1日の授業が終わり、みんなが教室を離れる中で、ネイチャは机上にグデーと上半身を預けながら1枚の名刺を眺めていた。
(行くべきか、行かざるべきか、それが問題よね)
人生で初めて、そして唯一自分を
「あ、ネイチャも
「え?」
肩口から覗き込んできたテイオーにビックリしつつ、別の意味でもネイチャはビックリしそうになった。
「テイオーも貰ったの?
「うん。みてみてー。ボク12枚も貰ったんだよー」
そう言ってテイオーはネイチャの机に名刺を並べた。ネイチャは並べられた名刺を1枚1枚確認し、それが終わった後ホッと胸をなでおろした。
(そりゃそうよね。あの後テイオーにも声かけてたら、さすがに信用できないわよ)
「でもその名刺、ボクが持ってないってことはさ。ボクよりもネイチャを選んだってことでしょ? 理由が気になるなぁ~」
テイオーに悪気はないのだろうが、ネイチャは何となく自分が下に見られていると感じてしまった。とはいえ、現時点での競走能力を問うならばそれも仕方のないことではあるが。
そう思いそうになって、ネイチャはブンブンと首を振った。
(いかんいかん。こういうところは直さないとなぁ)
「どしたの?」
「ううん、何でもない。えと、この人があたしを選んだ理由はね……」
ネイチャは西条が語ったデメリットをそのままテイオーに伝えた。
「へぇ~、そんなことまで考えてるんだ。まあ何の根拠もなくカイチョーを超える八冠ウマ娘にしてやるって言われるよりはいいかもね」
「そんなこと言われたの?」
「うん。ボクってお調子者に見えるみたいでさ。上手く
「あはははっ」
空笑いしながら、自分もダービーウマ娘にならないかと誘われたことを思い出した。
(ダービーウマ娘になれるとかしてやるじゃなくて、ならないかってところは、誠意を感じるかも……)
「でさ、この人ってどんな人なの?」
西条の名刺をひらひらさせながらテイオーがネイチャに問う。
「どうって……悪い人じゃなさそうだけど」
「いや、そういうことじゃなくてさ。もしかして経歴とか調べてない?」
「――あっ!?」
ネイチャは慌ててスマホを取り出すと、トレセン学園のHPにアクセスして自分のIDとパスワードを打ち込んだ。
会員専用のページからトレーナー一覧に移り、西条の名前を探す。
「さ、さ、さ……あったこれね」
ネイチャのタップで、画面いっぱいに西条のプロフィールが表示された。
「お~、凄いねこの人。トレーナー養成学校を主席で卒業してる。しかもトレーナー試験も一発で合格してるよ」
トレーナーライセンスは国家資格の中でもトップクラスの難易度を誇る。3回以内に合格できれば優秀とまで言われるほどだ。
それを西条は一発で合格した。そしてトレセン学園に来た時期を考えると、在学中にライセンスを取得していることになる。
(そんなに凄い人だったんだ)
ネイチャの印象は、柔和な目をした腰の低い青年でしかなかったが、経歴は明らかにエリートのそれだ。
「ネイチャはこれからトレーニングでしょ。ボクも一緒に行ってもいい?」
「え? うん、うん?」
ネイチャはいつものようにテイオーが自主トレーニングに付き合ってくれると受け取ったが、話の流れからするとどうも違うと感じた。
(あ、そっか。テイオーの中では、あたしとこの人が契約したことになってるんだ)
だが問題はない。ネイチャ自身もすでに決心がついていたからだ。
◇
ナイスネイチャを勧誘した翌日、西条は昨日のことを思い出し、トレーナー室でひとり頭を抱えていた。
「あれはない。あれはないよな。具体的なプランを何一つ語っていない。トウカイテイオーを選ばなかった理由を話しただけだ」
――ダービーウマ娘にならないか?
その言葉が頭の中でリフレインする。だがいくら悔やんでも時間は巻き戻らない。
「仕方ない。断られたなら、その時はその時だ。ひとつ勉強になったと諦めよう」
トレセン学園は基本的にウマ娘ファーストだ。しつこく迫れば理事長や生徒会長から警告や制裁を受ける可能性もある。
「もう放課後か。ん?」
昨日の今日でやって来るとは思っておらず、しばらくは緊張の日々が続くだろうと思っていた。だが、その予想は早くも裏切られることなる。
来客を告げるノックの音に返事を返すと、入ってきたのは待ち望んだ人物だった。
「こ、こんにちは~。いま大丈夫ですか?」
「あ、ああ。もちろんだよ。そこ座って。紅茶でも入れよう。ティーバッグだけどね」
「えっと、お構いなく」
と言って西条が止まるわけもなく、しばらくして紅茶が運ばれてきた。それを一口嚥下して、ネイチャは言葉を発する。
「お返事をしに来たんです」
「うん。聞かせてくれ」
「えと、未熟者ではありますが、お導きのほどよろしくお願い申し上げます」
「硬いな。まあ、こちらこそ。よろしくお願いします」
そう言って、西条は右手を差し出す。ネイチャはにっこり笑って握り返した。
「それでですね。ひとつ訊きたいことがあるんですが……」
「うん? ひとつと言わず何でも訊いてくれていいよ。可能な限り答えよう」
「もし、もしですよ。テイオーの方からうちのチームに入りたいって言ってきたらどうします?」
「そりゃ断るよ」
当然のように西条は答えた。
「断るんですか!?」
「僕はキミをダービーウマ娘にならないかってスカウトしたんだよ。テイオーは当然ダービーに出るだろうし、そうしたらキミを裏切ったことになってしまうじゃないか」
「それは……確かにそうなりますね」
「だろう? それに、テイオーは僕の指示に反発すると思う」
「……そんなにキツいトレーニングなんですか?」
「いや、負荷はそれほどでもないよ。僕は基礎を重視する性格でね。つまり地味なトレーニングが多い。それに、今の時期に高負荷のトレーニングをすれば、テイオーは壊れてしまうかもしれない」
「それどういうことですか!?」
ネイチャはビックリして西条に詰め寄った。西条はネイチャを宥めながら説明を続ける。
「テイオーの速さの秘密は何だと思う?」
「みんなは関節の柔らかさって言ってますね」
「うん。それと筋肉の柔軟性だね。全身がバネのようで、跳ぶように走るとはあんな感じだと思う。でも欠点もある。それはテイオーがまだ骨も固まっていない成長期だということだ。ここで無理をすれば、必ず近いうちに故障する。だから僕がテイオーのトレーナーなら、まずは今のフォームを改善させ、負荷の少ないジョギングや水泳、そして筋、腱、関節包のストレッチを重視するだろう」
「はぁ、なるほ……」
とそこで、ウマ娘特有の聴覚が、扉の外から走り去る足音を捉えた。
「ごめん、トレーナーさん。トレーニングは明日からね」
ネイチャはぺこりとお辞儀すると、慌てた様子でトレーナー室を出て行く。残された西条はわけもわからず、とりあえず自分で淹れた紅茶を飲み干した。
トレーナー室を出たネイチャはテイオーの背中を見つけて追いかけて行く。
「折を見て呼ぶって言ったのに、なんで勝手に行っちゃうのよ」
「ごめん。後でメールするつもりだったんだけどね」
「チームに入れる気はないって言ってたけど、あたしが勧めればなんとかなるって」
「ううん。そうじゃなくって。確かめたくなったんだ」
テイオーに気落ちした様子はない。むしろ面白いものを見つけたといった感じの表情だった。
「確かめるって?」
「あの人の見立てが本当かどうかってこと。ボクは今12枚のカードを持ってるからね。それぞれのトレーナーに、ボクを指導する場合のトレーニングメニューを作ってもらうんだ。そうすればさ、あの人が言ったことが本当かどうか分かるでしょ」
「あ~、そういうこと」
テイオーを本気でスカウトするつもりなら、過去のデータやらを集めて育成プランを練るだろう。何せライバルが多いのだから、トレーナーは必死でアピールしなければならない。
「それにさ、あの人ちゃんとネイチャのこと考えてくれてるよ。ちょっと羨ましいかも」
「そ、そうかな」
「そうだよ絶対。チーム入りのことはとりあえず置いといてよ。じゃあねネイチャ、また明日ね」
テイオーはニシシッと笑いながらスマホを取り出して去って行った。