「_______夜?」
自分で言いながらそんなはずは無いという確信が脳裏を走る。
今はまだ正午ほど、丁度街中に人が増え始める時間帯だ。太陽は燦々と辺りを照らしている筈だし、つい先程まで窓から陽の光が差していた。
それがどうだ、今は一寸先すら朧気な真っ暗闇。こんな急に辺りが暗くなるなんて有り得ない。
ましてやこんなふうに、ブレーカーが落ちたと錯覚する様に消える事なんて普通じゃない。
「いきなりなにこれ………携帯、携帯………」
困惑しながらも、取り敢えず携帯のライトを点灯させる。明るい昼下がりから急な暗闇に連れていかれたせいで何も見えない。自分がライトを
パッ、と携帯の明かりが手元を照らす。唐突の光に目が抗議を訴えかけて来るが、こちとらそんな場合ではない。
我慢して辺りを見回したが、そこで初めて異常に気がついた。
「…………
私は宿泊する予定の宿のカフェに居た。周囲を見れば自分が腰かけていたものと同じ椅子や机、コーヒーミルや豆の入ったガラスケース等も見受けられる。私がどこか別の場所に連れてこられたのではない、ちゃんとここに居る。
ならば何故、誰も姿が見えないのか。
少なくとも自分にコーヒーを淹れてくれたカフェのマスターや、数人の客が居たはずだ。
事実として、飲みかけの紅茶が入ったカップや食べかけのスコーン、手荷物らしきカバンが近くの机や椅子に置かれている。
私の勘違いなどでは無い、間違いなくつい先程までここに人はいたのだ。
辺りを今一度照らす。
………やはり人の姿は無い。このカフェだけではない。受付に立っていた男性や清掃していたスタッフも居たはずなのに、物音一つ聞こえてきやしない。
「_______一体、何が起こってるの」
不気味だ。不可思議だ。明らかに只事ではない。
確かに私も旅をしているうちにチンピラに巻き込まれて金をせびられたり、目の前で荷物を持っていかれかけたりと幾らか物騒な目にはあってきた。
平和ボケしたと言われ、カモにされやすい現代日本人にしては変な目に耐性はあると思っていた。
ぶっちゃけそんなレベルでは無い。物騒な目とかそういう話ではなく、正しくこれは『異常事態』だ。
つい先程まで陽の光が差し込んでいた窓から、外の様子を覗き見る。
と言っても、この暗闇の中だ。携帯のライトで照らせる範囲なんて精々が1~2mあれば良い方、とてもこの異常事態を把握する情報量とはならないだろうが、今は少しでもなにか情報を得たかった。
頼りない灯りを頼みの綱として、建物の外を見渡す。
一面見えるのは整えられたコンクリートの石畳、宿のスタッフかカフェのマスターが植えたであろう小さな花壇、ただそれだけ。
この灯りでは隣の建物がギリギリ見えるか見えないか、といった程度だ。いくら照らした所で視覚的情報はたかが知れてるだろう。
「人は無し、か…………」
あぁだが欲しい情報は手に入った。
この状況下だ、私以外の人々も私同様、この異常事態に困惑している筈。不安を感じ、誰でもいいから他人を見つけたくなるだろう。
そんな中で光が動けば、そこに人が居るのは明白。ましてや今の世の中携帯電話を持たない人の方が少数派だ、少なからず人がいれば同じ携帯のライトで応答してくれる…………そう思った。
結果として、ライトの応答は無し。とどのつまり
勿論、突然の出来事に困惑しながらも警戒心を持ち、私のライトを警戒して返答していないという事も有り得るが…………この状況でその結論を出す人は映画の見すぎか、日本人学生がもれなく感染するあの病に掛かっているかのどちらかだと思う。
…………死に場所を探して旅している私も大概だって?
ハハッ、言わないでくれ。我ながらアホやなこいつと思っているんだから。
ちょっとした不安から自傷的な自問自答を繰り出す私。そんな折に、視界の端にフッと灯るものが映りこんだ。
「………!明かりが点いた所がある………!」
そう、明かりだ。
ここから離れた場所に建つ家屋、恐らく一軒家であろうその家の電気が点いた。人為的に付けたのか、人感センサーとかで自動でついたのか。
いいやそんなことはどうだっていい。今重要なのは電気が点いたということ。つまりは
未だ店内の人々や宿のスタッフが消えてしまった謎は残るものの、この世界にひとりぼっちなんて事ではなくて心底安堵する。
「(…………篭ってても拉致あかないよなぁ)」
今は異常事態。ここに居ても何か起こるとは思えない。外に人は居る。
とすれば後は選択だ。至極単純な分かれ道。
『ここに残る』か『明かりの場所へ向かう』かの2択。もっと簡略化すれば『動く』オア『動かない』。
楽なのはどう考えてもここに残る事だろう。
この異常事態だ。気が付いた警察辺りか、そうではなくても無事な人を探して回る人間が現れるだろう。それを待てばいい。
仮にローマ全体がこの状況下に置かれていたとしても、昨今の警察は優秀だ。そう時間は掛からず見つけてもらえるだろう。ここには寝床もあるし、食べ物も飲み物もある…………勝手に食べて良いのかは疑問だが、こんな時だ。駄目だったら謝ろう、うん。
仮に外に出ても、発見が早くなる程度。むしろこの暗闇の中を下手に動き回ってしまう方が危険だろう。迷うことは無い、
「_______ホントに?」
喉に引っかかるような違和感。これが適解だと断言出来ない理由が、私の中に残っている。
一つ、今は昼の十二時を過ぎた位。太陽が燦々と輝いている時間だ。事実つい先程まで空に太陽は存在していた。
『では何故突然暗闇に覆われた?』
二つ、暗闇に包まれる前、確かに人は居た。マスターからコーヒーを受け取ったし、既に腰を下ろしていた先客達から適度に離れた席を意識して選んだ。宿の受付の際にスタッフと話したし、鍵も受け取った。なんなら窓の外は通行人が当たり前に歩いていた。私の勘違いや幻ではなく、人間は存在していた。
『では何故彼ら彼女らは忽然と消えた?』
この胸の内側から引っ掻いてくるような疑問点に気が付かないふりをしたままで良いのだろうか?人は来るはずと決めつけてこの場に残る安牌を選んで正しいのか?
「………仮定、
例えば宇宙人の侵略。
例えば地底人の地上侵攻。
例えば死者が蘇り生者を襲う地獄絵図。
なんだっていい、とにかく今この状況が絵空事のような、三流映画のような異常事態に見舞われているのだとしたら。
フィクションの世界に放り込まれたような状況だと考えたのなら。
「…………うん、よし。動こう」
我ながら馬鹿げた考えだ。
ひとつ言い訳したいが、常日頃こんな考えしてる訳じゃない。
通常時は当たり前の現代人として、当たり前の判断しかしていないさ。
「(…………あぁ、それに)」
周囲を軽く見回す。
綺麗に整えられた店内だ。床には塵一つ落ちておらず、机も椅子も年季は入っているが汚さを感じない。カップ等の食器は磨かれたように輝いているし、飾られた花々は瑞々しく周囲に癒しを与えている。
良いお店だ。海外でお手軽に入れるカフェにしては、かなり当たりだと思う。
あぁだとしても。そんな当たり前の感想を感じるこのお店で、仮に。仮にだ。
仮に死んだのなら、それは私の理想の死では無いだろう。
勘違いならそれでいいさ。これがただのお祭りの前触れで、観光客を驚かせるための企画なのだったら私はさぞかし滑稽だろう。
でも万が一、億が一にもこの異常の中で死ぬのだとしたら、それは此処では無い。
私の死に場所は此処じゃない。
これが私の唯一の根幹。譲れない………否、譲ってはいけないもの。
「…………よし、行こっと」
三流にも満たない駆け出し作家の様な思考と僅かな手荷物を持って、唯一光る場所に引き寄せられる蛾の様に。
私は一人、暗闇のローマに溶けていった。
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コツコツと石畳を靴で叩きながら、目的の場所に向かって歩を進める。
…………結構な距離を歩き、暗闇に目も慣れてきた。最初に比べて明かりなしでも少しは辺りが見えるようになってきた。
「(と言っても、パンピーの私に暗闇の中で遠くを見れるなんて事は無いんだけどね)」
感覚的にはアレだ、夜中にトイレやら喉の乾きやらで目を覚ました時の視界に近い。取り敢えず近いところの地形や障害物くらいなら見えるが、遠くまでくっきり見えるほどでは無い感じ。
薄らぼんやりと視界に映るローマの街並みを流し見ながら、未だ唯一の光源である一軒家を目指す。
「_______結局、誰も居なかった、か」
ここまでの道中、私以外の人間はついぞ見かけなかった。というか犬猫と言った生き物すら見ることは無かった。
正直ここまで来ると明確に異常だと認識出来てしまう。むしろこれで何事も無かったらそれこそ驚きだ。これからの人生において特異な出来事ナンバーワンに君臨すること間違い無しだろう。
「せめてあの家に誰かいますように………」
せめてあの一軒家で点いた明かりが偶然とかではない事を祈る私に答えてくれる相手はおらず。
永遠の都、華の街、ローマ。
世界でも指折りのこの観光都市で、まさか静寂と孤独に苛まれることになるとは。寂しいとかは思わないが、なにか人生悪いことしたかな、なんて気分になってくる。
………いや、人生目標が大絶賛死ぬことだからか。そりゃ神様も怒るわな。
「(だからっていくら何でも規模デカすぎ…………ん?)」
あぁ神よ、何故試練を与えたもう………なんてバカみたいなことを思う最中、件の一軒家が見えるほど近付いてきた。
そして同時に、一軒家の違和感に気がついた。
「(_______
一軒家の入口、部屋へと続く扉。玄関口たるその扉が、どっからどう見ても壊れていた。玄関の電気は点いていない様だが、奥の部屋の明かりが薄らと見えていた。
これがただ取り外されていたとかなら、まだ理解出来た。あまりの暗闇に忘れそうになるが、時間的には今は昼頃だ。引越しだったり取替だったり、様々な理由でドアを外している事もあるだろう。それならば違和感は感じても気にするまでは至らなかっただろう。
だが扉は明らかに
扉と壁とを繋ぐ金具には扉の破片らしきものが付いている。明らかに破壊された跡だ、この暗がりに乗じて犯罪に走るものでも現れたのかと思わず警戒から足を止める。
…………でも、少しおかしい。
普通こういう窃盗行為をする場合、扉を破壊するだろうか?あの家には庭に通じる大きな窓もある、そちらを壊す方が簡単だろう。ピッキング等で鍵を開けるでも無く、扉を壊すというのは些か不自然な気がしてならない。
ただの破壊跡なら突発的な犯行なのかもと思う事が出来る。
ただ、あの扉の壊れ方はおかしい。そう簡単に壊れる代物でもあるまいに、まるで
「_______あぁっ………ッ!」
「!人……!」
急速に意識が引き戻される。
壊された扉から転げるように飛び出てきたのは、一人の人間。
少女、と形容すべきだろう。可愛らしいワンピースを着た、金髪碧眼の美しい子。歳は10ほどだろうか、少なくとも小学校を卒業はしていないだろう。
そんな子供が、まるで逃げるようにして現れた。それだけでトラブルがあったのだと推察するには容易だった。
「ねぇ!君、大丈夫!?」
「………!ダメっ………!」
反射的に声を掛け、少女の方へと駆け寄る。
よくよく見れば靴すら履いていない。それほど慌てて外に出ることなんて、挙げられる事例は少数だ。そしてどれも碌でもない事ばかり、挙句その被害にあっているのは幼い子供とくれば、無法者がいるのは確定的だろう。さっさとこの子を連れて退散しなければ。
「何かあったの?心配しないで、こっちに…………!」
「_______ちゃダメ………っ!」
地面を蹴って少女の元へと急ぐ。
この暗闇だ、少女を連れて逃げたとしても見つけるのは至難の業だろう。幸い、来た道や距離はある程度覚えている。元いた宿へと戻って隠れれば、相手が複数人でも見つかることもないだろう。
真っ白なワンピースの少女を安心させようと、手を伸ばす。
先程一瞬安堵の表情を浮かべた彼女は、瞬間思い出したかのように目を丸くし、焦りと恐怖と、そして心配を孕んだ表情で私に手を伸ばし_______
「来ちゃダメッ!!おねえちゃ_______」
_______少女が
「……………………………え?」
ずりゅり、と濡れた肉が滑る音が耳を襲う。
伸ばされた彼女の右手が小刻みに震える。本来対象の位置にある筈の双眸がズレ込む。言の葉を紡ぐ口が、真ん中からキレイに半分に分かれる。
目に痛いほどの赤が、少女から溢れる。綺麗な白いワンピースを汚すように、赤い線が重力に引かれて走る。
少女の左半分が倒れる。ビチャッと生暖かい何かが頬に当たる。触らずとも、視認せずとも分かる。私の頬に触れたのは
ああ待て、何をしている。早く逃げなければ、ああそうだこの子も連れていかなきゃ、まだ子供だ、たすけなきゃ…………
「_______に、ゲ_______」
救いを求め右手を伸ばした少女は、震える半身で、その生命の灯火を掻き集めて、なお私に何かを告げようとしてくれた。
そして、三文字を口にしようとした瞬間。
少女の頭が、果実のように握り潰された。
「_______おぉ、おぉ…………!!」
だらりと力無く下がる少女の右手。代わりに私の方に突き出されていたのは、幼子の細腕とは打って変わって。
彼女の頭を、造作も無く砕いた大樹の如き剛腕。玩具の水鉄砲の様に真っ赤な血を吹き出す少女だったそれに、ソイツは嬉しそうに頬ずりした。
「あぁなんと!!なんと美しいのだ我が妻よ!!その白磁の肌に映える赤き衣服………あぁ、天下万民がそなたを放っては置かぬであろう!!そなたこそ我が
いつの間に居たのだろうか。先程まで少女が立っていたすぐ後ろに現れたその男の事を、私は全く認識できなかった。
………否。分かっている。私は
認めたくなかったのだ。脳が拒んだのだ。存在を理解したくなかったのだ。
だってそうだろう。
たった今少女を斬り殺したなまくらの様な大刀剣。凡そ現代ローマに相応しいとは思えない、血塗れた厚手の中華装束。2mは優に超えているであろう巨体。
そんな男が奥の部屋から現れるなんて誰が理解出来る?
今、私の目の前で首と半身を失った少女の亡骸を愛おしそうに撫で、その顔を血脂で濡らす狂人が私を殺せる距離にいると誰が理解したがると言うのだ!!
「おぉ、おぉ………!我が子よ、こんなに重くなって………!あぁ父は嬉しいぞ!後ほど約束の通り遠駆けに行こう!お主の成長こそ我が至上の喜び、あぁ大きゅうなれ、大きゅうなれよ我が娘よ………!!」
少女の遺体を片手で横に抱き、赤子をあやすかの様に優しく揺らし、力の無くなった右手を握る。
ユラユラと揺さぶられる亡骸は、その揺れに合わせて臓物が身体からズルりと落ちる。しかし男は全く気にも留めず、ついには握り潰され辛うじて繋がっていた少女の頭の残骸がドチャッと音を立てて地面に広がった。
「…………う、あ…………」
「_______!!!」
私の口から漏れ出た呻きが、男の思考を一変させたらしい。
夢現を見ているかのような濁った双眸を私に向けた。ヌラヌラと赤く濡れた無精髭と牙のような犬歯を携えた口が、ニィ、と嗤った。
「おぉ、おぉっ!!貴様!貴様、貴様だ!!」
狂ったような歓喜の声をあげ、狂人はあれほど愛おしそうにしていた少女の亡骸をまるでゴミのように打ち捨てると、私に一歩迫る。
巨体に踏み締められた地面に亀裂が走り、破片が飛ぶ。その衝撃によって揺れたのか、はたまた私の中の恐怖から揺れたのか。今の私に判別は不可能で。
星も、太陽も、何も見えない真っ黒に塗りつぶされた空の下。へたりこんだ私の頭上に輝いたのは、血に濡れた鈍い刀剣。
あぁ。私はここで死ぬのか。
「(_______死ぬ?)」
私が死ぬ?
今ここで?
ああ待て、それは駄目だ。絶対にダメだ、認めてなるものか。
「これは、私の、理想の死じゃない_______」
そうだ、そうだ、そうだ、そうだ!
まだ見つけていない!!見つかっていない!!私の唯一の人生目標、譲れぬ唯一のもの!!
それがこんな、わけも分からぬ異常の中で、殺人鬼に殺され死体を愛でられるのが理想の死だと?私の人生の終着だと?
認めない、断じて認めない。
「_______ここは私の死に場所じゃないッ!!」
刀剣が
足で地面を蹴る。両の手で身体を押すようにその場から転がる。
次の瞬間、私のいた場所が爆ぜた。
暴風が巻き起こり、砕けた地面の破片が矢のように飛んで私の肌を切り裂く。
「(っつぅ………!でも躱せた!運良く!二発目無理!!)」
血が流れる。痛みが走る。だがそれを認識した瞬間に頭の隅に追いやった。
痛みを感じている場合じゃない。脳のリソースを全て目の前に向けろ。余計なことを考えるな、恐れるな、
「_______殺されてたまるかっ!!」
_______これが始まり。
世にも奇妙な、百度目の聖杯戦争。
それに巻き込まれた私が、彼を呼ぶまで…………あと、少し。