西条はいま理事長室にいた。この部屋に入るのは2度目である。1度目はトレーナーとして就任した挨拶の時。それ以来、幸か不幸か縁のない部屋であった。
西条の前には二人の女性がいる。このトレセン学園の理事長、秋川やよいとその秘書、駿川たづなだ。
その一人、秋川やよいが《歓喜》と書かれた扇子をバッと広げた。
「まずはおめでとうと言わせてもらおう。最初に担当したウマ娘がダービーを制覇するのは偉業であるッ!」
「ありがとうございます」
西条は慇懃に礼を言った。
「先に行われた有馬記念も、惜しくはあったが3着は立派な成績だ」
「……どうも」
年末に行われたグランプリレース、ネイチャは問題なく出走ウマ娘に選出された。彼女の自称ライバルであるツインターボは、投票では選ばれなかったものの、URAの推薦を受けて有馬記念に出走を果たした。
要するに「このメンバーじゃ盛り上がりに欠けるから、得意の大逃げで盛り上げてね」とのことだろう。
(テイオーはともかく、マックイーンを出走停止にしたのは
と西条は心中で吐き捨てた。眼前の女性、秋川やよいはトレセン学園の理事長であると同時に、URAの役員でもあるのだ。だが彼女はウマ娘よりの考えであることは西条も承知している。URAも一枚岩ではないということだろう。
本命不在と揶揄された有馬記念を優勝したのは意外なウマ娘だった。
予告通り大逃げしたツインターボだったが、さすがに2500メートルは長すぎた。最終コーナー手前でスタミナが尽きて失速した。
それをかわして先頭に躍り出たナイスネイチャだったが、まったくマークしていなかったダイサンゲンに差されてしまう。そこでバタついて、追随してきたプリクラースナにも抜かれて3着でゴール。詰めの甘さが露呈したレースでもあった。
「それで、私に何か御用とのことですが?」
「うむッ! 実はキミにチームを結成してほしい」
秋川やよいは扇子をバッと裏返した。そこには《要望》と書かれてある。西条はその提案に眉根を寄せた。
「チームですか。しかし新人トレーナーはサブか専属でやるのが定例だと伺いましたが?」
「確かにッ! 普通はそうだ。たづなッ!」
「はい。理事長」
傍に控えていた女性秘書、駿川たづなが一歩前に出る。
「西条さんは最初のウマ娘をダービーウマ娘に育てました。それは大変な偉業で、過去に何人もいません。最近だと東条さんくらいです」
「おためごかしは結構です。どこかから圧力があったのでしょう?」
西条がそう言った瞬間、たづなの柳眉がピクリと動いた。やよいに至ってはあからさまにオロオロとしている。
「テイオーの邪魔をした、という不満の声は私も承知しています。厄介な輩をあなた方が弾いてくださっていることも。それについては感謝しております」
テイオーが菊花賞を取ったことが決定的だった。そして有馬記念を逃したことで、ネイチャの能力、というよりは西条の能力を疑問視する声が上がったのだろう。
つまり、もう何人かウマ娘を担当させてみようという意見が上がった。
「――と愚考しましたが、どうでしょうか?」
「ふぅ。はい、それで合っていますよ」
「た、たづなッ!?」
あっさりと認めたたづなに対してやよいが驚愕の声を上げる。
「チームを組むのはやぶさかではありません。色々とお世話になっていますからね。しかしいきなり5人というのは勘弁していただきたい」
「はい。それはさすがに考慮しますよ。代わりと言ってはなんですが、彼女のことはご存知でしょうか?」
たづなはあるウマ娘の資料を西条に手渡した。
「……噂程度には。しかし彼女は引く手あまたと聞いておりますが?」
「はい。ですが折り合いがつかないようです。彼女はクラシック三冠を目指していますが、大方のトレーナーは彼女を
「なるほど。距離の壁ですか」
距離の壁。ウマ娘としての限界距離。それは遺伝によるものが大きいと考えられている。統計的にもおおよその部分で正しいとの意見もある。
(生まれながらの適正距離か)
西条は以前にネイチャと話した内容を思い出していた。
「無理強いはしません。ですが、面談だけでもお願いできませんか?」
「承知しました。では明日の放課後、彼女にトレーナー室へ来るよう伝えてもらえますか?」
「え、ええ。かしこまりました」
西条があっさりと了承したことで、今度はたづなが慌ててしまった。
「感謝ッ! いや実は
「ぶっちゃけましたね」
「信頼の証だと受け取ってほしい」
「まだ彼女を引き受けるとは言ってませんよ?」
「いやッ! キミならば必ず彼女を三冠ウマ娘に導いてくれるだろう。そう確信しているッ!」
「……期待に応えられるように、微力を尽くします」
西条は小さくため息を落として、部屋を後にした。
◇
「――というわけで、チームを結成することになった」
「チームかぁ。トレーナーさんも出世したねぇ」
ネイチャがにこやかに笑う。西条は裏事情を話さなかった。ただトレーナーとしての手腕を認められたからチームの設立を打診されたとだけ語った。
「で、これから面談なんだが、どうする?」
「う~ん。これからチームメイトになるかも知れないんでしょ。同席させてもらってもいい?」
「ああ、構わんよ――っと、来たようだな」
トレーナー室の扉がノックされ、西条が「どうぞ」と言う前に勢いよく開け放たれた。
「御用改めだ! 神妙にしろぃ!」
と、葦毛のウマ娘が強引に押し入ってきた。西条は無言で立ち上がると、その闖入者を室外へ押し出そうと試みる。が、ダメ。単純な力比べで人間がウマ娘に勝てるはずはなかった。
「すまんがおまえと遊んでやれる時間はない。今から大事な用があるんだ。明日なら付き合ってやるから、今日のところはおとなしく帰ってくれ」
「分かってるって。これからメンバーの面接だろ? だからこのゴルシちゃんが面接官として一肌脱いでやろうってんじゃねぇか」
「……どこで聞いたんだ? 昨日の今日だぞ」
「ゴルシイヤーは地獄耳ってな。この学園の噂は逐一入ってくるのさ」
そう言ってゴールドシップはソファに腰を下ろした。西条がどうしたものかと思案していると、開け放たれたままだった扉の先から、赤みがかった栗毛のウマ娘がこちらを窺っている様子が目に入った。
「情報と一致。貴方が西条トレーナーですね。私はミホノブルボン。要求に従い推参しました」
「ああ、わざわざ足を運んでもらってすまないな。そこに座ってくれ」
「了解しました」
西条はゴールドシップのことは諦め、改めてミホノブルボンに向き直った。
構図としてはソファの真ん中にゴールドシップが座り、その左右に西条とネイチャ。そして対面にミホノブルボンが座っている。
見方によっては圧迫面接のようにも見えるが、彼女は気にした風もなかった。
「経歴は見させてもらった。トレーナー不在で朝日杯優勝は大したものだ」
「恐縮です」
トレーナーがいなくてはレースに出走できないと思われがちだが、実はそうではない。そもそもウマ娘の総数に対してトレーナーの数が少なすぎるのだ。現実的に考えて、全てのウマ娘にトレーナーがつくのは不可能である。
ではどうするか。教官に頼むのだ。それでレースには出走できる。だが教官は全体トレーニングなどが主な仕事で、ウマ娘の個性や特性に合わせた個別トレーニングなどはしない。
だからウマ娘は自分を、自分だけを見てくれるトレーナーを欲する。
「トレーニングは自己流か?」
「父がトレーナーでした。幼少期よりトレーニングを続けています。その延長です」
「ふむ。クラシック三冠が目標というのは変わりないか?」
「肯定。クラシック三冠は私の夢です」
ミホノブルボンははっきりと告げた。
西条はその瞳に断固たる決意を、鉄の意志と鋼の強さを感じ取った。
「クラシック三冠ってのは、そう簡単に取れるもんじゃねぇ。天賦の才と血反吐はくような努力と、運命をねじ伏せるほどの豪運がなきゃ達成できない偉業だ。おまえにその覚悟があんのかよ」
あたかも三冠を取ったような口ぶりで語り始めたのはゴールドシップだった。念のために言っておくと、彼女が取ったのは皐月賞と菊花賞だけで、ダービーは取っていない。
「覚悟は、あります。どんな過酷なトレーニングにも耐えてみせます。夢をかなえるためならば」
「その言葉が聞きたかった」
「BJかよ――っと、ナゲットを投げるな!」
眼前に飛んできた物体は、ゴールドシップが弾いたチキンナゲットだった。どこからか取り出したチキンナゲットをむしゃむしゃと口に頬張っている。
「ま、クラシック三冠はとてつもねぇ偉業ってことだ。アタシも3回チャレンジしたがダメだったしな」
(なに言ってんだこいつ……? いや、こいつなら時間遡行術や時の巻き戻る目覚まし時計を持っていても……待て待て、何を真面目に考えてるんだ、俺は。疲れてるな)
西条はこめかみと目頭を軽くマッサージして気持ちを落ち着ける。
そして、改めてミホノブルボンの瞳を見つめ返した。
「スタミナは鍛錬で克服できる、という考えには懐疑的だ。距離の壁というのは厳然としてある」
西条がそう言うと、ミホノブルボンの耳がペタンと萎れた。
「だが、菊花賞ならギリギリ届く距離だとも考えている」
一流のウマ娘たちが鎬を削り合う最後の200メートルは、単純なスタミナ勝負ではなく、ステイヤーとしての資質が問われる。
「僕で良ければ、キミの夢を応援させてくれないか?」
「それは……私とトレーナー契約を結びたいということでしょうか?」
「ああ。一緒に三冠ウマ娘を目指そう」
ミホノブルボンはしばし黙考した後、答えを出した。
「よろしくお願いします。マスター」
こうして、ミホノブルボンは西条に師事することとなった。
「イイハナシダナー」
「おまえはさっさと帰れ」