西条は子供の頃からコツを掴むのが上手かった。全体の中から要点だけを見つけたり、逆に
何をやっても人より上達が早く、そしてある一定のライン以上には達することが出来なかった。それは超一流の選手だけが持つ、言葉では言い表せない感覚的なものを西条は体得できなかったからだ。
様々なスポーツや格闘技に手を出し、見切りをつけていった。自然と西条の興味は学問へと移る。
学問であれば、すべてが言葉で説明できる。感覚的なものは必要ない。
と思っていたが、ここでも生来の飽き性が災いした。どの分野も長続きせず、ある部分まで知ってしまうと他へと興味が移ってしまう。その繰り返しだった。次第に西条はすべてのことに対して冷めていった。
転機が訪れたのは高校生の頃、友人に誘われてトゥインクル・シリーズを見に行ったことで西条の人生は変わった。
西条とて国民的スポーツエンターテインメントであるトゥインクル・シリーズは知っている。テレビで大レースが中継されていれば、そのまま眺めるくらいの興味はあった。だがレース場に足を運ぶのは初めてのことだった。
そこはある種、日常とはかけ離れた場所だった。
熱気と熱狂に支配された空間。人々の手にはそれぞれが贔屓にしているウマ娘のファングッズが握られている。西条には贔屓のウマ娘などいなかったが、それでも引き込まれるようにレースに魅入った。
まだそういった知識に疎かった西条にはレースの駆け引きなどは理解できなかったが、最後の直線、ほんの数メートル先でウマ娘たちが懸命になって駆け抜ける姿には胸が熱くなった。
これほどの興奮を覚えたのはいつぶりだろうか。子供の頃、自分の特性に気づいていなかった頃に、サッカーの試合で初めてシュートを決めた時以来だった。それほど記憶を遡らなければならなかった。
人間と同じような容姿でありながら、人間には不可能な速度で走る。それも、ただ走っているのではない。彼女たちはただひたすらに勝利だけを目指して走っていた。
画面越しでは伝わってこなかった熱が、肌を突き抜けてくる。彼女たちのその姿が、西条には光り輝いて見えた。
胸の高鳴りを抑えきれなかった。達観したような自分の考えがひどく枯れたものだと思った。自分の存在がひどく矮小に思えた。
色を失いかけていた自分の世界に、少しだけ色彩が戻った。
この瞬間に、西条の進路は決まった。
◇
彼女と出会ったのは、トレセン学園の風習や環境にも慣れ始めた、2度目の選抜レースだった。
ゴール付近では、たったいま行われたレースで1着を取ったウマ娘にトレーナーたちが群がっている。
(確かに凄いウマ娘だ。だがフォームの改善には時間がかかるだろうな)
西条は一目でそのウマ娘の歪みに気づいた。
(全身がバネのような柔軟な筋肉。それに加えて、膝と足首の柔らかさがあの速さを生み出している。あれは天与のものだろう。そして、才能に頼った走り方だ。それが速さと同時に歪みをも生み出している。まあ、あれほど分かりやすい歪みなら、他のトレーナーも気づくだろう。それよりも……)
西条はすぐに思考を切り替え、自分を選ぶはずのないウマ娘のことは頭の隅に押しやった。
(2着の子も悪くなかったが、伸びしろは3着の子の方がありそうだ。あの末脚はじっくり育てれば十分武器になる)
西条は手元の資料に視線を落とし、そのウマ娘の名前を確認する。
(名前もいい。俺が欲しいのは帝王より素質だ。彼女ならGⅠレースだって……いや、ダービーだって視野に入るぞ!)
西条は意気揚々と、コースから立ち去ろうとしているウマ娘の背中を追いかけた。
◇
「――さん! トレーナーさん!」
「……ああ、すまない。少し昔を思い出していた」
今日は日本ダービーの当日。その控え室で、西条とネイチャは最後のブリーフィングを
「昔のこと? それって選抜レースの頃? それとももっと昔の、トレーナーさんの子供時代とか? ちょっと興味あるかも」
「どこにでもいるこまっしゃくれた子供だったよ。それよりも、指示はちゃんと覚えてるね?」
西条に問われて、ネイチャはにっこり笑って人差し指をピンと立てた。
「1つ、テイオーより前でレースをすること」
「うん。これは問題ないだろう。大波乱でも起こらなければ、テイオーは後方に構えるしかない。ネイチャはその位置をキープしていればいい」
テイオーの枠順は最大外の8枠18番。対してネイチャは2枠3番という好位置からスタートできる。レースが自然に流れて行けば、ネイチャは前目の位置を取れるだろう。
運はネイチャに向いている。だが運だけで勝てるほど甘い相手ではない。
続けてネイチャが中指を立て、ピースサインを作る。
「2つ、テイオーに合わせてスパートをかけること」
「これは、かなり難しいだろう。後方を
「ん~、たぶん大丈夫だと思いますよ。テイオーのリズムは何度も聞いてるし。と言ったところで、本番で一緒に走ったことはないんですけどね~」
ネイチャがにへらっと笑う。過度な緊張はないようで西条は少し安心した。
「あの日、あの選抜レースでキミを見た時、僕にはテイオーよりもキミの方か光って見えたんだ。本当だよ。あの時、僕は心の底からワクワクしたんだ。だから今度は――」
そこで一度呼吸を整えて、西条はネイチャの目を真っ直ぐに見据えた。
「俺をドキドキさせてくれ」
日本ダービーが、始まる。