スピカとの合同練習を切っ掛けに、ネイチャは度々彼女たちと共に練習を行うことになった。
こちらが出向くことが多かったが、相手の方が足を運んでくれることもある。そしてその度にゴールドシップは西条に絡んできた。
将棋、囲碁、チェス、オセロの定番ものから、花札、野球盤、バックギャモン、カードゲームまで。その挑戦に西条は毎度律義に付き合っている。
「それを認めるにはデータが少なすぎる。再現性だって乏しい」
「そりゃ仕方ねぇだろ。同じウマ娘なんていねぇわけだし。むしろ数少ないデータで結論を導き出したことを評価すべきだ」
「本人だって「可能性の一つ」と言って明言を避けただろう」
「ありゃ周りがうるせぇからだろ。博士の中には確固とした答えがあるんだよ。これだから理屈ばっかりでロマンの無い連中はよ」
そう吐き捨てて、ゴールドシップは自前のクーラーボックスから瓶ビールを取り出してラッパ飲みを始めた。
さすがに西条がとめにかかるが、よく見ると瓶には「ポニービール」のラベルが貼られていた。つまり炭酸リンゴジュース(はちみつ入り)である。
未だ未解明部分の多いウマムスコンドリアについての論文にも目を通しているあたり、このウマ娘のアンテナと知能は相当高いと西条はうなった。
頭と喉を使ったせいか、西条も渇きを覚えてクーラーボックスに手を伸ばす。
「ひとつ貰うぞ」
「120億な」
「ちょっと持ち合わせがないな。これで勘弁してくれ」
空色の缶を1本選んだ西条は、財布から取り出した硬貨を3枚弾いてゴールドシップに投げ渡した。
コースの方に目を向ければ、ちょうどネイチャが3着でゴールしたところだった。
(さすがにダービーウマ娘のスペシャルウィークとすでに実戦を経験しているメジロマックイーンでは分が悪いか)
西条も現段階でネイチャが太刀打ちできるとは思っていない。あのふたりから盗めるものを盗めるだけ盗めればいい。追い上げてきているウオッカやダイワスカーレットも良い刺激になるだろう。
気づけばそろそろメイクデビューを考える時期になっていた。
◇
デビュー前から注目を集めていたトウカイテイオーは紅葉の季節にデビューを果たし、当然のように1着を飾った。
勝利後のインタビューで、12月に行われるG1レース、朝日杯フューチュリティステークスを取ると宣言した。
その翌週、ついにネイチャがデビューする。
「やっぱり緊張するか?」
「そりゃ、さすがにね。最初に躓くわけにはいかないじゃない?」
「あまり気負わなくていい。スタートが上手くいけば先行で、出遅れたら差しに構えればいい。重要なのは、自分を見失わないこと。自分のレースをすることだ」
西条は差し一辺倒だったネイチャの
「かからないおまじないも教えただろう。キミなら"大丈夫"だよ」
「うん。あたしは"大丈夫"。ちゃんと走れる」
これはいわゆるルーティンと呼ばれるもので、感情のコントロール術である。特定の所作、特定の言葉などを用いて、自己暗示、
「よし! じゃあ行ってくるね」
「ああ、楽しんでこい」
ハイタッチを交わし、西条はネイチャを送り出した。
結論から言えば、ネイチャは勝った。
綺麗なスタートを切ったネイチャは中団前目の位置でレースを進めたが、逃げるウマ娘がいなかったために押されるように先頭に立った。
余力を残しつつそのままレースを進め、最後の直線でさらに伸びて1着でゴールした。
地味だが安定性のある勝ち方だった。だが派手な勝ち方ではなかったためか、各紙の扱いはテイオーより下であった。
◇
『トウカイテイオー、メイクデビューを快勝! 朝日杯フューチュリティステークスでGⅠ勝利を目指す!』
月刊「優駿ウマ娘」の表紙を飾り、特集まで組まれたテイオーに比べ、ネイチャの記事は小さいものだった。
「まぁこんなもんだよね。主人公とモブの違いを見せつけられた感じですなぁ」
「何ブツブツ言ってんのネイチャ~。それよりこの写真なんだけどさ、ちょっといまいちだと思わない? ボクとしては左からの方が見映えが良い気がするんだよね」
「ソーデスネー」
同じ雑誌を手にして近づいてきたテイオーに、ネイチャは軽口で返した。
「ネイチャも朝日杯を目指したりする?」
ワクワクした様子で訊いてくるテイオーに、ネイチャはわずかに困惑する。
「う~ん、実はあたしも聞かされてないんだよね。目の前のことに集中しろって感じで」
「そーなんだ。一緒に走れるといいね」
「そうね。それもアリかな」
まんざらでもない様子でネイチャはそう返答した。
そして放課後、西条に今後の予定を質問してみたが――
「次? 次はベゴニア賞に出ようと思っているが」
「あ~、やっぱそのあたりっすよね~」
テイオーに訊かれた時も、内心
「他に出たいレースがあるのか?」
「朝日杯はなし?」
そうネイチャが口にすると、西条は困ったように眉根を寄せた。
「……正直、テイオーと戦うにはまだ早いと思っている。もう少し待ってほしい」
「やっぱ勝てないかな?」
トレーニングを重ねて、自分が速く、強くなったことは実感として確かにある。メイクデビューを勝利で飾れたことも、小さな自信となっていた。もしかしたら……という気持ちは少しだけある。
「勝てないとは言わない。だが、分が悪いことも否定はしない。トレーナーとしては、やはり勝てる可能性の高いレースに出してあげたいからな。重賞レースは来年からだな」
「弥生賞?」
弥生賞は皐月賞トライアルレースのひとつで、レース場、距離ともに皐月賞と同じのため、皐月賞の出走条件を満たしているウマ娘でも予行演習として出走する場合がある。
テイオーが朝日杯を優勝すれば、弥生賞に出なくとも皐月賞には出走できるだろうが、出てくるかどうかは本人次第だろう。
「それも候補のひとつかな。別のトライアルに出る可能性もあるよ」
「そっか。まあ、とりあえずは目の前のレースからだね」
「そういうことだ。だから勝つ為にトレーニングを始めよう」
「りょ~かいです!」
ネイチャがビシッと敬礼する。ふたりは笑いあって練習場へと向かった。
そこにはすでにスピカのメンバーが集まっていた。ネイチャをコースへと送り出し、西条はスピカのトレーナーとトレーニングメニューについて確認を始める。
西条はハードトレーニングについては否定的だった。あるトレーナーの言った「スピードは天性のもの、スタミナはトレーニングの賜物」という言葉も、最初はそういうものかと思っていたが、近年発表された「ウマ娘の適正距離は先天的に決まっている」という理論と、先に挙げたトレーナーが成功したウマ娘の影で、多くのウマ娘を壊していたことを知ってからは、ハードトレーニングに慎重になった。
とはいえ、ハードトレーニングが悪いというわけではない。準備運動と整理運動をしっかりと行えば、リスクを抑えて最大の効果を得ることができる。
「はぁ……はぁ……キッツい」
「がんばって! でも無理はしないでね」
弱音を吐くネイチャに、スペシャルウィークが活を入れる。その後ろではダイワスカーレットとウオッカが汗だくでついてきていた。
「ネイチャ! 急走と休息を意識しろ! 休みながら走るんだ!」
「りょーかいでーす」
坂路コースは新人トレーナーの西条が頻繁に利用できる場所ではない。今日はスピカのトレーニングに便乗させてもらっている。
「おし、じゃあこっちも始めるか」
坂路トレーニングには参加していないゴールドシップが手中のカードを眺めて不敵に笑う。スピカの練習に参加する条件として、西条がゴールドシップの相手をすることがいつの間にか常態化していた。
「俺は《砂漠の狼》をプレイして、スペシャルスキル《狼牙風風拳》を発動。《おさげの女》に攻撃する」
「させっかよ! カウンタースキル《飛竜昇天破》を発動だ。これで返り討ちだぜ!」
「ならば! サポートカード《プーアルの変化術》を発動。《砂漠の狼》の攻撃力を――」
「サポートカウンター《幼馴染みの鉄板返し》を発動。相手が発動したサポートカードの発動を無効にして破壊する」
「くっ、俺の負けか」
西条は敗北を宣言して残りの手札を場に落とした。トラックに視線を戻すと、自分の担当ウマ娘が汗だくで走っている。
西条はなんとなく罪悪感と徒労感を覚えた。
「おう、そっちも一段落ついたか? ならゴルシ、スタートの合図を頼む」
「んん? しゃーねぇなぁ」
スピカのトレーナーから投げ渡された笛を受け取り、ゴールドシップはスタート位置に目を向けた。そこには5人のウマ娘が気合の入った目でレースの準備をしているところだった。
(今日のシメの模擬レースか)
「どう見る?」
「……まだ厳しいでしょうね」
模擬レースの距離は1600メートル。
下級生のウオッカとスカーレットは何とかなるだろう。
距離的要素に分があるマックイーンには多少有利か。
スペシャルウィークはかなり厳しい。
5人の準備が整った。模擬レースだというのに、その目は真剣そのものだ。
ゴールドシップが大きく息を吸い込む。
「パーパパパーパパパーパッパッパー、パーパパパーパパパーパッパッパー」
(
全員の心がひとつとなった。
「パパパーパパパッパ、パパパーパパパッパ、パパパーパッパッパッパッパッパァァァーーーー」
(これは……宝塚記念だな。というか、どこから音を出してるんだ?)
西条はゴールドシップの奇妙な特技に舌を巻いた。
それは、声というには、あまりに美しすぎた。
荘厳で、重厚で、清廉で、そして明澄すぎた。
それは、まさに、トランペットの音色だった。
「――ガシャコン!」
(笛は!?)
再び、全員の心がひとつとなった。