『……っはぁー、やっぱ緊張したわー』
電話越しに聞こえる茜の声に確かに籠っていたのは、安堵と震えの感情。
茜はついさっきまで、Vtuberとしての初配信を行っていた。
「いや、さすが『ちぬれゆい』だなって感じだった。――まぁ、自己紹介でしょっぱな噛んだのは笑ったけどな……!」
「一々言わんとってや! 意地悪!」
とは言え、噛んだことさえ笑いに昇華してしまえるのは茜の強さだろう。あと関西弁が笑いに強い。ズルイよね関西弁って。ツッコムだけでなんか面白い感じするし。
茜はちぬれゆいの同居人『海原ナツミ』としてデビューした。
海原ナツミの設定は、端的に言えばこんな感じだ。
『――ナツミ商船団を抱えて世界を股に掛ける、猫耳の大商人。その黒く焼けた肌から見えるスポーティさとは対照的に、お金にがめつく抜け目がない性格をしている。……まぁウチ向きの設定よな』
「――ゲームや漫画などの娯楽に目を付けて、それらを学ぶために、アイリス学園に入学してゲーム部に入った………って設定は結構むちゃくちゃだけどな」
属性をまとめるなら、猫の獣人、お金にがめつい、関西弁、比較的常識人といったところだろうか。
ちなみにアイプロ二期生は季節で名前を揃えることになっている。まぁ今のところ3人しかいないんだけどさ。そんなこんなで海原ナツミの設定を少しばかり揶揄していると。
『まぁぶっ飛んでる設定やとは思うけどさ、Vtuberやってる番長よりはマシやろ。意味わからんで』
「それは違いない」
まぁ何故か番長やることになった私よりはずっと落ち着いた設定だ。
「……にしても、私らは人数多かったねぇ」
『まぁウチらは元々メインチャンネルのファンが大半って感じやったからな。もちろんアイプロの固定ファンもいるにはいるけど』
まず一つ補足だが、アイプロの固定ファンはそう多くない。
箱の中の個人個人はもちろん人気があるのだが、それぞれの得意分野が違っておりコラボの頻度はハロスターズと比べるとずいぶん少ない。まぁそれでも先輩方はちゃんと宣伝してくれたので、影響はあったとは思う。――まぁ平然と同時間に配信してる先輩もいるわけだけども。
ともかくとして、私や茜の視聴者数は最初から多かった。
そしてこれは私達自身に元々ついている人たちである。
一応別人という建前だが、チャンネルに相互リンクが張ってある時点で丸わかりである。そもそも分かるようにしているのだが。
あと若干異世界訛りのある私と、東京の影響を受けて微妙にねじ曲がった独特の関西弁を扱う茜の喋りは、聞く人が聞けばすぐに同一人物のものだと分かってしまうものだ。なので、どうやっても隠すのは無理だとは思う。
「……ていうか、最初から収益化開放されてんのずるくない? さすがに笑ったわアレ」
『フフンええやろ。なんか知らんけどデビューした瞬間に収益化解除されてたんよなー。なんでやろなー?』
わざとらしい茜の口調に思わず笑ってしまう。
茜は今回のVtuberチャンネルを用意するにあたって、あまり使っていなかったサブチャンネルを転用した。そのせいで、最初から収益化が解放されていたので初回配信から何故か収益化が解除されているという珍現象が発生したのだ。それを茜は金にがめついキャラらしく無駄に凝った編集で派手にお祝いしたため、視聴者も大爆笑していた。
しばし雑談する。そして、話題はこの後デビューする正真正銘の新人の話に移った。
「……大丈夫なんかな、あの子の配信」
「……アイリスさんは太鼓判押してたし、なんとかはなるはずなんだけど……」
――正直、不安しかない
それが私達二人の共通意見だった。
【Tips】海原ナツミ:アイリス学園二期生にして、生徒会の会計担当で褐色肌の獣人商人。お金にがめつい設定だが、初配信時点でにじみ出る本人の常識人っぽい雰囲気から既に形骸化しつつある。同居しているという設定のちぬれゆいと
【初配信】 初めまして、お兄さまお姉さま【紅葉チアキ】
チャンネル登録者数 10,254人
「………」
はじまらん
2分経過。
大丈夫か……?
前二人が慣れ過ぎてたのもあるやろ
ゆっくりでええんやで
既に開始時刻は過ぎている。
それだけならまだ準備中だとも言えるのだが、さっき盛大にPVが流れたので準備はもう終わっているはずなのだ。それにも関わらず未だ配信は始まらない。
その二つあるうちの一つの理由は、彼女がとてつもなく緊張しているからだった。
「……ふぅ~~~。はぁ……」
まぁ無理もない。
ほとんどまともな配信経験なんてない状態から6,000人を超える視聴者を迎えるなんて。
そして一度の失敗が周りを巻き込んでの致命傷にもなりかねない、そんな企業Vtuberとして名乗りを上げるなんて。
どちらも初心者には到底無理がある話だ。
誰かさんみたいに、煌めくオーロラを口から逆流させないだけ度胸が据わっていると思う。
そんな彼女はミュート状態なので、応援の言葉を贈る。
「大丈夫。――上手く喋れなくても、いつも通りにやればいいから」
「………」
私の声掛けにも曖昧に頷くだけ。
手を握っては開き、握っては開き。
深く深呼吸をしては、大きく息を吐く。
練習はかなりやってきたはずなのだけれど、完全なコミュ障の彼女にはいきなり大舞台はきつかったんじゃないだろうかという気もしてきた。
「……もしダメでも、私がどうにかするから安心していいぞ」
――な、
何か余計なことを口走ったとしても、そして何かダメなことをやらかしたとしても、その責任は姉である私が持つ。そう告げた。
そう、今回デビューするアイプロ二期生3人目は葵ではない。マシロだ。
この異常事態の発端は葵の頭のおかしいドタキャンがきっかけだった。
葵は元々Vtuberには乗り気ではなかったのだが、それでも自分と茜のキャラが決まってからは結構なやる気を見せてくれていた。そのやる気の程といえば、自分の――雪村マフユのガワを完成させてからたった数日で、元々自分のアイコンだった白紅ハルを動かせる部分まで持っていったぐらいだ。
自分も茜もアイリスも、正直全員が、葵が3人目になるのは確定。
そう考えていたのだ。
しかしいよいよ告知する直前というタイミングで、トリックスター葵が登場した――
『――ごめん、音楽が作りたくなった』
『『『は?』』』
よもうなら、イラストなら、漫画なら、まだ分かる。
配信者を始めるのが怖くなったとか、面倒に思ったとかならまだ分かる。
しかし理由はどちらでもなく、何故か突如として現れた音楽という単語。
意味が分からないと私とアイリスは盛大に頭を抱えた。
ついでに担当予定の事務員さんたちも崩れ落ちた。
茜だけは、どこか達観したように葵の奇行に引き笑いをしていたが。
元々葵は、例えばテスト前だとかの重要なことの直前に、何故か全く別のことを始める悪癖があったらしい。厄介なのはその時に限ってやたらいい結果を残すことだろうか。そのせいで注意もしづらいのだ。
別に逃げたくて投げ出してるわけじゃなく、本当に興味が湧いたから突っ込んでいってるのだろう。タイミング最悪だけどな。
これが、パパとママが付いているVtuberなら大問題だったのだろうが、あいにく葵はオール自作なので重要なのは当人のやる気のみである。
そんなこんなで葵のVtuber話はひとまず消滅したのだが、しかし二期生を2人にするわけにはいかない。6人というのがどうにもキリが悪いというのももちろんあるが、一番は虹の色――つまり7色に合わないからということらしい。
そのせいでもう一人の候補が見つかるまで危うく待機になりかけた。
そんな危機的状況の中気が付いたのが、最近人気の動画配信者――MASHIROの存在である。
声がいい、そして圧倒的にゲームが上手い。
RTAという分野でいったいどれだけの集客力があるのかは分からないけれど、アイリス曰く、とてつもないポテンシャルを秘めているらしい。
……ゲームど下手くそのくせにRTA分かるんですねとツッコんだら怒られたが。
そしてコミュ障MASHIROは断るかと思ったが、何故か大喜びしてこれを承諾。アイリスともう一人の手によって直ぐにキャラ設定が決まり一瞬でモデリングが完成した。
ホントに大丈夫か?
4分経過。
ゲロ吐いてる?
↑番長じゃないんだから
番長は影武者だから別人だろ、いい加減にしろ!
そろそろコメントも本格的に事故を察知してきている。
さて、話を戻そう。
マシロが未だ一言も喋れていない理由、それは緊張しているからじゃない。単純に死ぬほどコミュ障だからだ。
いや元々無理があるだろこれ。
宅配受け取れないレベルのコミュ障に雑談配信は荷が重すぎる。
いつもMASHIROはRTAを配信で公開録画しているのだが、それは独り言をボソボソ呟くだけの――言ってしまえば一方通行な配信だ。
しかしそれなりに人の集まる企業Vの初配信は雑談配信――つまり双方向の配信である。
もちろんマシロも話せるようにある程度準備はしてきたし、キャラ設定も無口な設定にはなっている。しかしそれにも限度はあると思う。
――もうしょうがないか
このまま放置していると、いい加減視聴者も怒って帰ってしまうだろう。
初配信は一人でやるものだとは思うが、致し方ない。
一つ小さな咳ばらいをしてから、意味もなく悪い顔を浮かべて気持ちを切り替えた。
「おぅおぅなんだぁお前ぇ! 生まれたての小鹿みたいに震えてんなぁ!」
「………え?」
マフユ番長!?
そりゃいるよな
!?!?!?!?
草草草
マシロは壺配信の時もそうだったが、私がいれば配信でもそこそこ喋れる。だからもう番長として話しかけることにしたのだ。まぁどうせ数日後にはコラボはすることに決まっているので、遅いか早いかの違いでしかない。多分それほど怒られないはずだ。
「お前ぇ、見慣れない顔だがどこ中だぁ? てか名前なんて言うんだ?」
「…………、……っ!」
マシロは突然声をかけてきた私にビックリしていた。けれどその意図についても直ぐに思い至ってくれたようだ。不安げに揺れていた瞳に意志の炎が宿った。
そして練習通りに、産声を上げる。
「私の名前は、
感情の籠っていなさそうな、しかし美しい白鈴の声で彼女は告げる。
「ふぅん……つまんなそうな奴だな! なんか好きなこととかねぇのか?」
「マスターの手によって作られた私ですが、特に目的が与えられなかったのです。なので今はもっぱらゲームをやっています。――ゲームは目標を与えてくれるので。最近は特にRTA(リアル・タイム・アタック)なるものを嗜んでおります」
声可愛い
番長スコ
白髪のホムンクルスちゃんかぁ推せる!
ゲームをやってる(RTA)
マフユ番長とのトーク形式で自己紹介を進めていくと、マシロことホムンクルスのチアキの緊張も取れてきたらしく、スムーズに会話が進んでいく。秋原チアキの設定は端的に言えばこうだ。
――癒しの錬金術師である優月マリン先輩によって作られた、ホムンクルスのゲーマー。知らないことが多く、感情に乏しいためVtuberを始めて視聴者と交流することによって感情や知識を学んでいこうと考えている。
「お兄さま方、お姉さま方、無知なチアキに色々なことを教えてくださいね?」
「……んぅ、こ、こいつ可愛いなぁ………」
えっっっっっっっっ
お姉さまって呼ばれた! お姉さまって呼ばれた!
微妙に訛ってるのに、言葉遣いがキレイ!
KAWAII
番長が照れてて草
マシロが練習した演技の内の一つである、感情薄目だけどどこか少しあざとい感じの挨拶は見事に視聴者諸兄にブッささったらしい。ついでに私も刺さったが。
「おっ、そういやお前ぇ、生まれたてのホムンクルスってことは、私より年下だよなぁ? それじゃあ焼きそばパン、買って来いよ」
「構いませんよ。……その代わり人間さんのことを教えてください。私は人間の感情と文化を学ぶためなら何でもやっていく所存です」
番長やることちっせぇなぁww
ん?今何でもするって言ったよね
ん?ん?ん?
ん?今何でもするって言ったよね
「……すみません、前から疑問に思っていたのですが『何でもする』というと、『ん?』と問い返されるのでしょうか……? 私、気になります」
「えぇ……いやめんどくせぇなコイツ」
草草草
これは策士
番長嫌がってて草
元ネタが元ネタやからな
「……いやもう裏会話ぶっちゃけるんだが、この子めちゃくちゃ語録大好きだからな? 騙されんなよお前ら」
「あっやめてくださいよっ! ……キャラが崩れるじゃないですかっ!」
そうなのかww
あっかわいい!
仲良しやね、まぁ当然なんだろうけど
てぇてぇ………
草草草
正直私なんかよりマシロの方がずっと語録には詳しい。
しかしマシロの語録好きは何から来ているのだろうか?
……もしかしてBLが大好きとかそういうことなのだろうか。
そんなことを疑問に思いながら、配信を続ける――
短いですが日が変わりそうなので区切って投稿します。
今日もなんですが、1/3までちょっと忙しいので次の更新は1/4予定です。
よいお年を!