踏みしめて、部屋の照明を落とした。
扉に体重を掛けた七式ヒサメは、真っ直ぐに俺の方を向く。
暗い部屋では、彼女の視線は分からない。
「とは言うものの、今日は本来休診日だ。君の情報を基に、少し不気味ではあるが我流でやらせて貰う」
応えず、押し黙る。俺の様子など構いもせずに、医者は話し始めた。
「君の噂は聞いている。数年前にこの地域の悪人を退治して回る『悪食のハイエナ』、岸上ケンゴ」
「その時からそうだったかは知らないが、今君はあるものを目指しているらしい」
――――正義の味方。
俯いた様子でぼそりと呟く。自身の夢を他人に言い当てられたことで、動揺が走った。
「何が言いたい」
「その影響だろうか。それとも、何か夢でも見たのかな」
七式ヒサメは答えない。淡々と、俺が置かれている状況の説明を続けていく。
「より君は、強さを求めるようになった。なりを潜めていた無茶な特訓は再び熱を帯び、」
白天原にも、主を守るためや争いを収めるために武を磨く者は居る。
彼らを連続して相手取り、何度も何度も闘いを続けて、己を痛めつけて意思と力を磨いた。
この行為が常軌を逸していると、理解はしている。
昔、ある事件を経て、この無茶は辞めたのだ。自分だけが、強くなる必要は無いと知ったから。
だから辞めて、普通の善人のように振る舞って――――圧倒的な武力を前に、何も出来ずに倒れ伏した。
「その結果が、今日だ。君の肉体はこれ以上の負荷に耐えられない。何を求めたとて、急速な成長は得られない」
「それでも、俺は強くなる必要がある」
あの空間での出来事を、思い出す。
不甲斐ない自分に苛立ち、吐き捨てたように答えた俺に、医者は初めて反応を示した。
面を上げて、俺を見る。心根を丸裸にするその瞳は、この暗闇にも機能しているのだろうか。
数秒の沈黙。息を飲む音。次に言葉を紡いだのは、七式ヒサメだった。
「でも、君にはチャンスがあったのだろう?」
「お、まえ……!!」
彼女の言葉を聞いて、即座にその光景が繋がった。
同時に、ある可能性に思い至り、激昂する。
勢いよく立ち上がって、女の胸ぐらを掴んで扉へ押し付けた。
「テメェ、何を知ってやがる!」
「――。今は、話をする時だろう? 私が何を知っていたとして、こうして脅せば情報が出てくるとでも?」
睨んでから、手を離して一歩下がる。ありがとうと聞こえた音は、聞き流した。
そのままベッドまで下がって、乱暴に腰掛ける。
「そう、君にはチャンスがあった。なのに君はそれを蹴って、非効率的な修行に励んでいる」
女が言っているのは、あの空間に現れた存在――『総意』のことだろう。
あれに同意すれば自分の存在と引き換えに、世界を救うに足る力を手に入れられる。それはあれと敵対していた『ムユウ』という存在が証言していたことでもある。
俺は、それを断った。自分を犠牲にして力を手に入れる選択肢を、受け入れられなかったのだ。
今、身を犠牲にするような修行をしているにも関わらずに。
「改めて問おう、岸上ケンゴ」
「――君は、何故あの時『正義の味方』にならなかったのかな」
医者の言葉を受けて、考える。
あの時、男の言葉を聞いて尚、俺はあの手を取るかどうか迷っていた。
偉そうな言葉回しは最初から気に食わなかったが、それでも力はずっと欲しかった。
あのシスターにも負けて、無力であることを実感して、
奴の言葉に叫び散らして、最終的に提案は蹴った。
ただ気に食わなかったから、そのように動いたのだろうか。
違う。俺は確かに、「自分を犠牲にする選択は取れない」と、確かに言った。
時間を遡れば、過去の俺は受けていたと明言した上で、現在の俺はその末路を否定した。
「力が欲しかったのは、紛れもなく本当だ」
無意識に、結論を先延ばしにしたかったのかもしれない。
頭からゆっくりと、零すように話始める。
「劇的な過去なんて無かったけれど、それでも俺は正義の味方になりたいと思った」
「俺の知る手段が暴力しか無かったから、ただ鍛えて悪人に喧嘩を売り続けた」
「助けた人も逃げて行ったけど、俺はそれで良かったんだ」
医者は何も言わない。俯きながら話す俺には、彼女がどう思っているのかを知る術は無い。
「ただ、星海――ある先輩と会って、協力して、笑い合うように人を助けたことがあって」
「それで、ただ悪いヤツを倒すだけじゃ駄目だってことを思い知った」
何年も前のことだ。騒がしい男が、心底楽しそうに俺の前に現れた。
そいつはぐいぐい人の事情に踏み入ってきて、いつの間にか俺を手伝うなんて言い始めて。
そうして、見事にあの事件を解決してみせた。最後はグダグダだったけど。
「……なるほど。それで、単なる暴力装置になる道では駄目だと、断ったのかな」
確かに、俺の転換点はそこだろう。
これを機に、深夜に喧嘩に明け暮れることは無くなった。
あいつを中心に友人も増えたし、誰かと協力することをするようになった。
沢山迷惑を掛けた家族にも、謝ることが出来た。
けれど。
無言で、首を横に振る。
「関係してない訳では、無いと思う」
ただ、あの時に思ったのはあいつのことでは無かった。
手を伸ばしかけたあの時、脳裏に過ったのは――――。
「……」
名前を呼んだら何かが変わってしまう気がして、喉が固まる。
それを見て、医者は何を思ったというのだろう。
「岸上君」
「……なんだ」
「それは、私にでなくていい。けれど、君は言葉にしなければならない」
「どうして」
思わず、顔を上げる。ある程度自分の感情を吐露したからか、先ほどまで感じていた怒りは収まっていた。
七式ヒサメはいつの間にか俺から一歩離れた場所まで近付いている。
「君は正義の味方になりたいと言った。だからこそ、君は『誰のための正義の味方』を目指すのかを明かさなければならない」
「誰のため……」
「ずっと遠くに行きたかったのなら、その手とやらを取っていたはずだ」
「なら、断ったその時。思い浮かべたモノが、君の本当に守りたいもので、」
淡々と話しているはずの様子に、違和感を覚える。
意識的に瞬きをすると、医者と目が合った。水色の瞳は、変わらず俺を映して――。
――いや、これは違う。
この女と会って初めて、この瞬間だけ確信した。
今この時、この言葉を言う間だけ、彼女は誰も見ていない。
「これからの君の、生きる意味なんだろう?」
瞳の奥に、捻じ曲がった世界を幻視する。
数多の線が重なり、虹彩を影の帯で塗り潰したような様。
自らの視界の情報さえ否定して、そうとしか感じられなくなる気配を帯びた、彼女の視線。
知っている。この、何かに執着するような情動を、俺は既に経験していた。
「っ、ああ」
「おっと、失礼。恥ずかしながら、今の私はそういうものを求めている
わざと軽い調子でおどけて見せた医者に、面食らう。
仰け反った状態で固まっていた俺を尻目に、医者は部屋の電灯を再度切り替えた。
部屋に、明かりが灯る。
「ま、初診でそこまで引き出せたのなら良かったかな。助言は一つ。思いはキチンと言語化しなさい」
以上! もう帰っていいよ。
締めくくるように手を叩いて、彼女はカウンセリングが終わったことを告げた。
余りにも唐突な終わり方に、警戒心と呆れが中途半端に混じり合う。
「な、何だったんだ……」
「あ、そうだ。私は君の夢については何も知らないんだ。ごめんね、鎌かけた」
「はあ、そうなんで――なんだって?」
フリーズ気味の俺にあっけらかんと釈明する女医。生返事で答えようとして、その言葉が引っ掛かった。
「厳密には、『岸上ケンゴが変な夢を見てるかも』ってタレコミを受けたんだ。嘘は吐いて無さそうだったから、会話に使えるかと思ってね」
「は……? え、だったら、『君にはチャンスがあった』とか、そういうのは」
「君が正義に焦がれてること、夢を見ただけで無茶なトレーニングを始めたことを考えれば、『夢に望むものがあった』とアタリを付けることは出来るだろう?」
怪しい人みたいな喋り方したから、勝手に錯覚してくれたかもしれないし。
悪びれた様子も無く言う七式を見て、今度こそ完全に毒気を抜かれた。
「アンタなぁ」
「今日は休診日っていうのは本当。だから私のやり方でやっただけ。『ナナシキ医療術』……なんてね」
「聞いたことないぞ、そんな医術」
軽い調子で雑談を交わしながら、荷物の受け渡しを行う。
医療費はカミノ――友人兼雇い主が持ってくれるらしい。……申し訳ないので、後で何か持って行こうと思う。
店の外に一歩出た俺は、見送りに来てくれた医者に振り返った。
「ありがとうございました。それと、さっきは胸ぐら掴んでしまって、申し訳ありません」
「急に敬語になるな君は。あれのことなら、いい。私が誘導したようなものだし、それだけ君に余裕が無かった証でもある」
「……すみません」
「そう思うなら、今度その『守りたいもの』を連れてきてくれ。君の生きる意味を、この目で見てみたい」
その提案には苦笑いで返して、俺は診療所を出て行った。
歩いていくと直ぐに見覚えのある道に出た。
立ち止まってスマホを取り出すと、着信履歴が五、六件ほど来ていた。どれも同じ人物からである。
立ち止まって、思案する。医者に言われた言葉が、脳内で繰り返し再生され……。
「……心配かけたから、謝るだけだって」
何故か逸る鼓動を吐き出すように、彼女に電話を掛け返した。
「もしもし、サクラ――」
――。
――――。
――――――。
では、ネタばらしといこう。
岸上ケンゴを見送った医者は、そのまま踵を返してあの病室へと戻っていった。
別段、部屋に変わったことは無い。今日の医者が知る通りの状態だ。
だから、
ドアを開けた医者を、少女の声が出迎えた。
「ケンゴ君、帰ったー?」
「帰ったよ。それで、君は満足?」
桃色のポニーテールを揺らしながら、少女がご機嫌な様子で身体を揺らす。
「うん! とりあえず、ナ……他の人が見た幻覚じゃないってことが分かったのは収穫かな」
「夢であるに越したことは無かったけどね」
七式は、目の前の少女からいくつかの情報を貰っていた。
一つ。この前起きた『皆どっと疲れた事件』(少女命名)の中に、疲れていない人が居たこと。
二つ。その夢と思われる事象に、二つの超常的な存在が関わっていること。
三つ。片方は、大いなる力を授けようとしてきたこと。
四つ。今回搬送されてきた岸上ケンゴは、その夢を体験した可能性が僅かながらあること。
これらの情報を統括して、彼女はケンゴの中身を引き出そうと試みたのだ。
「それにしても」
笑顔のままベッドに倒れ込んだ少女は、その表情のまま疑問を呈する。
今回、彼女はある人物から聞いた話を、医者に提供していたに過ぎない。
「よく信じたよね、私の話。現実的な話でも無いし、しかも伝聞だよ?」
「さっきも岸上君の前で言った通りだよ。君、嘘は吐いて無かったでしょ」
それに。
ヒサメが、少女を視る。澄んだ水面のような瞳は、人の心を映す鏡のように。
「君だって、大抵ヘンな子でしょ。なんというか、ツギハギだらけだ」
「……変な言葉使いをするんだね」
「んー。見た目と中身は子供で大人、って感じかな? ちょっと上手く言えないな」
「あはは」
笑って聞き流す少女。その胸中は……さて、少女の内だけに隠せているものだろうか。
医者は気にした様子もなく、視線を外す。
特異らしい性質の少女に、踏み込み過ぎるべきでは無いと判断したようだ。
誤魔化し笑いを最後に、部屋に沈黙が訪れる頃。
思いついたように、少女があることを口にした。
「私の変な話を信じてくれるくらいだから、きっとお医者さんも不思議な体験をしたんだろうね!」
「意趣返しかな。別段、変わったことは無いよ。うっかり、事故に遭いそうになったくらいだ」
あら、これは強敵。
おどけたように呟く少女を無視して、ヒサメは扉へと歩いていく。
半歩ほど部屋から出た医者は、背後を振り返り、
「何か飲み物を淹れようか。珈琲は飲める?」
「砂糖とミルクマシマシで!」
「ましま……? 甘いのね、ちょっと待ってて」
行ってくるとでも言うように軽く手を振って、七式ヒサメは病室を出て行った。