各国から強豪ウマ娘たちが集うジャパンカップ。パドックも終わり、西条とネイチャは最後の確認作業を行っていた。
「相手のデータは少ない。キッチリした作戦はなしにしよう。自分がすべきだと思ったことを即座に行うこと」
海外のレース映像を入手することは困難だ。西条にそういったコネでもあれば話は違ったのだろうが、あいにくとそんな伝手はない。
1番人気のインティメイトゥ。2番人気のナチュルメロディ。どちらも侮れない相手だ。
逆にトウカイテイオーの人気は低い。休養明けの天皇賞でいまいちな成績だったからか、今回も荷が重いと感じているのだろう。
「それと、テイオーにも気を配っておけ。前とは別物だぞ」
「……うん。あたしも感じてた」
観客の見立てとは逆に、西条はひと際テイオーを警戒していた。
テイオーの調子は明らかに良い。オーラさえ漂って見える。ネイチャもその気配をヒシヒシと感じていた。
(ちょっと塩を送りすぎたか?)
西条は少しばかり後悔した。
『今年から国際GⅠレースに認定されましたジャパンカップ。この府中東京レース場には16万人を超えるファンが詰めかけています。1番人気はヨーロッパの女傑、インティメイトゥ。天候は晴れ、バ場は重との発表です』
(芝は乾いているが、土にやや水分を含んでいるという感じか。ネイチャは……落ち着いてるな。話しているのはイクノディクタスか? ……ん? あの子、先週のマイルチャンピオンシップにも出てたよな。その前の秋天にも出てたし、疲労が溜まらないタイプなのか?)
GⅠレースは過酷で熾烈だ。レース後には数キロ痩せるウマ娘もいる。芝だと脚への負担も大きいし、あまりポンポンと出走させたくはない。イクノディクタスは丈夫なウマ娘なのだろう。
『さあ、全ウマ娘がゲートに収まりました。ジャパンカップ、スタートしました。まずは先頭争い、誰が行くのか。飛び出したのはレリックアース。レリックアースが先頭に立ちました』
(さすがに世界の強豪ぞろいだな。簡単に前へは行かせてくれんか)
テイオーは現在4番手。ネイチャは7番手あたりでレースを進めることになった。先頭はレリックアースで、中団では何度か入れ替わりがあったが、大きな動きはなかった。
(1000メートルの通過タイムは60秒3。平均ペース……いや重バ場だと考えればハイペースか。インティメイトゥは日本の芝に手こずっているようだ。これは伸びないかもしれんな)
ヨーロッパと日本では芝の質が違う。天然そのままに残るヨーロッパの芝は、何よりもパワーを必要とする。翻って日本の芝は綺麗に刈り揃えられている高速バ場だ。パワーよりもスピードが重視される。
かのブロワイエも、日本の芝に合わせることができずに、最後の直線では伸びを欠いた。
『最終コーナーでトウカイテイオーがインティメイトゥをかわして3番手。トウカイテイオーがぐんぐんきている!』
(さすがにレース勘が鋭い。後ろにイクノディクタス。ネイチャはその後ろか。悪くはないが……とどくか?)
『最後の直線に入ります。レリックアース逃げ切れるか。トウカイテイオーが来た。ナチュルメロディも良い位置だ。ナイスネイチャも上がってきたぞ!』
レリックアースはもう一杯だった。残り200メートルでゆるゆると後退を始め、残り100メートル時点で先頭を譲った。
レリックアースをかわしたテイオーがそのまま1着に入り、ナチュルメロディが2着、ネイチャは3着に終わった。
『トウカイテイオーが海外の強力ウマ娘をねじ伏せました! 1着はトウカイテイオーです!』
◇
レース終了後、西条はいつものように控え室でネイチャの脚を診ていた。
「ごめん。また負けちゃった」
「またって……
「…………」
ネイチャがそういう意味で言ったのではないことは、西条も察していた。ネイチャが本当の意味でテイオーに勝ったことはダービー以来一度もない。
特に今日は、コース取りの関係で競り合うことなく負けた。
「さっき出たデータだがな、あがり3ハロンのタイムは、テイオーとほとんど差がなかったそうだ」
「……ホントに?」
「こんなことで嘘は言わんよ。ダービーだって、テイオーの前で仕掛けただろう? 次のレース、たぶん有馬記念か。テイオーより前でレースを進めよう」
「……勝てるかな」
「勝てるさ。勝つ為の、練習をしよう。だがまずはウイニングライブだ。行こう、笑顔でな」
西条はネイチャの髪を優しく撫でた。
◇
小柄なウマ娘は大成しない、などというトレーナー間の迷信みたいなものがある。だがそれはかつて葦毛のウマ娘は走らない、と言われていたような根拠のない妄言にすぎない。
実際、タマモクロスなどは小柄で葦毛なのだが、GⅠをいくつも取った素晴らしいウマ娘だ。
(そんな都市伝説に踊らされているとはな。なんと料簡の狭い……)
菊花賞のウイニングライブは、西条の心に強いしこりを残していた。あんなにがんばったウマ娘が、あんなに素晴らしいレースをしたウマ娘が、正当に評価されないというのはどうにも納得ができない。
ライスシャワーにはトレーナーがいなかった。それはつまり自分一人でトレーニングを行い、ローテーションを決めているということだ。あの菊花賞でライスシャワーを再評価したトレーナーもいるだろうが、心意気だけは伝えたいと西条は思った。
「ライスシャワーをうちのチームにスカウトしたいと思う」
西条はネイチャとブルボンにそう告げた。
「いいんじゃない」
「私も賛成です」
西条の提案はあっさりと受け入れられた。ネイチャはあのライブで西条が気分を悪くしたのは知っていたし、ブルボンもライブ中のライスシャワーの様子がおかしいことはなんとなく察していた。だがあの時は自分のことで手一杯だったのだ。
なぜならブルボンは、
「ありがとう。まあ、相手が受けてくれるかは分からないが」
まずはふたりが快く承諾してくれたことに、西条はほっと胸をなでおろす。
ジャパンカップが終わり、西条はライスシャワーのスカウトに動き出した。菊花賞が終わった頃、ライスシャワーは何人かのトレーナーからスカウトを受けた。だが契約には至らなかったと聞いている。
そして、菊花賞以降レースには出走していない。それはいい。ブルボンだってまだ疲労は抜けきっていない。怪我をしたとも聞いていないので、単純に休養期間なのだろう。
本人の希望により、ブルボンを連れ立ってライスシャワーの下へと向かう。だがトラックにライスシャワーの姿は見えなかった。
しばらく探し回って、ようやく見つけたのは夕暮れ時。ジョギングから帰ってきたらしいジャージ姿のライスシャワーだった。
「初めまして、トレーナーの西条です。ブルボンの紹介はいらないかな?」
「は、はい。あのライスは……わたしはライスシャワーです」
少し怯えた様子でライスシャワーは返答した。西条は隣のブルボンに視線を送る。自分よりも同じウマ娘が誘う方が適任だと考えたのだ。
「ライス。私と一緒のチームに入りませんか?」
「え? ブルボンさんのチームに?」
「ライス。私と一緒のチームに入りなさい」
「命令形!?」
いまいち手ごたえがないと感じたのか、ブルボンはすぐに二の矢を放った。西条は仲介しようかとも考えたが、もう少し様子を見ることにした。
「ライス、私も朝日杯が終わるまでは独りでした。このトレーニングは正しいのか、私の夢は間違っているのか、そんな不安もありました。支えがないのは、辛いことだと思いました」
ライスシャワーはただ黙してブルボンの独白を聞いている。
「何度もお父さんに電話しました。ですが、遠くにいるお父さんでは私の心は埋まりませんでした。その時に出会ったのです。私の夢を肯定してくれる人に」
それが誰かは言うまでもなかった。ライスシャワーはちらりとブルボンのそばに立つ西条に視線を向けた。
「そんな夢を……ライスは壊してしまいました。ライスが走るとみんなが不幸になる。ライスはただみんなに認めてほしかっただけなのに。だから一生懸命がんばったのに……ごめんなさい、ライスはもう走りません」
がんばって走った結果があのライブなら、確かにショックは大きいだろう。何のためにがんばったのか、分からなくなってもおかしくない。
ならばなぜ練習しているのか、キミの脚は走りたがっているのではないか、と西条は問いたかったが、やはりブルボンに任せようと判断した。
「確かに私の夢は終わりました。しかし、あなたを恨む気持ちはありません。悔しい、それ以上に清々しい気持ちでした。私の全てを出し切っても勝てなかった、唯一のウマ娘。それがあなたなのです」
「か、買い被りです。所詮ライスは
「私は、少なくとも私は不幸だなどとは思ってはいません。三冠という夢は失いましたが、新たな夢が生まれました。次は勝ちたい。今度は負けたくない。強いあなたと走りたい。そう、私はあなたと一緒に走りたいのです」
「ラ、ライスと一緒に……?」
茫然とライスシャワーがつぶやく。ブルボンは小さくうなずいて、言葉を続けた。
「
「……ライス、走ってもいいのかな?」
「いいんです。誰も走るななどとは言ってません。一緒に走りましょう。私と、私たちと」
ブルボンはゆっくりとライスシャワーに近づき、右手を差し出した。ライスシャワーは目じりに涙を浮かべながら、その手を取った。