「やっと時間とれたなー」
「せやね」
「ふぁ…………んぅ」
最近自分のホームポジションになりつつある茜たちの棲家で、しみじみと呟く。
早々に集まってアイリスの件で話をしたかったのだが、都合がつかなかった。
自分も時間があまりなかったのもあるが、一番時間がなかったのは茜だ。
なんでも大学でレポートなるものを提出させられるらしい。ちょうど昨日が提出期限だったらしく、40ページを優に超えるという恐怖のレポートを夜を徹して期限ギリギリに完成させた茜はそのまま力尽きたようにちょっと前まで寝ていたのだとか。
茜は起きてすぐに自分に連絡した、そして駆け付けたのがちょうど今である。
大事な話は対面の方が良いのだ。
「それ提出期限伸ばしてもらえなかったのか?」
「1秒でも遅れたら落単やね。必須やから留年確定やし……」
「なにその地獄」
1秒の遅れすら許さない厳しさに少しばかり恐怖を覚える。
ギルドの依頼ですら交渉すれば多少は延期してくれるというのに。
「どうせ突き返されるからなぁ…………はぁ、どうせ血塗れレポートやわ」
そしてその苦労の結晶のレポートは、間違いなく教授に突き返される。
ウルトラハイグレード赤ペン先生の手によって、隅々まで添削し尽されるからだ。
教授の筆跡から伝わってくる刃のような鋭い怒りに、学生は毎回慄くらしい。
少しばかりの同情を覚えて、肩を揉んであげることにした。
「………あぁ~~♪ ええわぁ~~~、ああっ」
「手揉みには中々自信があるぞー?」
「あかねだけずりゅい。わひゃひもかちゃこってるのに」
「飲み込んでから喋れ」
葵は豆をひたすらボリボリしていた。
魔法で育てた異世界産の豆なので旨いのは分かるが食うペースが速すぎる。
今日の会議は結構長くなりそうなのでもうちょっと抑えて欲しい。
今日の会議に当たって、既にいくつかの前提は照らし合わせてある。
例えば、葵が既にアイリスからの依頼を受けて原案を作成していたこと、私と茜がその打診を受けていたことなどだ。
それにあたって、実況者であることを隠していたつもりだった茜が、葵に『………本気で隠せてると思ってたの?』と火の玉ストレートをぶちかまされたことで、茜の顔がプチ炎上した一幕があったが、今は落ち着いている。吹っ切れたともいうが。
手持ち無沙汰に肩を揉む私、その気持ちよさに喘ぐ茜、そして豆食い婆と共に会議を始める。
肩を揉まれる茜は蕩けたチーズにみたいになってきているので、進行は私だ。
「………まず1件目、事務所に入るかどうかだけど、これは受けるってことでいいんだよね?」
「せやな~~♡」
詳しい契約は省くが、要はVtuber関係なくまずは事務所のサポートを受けてみないかという話だった。Vtuberグループであるアイプロに所属という形でなく、アイリスが持っている別のZowTuber事務所の話だ。これに所属すれば契約費は取られる代わりに、現在の活動についてもサポートを受けられる。
一先ずこの話については、受けることにした。
単純な話、提示された条件が圧倒的に良いからだ。
「企画運営のサポートと、必要な機材の貸し出し、トラブル時の協力、これだけしてもらってあの契約費は破格だよね………多分」
「ふつうはありえへん内容やわ~~♪」
茜は契約の内容に太鼓判を押していた。
茜も色々な事務所から声をかけてもらっていたが、普通じゃ有り得ないほどこちらに有利な契約らしい。自分も見た限りではそう認識している。茜とは協力関係にあるが、決して依存してはいけないと考えている。そんな茜に毎回配信機材や動画編集のことを聞いて負担を掛けるのもどうかと思っていたので、サポートが付くのは正直嬉しい。
また、茜は今日もそうだったが学業があってかなり忙しい。
兼業である以上、時間にはどうしても大きな制約が付く。
そこを多少なりともカバー出来るのは大きいだろう。
そして兼業じゃない自分にとってもメリットはあるのだ。
「……正直最近のコメント欄は目に余るし、サポートの人がいれば活動の幅も広がる」
まずコメント。
ただでさえ荒らしが多いのにモデレーターがいなくて荒れ放題な私のコメント欄を、ある程度整備してくれるのが一点
もう一点は、主にリアルの活動のサポートだ。
例えば、最近投稿した簡単な格闘技動画か。
これらは勿論、自分一人で撮影を行って、自分で編集したものだ。
勿論全てを一人で完結することは出来なくはない。
現に茜はそうやってきてたし、自分もそれに倣ってきた。
しかしここにお手伝いさんがいれば、もっと効率よく活動できるだろう。
冒険者パーティは、前衛、中衛、後衛、サポート要員で構成されることが多いが分業というのは効率を大きく高めてくれる。
まぁもう提案された事務所に入るのは決まりでいいだろう。
「じゃあ次に、私、茜、葵がアイプロに入ってVtuberを始めるかどうかだけど」
こちらが本題だ。
「自分は正直Vtuberになってはみたいんだよなぁ。特にアイリスプロジェクトはファンとして憧れだったし。他の人も歓迎してくれるって言ってたから。けど他の要求がちょっと………」
「ん……私本人がVになるかはともかく、Vのママにはなってみたいから、アーシャには正直期待してる」
「ウチはぁ、うーん、どうかなぁ~」
私が条件付き賛成、葵は否定より、茜は悩み中。といった形か。
葵は特に配信の経験がないが、その淡々とした語り口は喫茶店で見ている。
あのノリが出せるのであれば配信者としての素質は十分だろうというのが。アイリスの判断か。
ただし、非常に残念ながら本人はあんまりやる気がない。
興味はあるようなのだが、それに伴う面倒臭さが想像できて悩んでいる様子だった。
茜はそりゃ迷うだろう。
せっかく最近登録者を大きく伸ばしてきた茜は既に40万を近い登録者を抱えている。それがいきなりVtuberを始めて箱に転属するともなれば、視聴者はかなり驚くのは間違いない。
ただ、決して否定はしていない。
そして自分だが、自分はアイリスの提案に悩んでいた。
アイリスは、自分がリアルの活動とVtuberの活動を並行して行って良いと言っている。
いやむしろ積極的にリアルの活動をして欲しいとも言っていた。
例えば、釣り配信をしたり、観光配信をしたり、グルメ配信をしたりしながら、同時にVtuberの活動もして欲しいということだ。
「……でも自分はどっちかっていうと、インドア派なんだよねー」
「ん………外嫌いなの分かる」
「いや別に外が嫌いなわけじゃないけどさ」
別にお出掛けが嫌いなわけじゃない。時間が出来れば日本中の観光名所を巡ったりしたい気持ちはもちろんある。単にそれ以上に、家でゴロゴロしながら配信見たりゲームしたりしたい気持ちが強いだけだ。そして、これが何が問題かというと、
「………アイリスさんは、むしろ
「ん………ポスト芸能人になって欲しいって言ってたね」
アイリスの認識と自分の認識は、はっきり言ってかなりズレていた。
私の認識では、今の活動のゲーム配信がVtuberに置き換わるだけのイメージだった。
しかし彼女の本来の意図は全く違った。
私にはできるだけリアルの活動で――例えばBIKAKINのような大衆向けの活動で視聴者を集めて欲しいのだとか。そして今度はその視聴者をVtuberという箱に引きずり込みたいというのが、彼女の希望だった。
そしてそのリアルとバーチャルの架け橋となるのは、最近ZowTubeに進出してきたテレビ出身の芸人や、古巣の漫画家とも積極的にコラボ配信を行っている天堂アイリス本人だ。
ただ、勿論だが、私のやりたい事とはズレている。
「でも正直私がやりたいのは、大衆向けよりもっとなんて言うかさ――あの…………」
「………言いたいことは分かる」
無理やり言葉にすれば、ニッチとでも言うのだろうか。
しかし無理に言葉にすると、大事な何かを取りこぼしているような気さえする。
「………今、とっても楽しいんだ。こんな毎日が、ずっと続いてほしいって、そう思ってる」
自分は最近の配信、そして日本での生活をなんだかんだ満喫している。
暴力的なコンテンツで、組長で、忍者で、エロフで、インターネット老人会で。
まともな要素が何一つなくてイジられたり、プロレスしたりすることもあるけれど、なんだかんだ楽しめているのだ。これを一切切り捨てて、キレイな路線で進むというのは…………、
「……つまらない?」
「…………」
心の先を読んだかのように継ぎ足された葵の言葉を、無言で肯定する。
ただ、同時にこうも思うのだ。
「………でも、これはエゴだ」
自分の素質は、はっきり言って高い。
まず顔、そして楽器と歌、ゲームの腕、あと減点にならない程度のトーク力。
アイリスは言っていた。
自分がもし指示通りに動いて、きちんと綺麗なキャラを演じて、言われた
「ん、確かにエゴだね」
無表情な葵からは、その肯定の裏にある意図が読み取れない。
それは非難なのか、それとも共感なのか、はたまた無関心なのか。
するとここで、再起動した茜から言葉が飛んでくる。
それは自身の経験から来る濃密な含蓄を含んだ言葉。
「自分がやりたいことと、視聴者が見たいこと、このギャップにクリエイターはみんな苦しんどるよ。ウチも勿論。………きっと葵も」
「ん………当たり前」
その言葉には自分も大いに心当たりがあった。
茜の言葉に葵も共感を示している。
イラストレーターとして既に幾つかの仕事を経験している葵。
そしてビギナーの自分にとってもそれはなんとなく理解できるものだった。
あの日から開けた私のワクワクに満ちた世界。
確かにワクワクには満ちていたけれど、同時に果てしない創作者の苦しみにも満ちていた。
例えば最近の動画の話か。
自分の今の再生数ランキングで、一位なのは初日の『あーしゃ・おん・すてーじ』だ。当然のようにダブルミリオンを達成し、まだまだその勢いは衰えない。
自分も弾き語りはプロ並みと自覚しているので、これは嬉しかった。
賞賛の言葉と、大量の高評価を見ると、思わずにやけてしまう。
しかし問題は2位。
2位の動画名は『マジック・オブ・エルフ!』である。
この動画、単純に自分が手品を見せるだけのしょぼい動画だ。
マジック・オブ・エルフ!
チャンネル登録者数 198,992人
昔から
しかしこれがもう盛大にバズった。
Ywitterで拡散され数日で100万回再生されてしまったのだ。
念入りに準備して、頑張って編集して、渾身の思いで投稿した動画はまぁまぁの伸びだったのに、30分で撮影した動画を殆どそのままぶん投げただけの動画が100万回再生。
正直ちょっとがっくりきた。
そしてバズった理由は単純で、顔がいいからだ。
おっぱい大きい人のピアノ動画が、ある程度の技術さえあれば滅茶苦茶再生されるのと同じ理屈なわけだ。自分は面倒臭い人間なので、これを正直には喜べない。
「……ぶっちゃけさ、あの動画は面白くなかったでしょ?」
「いや? そんなことないと思うで? ちゃんと面白かったしええ動画やったよ」
「ん……内容がしょぼくて、話も下手ならあんなには伸びない。自信持っていいと思う」
「…………そうかなぁ?」
二人は確かに褒めてくれる。
コメント欄も、ほとんどが絶賛の嵐だった。
でも全く嬉しくなかった。
本業の人と比べると過剰評価にもほどがあるからだ。
『あーしゃ・おん・すてーじ』は、正真正銘私の本気だったので、称賛されるのは凄く嬉しかった。
しかしあの手品ははっきり言って手抜きだ。
笑えるネタも入れてないし、面白くしようともしてない。
ネタが思いつかずに適当に撮影してお茶を濁しただけのつもりだったのだ。
だから、数千件の絶賛コメントの中に紛れていた『美人はいいよな、この程度で評価されて』というコメントをみてちょっと嬉しかったぐらいだ。
そしてここで話は元に戻るわけだ。
自分のやりたい事、自分が自信をもってやれること、そして視聴者が本当に見たかったもの。
アイリスのやって欲しいことと、自分のやりたい事。
それぞれ違っていて、どうしようもなくズレている。
これらを踏まえて、自分はどうすべきか。
どれも取りこぼしたくないワガママな私には、まだ見当もつかなかった。
【Tips】おっぱい系ZowTuber:基本的には顔を出さず、胸を強調した服を着て配信を行うZowTuber。主な配信内容は料理、楽器、ASMR、筋トレ、コスプレなど。批判もあるが、『視聴者の需要を満たす』というクリエイターに最も重要なものを、ある意味きちんと満たしている配信とも言える。
創作者誰しも抱える悩みですよねぇ…………