魔法少女リリカルなのは Conviction 作:のんべんだらり
少年は走っていた。
足を縺れさせながら、夜道を駆ける。
額からは焦り混じりの汗が、引き攣った頬を滑り落ちていった。
塾帰りに、コンビニへと立ち寄ったのがいけなかった。
こんなことになるなら母の言いつけを守って真っ直ぐ帰っていれば良かった。
そんな後悔も目の前に差し込んだ人影に塗りつぶされる。
恐怖で塗り固められたマネキンのように、少年の顔は歪んだまま目を逸らせない。
棒になった足はかくかくと膝がぶつかり合う笑い声を上げるばかり。叱咤しようにも張り付いてしまった咽は辛うじて空気を出入りしているだけだった。
暗闇の中、白い手が浮き上がる。
「おいおわれ」
口から渇いた悲鳴が、掠れて消えていく。
「おいおわれ 空を求める鳥」
「く、来るなっ!」
「おいおわれ コトリはさえずり 羽を伸ばす」
白い指が、鼻先まで迫っていた、
「鳥かごのとり その瞳 何映る?」
問われた少年は絶叫で答えを返した。
「だぁーーー!!」
唐突に絶叫を上げたユンフはそのまま机に突っ伏した。
振動で山となっていた本が崩れるが、そんなのお構いなしに手足をバタつかせる。
「もうヤダ!クロノの鬼、悪魔!!」
「そのようなことを言われる覚えはない」
駄々をこねるユンフの向かい側から呆れ混じりの溜息が零れる。
もう何度とくり返しているやり取りに怒りはなく、疲労感は確実に溜まっていた。
「魔法式を教えてくれと言ってきたのはキミだろう」
「そんなこと言ったって、毎日毎日七面倒な記号やら文字と睨み合ってたら気がおかしくなるよ!!」
「僕はそんなこと全くない」
「クロノは末期なんだ!」
ユンフがけろっと言った言葉に、噴き出す声がリビングに響いた。リンディとエイミィだ。
『そうねぇ、クロノはもう手遅れよね…』
「うるさい、小姑」
『なにか言ったかしら、シスコンさん?』
ユンフから発せられた女性の声は、新しくデバイスになったユーティだ。
イヤリングの形であるアグーバと違い、一緒にいるようになってからその声以外を知らない。
『坊、しゃんとしろ』
「アグーバまで僕をいじめる」
子ども染みた口調に対するイヤリングからの反応はない。
顔があれば、床に寝転んで不貞寝をしてしまった主人の姿に呆れる表情が張り付いているに違いない。
昼間はクロノの手が空いた時間に、夜は学校の終えたフェイトに魔法の勉強を見てもらっているのだ。
これまで魔法構築の仕組みを全く無視してきたユンフの頭は連日オーバーヒート。
事件後で大きな任務がアースラに回ってこないことが、ユンフの唯一の救いだった。
「2時間18分。最高記録ですね」
「ええ」
遠巻きに見守っていたエイミィとリンディは、湯飲みを傾けて微笑みあう。
最初の内は30分として持たなかったユンフの持久力は着実に向上していた。知識として身についているかは、別として。
「エイミィー…物資供給を申請するー」
「はいはい」
クロノの口調混じりの要請を受理するがため、エイミィは冷蔵庫を開ける。
だが、彼ご用達の紙パックは見当たらない。諦めろと冷蔵庫が唸り声を上げた。
「艦長!冷蔵庫が空っぽです!」
「カフェオレは?!」
「ご愁傷様」
ユンフは握りなおした鉛筆と一緒にやる気を放り投げた。
糖分不足で、何を言われても頭に入る気がしない。襲ってくる眠気に、促されるままに欠伸をした。
「ええい、だらけるな!夕方になればフェイトが帰ってくる。それまで辛抱しろ」
「そういえば、フェイトちゃんが帰りがけに買い物してくるって言ってたっけ」
「そんな話ししたようなしなかったような…」
少しでもお手伝いしたいとフェイトが申し出たのだ。
お前も見習えとクロノやユーティから突かれるも、なのはと朝練習(あの目は本気モードだった)の後で疲労困憊のユンフはカフェオレを飲みながら話半分に聞き流していた。
今思い返すとあれが最後の一杯だったのだろう。
「そうね、ユンフくん、フェイトと一緒に買い物して来てくれないかしら?」
名案とばかりにリンディが手を打つ。
「流石に女の子一人で持つには大変でしょう?」
一家の冷蔵庫に収納する量は、普通の小学生より鍛えているフェイトでも持ちきれるものでない。
それに、娘の恋心を応援中のリンディとしては、ぜひとも二人きりの状況にさせてあげたかった。
「母さん、何を企んで――」
『はぁーい、クロりんは少し黙ってようね』
「ぎゅむっ」
絶妙なタイミングでユーティに遮られ、クロノは苦虫を潰したような顔をする。
ユーティとリンディ、そしてエイミィが絡んでは、敏腕執務官でも手も足も出ない。
「アルフもお散歩中だし、私たちはこれから仕事に行かなくちゃいけないし。近頃、物騒でしょう?」
10歳くらいの少年少女が行方不明になっているとニュースが最近の話題だ。
なのはやはやての前例があるため、魔法の関連性を調査していた。
「手の空いているのはユンフくんだけだもんね」
「…悪かったね、暇人で」
艦長や執務官、執務官補佐の彼らと違って、役職のないユンフは仕事量が少ない。事件が発生すれば一目散に飛んで行かなければならないが、今やることは訓練と定期の見回りくらいだった。
だからこそ、逃げていた勉強やハードな訓練に身を投じていられる。
『拗ねないの。ものは考え方よ?』
「そうそう。早くカフェオレ飲めるし、それに本日の勉強も終了!一石二鳥だよ」
「――行こう!」
会話に参加しないアグーバの沈黙の意図に、ユンフは最後まで気づかなかった。
アグーバとユーティのダブルナビにより、予定よりも早く着いた校門でユンフは生徒の奇異の目と戦っていた。
しっかり者と評されているが、実は結構抜けているフェイトの忘れ物を届けに何度か訪れたときも、同じ視線に晒されたことがある。
周りが年下とわかっていても、通り過ぎる度にジロジロ見られてはどうも居心地が悪い。
目が合っても逸らされたり、赤い顔で俯かれたり、そんなに危険人物に見えるのだろうかとユンフは少し落ち込んだ。
『…僕、どこか変?』
『坊はいつも変だろう』
見当違いの発言をするユンフとアグーバに対して、ユーティは溜息をついた。
他人の反応などお構いなしにデバイスとの会話を声に出す癖は直したものの、まだまだユンフの一般知識は浅い。
エイミィとリンディ仕込みの私服をペタペタ触っているユンフに、ユーティはデバイスでなければ米神を抑えているところだ。
「あ、アリサ!」
「アンタ、相変わらずね…」
見知った顔を見つけ、ユンフは顔を綻ばせる。
腕を組んで校門に立っているアリサの後ろには、苦笑するすずかとなのは。少し前からユンフの様子を観察していたという。
「声かけてくれれば良かったのに。物好きだなぁ…」
「ったく、一番の物好きはフェイトよ。なんだってこんな苦労するヤツ…」
ブツブツと自分の世界に入ってしまったアリサに代わって、すずかが口を開く。
「ところでユンフくんは、どうしたの?」
「リンディさんから仰せつかってね。フェイト、もう帰っちゃった?」
そうしたらカフェオレだけ買って帰ろうと薄情なことを考えていたユンフを前に、三人娘は顔を見合わせた。
こそこそと内緒話をしていたかと思うと、なのはが一歩押し出される。
「ちょっ、アリサちゃん、すずかちゃん!?」
「なのは、任せたわよ」
親指を突き立てられ、がっくりとなのはは肩を落とした。
そんなに言いづらいなら無理に言わなくても…と断りを入れようとしたとき、噂のフェイトが校舎から出てきた。
走ってきたのだろうか、頬が赤い。
「フェイト、どうだった?…なんて聞くまでもないか」
「うん。私、そういうの、まだわからないから。断ってきた…」
そこまで言って、なのはの横にいるユンフと目が合う。
「…ユンフ?え、え?」
気づいていなかったのか、両手を上下に慌てふためくフェイト。
模擬戦中、スターライトブレイカーでユンフを海に吹き飛ばした後のなのはのようだ。
事情を知っているなのはたちは同情の目で――否、約一名は面白がって――見守るつもりのようだ。
まぁ、とりあえず。
「落ち着いて、フェイト。僕はリンディさんに買い物を手伝うように言われて迎えに来たんだ。オーケー?」
同じくらいの高さにあるフェイトの頭がこくこくと頷いた。
「…ユンフくん、学校通わなくてよかったね」
「でも周りの敵意をあれだけ見事にスルーできれば、問題ないんじゃないかな」
「……ほんっと厄介ね」
後ろでそんな会話をしているとは露知らず、ユンフはフェイトとスーパーへ向かう。
彼が注目されていた理由の中に自分達も含まれていることを、アリサたちは知らない。
スーパーまで来たはいいが、買うものを一切聞いていないユンフはフェイトの後ろをひな鳥よろしくついていく。
「えっと、母さんに頼まれたものは一通り揃ったね……」
「フェイトー…本当に買うの?」
籠を持つユンフが顔を歪め、視線を落とした食材。
緑色で苦い、ピーマンを忌々しそうに見た。
広告の品だかなんだか知らないが、天敵であるそれをユンフは何度棚に戻そうとしたことか。
その度にユーティとアグーバがフェイトに通報し、ことごとく失敗していた。
「好き嫌いしちゃだめだよ」
『そうよ。大きくなれないわよ?』
「カフェオレがあれば大きくなるさ!」
自分専用の1?紙パックを二つもキープしているユンフに、デバイスコンビは呆れた。
「あら、知った声がすると思ったら…」
「なんだ、お前らも買い物か?」
カートを押すシャマルと、三つ網お下げのヴィータだ。
二人が並ぶと親子、これがシグナムだと姉妹に見えるのだから不思議なものだとユンフは思う。
「まぁね。今日は二人だけ?」
「シグナムは病院、ザフィーラは留守番してる」
「それで私とヴィータちゃんが買い出し担当なの」
「…シャマル一人だと、ギガ不安だしな」
お目付け役だとヴィータは言うが、その両手に抱えられたお菓子があっては説得力がない。
ユンフの視線に気づいたヴィータは気まずそうに菓子袋をカートに入れ、むぅと眉を吊り上げた。
「そういや、お前。はやての見舞いに一度も来てねぇだろ」
「訓練と事務処理でなかなか休みがなくてさー。文句ならクロノに言ってよ」
最近はユーティのしごきにより、精神的にも肉体的にも疲労していて外出しようという気さえ起きなかったのが本音だ。
フェイトたちは学校帰りに寄っているようだけど、ユンフははやてと事件以降会っていない。
はやての足は回復に向かっているとはいえ、長年使っていなかった筋肉が戻るわけもなく、当分リハビリ生活だという。
彼女の退院後は、ヴォルケンリッターと一緒に正式に管理局へと所属することになっていた。
「ヴィータも、もうじき実感することになるのか。あの鬼上司の横暴を」
「…そんなに厳しいのか」
「そりゃもう」
遠くを見るユンフに、ちょっぴりヴィータはクロノに対する人物像を改めた。
勝手に話が膨らんで描かれるクロノに、フェイトは十字を切った。フェイトでは彼らを止められない。
「ヴィータは知らないんですか?明日のこと」
「ええ。最近ヴィータちゃん、ユンフくんの話ばかりだから。それでちょっとしたサプライズを、ってはやてちゃんが」
妙に懐いちゃってるのよね、と頬に手を当ててシャマルは羨ましそうに呟いた。
身振りで表現するユンフの話しを興味半分のようで、真剣に聞いているヴィータ。
それを見つめているフェイトにシャマルは笑いに含みを持たせる。
「さぁ、ヴィータちゃん。お話はそれくらいにして、そろそろ行きましょう。夕飯の支度が遅くなっちゃう」
「えー?まだいいだろ?」
「シグナムが帰ってたら怒られちゃうわ。それに……デートの邪魔しちゃダメですよ?」