催眠アプリで純愛して何が悪い!   作:風見ひなた(TS団大首領)

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第45話「体操服のプリンセス」

「……ハカセ。おい、ハカセ?」

 

 

 強めに肩を揺さぶられて、僕はハッと意識を覚醒させた。

 にゃる君が心配そうに僕の顔を覗き込んでいる。

 

 周囲を見るとまだ体育祭は続いていて、僕は自分のクラスの席で体育座りをしていた。

 

 

「あれ、今僕寝てた?」

 

「寝てたっつーか……目を開いたまま意識を手放してたように見えたが。呼びかけても返事しねえし、どうしたのかと思って」

 

「そっか。ちょっとぼーっとしてたみたいだね」

 

 

 催眠で玉入れの計算なんてしたから脳が疲れていたのかもしれない。

 

 

「なんか最近そうやってぼうっとしてることが多い気がするけど、大丈夫なのか?」

 

「え、そう? そんなこともないと思うけど」

 

 

 僕は意識をシャッキリさせようと自分の頬を叩いて、「いてっ」と小さく悲鳴を上げた。右頬がヒリヒリと痛んでいる。あーそうか、そういえばさっきありすにビンタされたんだっけ。

 にゃる君はクックッと笑いながら、僕の隣に座りこむ。

 

 

「さっきのビンタ、綺麗に決まったよなあ。あんな見事なラッキースケベの流れはなかなか見ねえぞ」

 

「いや……あれは本当に事故だったんだって」

 

「だろうなあ。お前に意図的に揉みにいける度胸があればとっくに……」

 

 

 そう言いながら、にゃる君は手でお椀を作ってみせる。

 

 

「で? 触ってみてどうだったんだよ」

 

「……控えめに言って最高でした。とても柔らかかったです」

 

「かーーーーっ! 役得しやがって、このむっつりハカセ! そんな羨ましい感触を味わえたのはお前だけだぞオイ。全校男子に代わって成敗してやらぁ!」

 

「いたたたたたた!! 離して離して!」

 

 

 にゃる君にヘッドロックを決められて、僕は苦痛に呻いた。

 プロレス技をかける真似をされることはよくあるが、今日はなんかちょっと本気度が高いような……。

 

 ひとしきり技をかけて満足したのか、にゃる君が手を離す。

 

 

「……しかしハカセでもおっぱい触って喜ぶもんなんだなあ。意外なような、なんか安心したような……」

 

「僕を何だと思ってるんだ」

 

「何って……まあ、うん」

 

 

 しかし女の子の胸って、触るだけであんなに幸せになるものだったんだな。とても不思議だ。赤ん坊の頃にお母さんの胸に抱かれた記憶を思い出すのだろうか?

 猫とかは大人になっても、リラックスしたら前脚をふみふみして母猫から授乳されるときの仕草をするっていうし。人間もそういうものなのかもしれない。

 

 そういえば、こんなバカ話してたらいつも首を突っ込んでくるささささんが静かだな。

 そう思いながら周囲に視線を巡らせていると。

 

 

「ああ、沙希(さき)とありすサンか? 借り物競争に出場するから一緒に待機しに行ったぞ」

 

「え、もうそんな時間なの」

 

 

 僕がぼーっとしてる間に3競技ほど終わっていたようだ。にゃる君が出場したはずのクラブ対抗リレーも終わってるな……。

 

 

「にゃる君の応援しそびれちゃったね、ごめん」

 

「ん? いや、お前沙希やありすサンと一緒に応援してたぞ?」

 

「え?」

 

「めっちゃ大声でエール送ってくれてたじゃねえか。忘れたのか?」

 

「…………」

 

 

 おかしいな、記憶に残ってないんだけど……。

 もしかしてありすにビンタされて記憶が飛んだんだろうか。

 

 

(深く考えなくてもいいんじゃないか?)

 

 

 ……うん、深く考えなくてもいいな。

 しかしそうか、もう借り物競争なのか。こっちは頑張って応援しなきゃな。

 

 

「ところで借り物競争ってどんなルールなの?」

 

「……お前、本当に体育祭に興味なかったんだな……」

 

 

 にゃる君はちょっと呆れた顔をしながらも、ルールを教えてくれる。

 

 

「コースの半ばまで走って、お題の紙を選ぶんだよ。で、お題に書かれてるものを場内から探してきて、それを持ってゴールインする速さを競うんだ」

 

「へー、なんかスポーツっていうよりバラエティ番組みたいだね」

 

「まあそんな枠だよな。だからクラスの人気者とかが選ばれる傾向が強いんだよ。それで足が速ければぴったりの人選だよな」

 

 

 なるほど、それならありすとささささんが選ばれるわけだ。2人とも人気者だし、走るの速いもんな。

 

 

「でも、お題に書かれてるものが場内になかったらどうするの?」

 

「それは大丈夫だ、あそこに体育祭委員が立ってるだろ? お題の内容が人間なら別だが、品物の場合は委員が隠し持ってるから、それをもらえばいいんだよ」

 

「そっか、本当に探して借りてくるわけじゃないんだね」

 

「じゃないと詰みになっちまうだろ。まあ借り物の内容も結構ふざけたものが多いし、本当に体育祭のバラエティ担当みたいな感じの競技だよ。……おっ、そろそろ始まるみたいだぞ」

 

 

 にゃる君の言葉にコースを見ると、ささささんが第一走者としてスタート位置に立つところだった。ありすは第二走者なんだろうな。

 

 パァンとスタートを示す号砲が鳴らされると、ささささんが弾丸のように飛び出していく。おっ、速い! バラエティ枠なのに割とガチな速さを見せている。

 

 

「頑張れー!」

 

「オラッ、沙希(さき)ぃ! ビリになったら罰ゲームしてもらうからなぁ!」

 

 

 ささささんはお題の紙を選んでその内容を読み取り……ちょっと困ったような顔をしてる?

 そしてこちらを見ると、ダッシュで走り寄ってきた。

 

 

「にゃる、ちょっと来て!」

 

「おっ、俺をご指名か。お題はなんだ? 『好きな人』とかじゃねーよなぁ」

 

「バーカ、うぬぼれんな!」

 

 

 ニヤニヤしながらからかうにゃる君に、ささささんはずいっとお題が書かれた紙を見せた。

 

 

『マッチョな男子』

 

 

「おっ、こいつはまさしく俺のためのお題だな! ようやく沙希も俺の肉体美を認める気になったか? んん?」

 

「は? 細マッチョですって言い張ってハカセくん連れてってもいいんだけど?」

 

「うるせえ! 黙って俺についてきてくださいって言え! オラ行くぞっ!!」

 

 

 そう言って、にゃる君はささささんの手を握り走り出す。

 

 

「ちょ、ばか! 強く握りすぎだって、痛いじゃん!」

 

「わはははははははは!」

 

「歩調を合わせろ、おい! もー! ボクの話を聞けーーーーーーー!!」

 

 

 ちょっと顔を赤くしたささささんが、にゃる君に引きずられていく。

 なんかハッスルした大型犬に引きずられていく小学生の飼い主みたいだな。

 

 なるほど、ああいう感じの競技なのか。

 おー、走る走る。しかしあんま速くはないな。にゃる君って柔道家だから瞬発力は高いけど、その分長距離を速く走るのは苦手なのかもしれない。

 

 結局2人は2位でゴールインした。

 

 

 さあ、次はありすの番だ。

 僕は両手でメガホンを作り、スタート位置に着いたありすに声援を送る。

 

 

「頑張れー! ありすーー!!」

 

 

 応援の声に気付いたありすが、こちらに向かって軽く手を振り返してくれた。

 

 パァン! と号砲が響き、ありすが走り出す。うーん、フォームも綺麗だな。

 そしてお題の紙を取り、その中身を確認して……。

 

 ん? なんだ? すごく困った顔をしてるような。

 何があったんだ。

 

 ありすは僕のところまで小走りでやってくる。

 泣きそうな顔じゃないか……。

 

 

「ハカセ、どうしよう。これ……」

 

 

 ありすが差し出した紙には『ナイフとフォーク』と書かれている。

 ……くそっ。よりにもよってなんて相性が悪いものを……。

 フォークはありすが持ってる先が丸いプラスチックのがあるとしても、ナイフを持ち歩いている奴は普通いないだろう。

 

 ありすは迷子になったようなオロオロとした顔で僕を見上げている。

 もう見ていられない。

 

 

「……僕がなんとかする。こっちに来て」

 

 

 僕はありすから紙を奪い、ありすの手首を掴んで体育祭委員の元へ向かう。

 ありすは無言のまま、引きずられるようについてきた。

 

 

「ん、借り物かな? 何が欲しいか言ってくれる?」

 

「ナイフとフォークをください。こいつは競技を完走できなくなったので僕が代走します」

 

 

 そう言いながら、ありすから奪った紙を見せる。

 しかし、体育祭委員は眉をひそめて首を横に振った。

 

 

「ダメだよ、その子を走者に選んだのはキミのクラスだろ? 最後まで責任を取って走ってくれなきゃ。別に怪我をしてるようにも見えないし、走れるだろ?」

 

「ナイフとフォークを持てない体なんです」

 

「はぁ? なんかの冗談かな。じゃあどうやってステーキを食べるんだい?」

 

 

 体育祭委員が笑いだしそうな顔になった。

 僕はその顔に内心イラッとしながら告げる。

 

 

「ありすは尖端(せんたん)恐怖症です。(とが)ったモノは持てません、特に刃物は。だから僕が代わりに走ると言ってるんです」

 

 

 ありすは僕の隣で顔を伏せている。くそっ、そんな顔しなくていいんだ。

 好きでそんな体質になったわけじゃないだろ。

 

 しかし体育祭委員は、バカにしたような顔で言った。

 

 

「尖端……? よくわからないけど、刃物が怖いってこと? そんなの好き嫌いだろ、我慢しなよ。ともかく代走なんて認めないから」

 

 

 こいつ……!

 僕はカッと頭に血が昇るのを感じた。

 

 思わず掴みかかりそうになった僕の手に、そっと柔らかい手が添えられる。

 ありすが僕の手を弱々しく握り、制止していた。

 

 

「いいのよ、ハカセ。私、やっぱり自分で走るから」

 

「でも……」

 

「大丈夫、ちゃんとできるから。もう高校生なんだし、わがまま言ってないでいい加減乗り越えなきゃ……」

 

 

 そう言いながら、ありすは体育祭委員が持ち出した金属製のナイフとフォークに目を向けている。

 

 青い顔で、恐怖に引きつった目をして、そんな言葉を言わせたくなかった。

 汗に濡れ、小刻みに震える手の冷たさを感じたくはなかった。

 ……恐怖から逃げることを、わがままとは言わないだろう。

 

 むしろこれまでやりたいことをずっと我慢してきたんじゃないのか。

 小学生のときはコンパスもハサミもカッターも裁縫針も使えなかった。

 中学生になってもシャープペンを使えず、先の丸い鉛筆を使うしかなかった。

 食事だって制約だらけだ。バーベキューの鉄串を自分で外せない。ハンバーグを自分で切れない。使えるカトラリーは箸か先の丸いプラスチックのフォークとスプーンだけ。

 そして何より、包丁を握れない。料理研究家の娘なのに、自分でも料理をやりたいとずっと思ってきたのに、その第一歩を致命的に挫かれている。

 そんな理不尽な我慢を強いられてきたのに、まだありすに耐えろっていうのか。

 

 ……だが、この体育祭委員は恐怖症がどんなものか知らないのだろう。きっとただの好き嫌いくらいにしか考えていない。どれだけ身を竦ませ、自由を縛る生理的な恐怖なのかがわからないのだ。ここで彼の理解を求めても仕方ない。

 

 

「わかりました……」

 

 

 僕はため息を吐くと、ありすの後ろに下がった。

 ありすは震えながら、体育祭委員が差し出すナイフとフォークに手を伸ばす。

 

 

 ……でも、だからといってその不理解がありすを傷付けることは許せない。

 僕はありすを傷付けるものに、何の容赦もするつもりはない。

 

 

「えっ……?」

 

 

 ありすの後ろにしゃがみこみ、彼女の脚を掬うように左腕を動かすと、その柔らかい体がぽすんと僕の両腕に収まった。

 そのままありすを横抱きにして立ち上がると、僕は体育祭員に左手を差し出す。こっちの手ならありすには見えないはずだ。

 

 

「さあ、ナイフとフォークを寄越せ! ありすがゴールすれば問題ないんだろ?」

 

「ハカセ……!?」

 

 

 目を白黒させているありすにウインクを送って黙らせ、体育祭委員に向き合う。彼はまだ渋っているようだ。

 

 

「いや……だが、それは……」

 

「さっき『マッチョな男子』で選ばれた僕の友達が、本人を引きずってゴールしてたぞ。それが許されるんなら、こうやって持ち上げたっていいはずだろう」

 

「……わかったよ」

 

 

 体育祭委員は諦めたようにうなだれ、ナイフとフォークを差し出してきた。

 それを受け取り、ありすに見えないように彼女の体の下にしまう。

 

 

「さあ、行くぞありす。しっかり掴まってろ!」

 

「……うん!」

 

 

 ありすが僕の首に両手を回し、ぎゅっと包み込むようにくっつく。

 その柔らかさと温もりを感じながら、僕はゴールに向かって疾走した!

 

 

『おーーっと、これはなんだ!? 1年の天幡(あまはた)さんが男子にお姫様抱っこされて運ばれているっ!?』

 

 

 実況席が驚愕の声をあげ、全校生徒と客席の視線が集まるのを感じる。

 知ったことか。

 僕はありすがいればいい。ありすさえいれば、僕は無敵だ!

 火事場モードを強制発動、耐え抜けっ!!

 

 

『なんということでしょう! まるで降って沸いたブライダル! 体操服のお姫様が、王子様に抱えられてゴールへ電撃入籍だーーーーっ!!』

 

 

 火事場モードに入って集中した僕の耳に、アナウンスが何か叫んでいるのが聴こえる。しかしその意図は伝わってこない。きっと今の僕には誰の声も届かないだろう。

 世界にただひとりを除いては。

 

 

「ハカセ、頑張って!!」

 

 

 ありすの応援する囁きが耳元に響く。

 その途端、体にさらなる力が湧き上がってきた!

 まさか『声の力』の効果か?

 

 ……いや、関係ない!

 ああ頑張るさ。

 たとえその声に特別な音波なんて何ら秘められていなかったとしても、ありすに応援されて頑張らなきゃ嘘だ。僕の手を引いて歩いてくれたその声は、僕にとって何よりの元気の源なんだから!

 

 

「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」

 

 

 僕は柄にもなく咆哮を上げて、死に物狂いでゴールへと走った。

 守るぞ。僕はありすを傷付ける、この世のいかなるものからも守り抜く。

 ありすが刃物を握れなくなったあの日から、僕はその約束を忘れたことはない。

 

 

『天幡選手、今万感のゴールイン!! 着順こそビリですが、女の子としては校内最速のゴールを決めましたーーーーっ!! 会場の皆様、万雷(ばんらい)の拍手でご祝福ください!!』

 

 

 ゴールに着いたぞ!

 うう、つい火事場モードをプチ発動してしまった。反動が一気に襲ってくる。

 

 ……何か興奮しているのか、アナウンスがめっちゃうるさい。なんかすごい拍手の音が響いてるし、何が起こってるんだ。

 

 酸欠でぜぇぜぇ肩で息をしていると、ありすがぎゅっと僕の顔を抱きしめてくれた。その青い瞳には涙が浮かんでいるが、恐怖からのものではないようだ。

 

 

「ありがとう、ハカセ。あなたはいつも私を守ってくれて……」

 

「当たり前だろ。そう最初に約束したんだ」

 

 

 僕はありすを地面に降ろすと、その場に崩れ落ちた。

 あ、火事場モードの反動で意識が……。だめだ、これ強制睡眠に入るやつだ。

 

 急速に暗くなっていく視界の端で、にゃる君とささささんが駆け寄ってくるのが見える。

 あーよかった。後は2人に任せよう。がくり。

 

 

「ハカセーーーーーっ!?」

 

「いくらなんでも、本気出しすぎだろ僕……」




体育祭委員はその後めっちゃ叱られて、
涙目でコンプライアンスを理解させられました。
許してあげてください。
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