これは私の足搔きなのだ。
神に愛された弟に何か一つでも勝ちたいと願った私の醜い足搔き。
それでも、『受け継ぐ』と言われたら、あの烈火の如き灼熱の嫉妬心がほんの少しだけ和らいだ気がした。
***
山間部の田舎。そこに畑を耕している一人の少年がいた。彼の名前は時透月一郎。黒く長い髪を後ろで一つに纏めている彼の耳には、月一郎が畑を耕す動作に合わせて月模様の耳飾りが揺れていた。月一郎は時透家の長男であり彼には二人の弟がいるが、この耳飾りは代々長男が受け継ぐという風習であったため、長男である月一郎もまたそれに習うように身に着けていた。
父から受け継いだ月模様の耳飾り。
それが畑を耕す月一郎の動作に合わせて、ペチペチと彼の頬を叩いているが月一郎にとっては鬱陶しくはなかった。寧ろ、長男として弟たちを守るよう 咤激励されている様にすら感じられる。父と母はだいぶ前に亡くなってしまったが、今も見守られている気がした。
「兄さん。ご飯ができたから食べよう」
月一郎が顔を上げると小屋から出てきた二人の弟、有一郎と無一郎がいた。声をかけてきた有一郎、うつむいている無一郎。有一郎と無一郎は顔がそっくりな双子だが、ずっと一緒に暮らしてきた長男の月一郎には一目で見分けがつく。
「ありがとう有一郎、無一郎。俺もここら辺で切り上げるよ」
「支度をしたのはほとんど俺だよ兄さん。無一郎は相変わらず何もできないんだ」
無一郎と同列に感謝された有一郎がムスッとした顔をした。
「まあまあ。人には誰しも得意不得意があるからしょうがないよ。無一郎にもきっと得意なことがあるよ」
「うん!!」
俺が励ますと、無一郎は先ほどとは打って変わって元気になった。
「兄さんが甘やかすから、無一郎は何もできないままなんだよ!!」
「有一郎もいつもありがとうな」
月一郎がそう言うと、不平をこぼしていた有一郎は照れくさそうにそっぽを向いてしまった。
貧しいながらも幸せな日々。これが月一郎と弟たちの日常である。
しかし、その日は珍しいことに来客があった。
昼食中の時透家の小屋がどこか上品な音でノックされると、月一郎は食べている弟二人をそのままにして扉を開ける。
「はいはい。どちら様?」
そこには、白い女の人がいた。
その女は鬼殺隊という組織の当主の妻で名をあまねといった。あまねは月一郎たちを始まりの呼吸を扱う剣士の末裔なのだと言う。その鬼殺隊に入り、力を貸してほしいのだとか。
月一郎は今にもあまねへ飛び掛かりそうな有一郎をなだめると、あまねに話し合う時間が欲しいと伝えて小屋の外へと出てもらった。
「何考えてるんだお前は!!米も炊けない奴にそんなことできるわけないだろう!!」
「僕たちは始まりの呼吸の剣士の末裔なんだよ!!困ってる人を助けようよ!!」
外に声が漏れることもお構いなしに、言い争う有一郎と無一郎。長男である月一郎はそんな弟たちの様子を座ってじっと見つめていた。
「「兄さんはどう思う?」」
弟たちの4つの瞳が月一郎に集まる。あまねの話を聞いていた時、月一郎は弟たちの様子を見て思った。
人を助けたい無一郎と人よりも自分たちの幸せを守りたい有一郎。二人の意思はどちらも折れることがないだろうと。父さんと母さんの影響が強い無一郎の気持ちもわかる。しかし、人をーー鬼をーー切るということは、自分が切られても文句が言えないということ。有一郎の気持ちもわかってしまう。
そこで月一郎はまず自分だけで鬼殺隊というものを見てくる旨を伝えた。無一郎がずるいずるいと言ってくるがこれだけは譲れない。
俺だって二人には危険な目に合ってほしくはないんだから。
それでも俺は知っていたはずだ。良かれと思ってやったことでも、それが良い結果に繋がるわけではないのだと。
月一郎は外で待つあまねに家の中で弟たちに言ったことを伝えると、あまねは鬼殺隊の拠点へ案内するのでついてきてほしいという。
月一郎が案内されたのは藤の花の家紋の家。そこで鬼殺隊の隊士は任務へ向かう準備をし、英気を養うのだそうだ。
そして、気づいたら夜になっていた。鬼殺隊について色々と聞いていたら日が沈んでしまったらしい。
「弟様達のことが気になりますか?」
隣に座ったあまねが、月一郎に尋ねてきた。
もう日も暮れているということで、藤の花の家紋の家に泊まることを勧められた月一郎。しかし鬼殺隊、鬼について多少なりとも知ってしまった今、その脳裏にはどうしても無一郎たちの安否が過ってしまう。
「有一郎はとてもしっかりしてる子だから大丈夫ですよ。無一郎もやるときはやる奴です」
口ではそう答えるが、どうにも落ち着かない。月一郎はその不安を払拭するためにもとある日課を行うことにした。その日課とは…
「月読ノ舞」
これは代々、時透家に耳飾りと共に受け継がれてきた演舞。自然と近い距離で生活する時透家にとって、これは自然の恵みの感謝を月に捧げる儀式となっていた。この舞は年の始めにのみ行うというものだが、この月一郎は父親から月読ノ舞を見せられて以降、毎日欠かさずに舞を行っていた。その結果、圧倒的な練度によって今、月一郎は既に月読ノ舞を一日中舞うことができる。
家族以外の人間にこの舞を見せるのは初めてだったが、月一郎に抵抗はなかった。
「壱の型」
月読ノ舞には全部で弐拾四の型がある。それを壱から弐拾四まで延々と月が見えなくなるまで繰り返す。
月一郎は月読ノ舞を舞うことに没頭した。それからどれだけの時間が経ったのだろう。あまり遅くなると明日に支障が出ると思い、この弐拾四の型を最後に月読ノ舞を終えた。
「月の精霊のような舞だね」
舞い終えた月一郎に柔らかくも優しい声がかけられる。あまねの隣にはいつの間にか朗らかな笑みを浮かべる黒髪の男が座っていた。
「私は産屋敷耀哉。鬼殺隊97代目当主を務めているんだ」
月一郎はその人に目を見開いた。
「よろしくね。月一郎」
身体にいくつもの黒い影が見えたからだ。
月一郎には人の身体が透けて見える。生まれつき見えた訳じゃない。これは月読ノ舞を舞いまくった結果、いくら舞っても苦しくなくなったときに見えるようになったものだった。人がどの部位に力を込めるかが、行動を起こす前に分かるのだ。その副次的な効果で人の身体が透けて見える。
そして目の前に座るこの男、産屋敷耀哉はその年齢に見合わないほど身体が傷んでいた。身体を内側から崩壊させるが如くその傷みは、顔に痣となって広がりつつあった。
「これはね、呪いなんだ」
月一郎が息を飲むのが伝わったのか、産屋敷耀哉は優しい声で答えた。
「鬼の始祖である鬼舞辻無惨を一族から出してしまったことへの呪い」
産屋敷耀哉は己が秘めた思いを溢す。
「私はなんとしてでも鬼舞辻無惨を倒したいんだ。月一郎、どうか力を貸してはくれないだろうか」
そんなのは知ったことか、やりたい奴だけでやってくれ。力を貸せと言われてもそんな危険なこと、普通はこんな風に返すだろう。けれど、この人の言葉には思わず頷いてついていきたくなってしまう力があった。
「俺には弟たちがいます」
「そうだね」
「二人は巻き込みたくない」
「君は優しい子だね」
この人の前では何故か自分の内をさらけ出してしまう。
「違う!!」
この人は何も言わず、月一郎の言葉に耳を傾けた。
「下の弟、無一郎は自分が始まりの呼吸の剣士の末裔だと聞いたとき鬼殺隊に入って困っている人を助けたいと言った。俺がやっているのは、身勝手に無一郎の望みを潰していることなんだ」
それに…と続ける月一郎。
「俺はあなたたちに鬼の存在を教えてもらう前、それらしい存在に会ったことがある。あれは母さんが病気になって、父さんが山に薬草を探しに行ったときだった。外は土砂降りで俺たちはやめるように言ったんだけど父さんは頑なに山で薬草探すと言って聞かなかった。何故か父さんは家を出る直前で、俺にこの耳飾りを託したんだ。月読ノ舞と共に受け継いでいってくれって」
約束だから・・・と。月一郎は月模様が入った耳飾りを触りながら言った。
「そのときとてつもなく嫌な予感がして、俺は父さんの後を追ったんだ。護身用に斧を一つ持って行った父さん。俺はその背中を追いかけた。ようやく見つけたその先に父さんはいたけど、他にもう一人いた。そいつは体中に入れ墨をしたような男だった。父さんに青い彼岸花がどうこう聞いた後、父さんに襲い掛かった」
産屋敷耀哉は月一郎の口から出てきた青い彼岸花という言葉に引っ掛かりを覚えた。それは鬼殺隊にとって、とてつもなく重要な存在なのではないかと思ってしまうほどに。だが、今は月一郎の話を静かに聞くべきだと判断する。
「それでも父さんは長いこと月読ノ舞を舞っていたから、戦闘中でも息一つ乱さなかった。それどころか、襲い掛かってきた男の首を斧で何度も刎ねていた。でも、その男は死ななかった。すぐさま首をくっつけて襲い掛かってくる。父さんが明らかに押してたけど、その戦いに見入ってしまった俺は物音を立ててしまった。すると、その男は反射的に俺へ襲い掛かってきた。それで、父さんはその男の拳から俺を守って死んでしまった。そして、母さんも父さんの後を追うようにして死んでしまったんだ」
俯いて顔に影を落とす月一郎が自虐するように呟く。
「俺が良いと思ってやったことでも、周りにとっては迷惑だったって話だよ」
産屋敷耀哉は縁側を立って、落ち込む月一郎の肩に手をのせた。
「君の行動は誰かを不幸にするだけじゃないよ。さっき君の月読ノ舞を見せてもらったけど、とても奇麗だった。あれは君がこれまでに行動してきた結果、得たものだろう。あれが不幸の塊だなんて私は思わないよ」
月一郎の心に産屋敷耀哉の優しい言葉がしみ込んでくる。とても心地良い、だから言わねばならない。
「あなたは俺に鬼殺隊に入ってほしいためにそんなことを言ってくれるのでしょうけど、俺がここにきた理由は弟に、無一郎に鬼殺隊を諦めさせるためなんです。あいつはきっと誰かのためならどこまでも茨な道を突き進んでしまう。そして、その果てに命を落とすでしょう。俺は無一郎を諦めさせる理由を見つけるためにここに来たんです」
産屋敷耀哉はそれでも月一郎を真っ直ぐに見つめた。
「父さんを殺した男。あなたたちから話を聞く限りそいつが鬼なんでしょう。そして、今もこの夜を鬼がのさばって、父さんを殺したように誰かを殺している。誰かがやらなければならないことだというのは分かっています。でも、どうしても弟たちにだけはやってほしくない」
月一郎は産屋敷耀哉の瞳をまっすぐと見つめ返す。
「弟たちを決して鬼殺隊に入れないでいただきたい。その代わりに俺が刃を振るいます」
産屋敷耀哉は優しく微笑んだ。
「それでも君は力を貸してくれるんだね?」
「はい。誰かが鬼をなんとかしなくてはいけないことはわかっています」
「それなら、君がやる必要もないんじゃないかな?」
「俺はあの日、鬼が父さんを殺すところを見てしまいました。もう目を逸らしたくはありません」
産屋敷耀哉はそんな月一郎の答えに頷くと、深い思いを乗せて答えた。
「ありがとう」
次の日、産屋敷耀哉は妻であるあまねを伴って弟たちに会いに行くと言った。月一郎は産屋敷耀哉、あまねの二人を伴って帰路を目指す。
耀哉さんは弟たちを鬼殺隊に入らせないという俺の願いを果たしてくれるそうだ。鬼殺隊の当主である耀哉さん自身が直接、無一郎をなだめてくれる。これで無一郎に危険な道を歩ませずにすむ。無一郎の代わりに俺がやるから。
その日、太陽は厚い雲に覆われていた。空気も重い。まるで、父さんが薬草を探しにいこうとしたあの時のように。
そこには、家の扉が破壊されて血塗れになった弟たちがいた。
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