週末の昼下がり、今日はオグリのレースも無いし、だらだらと自宅で過ごしていた。亡くなった祖父母から引き継いだ古めかしい和風建築の我が家も、普段は広すぎて手持ち無沙汰だけど、オフの日にのんびりと過ごす分には悪くない。住宅街の外れで立地が少し悪いのが玉に瑕だが、職場であるトレセン学園の最寄り駅まで電車で通えなくはない立地なので、私はトレーナー寮や付近のアパートではなくここで一人暮らしをしている。トレセン学園広しといえど、私みたいなトレーナーは少数派だろう。
そんなことを考えながら居間でごろごろしていると、『ピンポーン』とインターホンの音が聞こえて、億劫だけど玄関に向かう。
「ん、やぁオグリ」
鍵を開けて玄関の引き戸を引くと、私の担当ウマ娘であるオグリキャップがそこには居た。オフの日だから服装は私服で、手提げの紙袋を片手に持っている。
そうだ、うっかり忘れていたけど今日は彼女が私の家に遊びに来る日だった。
「トレーナー、つまらないものだが受け取ってくれ」
「あ、悪いね。気を使わなくてよかったのに」
「丁度カサマツから仕送りで送られてきて、おすそわけみたいなものなんだ。だから気にしないでくれ」
「そっか。まぁ、立ち話もあれだし、早速あがってよ」
「おじゃまする」
彼女は家に上がると、玄関と入ってすぐの和室を通り越して、すぐに縁側へと向かった。彼女は縁側の端に平積にされている座布団の中からいつも使っているふかふかで大きな座布団を引っ張り出して敷いて、午後の温かい日差しがうんと差し込む縁側に座り込む。
「相変わらず縁側が好きなんだね、オグリは」
「ああ、この縁側が最高なんだ!まさか中央の方でもトメさん家の縁側みたいな素敵な縁側を味わえるとは思っていなかった」
「そっか」
「ああ、そうなんだ!しかも、まさかこんなに素敵な縁側が自分の担当トレーナーの自宅にあるなんて、まさしく灯台下暗しだ」
彼女は鼻息荒く少し掛かり気味にそういう。少し前、『トメさん家の縁側が恋しい…』なんてウマ耳をへたりと垂らして遠くを眺めながら寂しそうに言うものだから、思わず『代わりになるか分からないけど』と彼女を私の家の縁側に招待した。そしたら偶然にもその『トメさん家の縁側』と私の家の縁側は雰囲気が似ていたらしく、彼女は我が家の縁側をいたく気に入った。そしてそれ以来彼女は休日に我が家を、いや正確には我が家の縁側を定期的に訪れてくるようになった。
彼女は、自分の座っている座布団の隣にもう一枚座布団を敷いていた。勝手知ったるなんとやらというやつだ。彼女は隣に敷いた座布団をポスポスと叩き、早く座るように私に促す。
「やっぱり縁側はぽかぽかしていて気持ちいいな」
「うん、こんな晴れた日に縁側でする日向ぼっこは最高だよね」
彼女の隣に座ってそんな言葉を交わす。心の底からの本心だった。私自身も縁側で陽気のいい日にする日向ぼっこが好きだ。
隣に座る彼女はいつもの澄ましてきりっとした表情ではなく、少し弛緩した柔らかい表情を浮かべながらぽんやりと外を眺めている。隣に座っているから、いつもより少しせわしなく揺れる彼女の尻尾が背や腰のあたりに当たってこそばゆい。
「そうだ、折角おせんべいくれたんだし、お茶でも入れてくるよ」
「本当か!それは楽しみだな。何か私に手伝えることはあるか?」
「ん、いや気持ちだけで大丈夫。少し待っていて」
「そうか、よろしく頼む」
台所へと向かう。急須と湯呑を棚から出して、沸かしたお湯で湯通ししてからお茶を淹れる。食べることが好きな彼女だからか、お茶の味にも敏感だ。少し横着して雑に淹れたお茶出したときは不満こそ口には出さなかったけど、どこか満足いかなそうな表情をしていた。だから、彼女にお茶を出すときは毎回少し緊張している。
「ん、お茶がはいったよ。あと、もらったおせんべいも」
お盆にお茶とおせんべいを載せて縁側に戻ってきた。彼女は物静かにちょこんと座布団に座り、縁側の掃き出しのガラス戸越しに外の風景をぼんやりと眺めている。自分の中の世界に浸っている様で、何だか少し声を掛けづらい雰囲気だったが意を決して話しかけた。
「ありがとう。早速いただこう」
彼女は湯呑を傾むけて緑茶を啜る。緊張の一瞬だ。固唾をのんで見守る。
「うん、やっぱりキミが淹れてくれるお茶は最高だな」
「そう?それは光栄だね」
ふわりと柔らかい笑顔で彼女はウマ耳をぴょこぴょこと動かしながら、ゆっくりとそんなことを言う。
「ん、おせんべい美味しいね。お茶によく合う」
「そうなんだ!私もカサマツではよくこんな風に、このおせんべいをみんなと食べたなぁ…」
せんべいを齧ってお茶をすする。隣に座る彼女はさっきまでみたいに、縁側のガラス戸越しに、外の風景を眺める。彼女は外の庭に植わっている木々を眺めているようだったけれども、どこか焦点がそこには合っていないようで、まるで遠くのどこかに焦点を合わせたようなまなざしで外を眺めていた。
「やっぱり、カサマツが恋しい?」
ほんの少しの憂いが混じった彼女の蒼い瞳に、なにが写っているのか実際の所は分からない。でも、そんな気がした。きっと目の前に広がる風景の上に膜の様に故郷の風景を一層重ね合わせて眺めているのではないのだろうか。
「…顔に出ていたか?」
「うん、少しね」
少し天然だけど、自分をしっかり持っていて滅多に弱い所を見せない芯の強い彼女だからこそ、物憂げに遠くを見ている姿は私の意識をつかんで離さなかった。
「ダメだな、この縁側は私にカサマツを思い起こさせる。楽しかった向こうでの思い出がよみがえって、今も充分楽しいはずなのに、堪らなく寂しくなってしまう」
「そっか」
外を眺めたまま、ぽつりぽつりと私に言うというよりは、まるで自分自身に語りかける様にオグリはそう言う。
その後はしばらくの間無言が続いた。無言の静寂は気まずくなりがちだけど、不思議とそうはならなくてとても穏やかで良い時間を過ごせたと思う。
「二杯茶にしなきゃ。もう一杯くらい飲める?」
「ああ、丁度もう一杯くらい飲みたいと思っていたんだ。よろしく頼む」
祖母が『一杯茶はお客様に失礼』なんてことを私が子供の時に言っていたことを不意に思い出した。そうだもう一杯くらい飲もう。うんとあったかい二杯茶を。日も少し落ちてきて、夕方が近づいてきた外を眺めながらそう思った。
◇◇◇◇◇
「ごめん、おまたせ」
二杯目のお茶を淹れ終えて台所から戻ってくる。お湯を沸かしている時に、流しに溜まっていた洗い物が気になって思わず洗い物をこなしてしまったものだから、だいぶ遅れて戻ってきた。いやー、すっかり待たせてしまって申し訳ないことをした。
「zzz…」
「寝てる…」
すっかり夕日の差し込む縁側には、マットレスみたいに連ねて敷かれた座布団の上で横になり、すうすうと穏やかな寝息を立てて柔らかい表情で眠る彼女の姿があった。彼女の長い芦毛はうんとよく夕日の橙色を反射して、一層柔らかい光の膜に包まれているようで、整った彼女の顔立ちもあいまってどこか神秘的だ。
本当に気持ちよさそうに眠っている。さっきまでのこともあって少し心配したけど、この分には大丈夫そうだ。本当に彼女は強い子だ。
「ん、すっかりもうこんな時間か」
日差しはすっかり温かみのある色合いになって、縁側の私たちを照らす。ぼんやりと夕日を見つめる。綺麗だ。目を奪われずにはいられない。私が風流を解する平安人だったら、きっと和歌を一歌詠んでいたと思う。
「ふふっ」
和歌なんて高尚な物をしたためられるはずもなく、私の頭には『半熟の目玉焼きの黄身みたいに輝いている』とか『完熟した柿みたいなオレンジ色』等と、あの夕日を俗っぽく形容する表現ばかりが浮かんできて、それが何ともおかしくて吹き出してしまう。
「んふふ、これじゃあオグリみたいじゃないか」
こんな風に食べ物を比喩の引き合いに出して形容するのは何だか彼女っぽいなと思った。長く担当しているから、すっかり彼女の考え方が移ってしまったのだろう。
「んん、トレーナー呼んだのか?」
「ああごめん。起こしちゃったね」
私の言葉に反応して、隣で横になっていた彼女はもっそりと起き上がり、眠い目をこすりながら伸びをする。
「いや、いいんだ。丁度いいくらい寝れた。それに良い夢を見れたんだ」
「へぇ、どんな夢?」
「普段の何の変哲もないトレセン学園での日々の夢だ。走って食べて寝て、いつもと変わらず皆が居て…」
「そっか」
「ああ、そうなんだ。いつもの代わり映えしない日々だったんだが、夢の中で私はとても満たされた気持ちだったんだ」
彼女は胸に手を当てて、思い起こす様に目をつぶりながら、噛みしめる様にぽつりぽつりとそう言う。
「それで、気が付いたんだ。当たり前の事過ぎて忘れていたけど、今の中央でのこの日常も、カサマツでの日々と同じくらい尊いものなのかもしれないって」
隣に座る彼女はさっきまでみたいに縁側のガラス戸越しに外の風景を見やる。ここじゃないどこか遠くを見ていたさっきまでとは違って、焦点は眼前の風景に合っているようだった。
「そっか、いい夢だったんだね」
いつもの澄ました表情でこくりと彼女は頷く。
「いつもありがとうトレーナー。キミにはいつもお世話になりっぱなしだ。本当にありがとう」
「どうしたんだい、急に」
彼女は座布団に座り直して背筋を伸ばし、こちらをじっと見つめながら真剣な表情でそんなことを言う。
「キミは私の隣にいてくれて、いつも私の力になってくれる。このことはとても有難いことのはずなのに、それがすっかり当たり前の事になっていた。感謝を言葉にして伝えそびれていたと、私は気づいたんだ」
彼女はまっすぐにそんな事を言ってくれるものだから、心の底から何か温かいものがこみ上げてくる様な感覚を感じた。トレーナーはシビアな職業だ。思い出したくもないような苦しい時も辛い時もあった。でも、彼女のまっすぐな感謝の気持ちを受け取ると、これまで自分が頑張ったことのすべてが肯定されて、何だかすべてが報われたかのような気持ちになれて、じんわりと心に温かさが広がる。
「…そっか、こちらこそ普段からオグリには…「グゥ…」…」
私の発言は腹の音に遮られる。彼女は申し訳なさそうな表情でお腹をさする。
「早いけど、晩御飯にしようか。今日は鶏モモ肉がスーパーで特売らしいし、いっぱい買ってきて唐揚げにしよう」
「本当か!荷物持ちなら任せてくれ」
尻尾をぶんぶん揺らし、ウマ耳をぴょこぴょこ動かしながら喜びいっぱいの表情で彼女は反応する。物憂げに澄ました顔の彼女も綺麗で素敵だけど、温かく朗らかに笑う彼女の方が好きだ。
夕日に照らされながらニコニコと満面の笑みを向ける彼女を見て、そう思った。そんなあたりまえの日常に、心の中でひとり感謝しながら夕日の差し込む縁側を後にした。
お粗末様でした。