レーススケジュールは現代に合わせて菊花賞→秋天としています。
ナイスネイチャが日本ダービーで優勝してから約5ヵ月後。クラシック最終戦の菊花賞が開催された。
1番人気はトウカイテイオー。ダービーでは2着に敗れたものの、僅差の敗北であり、皐月賞ウマ娘である。今度こそはと思うファンが多いのだろう。
2番人気はナイスネイチャ。ダービーに続いて2冠目を期待されている。
2強対決とも言われたが、結果はトウカイテイオーの圧勝であった。ダービーの熱戦が夢だったかのように、ネイチャは最後の直線でも伸びを欠いて、終始テイオーを捉えることはできなかった。
「あの感覚に頼ろうとしたな?」
「…………」
ネイチャは答えなかった。だがその沈黙が答えだった。
「あれは、入ろうと思って入れるものじゃない。むしろ入ろうと思えば思うほど入れなくなる。偶発的に入る1回目と違ってね。だから、ダービーのことは忘れろと言ったはずだ」
「――――っ」
ネイチャは何かを
(やはりこの子は、精神的に脆いところがあるな)
それは言葉にはせずに、西条は優しくネイチャの髪を撫でた。
◇
翌週、テイオーは菊花賞からの連闘で秋の天皇賞に出走した。
「東条トレーナーはよくこんな無茶なローテーションを許したな」
「マックイーンとの対決だからね。テイオーのやる気を尊重したんでしょ」
「焦らなくてもジャパンカップも有馬記念もあるのにな」
西条はそう言ったが、テイオーが好調であることと、この夏に大きく成長したことも無関係ではないと思っていた。
ウマ娘の成長曲線はなだらかに上昇するパターンばかりではない。ある日突然、何かに目覚めたように急成長する場合もある。
いわゆる『本格化』である。
(悔しいが、菊花賞では大した疲労もなかったということだろう)
西条は小さく臍を噛んだ。改めて、
(とはいえ、GⅠレースの連闘はな……どうかと思うが)
疲労は少なかったとはいえ、テイオーはそこまで頑丈なウマ娘ではない。ネイチャの手前言葉にはしなかったが、西条ははっきりとこれはクソローテだと思っていた。例えるなら偉大な三冠ウマ娘に超長距離GⅠを走らせ、間を置かず短距離GⅠに出走させるような。
そこまで酷くないにしても、もし
このレースでテイオーが惨敗するようなことがあれば、東条ハナはマスコミから吊し上げを食らうだろう。その程度が予想できないとも思えない。
西条は東条ハナを尊敬しているし、トレーナーとしての手腕は天と地ほどの差があると思っている。それを埋めようと必死で努力しているわけだが、経験という差はそう簡単に埋まるものではない。
(よほどの勝算があるのか。それとも距離的な不安のためか)
俗に秋シニア三冠と呼ばれるレース。マックイーンはすべて出走してくるだろう。とはいえ、天性の
それ故の判断かもしれない。
西条とネイチャはスタンドの後方からターフを眺めている。東京レース場は朝からの激しい雨でバ場は荒れに荒れていた。
この不良バ場ではスピードがウリのテイオーはやや不利。しかし距離は2000メートルとテイオーの得意距離だ。
東京芝2000メートルはスタートしてからすぐにコーナーへ入るため、枠が外になればなるほど不利になる。マックイーンは18人中13番。大外ではないが、なかなかに不利な番号である。
対してテイオーは最も有利な1枠1番。それでも1番人気を譲ったのは、やはり春秋連覇という記録がかかっているからだろうか。
『注目は春秋連覇のかかったメジロマックイーン、そして今年の二冠ウマ娘のトウカイテイオーでしょう。さあ、ゲート入りが完了し、秋の天皇賞レース、今スタートしました』
スタートは綺麗な横一線。わずかにマックイーンが遅れたが、微差の範囲だ。
『2コーナーまでの先陣争いですが、外からメジロマックイーンが行った! 外からメジロマックイーンが一気に来た!』
アナウンサーが興奮気味に捲し立てる。だが西条はスタート直後の攻防に眉根を寄せた。
「……今の、おかしくなかったか?」
「え? どこ?」
「いや、遠目だったしな。見間違いかもしれん」
西条はそう言ったが、掲示板には審議の青いランプが灯っていた。しかしそれでもレースは続く。
『先頭はプリクラースナ、2番手にヴァイスストーン、メジロマックイーンは3番手に落ち着きました。それを見るようにしてトウカイテイオーが続きます』
『最終コーナーを回って最後の直線に入ります。先頭は依然としてプリクラースナ。2バ身離れてメジロマックイーン。さらに2バ身離れてトウカイテイオーが迫ります!』
プリクラースナも懸命に走ってはいるが、相手が悪かったとしか言えないだろう。内から来たメジロマックイーンに抜かれ、外から来たトウカイテイオーにも、並ぶ間もなく抜かされた。
(ここで……踏み込むのか!)
西条はテイオーの変化に目を見張った。菊花賞で兆しを見せていたとはいえ、次走で踏み込んでくるとは予想だにしていなかった。
(ネイチャが再現に四苦八苦しているというのに、テイオーはすでに要諦を掴みかけている)
ダービーでネイチャが"入った"ことに触発されたのだ。テイオーはすぐ間近で視ていたのだから、何かを感じ取っていても不思議はない。
(トウカイテイオー……やはり天才か)
テイオーの天才性の根幹をなすものは、身体的な性能もさることながら、その直観力にある。
シンボリルドルフが理性と威圧でレースを支配するのなら、テイオーは共感と直観によってレースを看破する。
シンボリルドルフがその威圧によって他者を
似て非なるもの。テイオーは皇帝とは別ベクトルの天才性を有していた。
『メジロマックイーンが先頭! 残り100メートル! しかし後ろからトウカイテイオーが来ている。トウカイテイオーが伸びる! マックイーン粘れるか! テイオーが来た! テイオーが来た! テイオーが今、マックイーンをかわしてゴーーールイン!』
最後の100メートル、さらに加速したテイオーは計ったようにゴール直前でマックイーンをかわして優勝した。
これでテイオーは4つ目のGⅠ制覇。シンボリルドルフに並ぶ七冠が現実味を帯びてきた。
しかしスタンドがざわめいている理由は、それだけではなかった。
電光掲示板に灯る着順判定が、いつまでたっても確定にならない。
そして、電光掲示板から
「え? え? これってどういうこと?」
「…………え?」
わけもわからず困惑するテイオー。同じくわけもわからず混乱するマックイーン。
ざわめきが治まらない中で、アナウンスとともに中央のモニターにパトロールVTRが流された。それは衝撃的な映像だった。
スタート直後のマックイーンが外枠ロスを抑えるために、内側に切れ込むようにして斜行、他のウマ娘たちを妨害していた。特に妨害の影響が大きかったハニーフィッツは転倒寸前で、一歩間違えば大惨事であった。
意図したことではなかったのだろう。その映像を見たマックイーンの顔色は血の気が引き、蒼白となっていた。
「――ちょっ!? マックイーン大丈夫!? マックイーンってばぁ!?」
事実を受け止め切れなかったマックイーンの脳はパンクし、倒れるように失神した。