「熱が下がらないな……」
先日の無茶をやった結果、見事に風邪を引いた。
11月のトレーニングを追体験した直後に、8月の暑い夜の死闘を追体験し、さらに自分と論破バトルをした挙句に、空きっ腹でリアルでトレーニングしたら体が思いっきり衰弱した。そりゃそーだ。
というか8月のクソ暑い夜と11月の寒い夜を連続で経験したのが決定的に体に良くなかった。多分あれのせいで体の温度調節機能がバグったと思われる。
そんなわけで今日は朝から学校を休み、ずっとベッドで横になっている。
頭もぼうっとするし、こんな日にパソコンをいじっていてもロクな仕事はできないだろうから完全休養日だ。
「というか、宿題どうしよう……」
僕はたまっているタスクを思い出して溜息を吐いた。
学校の宿題ではなく、EGOさんから頼まれた『バベル
あれがうまくいかないせいで、催眠アプリの改良も
ありすの
残る問題は2つ。
1つは催眠音波がありす本人に効くかどうかだ。恐らくありすには催眠音波に強い耐性があるのはまず確実だろう。でなければ自分の音声で常に催眠にかかってしまう。
だが、これは音波を調整すればなんとかなるかもしれないと思っている。根拠としては、まず催眠音波を増幅したことで僕にも効いたという事実がある。
また、ありす自身も自分の声帯から出た声をそのまま聞いているわけではない。自分の声は実際には頭蓋骨の振動によって聞こえているので、波長がずれるのだ。録音した自分の声が普段と違って聴こえるのはそのためである。
さらにスマホから再生された音もまた、本来の音とはズレている。スマホの低性能なスピーカーから出るありすの声は、本人の持つ音ではないのだ。
となれば、次の改良点はできるだけ本人の出す声と同じ音に聞こえるように調整を加えたうえで、催眠音波を増幅すること。これがなされたとき、恐らく催眠アプリは最終的な完成を迎えることになるだろう。
……そして残る、もうひとつの問題。
「催眠アプリを作ったとして……ありすを土下座させるのか?」
わからない。自分の気持ちがわからない。
僕はずっとありすに無理やり土下座させることをモチベーションにして開発を進めてきた。何故なら、僕にとってそれが執着の示し方だったからだ。
僕はほとんどの物事に興味がない。僕の世界は霧で閉ざされていて、ほぼ何も見えない。しかしたまに自然が生み出した天然の芸術や一定のリズム、パターン化されたゲームといった、興味を惹かれるものに出会うことがある。
僕は子供の頃、そうしたものに強く執着した。それが外の世界に繋がる
そんなある日、僕はヒトの形をしたとても美しいものに出会った。そのとき、それはどういうわけかとても悲しんでいた。だから僕はそれを守ると約束したのだ。
美しいものは喜んで……僕の手を引いて、外の世界に向かって歩きだした。そして外の世界にあるものをひとつひとつ教えて、僕を人間にしてくれた。
だけど僕は、その子にどう接すればいいのかわからなかった。
美しいものは成長して、どんどん女の子になって、変わっていって。昨日までは笑ってくれた対応が、今日は怒られたりして。僕は女の子に……ありすに見捨てられないように、その後ろをついて歩いていくのが精いっぱいで。
霧に包まれた僕の世界で、変わっていく女の子を見失わないように、何か強い執着をしなくてはいけなかった。
だから僕はあの日ありすに抱いた怒りを執着に変えて、『催眠アプリで無理やり土下座させる』なんて、そうそう達成できないだろう無理難題を目標に設定したのだ。その目標を追いかけているうちは、ありすを見失わなくて済むから。
「だけど……」
熱に浮かされた頭の中で、ぼんやりと考える。
もう僕の中の、ありすを無理やり土下座させたいという妄執は火を失った。
ありすを自分の好きなようにしたいという、自分の醜い欲望に気が付いたせいもある。
――そもそも僕は本当に、そこまでありすに土下座をさせたかったのか? 4年も前のちょっとした行き違いのケンカを、いつまでも引きずる必要なんてあったのか?
心のどこかから、僕が本当にしたいことはそんなものではないはずだと囁く声が聴こえる。ありすに執着を抱き続けるため以外にも、まだ何か大事なことを忘れている気がする。
だけどどうしたらいいのかわからない。ありすにどう接したらいいのかもわからない。僕には人間として不可欠な、一番大事な感性が欠落している。
何もかもわからなくなってしまった中で、僕は惰性的に催眠アプリを完成に近付け、ありすを守るという最初の約束を愚直に遂行し続けている。それが僕のやるべきことだということだけは、何故かわかっていた。
「ありす……」
今頃は学校で授業を受けている頃だろう。
ありすに会いたい。近くにいたい。
だけど……近くにいてどうしたいのか、それがわからない。
そうこうするうちに風邪薬が効いてきて、僕はうとうととし始める。
そんな中で見たのは、遠い昔の夢だった。
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ピンポーン。
それは小学4年生くらいの頃。
僕はおっかなびっくり、ありすの家の玄関のチャイムを鳴らした。
その日はありすが風邪を引いて学校を休んでいて、僕は担任に言われてプリントを届けに行ったのだ。いつも一緒にいるんだから、という理由で。
でも僕はありすの家に行ったことはあまりなかった。ありすはほとんど毎日うちに来てご飯を食べて、ときにはお風呂に入って泊まっていったけど、逆にありすの家に遊びに行くということはほとんどなかったのだ。
ありすの両親はその頃忙しく働いていて日中はほぼ留守だったし、ありすがあまり僕を家に呼びたがらなかったから。
「はい、どちらさまー? ……あら」
ガチャっと玄関のドアが開いて、エプロン姿の20代前半くらいの若い女の人が出てきた。
ヨリーさんだ。相変わらず昔から見た目が若い。
「ヒロシくんじゃん。何のご用かなー?」
「あの……プリント。ありすに、届けに来ました」
子供の頃の僕は、とぎれとぎれにそう言った。言葉がぎこちない。
緊張していたし、小学校中学年くらいの頃はありすやくらげちゃん、両親くらいしか話す相手がいなかったので、そもそもしゃべることに慣れてなかったのだ。
「おー、それはわざわざご苦労様。折角だしお見舞いしてく?」
「あ……いえ。すぐに帰ります」
「まあまあ、そう言わずにおあがんなさい」
他人と話すことに慣れていない僕はすぐ帰ろうと思っていたのだが、ヨリーさんはニコニコと笑いながら有無を言わさぬ強引さで僕を招き入れた。
ここらへんは今とまったく変わらない。
「今日はねー、アタシも折角家にいることだし、プディング作ってたのよ。あ、プディングってわかる? 子供にとっての大正義ことプリンもそうなんだけど、要は外国の蒸し料理のことね。ありすって小学校に入る前はイギリスで育ってたからさ、なんかそういう外国の料理が好きなのよね」
「はあ」
ヨリーさんは言葉少なな僕に構わず、ペラペラとしゃべりながら廊下を歩いていく。ここらへんも変わらない。この当時はどこかの大きなレストランで働いていたそうなのだが、おしゃべりなのが上司に嫌われていて、「料理人には味をみる以外の舌はいらん、お前はしゃべりすぎだ」と言われていたそうだ。
それが今や料理研究家になって、ユーモアのあるチョイスと確かな実力、そして何よりマシンガントークで料理系動画配信者として大人気を博しているのだから、何が幸いするかわからない。
「あの子も旦那のお母さんに預けっぱなしだったから両親の愛情に飢えてるのかな。いつもは気丈にしてるんだけど、風邪引いて熱出すと甘えん坊になってね。ママ行っちゃやだとか、プディング食べたいとか、アタシのエプロンの端を指でちょんとつまんで甘えてくるのよね。もーそれが可愛いったら」
「はい」
「アタシもいつも家にいてあげられればねぇ……。っていうかコック長がマジでムカつくのよホント。大きな店のシェフになるのは夢だったけどさー、子供を寂しがらせてまで追う夢? ってのも最近あってねー。というかあのハゲむかつくし、本当に仕事辞めてやろうかしら。もー独立しちゃおっかなー」
そんなことを僕にぺらぺらと語りながらキッチンにやってきたヨリーさんは、鍋からおかゆ? らしきものを掬いあげてお皿の上に盛り付けた。
なんだかホットミルクの香りがする。お腹が空く匂いだ。
「あ、これね。ライスプディング。インドでキールって呼ばれてるやつをアレンジしたんだけど、要は牛乳とお米で作ったお粥ね。砂糖やシナモンで甘く味付けしてデザートとしても食べられてるんだけど、消化がいいし栄養もあるから風邪ひきさんにはいいのよ」
「おいしそう」
「うん、おいしいわよー。多めに作ったから、後でヒロシくんも食べてね」
そう言いながらヨリーさんはプディングをお盆に乗せて、ずいっと僕に差し出してきた。え? どういうこと?
僕が混乱していると、離れた部屋からか細い声がした。
「ママー? コホコホ……誰か来てるの?」
「うん、ありすがお熱のヒロシくんがお見舞いに来てるわよ」
ガタンッと何かが床に落ちる音がした。
「ちょっ……!? お、追い返して!!」
「何言ってるの、折角心配して来てくれたんだしお見舞いしてもらいなさい」
「わ、私の部屋に、こほっ、絶対入れちゃだめだからね!!」
なんかドタバタと慌ただしい物音がしている。風邪なのにそんなに暴れて大丈夫なのだろうか?
「あらら。お熱の男の子が来て、余計に熱が出ちゃったかなー?」
そしてヨリーさんはニンマリと笑いながら、僕にプディングの乗ったお盆を受け取るよう促す。
「じゃ、これ食べさせてきてね」
「え、僕が届けるんですかこれ?」
「うん。その方があの子も喜ぶだろうし、お願いねー。あ、あの子の部屋はここから戻って左の廊下に入って1つ目の部屋ね。まあうるさいからわかるだろうけど」
そう言ってヨリーさんはふんふんと鼻歌を歌いながら、何やら別の料理を始めてしまった。
ホカホカと湯気が立つ皿を見下ろした僕は、仕方なくそれをありすの部屋に運ぶ。
「ありす、入るよ?」
「は、入るなー! 『あっちいけっ!』」
ありすの命令を軽く無視して、僕はドアを押し開ける。
そこで僕の目に入って来たのは、『中学数学』『中学歴史』といった教科書や参考書を慌てて机の下に隠そうとしていた、パジャマ姿のありすだった。
壁には元素の周期表や、山脈や河川の名前が細かく記された日本地図のポスターなどが貼り付けられている。
大きな部屋の一角には小学生の女の子らしくぬいぐるみや少女マンガが置かれたコーナーもあるのだが、机の周りは勉強道具がガリガリに置かれていた。
「ああああああああ……」
ありすは見られてはならないものを見られてしまった、といわんばかりの顔をしている。
僕は正直、すごいなあと思った。
ありすは賢い子だと思っていたが、もう小学生どころか中学生の範囲まで勉強していたのか。僕なんて国語ですごく苦労していつも怒られているのに、ありすは僕より二歩も三歩も、いや十歩以上も先を進んでいたのだ。なんて努力家なんだろう。僕には到底真似できそうにない。
そんなすごいありすだけど、努力している姿を見られるのはやっぱり嫌なんだろうか? 学校でも女王様みたいに子分をいっぱい引き連れているもんな。努力せずにいい成績を出している方が、みんなにすごいと思われるものなんだろう。
それなら僕は気付かないふりをしてあげた方がいいのかな。
そう思った僕は、あえて目の前の光景をスルーした。小学4年生ながらになかなかのデキる大人の配慮だったのではなかろうか。
「ありす、風邪引いてるのに、暴れたら悪くなっちゃうよ。ベッドで寝よう?」
「うー……」
そう言われたありすは、荒れた机を放置して無言でベッドに戻る。
ちょうどベッド横にサイドテーブルと椅子が置かれていたので、僕はそこに腰かけてプディングを置いた。
「ほら、ヨリーさんがプディング作ってくれた。食べて」
「…………」
ありすは掛け布団から眼だけを出して、じーっと僕を睨んでいる。
プディング冷めちゃうよ。冷めてもおいしいんだろうけど、できれば熱いうちに食べた方が体にいいんじゃないかなあ。
「……見た?」
「何を」
「中学の教科書」
僕がせっかくスルーしてあげたのに、蒸し返す方向に行くのか。
仕方ないなあ。
「大丈夫だよ。クラスの子たちには、内緒にしておくから」
そう言うと、ありすはふて寝するようにゴロンと僕に背中を向けた。
「……アンタに見られたくなかったのよ」
小声でぼそりと呟く。
? なんで僕なんかにカッコつける必要があるんだか。
相変わらずありすの言うことがたまにわからない。ちょっと前は何でもうんうん頷いて笑顔をくれたのに、最近はすぐ怒らせてしまう。
……いつか完全に、彼女が言うことは何もわからなくなってしまうんだろうか。僕はバカで頭が悪いから、それは仕方ないことなのかもしれないけど。……でも、すごく寂しいな……。
……夢の中で、僕の今と昔の感情が混濁している。
いや、とにかく今はありすに機嫌を直してもらって、お粥を食べてもらわなきゃ。でもどうしたら機嫌を直してくれるんだろう。
そのとき、僕の頭の中にヨリーさんの言葉が再生された。
『あの子も旦那のお母さんに預けっぱなしだったから両親の愛情に飢えてるのかな。いつもは気丈にしてるんだけど、風邪引いて熱出すと甘えん坊になってね』
そうだ、いいことを考えたぞ。
僕は後ろを向いたありすの頭に手を伸ばし、ゆっくりと撫でてあげた。
ありすはびくっとした後、すぐさま振り向いて来る。
「はっ!? アンタ、何を……」
「お父さんごっこ」
「……何よそれ」
「ありすのお母さんは、今日おうちにいるけど、お父さんはいないでしょ? だから、僕がお父さんの役をしてあげる」
「バカにしないで……!」
ありすはがうがうと吠えついてきそうだったが、僕はできるだけ優しい声と手つきで頭を撫でてあげる。
「ありすはえらいなあ。人が見てないところで、すごく努力してるんだね」
「……!」
「みんなが見てなくても、お父さんが見てるよ。ありすが頑張り屋さんなところ、僕は知ってるよ」
「……」
あ、なんか手ごたえがあった。目に見えてありすが大人しくなっている。
よし、この路線でいくぞ。
「ありすはとてもすごいなあ。賢いなあ。それも、ただ賢いだけじゃなくて、努力してるから、もっとすごいよ」
「……にゅ」
ありすはなんかトロンとした目になっている。熱が出ているのかな、顔がますます赤くなってきた気もするぞ。もう眠いのかもしれない。
プディングは置いておいて、寝かしつけた方がいいのかな……。
僕がそう思っていると、ありすはぽんと顔の横を叩いた。
なんだ?
「……ひざまくら」
「?」
「膝枕して。パパはいつも膝枕して頭撫でてくれるの」
「わかった」
僕はありすのベッドに上がると、膝を差し出した。
ありすは僕の膝にちょこんと頭を乗せる。うわー、熱い。すごい熱だぞ。耳もどんどん赤くなってるし。これ熱大丈夫かな……。
とにかく寝かしつけなくちゃ。
「ありすはえらいぞー。すごいぞー。パパの自慢の娘だぞー」
「にゅうん……」
「頑張り屋さんで、本当にすごいぞー」
「ふにゃあ……」
「優しいし可愛いし、とっても綺麗だぞー」
撫でるほどにありすは子猫みたいな声を上げている。熱でうなされているのかな。そう思っていると、ありすはじっとサイドテーブルの上のプディングを見つめ始めた。
「……お腹空いたの?」
「うん。食べさせて」
熱も出てるし、自分でスプーンを持てないくらいぐったりしてるのかもしれない。僕に体重を預け切ってるし、心配だな。
僕は言われるがままにお皿を持ち上げた。
「まだ熱いからふーふーして」
「でもちょっと温度下がってきてるよ」
「やだ。猫舌だもん、食べられないー」
猫舌だっけ? 僕の家に来たとき、結構熱いものそのまま食べてたような。
でも風邪ひいて味覚も狂ってるもんな。
「わかった。ふー、ふー。あーん」
「あーん」
スプーンを口に運び、ありすがぱくりと頬張るのを見つめる。
よしよし、ちゃんと食べているな。
「つぎー」
「はいはい、ふー、ふー。あーん」
「あーん」
……そんなことをしているとき、ガチャっとドアが開いた。
「どう? ちゃんと食べ……」
ヨリーさんが目を丸くして、僕に膝枕されながらご飯を食べさせてもらっているありすを見ている。
と思ったら、彼女はすぐにニマーとチェシャ猫みたいな笑顔になった。
「あらあら……随分大人な遊びをしてるじゃない? 小学生にはちょっと早いんじゃないかなー」
「なっ、違……!」
ありすがバッと素早く体を起こし、ぱくぱく口を開いた。すっごく汗流してるけど、風邪が悪化してしまったのか? よし、僕が代わりに弁護してあげよう。
「そうです、誤解ですよ。これは、お父さんごっこです」
「お父さんごっこ」
「はい。ありすは、お父さんに褒められるときは、膝枕されながら、頭を撫でてもらっているんですよね」
「へー、そう……」
ヨリーさんがじっと見つめる先で、ありすが無言で目を逸らした。
「そ う だ っ た か し ら ?」
「そ、そうよ?」
……そんなことが、遠い日にあった。
思えばあれ以来、ありすがときどき僕にやたら甘えてくるようになった気がする。味を占めたんだろうか。
でも、ありすのお父さんは忙しくてなかなか帰ってこないらしいし、父親の愛に飢えてるだろうから仕方ないんだろうな。
……愛か……。
僕にそんなものが理解出来たら、もっとありすの寂しさを癒してあげられたのにな……。
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「……あ、起きた?」
優しい声に迎えられて、僕は眠りから覚めた。
ありすがにこっと笑いながら、タオルを手にしている。
「……ありす?」
「風邪引いたっていうからお見舞いにね」
頭の上に置かれた冷えたタオルを交換される。あ、指冷たくて気持ちいい。
そんな僕を見て、ありすは腰に手を当てた。お説教モードだ。
「まったく! みづきちゃんに聞いたけどご飯も食べずに運動してたんだって? ダメよ、そんなダイエットしちゃ! だから風邪なんて引くの!」
「いや、別にダイエットでは……」
「言い訳しない! アンタって、ホント世話が焼けるんだから。ちゃんと滋養があるもの食べて温かくしなさい!」
そう言いながら、ありすは傍に置かれていた魔法瓶を持ち上げる。
おたまで中身を皿の上によそうと、とても懐かしく甘い香りがした。
「……ライスプディング」
「そうよ。家から持って来たの、ママが風邪引いたときはこれがいいっていうから」
「そっか。ありがと」
僕は体を起こし、皿とスプーンを受け取ろうとする。
しかしありすはそれを制して、皿の中身をスプーンで掬い上げた。
「ほら、食べさせてあげる」
「……もう子供じゃないよ」
「風邪ひきさんが生意気言うんじゃないの。ふーふーしてあげるから、食べなさい?」
あ、これ逆らってもダメなパターンだ。
僕は早々と抵抗を諦め、ありすが息を吹きかけて熱を冷ましてくれたお粥を口に含む。
うん、おいしい。さすがヨリーさんが作った……いや。
何かが違う。さっきの夢の出来事の後でご馳走になったときの味とは少し……。
僕はありすの目を見ながら訊いてみた。
「ねえ、これもしかしてありすが作ってくれた?」
「……うん、まあ、ね? 包丁も使わないレシピだし……」
ありすは両手の指をせわしなく組み替え、もじもじしている。
やがてあっと何かに気付いたように口を開いた。
「……そう言うってことは、もしかしておいしくなかった? ママのレシピを再現しようとはしたんだけど……初めて作る料理だし、失敗したのかも」
「いや」
僕は首を横に振った。
そんなことあるわけがないだろう。
もし仮にどれだけ失敗していようが、それは僕にとって。
「世界一優しい味がしたよ」