いつも月夜に米の飯、米の飯より思し召し   作:ルシエド

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 今年も作品をお読み頂き、ありがとうございました


『お姉様とお兄様』

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 記憶はデータですわ。

 わたくしにとっても、あの人にとっても。

 わたくし達の世界の全ての人間にとってそう。

 ウマ娘の皆さんの世界にとっては……どうなのでしょうね。

 

 記憶の解釈は、その文明、文化の裁量に任されています。

 過剰に尊く、神秘的なものと見てもいいでしょう。

 ただの電気信号のパターンと解釈し、複製とDLを繰り返してもいいですわ。

 記憶は記憶です。

 道具として人が使うだけのものですわ。

 人が好きに解釈し、好きに使えばいいものです。

 わたくしはそう教わりましたわ。

 

CODING…

 

「ありがとう、マクドさん」

 

 整理した記憶野から、初めて出会った日のことを、今でも写真のように思い出せます。

 あの人はわたくしをそう呼んでいましたわ。

 マクド。

 大昔の、世界中に店舗を持ち、世界中に食料を行き渡らせていたとかいう店にあやかって、名前を付けたらしい総合食料品点。

 民間最大規模の、銀河に食料を行き渡らせる大規模複合巨大企業(コングロマリット)

 わたくしはそこで買ったものをあの人にあげていただけですのに。

 いつからかそれがあだ名になっていた……それだけの呼び名ですわ。

 

 

 差し入れを始めたことに、深い理由はなかったと思います。

 あの人がお腹を空かせていたけど、周りの誰にも"お腹減った"とすら言えない人だったから、わたくしなりに助けたかっただけだったと思いますわね。

 幼いわたくしの気まぐれ。

 それだけ。

 それだけだったはず。

 

 なんでも美味しそうに食べる人でした。

 次に何を持っていってあげようか、楽しみにさせてくれる人でしたわ。

 もしわたくしが料理のできる個体として育てられていたら、あの人に料理を作るのを楽しんだりした未来もあったのでしょうか。

 そんなもしもに。

 意味はないのですけども。

 

CODING…

 

 いつも、常に、常時。

 コーディングで感情にラベルを付けていく。

 記憶に名札を付けていく。

 整理。

 整頓。

 整形。

 あるべき記憶の形に。

 脳の中で、あるべき情報の形を作る。

 

 有害な傷を、手術で修復するように。

 有害な病を、投薬で治療するように。

 有害な感情と記憶が発生しないよう、自ら自己を修正する。

 傷や病のように、感情と記憶を直し、直す。

 コーディングしていく。

 わたくしはずっとそうしているし、皆もそうしています。

 

 そうして初めて、人間は気の迷いで間違いを起こすことのない、情動に振り回されて他人に迷惑をかけることのない、そんな人間になれます。

 そうしなければ、人の心が真に自由になることはありませんわ。

 怒りや憎しみに支配されることがある無加工の人間は、すぐ感情の奴隷になってしまいます。

 体にも。

 脳にも。

 神経にも、脳内物質にも、生体的な反応にも、人の心は支配されてはなりません。

 

 

 自分の心は自分の意思にのみ支配されていなければなりません。

 何かを実行したいのにやる気が出ない、とか。

 やり遂げたいのに心が弱いので最後まで続けられない、とか。

 怒りたくないけど怒ってしまう、とか。

 家族に優しくしたいのに虐待してしまう、とか。

 唯一無二の自我が老衰によって崩壊してしまう、とか。

 

 大昔の人間には珍しくなかったことらしいですが、わたくしからすれば信じられませんわ。

 自分の心すら自分のものにできなかった人間の時代があり、それを卒業するために心血を注いだ先陣がいて、皆その先陣達を尊敬しています。

 

 だから、わたくしも、そう生きています。

 それが正しいことだと、皆信じていますから。

 

 記憶がわたくしを作る。

 わたくしだけがわたくしを自由にする。

 記憶こそが人を構成する心の礎。

 この記憶がある限り、わたくしはわたくしの誇りである家が目指す方向に進んで行けます。

 

 

 

 

 わたくしが私を制御できていれば、あの人は怒られない。

 それが嬉しかった。

 『大人』は『子供』を導くために造られるから。

 

 わたくしが優等生でいることで、あの人の周囲からの評価は上がる。

 『子供』が『優秀ないい子』であることが、『大人』の価値証明だから。

 わたくしが頑張れば、あの人の周りからの扱いはよくなっていく。

 それが嬉しかった。

 

 コーディングの自己制御を、同年代の『子供』の誰よりも上手くやって、誰よりも理性的に努力と研鑽を積んだわたくしを、あの人は褒めてくれた。

 わたくしの努力や頑張りを、あの人は何一つとして見逃さなかった。

 それが嬉しかった。

 

 その記憶のひとつひとつに、特別なラベルを付けて保存したくらいには。

 

 ふふ。懐かしい思い出ですわね。

 

「マクドさんは優秀だな。よしよし褒めてやろう。今後も精進するんだぞ」

 

 

 あの手が。

 あの声が。

 あの暖かさが。

 わたくしの頑張る理由でした。

 

 わたくしはそれが頑張る理由でしたけども。

 もうひとりのわたくしは……『メジロマックイーン』さんは、メジロ家の悲願、天皇賞なるものの制覇を目標として頑張っていましたわね。

 わたくし達は、自分だけで完結する悲願を持たない。

 自分と、自分以外、それらが絡み合った悲願にのみ没頭する。

 

 それは、他人のために生きているだとか、そういうことではなくて。

 わたくしもメジロマックイーンさんも、ただ他人の願いや祈りを受けて、それを背負って、最後まで走り切るということに『使命』を感じる人間だったから。

 

 わたくし達にずっと向けられている、「こうなってほしい」という周りの期待や希望に、精一杯応えようとすることが、わたくし達の生き方だから。

 周りが望んだゴールに、わたくし達は向かって走る。

 そうだったでしょう?

 

 

 それを苦に感じたことはありませんわ。

 他人を恨んだこともありません。

 何があっても他人のせいにしたりしません。

 わたくし達は、自ら望んでそうして、そうしたいからこそそう生きて、その結果として他人の期待に応えていくだけでしょうから。

 

 

 もし、何かそれが、誘われたものだとしても。

 

 わたくしは社会にそう望まれただけ、メジロマックイーンは馬魂にそう望まれただけのこと。

 

 わたくし達は、応え叶えることに喜びを感じ、そう生きただけのこと。

 

 何も問題はありません。

 

 

 社会に『こう生きなさい、こう生きるのはダメ、他人に迷惑はかけるな、その範囲の中でできるだけ自主的に自由に生きるのが素晴らしいからそうしなさい』と言われながら生き続ける―――それがどんな世界であっても、人間社会の基本であるそうですわよ。

 

 

CODING…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 お姉様が好きでした。

 お祖父様が好きでした。

 家族が好きでした。

 それがわたくしの揺らがない想いですわ。

 ええ、胸を張って言えますとも。

 

 家族はわたくしの誇り。

 誰に強制されるでもなく、誘われるでもなく、この家こそがわたくしの根幹たる繋がりです。

 家族の夢はわたくしの夢だと、そう素直に思えるくらいには。

 わたくしは、家族が好きでした。

 

 

 業界で知らない者が居ないほど偉大な研究者であるお祖父様。

 一族の最高傑作であり最大の異端とも言われたお姉様。

 それと。

 もうひとり。

 血の繋がりがないまま、あの輪に加わった人。

 人造品の『大人』だけど、お祖父様自ら設計し、設定し、必要な知識を選定して、二週間で転がり出てきて、すぐに研究の即戦力に育っていった人。

 

 あの人の役割は、わたくしやお姉様に成長を促すことと、間違った成長をしないよう矯正することと、その合間にお祖父様の研究を補助することでした。

 

 当然でしょう?

 専門分野に特化した人間になるよう『子供』を育てる『大人』には、当然間違いのない高度な専門知識の網羅が求められますわ。

 そういう風に造った人間であれば、高度な研究の助手としての転用に十分耐えられます。

 

 『教授』という言葉に、教師と研究者、両方の意味が持たされることがあるでしょう?

 高度な教育者とは、高度な研究者でもあるのですわ。

 

 

 世界最高の頭脳の一人であるお祖父様。

 異端として奇抜な発想や発明を次々生み出すお姉様。

 天才の補助に特化したあの人。

 三人の噛み合いは幼いわたくしから見ても完璧でした。

 

 お祖父様の目論見通りに、『触媒』として期待されたあの人はお姉様の能力を引き出し、お姉様はより正しい成長を……いえ、お祖父様の望んだ形の成長を遂げていきました。

 それが羨ましくて、妬ましかった、そんなわたくしを、覚えています。

 ああ、笑わないで。

 あの頃は幼かったのです。

 

 お姉様のようになりたいという憧れと、お姉様の手に入れたものの全てが欲しいという嫉妬があったのは、わたくしがわたくしを制御できていない証だったと言えるでしょう。

 

 でも、わたくしは、お姉様もあの人も好きでしたから。

 

「わたくしも御三方のように素晴らしい科学者になりますわ!」

 

 

 ああ。

 

 なんで。

 

 あの時のわたくしは。

 

 あんなに思い上がっていたのでしょうね。

 

CODING…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 お姉様は、たぶん、あの人のことが好きでしたわ。

 

 確証もなく、証拠もありません。

 

 おそらく、わたくし以外の誰もがそうだとは思ってなかったでしょう。

 

 姉妹の勘以外に、何も論拠はないのですけども。

 

 お姉様はたぶん……あの人のことが好きでしたわ。

 

 

CODING…

 

 

 

 あの人は居眠りしてる時にお姉様が抱きしめたりしてることに気付いていたのかしら。

 たぶん気付いてなかったと思いますわ。

 お姉様は、そういうことを察させる人ではありませんでしたから。

 

 でも、不思議でした。

 お姉様は、一度自分で決めたら誰がなんと言おうと突き進む人。

 彼はお姉様の言うことには逆らわない人。

 距離を詰める人と受け入れる人なら、普通あっという間に付き合ったり、それこそ瞬く間に結婚したりするものでしょう?

 

 わたくしから見れば、あの二人は相性が良いように見えていたのです。

 その時のわたくしには、何も見えていなかったから。

 

 

 

 あれは。

 あの問いをしたのは。

 忘れもしない、あの日。

 あの人の運転する鳥の機神に乗って、わたくしは星の裏側に向かっていました。

 

 

現在
ACTIVE AXESS
52854984
人が教室に着席しています

 

 

 脳をオンラインに繋いで、脳の容量を一部割いて電脳の教室に入り、500万人程度の小さな教室で、データを流し込み、自らの脳で応用していく授業を受けて。

 残りの容量の半分でネットでお買い物。

 最後に残った分の容量で、オンラインの論文を読むなどしていましたわ。

 

 脳の処理容量の振り分けは最初に習うこと。

 もちろん、一度授業で定着させた知識は一生忘れることはありません。

 

 原理的に、わたくし達の記憶は消去処理以外では消えませんから、意図せず記憶が消えるということはありませんの。

 忘れたければいつでも忘れてよく、忘れたくなければいつまでも忘れないでいていいのです。

 

 わたくしは、機神を操るあの人の横で、今にして思えばお恥ずかしい話なのですが、飽きもせずずっと彼の横顔を見ていました。

 

 

 

 

 論文を読むのをやめて、とても気軽に、なんてこともないように、わたくしは訊きました。

 

 たぶん、おそらく、きっと。

 

 何も分かってなかったから訊けました。

 

 何かを察していたら、わたくしが彼に"それ"を訊けたはずがありませんでしたから。

 

「お姉様とご結婚なさらないのですか?」

 

 

 わたくしは、その時まで。

 

「また変なことを……

 俺は本質的には君達の持ち物なんだ。

 そんな大切に扱わないでくれ。

 もっと粗末に扱ってくれ。

 正当な人間と愛し合うなんて論外だ。

 愛というのは、唯一無二の、複製できない人間を相手にするものなんだよ。

 俺みたいないくらでも同じものが作れる大量生産品に、愛は成立しないんだ。分かる?」

 

「―――」

 

「ちゃんとしてる方の人間と恋愛しなさい。

 俺は基本的に恋愛感情や生殖欲求をコーディングで削除してるから。

 所有者の許可が出ない限りは婚姻や生殖は行わないよ。

 ……ああ。

 このへんはあまり教えてなかったかな。

 飼い猫の去勢は知ってるかい?

 生命はね、他人に所有された時点で、いくらかの自由選択権を捨てるべきなんだ。

 それが所有者に生かされている者の義務だから。

 誰かの所有物になった生命が勝手にそういうことをしてはいけないんだよ。

 勝手に増えたら、持ち主に迷惑がかかるだろう?

 持ち主だって、無許可で勝手に増える生命なんて抱えていたくはない。

 だからね、『大人』は造られた瞬間から、ちゃんとルールを守らないといけないんだ。第一ね」

 

 

 

 

 

「飼い猫やぬいぐるみが持ち主に発情なんてしたら、気持ち悪くて仕方ないだろう?」

 

「―――」

 

「それが気持ち悪いというのは常識だ。君達を不快にさせたくはないんだよ」

 

 

 

 

 

 

「そう、かも、しれませんわね」

 

「だから安心してくれ。

 探りなんて入れる必要もない。

 俺は君達姉妹に、決して手を出したりしないから」

 

 本当に、何も、理解していなかったのです。

 

 あの人からそれを訊いてなお、全てを理解できていなかったほど、幼かったのです。

 

 ただ。

 ただ。

 なぜか。

 とても悲しくて、とても辛くて、とても泣きたくなったのです。

 

 

「そう、でしたか」

 

 "禁忌設定"。

 設定者が禁止した行為を行えないようにすること。

 受精卵段階から設定し、脳に封入した情報で絶対にしない行動を決定付け、定期的なコーディングで絶対にそれが揺らがないようにするもの。

 

 彼は、お祖父様が記憶・知識・精神をデザインした『大人』。

 なら、当然ですわね。

 お祖父様は、わたくしとお姉様が万が一にも傷物にもされないよう、わたくしとお姉様が絶対に幸せになれるよう、彼を設定したのです。

 それでわたくしやお姉様が逆に葛藤するだなんて、お祖父様は想像もしていなかったのです。

 

 

ああ、本当に、余計なことを。

 

 

 受精卵の時点でそう設計されている人間が、その禁忌を破るためには、受精卵の時点からやり直す以外の方法はありません。

 つまり、死んでも解けることはありませんの。

 それは祝福であり呪い。

 無改造の人間が空を飛べないのと同じですわ。

 

 何を学ぼうと、何に目覚めようと、禁忌設定が破られることはありません。

 死んですら、破られることはありません。

 

 観測可能な霊的存在になってなお、禁忌設定は継続することが確認されています。

 受精卵の時点からデザインされているがために、受精卵から人間に育ち、その体から霊体が抜け出てなお、その霊体構造は受精卵時点でのデザインに沿います。

 ならば当然のことなのでしょうね。

 

 生殖。

 恋愛。

 幸福。

 そういったものの一切が禁止されていたのが彼でした。

 

「ええ、安心しました」

 

 街を歩く猿の機神の方が彼よりはまだ自由なんじゃないかと、そう思いました。

 

 

 けれどあの人にそう言うと、否定するのです。

 

 自分は自由だと。

 自由意志でこうしているのだと。

 不都合は感じていないと。

 今満たされているから問題はないと。

 そう言うのです。

 

 わたくしはそれに納得すればよかった。

 でも、できませんでした。

 

 記憶と感情のコーディングは、『人間』に何にも縛られない自由な心を与えました。

 これは要る、これは要らない、これは覚えておこう、これは忘れよう……そんな風に、自分の心を思い通りにする自由を与えた、精神科学の基幹技術です。

 

 受精卵から二週間程度の人間に、完璧な倫理を与えることすら可能な技術ですわ。

 コーディングでラベルを付けた情報を脳に入れれば良いだけですから。

 

 けれど。

 彼と出会い、彼を見て気付いてしまったのです。

 この技術で心の自由を奪われている人間も、もしかしたら居るのでは、と。

 

 

 その昔。

 管理社会作品、ディストピア作品、といったものが流行ったそうですわ。

 コンピューターや圧制者が支配する世界で、自由を奪われた者達が不満をつのらせ、世界に反抗する……というものだったと聞きます。

 

 そういう作品には一つの基本的な文法が存在していたそうですわ。

 曰く。

 『完璧な世界であってはならない』。

 

 本当に全ての人が幸福であってはならない。

 完璧な社会構造で転覆不可能であってはならない。

 不満分子を絶対に見逃さない社会であってはならない。

 どこかが間違っていなければならない。

 でなければ―――()()()()()()()

 

 だから、不完全なディストピアを主人公達が崩壊させるものが多かったそうですわ。

 

 自由を奪われた者達が、巨悪を倒し、自由を取り戻すまでの物語。

 

 

 だって、そうでしょう?

 

 全ての人が幸せでは、不満を持つ者がいませんわ。

 完璧な社会が相手では転覆のさせようがありませんわ。

 不満分子が見逃されなければ仲間だって集まりませんわ。

 社会のどこかが間違っていなければ、主人公達が間違っていることになってしまいますわ。

 

 だから廃れました。

 わたくし達の世界では、ですけどね。

 それは結局、『崩壊させられるために生まれた都合のいい管理社会』を生み出す創作ジャンルでしかないと、皆が気付いてしまったからです。

 

 でも。

 

 

 でも、もし。

 破綻しないディストピアなるものが存在するとしたら。

 それはたぶん、わたくし達の世界に似た形をしているのでは……と、思いました。

 

 勿論、わたくし達の世界が完全にそうだという話ではありませんわ。

 辺境星系ではコーディングすらないそうですし。

 空間の残留情報から過去の光景を再現する技術はあっても、監視カメラなどは、人権維持のために貴方がたの世界より少ないほどです。

 あの人と同じように『大人』として作られ、役目を終えた後、全ての責務を解かれ自由の旅に出た個体も居ると聞いたことがありますわ。

 

 けれど。

 

 本当に全ての人が幸福で。

 完璧な社会構造で、転覆不可能で。

 不満分子を絶対に見逃したりはしなくて。

 どこも間違っていなくて、誰もが間違っているとは言わない。

 笑顔で回る社会。

 

 そんな()()()()()()()世界で、わたくしは生まれ育ったのです。

 

 あの人が幸せだと言うのなら。

 あの人がそれで満足だと言うのなら。

 あの人がこの生き方を続けたいと言うのなら。

 お姉様も、わたくしも、彼にいったい何が言えるというのでしょうか。

 

 

 

お姉様は最初から破綻した恋をしていた。

 

 

 

 

たぶん、わたくしも。

 

 

 

 お姉様は言いました。

 

 『彼はこの世界では幸せになれない』と。

 

 わたくしはそうは思いませんでした。

 

 生まれる前から生き方を決められ、その決められた生き方でのみ幸せになるよう細胞単位で設計されて、その生き方を生まれてからずっと与えられ、死ぬまで満足して生きていく。

 それもまた幸せと言っていいはずだと、自分に言い聞かせてきました。

 

 彼はこの世界でこそ幸せになれる。

 そう自分に言い聞かせて。

 言い聞かせるたび。

 わたくしは、気持ちが悪くて、気持ちが悪くて、仕方がありませんでした。

 

 

 貴方はどうですの?

 ウマ娘に生まれて幸せですか?

 本能に従って走ることは気持ちいいですか?

 その本能が無ければ貴方は走る人生を選んでいましたか?

 それは本能の奴隷と何かが違うのですか?

 周りの人間はウマ娘である貴方に走るよう求めませんでしたか?

 気楽に走っていた自分がどこかに行って、レースで結果を出すことにこだわる自分が、代わりに自分の中に生まれてしまったりしていませんか?

 貴方の中の競走馬の魂に、貴方の人生は縛られていませんか?

 競走馬の悲願だった目標に向かって走らされてはいませんか?

 本当に貴方は自由な人生を生きているのですか?

 

 『自分は自由意志で、自ら望んで、満足してこの道を選んでいる』なんて言いませんわよね。

 

 わたくしには分かりません。

 

 野山の虫に生まれたことと、人間に生まれたこと、どちらが幸せなのか。

 

 わたくしには、もう分からないのです。

 

 『社会が許容していない生き方を社会の中で行うことは決して許されない』のなら。

 『"こうした方がいいよ"と社会が促してくる』のなら。

 『君がしたいことは法律で許されてない』と戒められるのなら。

 

 社会の中に生きる限り、わたくし達が本当に自由になることなど、無いのでは?

 

 真に自由な人間など、本当はどこにも居ないのに。

 

 不自由な人間の中で、相対的に自由な人間、相対的に不自由な人間を探すわたくしの、なんと愚かで不格好なことか。

 だからわたくしは。

 "間違っている"と口にすることに躊躇いのないお姉様が、憧れで、羨ましくて、妬ましくて……何度も何度もコーディングして、自分を律していたのです。

 

 『何が自由で不自由なのか、何か幸福で不幸なのか、分からない』と繰り返すわたくしなんかより、『けれどそれは間違っている』と言い切れるお姉様の方が、ずっと素敵でしょう?

 

CODING…

 

 わたくしは彼がお姉様との関係を拒む言葉を聞き、言いようのない気持ち悪さを覚えました。

 言葉にならない疑問も持った気がします。

 ただ、お姉様と違って、口には出さなかっただけ。

 

 なのに。

 わたくしは。

 その時の、わたくしは。

 安心してしまったのです。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()と。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と。

 

 これは戒めです。

 絶対に忘れないために。

 絶対に無かったことにしないために。

 わたくしは、この安堵をコーディングして、保存しておかなければならないと思いました。

 

 怒りより。

 憎しみより。

 嫉妬より。

 きっと、この安堵の方がずっと醜いと思ったのです。

 戒めのため、この感情と記憶は死ぬまで消しません。

 

 わたくしは賢しい人などではなく、愚かな獣に近い者であると、ずっと忘れないために。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 お祖父様はいつも言っていました。

 

 永く続くものを滅ぼすのは、寿命でもなく、外敵でもなく、『錆』であると。

 

 だから人類が生み出した言葉の中で最も心理に近いのは、『身から出た錆』であると。

 

 

 自然状態で発生する現象には限りがあります。

 自然に生まれる粒子、波動、量子の揺らぎ……自然状態で発生する現象は、そういう揺らぎの範囲でしか発生しません。

 

 自然に生まれる台風の規模には上限があります。

 自然に生まれる星の超新星爆発の規模には上限があります。

 生命の目標の一つは、その上限を超えていくこと。

 いかなる自然の猛威を相手にしても、決して絶滅せず、生き残ることですわ。

 

 逆説的に言えば、滅びないまま何万年も発展を続けている人間の文明のようなものは、自然状態で発生する現象の全てを克服しているものです。

 でなければ、どこかで滅びているはずですから。

 

 こうなった生命は、自然災害や環境の激変など、偶発的要素で滅びることはありません。

 全て乗り越えた後ですものね。

 だからこそ、お祖父様は、『錆』こそが最後の脅威であると考えていました。

 

 『身から出た錆』。

 

 錆は剣の内より生え、剣を食い破り、剣を折るもの。

 

 人の文明に現れる錆は、必ず人の間より現れて、人を滅ぼすものとなる。

 

 ……お祖父様はそうおっしゃられていました。

 

 

 お祖父様には一体、何が見えていたのでしょうか。

 

 錆?

 

 人の文明から生まれる錆?

 

 わたくしにはどんなものなのか、想像もつきません。

 

 けれど、もし本当に、そんな錆が存在するとするならば……錆の発生を予見したお祖父様が作り上げた世界と世界を繋ぐ装置こそが、それであるような気がしてなりません。

 

 だって、余程のことでは崩壊しないわたくし達の世界を滅ぼしたのは、世界と世界の衝突を招いたあの機械でしょう?

 

 もし本当にそうなら、悲しくなるほど皮肉なことですわ。

 

 

 だから思うのです。

 あの人は、タイムマシンの存在を託されました。

 記憶を失ってなお、彼は時を巻き戻して世界を救おうとしています。

 アクシデントで記憶を失った不運を、あの人は嘆いていましたね。

 最初に出会えたのがライスシャワーさんで幸運だったと言っていました。

 

 本当に?

 

 あの人の記憶が消えた理由は何かの事故?

 

 わたくしには記憶に影響が出る気配すらまったくないのに?

 

 何故、あの人だけ記憶が消えていたのでしょうか?

 

 記憶が消えていなかったら、どうなっていたのでしょうね。

 あの人は、お祖父様が脳に入力した命令の通りに、わたくしやお姉様、お祖父様を探してまず動き始めていたかもしれませんわ。

 タキオンさんやマックイーンさんを何より優先していたかもしれません。

 顔が同じなら、おそらく、お祖父様の入力したコマンドは、多少効力を下げつつつも、規定の行動を彼に取らせていただろうと思います。

 そうしたら、今のこの形は無かったかもしれませんわ。

 

 本当に事故?

 

 何故、彼の記憶は消えたのでしょう。

 

 

 わたくし達の世界は、救えない閉塞の果てにありました。

 

 増えて、広がって、満ちて、宇宙を人間が満たして、そこで行き詰まり。

 

 宇宙ですら養えなくなった繁栄を、どう先に繋げばいいのでしょう。

 

 それを解決する道を探していたのが目白のお祖父様でした。

 

 あの人の孫娘であることが、わたくしの誇りでしたわ。

 

 けれど……お姉様にとっては、そうでなかったのかもしれません。

 

 

 お祖父様が集めた、世界を救うためのチームは真っ二つに割れました。

 世界と世界を繋ぐ装置、その是非を巡って。

 

 それはもう、すさまじい喧嘩でしたわ。

 毎日毎日、口喧嘩していない日が無いほどで、わたくしは怖くて自分に割り当てられた部屋に引きこもっていることが増えました。

 そんなわたくしに毎日会いに来て、楽しい話をしてくれていたのが、貴方もご存知のあの人ですわ。きっとギガスの中で誰かが落ち込んでいたら、彼は同じことをするかもしれませんわね。

 彼はたぶん、後天的な加工に関係なく、優しい人だったと思いますから。

 

 ふふ。

 ごめんあそばせ、今のはわたくしの個人的な見解だったかもしれません。

 ああ、でも。

 わたくしがあんなに気楽に、事態の深刻さを理解しないまま楽しく生きられていたのは、間違いなくあの人のおかげでしたわね……本当に。

 

 あの人がお菓子を持ってきてくれたり、わたくしが夢中で食べているとほっぺたにクリームが着いて、あの人が"しょうがないなあ"と言わんばかりに拭ってくれて、かまってもらえるのが嬉しかったから、幼いわたくしがわざと頬にクリームを着けて。

 ふふっ。

 

 

 でも、毎日続く論争は終わりませんでした。

 

 コーディングで感情を制御した人間の口喧嘩を見たことがありますか?

 それはもう、見るに耐えませんわよ。

 誰も怒りをぶつけ合ったりしませんもの。

 

 無改造の人間は、論争の果てに怒りをぶつけ合って、すっきりして、最後に怒鳴りあったことを謝り合って譲歩し合ったりするでしょう?

 コーディングをちゃんとしている人間同士だとそういうことはありません。

 淡々と、結論に向かうための建設的な議論を、極限まで理論武装した上で、無限のデータベースから際限なく引用を繰り返し、論争を行うのです。

 くらくらしますわよ。

 

 ……本当によくなかったのは。

 

 お祖父様が世界を繋げる装置の開発主任で、お姉様が装置の使用に反対する派閥の旗頭となっていたということでした。

 

 お祖父様とお姉様は、派閥単位での敵対を始めたのです。

 

 

 ずっとピリピリしていた……そんな記憶ばかりでしたわ。

 

 資源がありませんでした。

 宇宙中で、一斉に餓死するのが見えていたくらいには。

 近い内に、ほんの一週間で、宇宙に存在する星の数の千倍程度の人間が餓死・凍死をするだろうという試算が出ていて、お祖父様は焦っていました。

 

 お姉様はそれでも止めようとしていました。

 お姉様は一族の異端、一族でも突出した天才。

 わたくし達には見えないものが見えていたのだと思います。

 それこそ、界隈の第一人者であるお祖父様にすら見えていないものさえも。

 

 お姉様は、迫りくる破滅が見えていてなお、世界と世界を繋げる装置の起動に断固反対し、お祖父様の傘下の方達を説き伏せて回っていましたわ。

 あの人だけは、違う何かを見ていたような気がします。

 

 

 お祖父様もそれは分かっていたと思います。

 

 だって、お姉様を手元に置いて、装置の完成のためにずっと重宝していたのは、他の誰でもなく目白のお祖父様でしたから。

 

 けれど資源だけでなく、時間もありませんでした。

 きっと、余裕も。

 タイムリミットは近すぎて、お祖父様には他の選択肢が無かったのです。

 他世界から全てを奪い尽くさなければ、世界が滅びる瀬戸際でした。

 

 辺境の惑星で僅かな食料を奪い合っての核戦争が起きたと聞き、もうお祖父様は手段を選ばなくなった……そう、記憶しています。

 

 

 やがて、お姉様とお祖父様の対立は決定的なものとなりました。

 

 同じ施設で研究を続けられないほどに。

 一つの研究で協力を継続できないほどに。

 目指す場所を同じくできないほどに。

 二つの派閥は、袂を分かたったのです。

 

 お姉様の思惑は聞けませんでしたし、お姉様がその後何をしようとしていたかは、その後数年とんと知りませんでしたが……タイムマシンを造っていたのですね。

 

 本当に救いようのない崩壊が発生した後、取り返しがつくように。

 

 もしお祖父様の所業が世界を滅ぼしてしまったなら、身内として、孫娘として、その責任を取るために。

 

CODING…

 

 ……分裂は、分かりきっていたことでしたわ。

 毎日論争を聞いていて、それ以外にありえないと思ってましたもの。

 分裂前から理解できていたことでした。

 

 ただ一つ。

 驚いたことが一つ。

 予想もしてなかったことが一つ。

 ……考えたくもなかったことが、一つだけ。

 

 

 あの人がお姉様を選ぶだなんて、思っていませんでした。

 お姉様と一緒に出ていってしまうだなんて、思いもしませんでした。

 お祖父様とわたくしを置いて、お姉様とどこかへ……それが悲しくて、幼かった頃のわたくしはちょっと泣いてしまったものです。

 昔の話ですわよ、昔の話。

 

 今、思えば、そうですね。

 お姉様は言っていました。

 「オカルトは信じる、科学は疑う。人を救うのはどっちかな?」と。

 わたくしはまだ答えが出ません。

 ただきっと、お姉様は……信じることと疑うこと、その二つを使いこなすのが、誰よりも上手い人だったと思うのです。

 だからあの人は、自分を造り上げたお祖父様を裏切る形になってでも、お姉様を選び、お祖父様が与えた『孫娘を守れ』という指令の範疇で、選択したのだと思います。

 

 そんなお姉様だからこそ、幼いわたくしでは、決して追いつくことができなかったのです。

 お姉様は、まるで超光速の粒子のようで。

 世界のルールに従っている限り、どんな人でも、どんな粒子でも、お姉様の頭脳に追いつくことなんてできなくて。

 

 お姉様と同じ世界が見えている人なんて、どこにも居ませんでした。

 お姉様の横に並べる人なんて、どこにも居ませんでした。

 お姉様に追いつける人なんて、どこにも居ませんでした。

 一人を除いて。

 

 いつだってお姉様は一番で、研究のゴールに誰より早く辿り着くのです。

 誰よりも速く、誰とも横並びにならず、たった一人でゴールに入るのです。

 そしてそのたびに、才能の無い人を振り落として行きましたわ。

 お姉様はいつも一着であることと引き換えに、いつも一人ぼっちでした。

 

 だからこそ、お姉様についていけるのは、お姉様を一人にしないのは、あの人だけだと―――そう、信じていたのです。

 

 

 家族の対立は、わたしくにはどうにもできませんでした。

 わたくしはまだ子供。

 代案など何もありません。

 生み出したものも何もありません。

 実績のあるお祖父様とお姉様の論議に割って入ることなんてできませんでした。

 

 世界を救うために他の世界を食い潰す選択を応援することも。

 他世界を慮って自分の世界を犠牲にする選択を応援することも。

 餓死者が数え切れないほど出るとしても装置の起動を後回しにする選択を応援することも。

 いっそ、どの選択とも違う全く新しい選択肢を創り出すことも。

 

 ……わたくしには、できなかったのです。

 その時点で、わたくしは他の誰にも劣る卑怯者でしたわ。

 

 何もできないなら。

 何も言うべきではないのです。

 いっそ何も思うべきですらない。

 けれど……わたくしは……"なにかよい結末"が欲しかったのです。

 

 お祖父様の願いも、お姉様の願いも、全部叶って、みんな救われる、そんな結末が。

 

 

 あの人はそんなわたくしの願いを、黙って最後まで聞いてくださいました。

 

 否定することもなく、"正しい形に修正する"こともなく、わたくしを肯定してくださいました。

 

 そして快諾してくださいました。

 

 『俺は神ではないけれど、君の願いを叶えてあげたい』と。

 

 ……本当に、本当に、嬉しかったのです。ああ、好きだと、思うくらいに。

 

 

 そうして光の中、離れていくあの人を見送りました。

 そうして。

 彼ともお姉様とも直接合うことがないまま、数年の時が経ちました。

 

 何年も経って、世界が壊れて、あの人と再会した時。

 

 あの人は、何もかも忘れていました。

 

 お姉様と何をしていたのかも聞けません。

 別れてから何があったのかも知れません。

 あの人がお姉様とお祖父様の調停をしてくださっていたのかも分かりません。

 

 でも、わたくしは信じています。

 

 わたくしとマックイーンさんが、あの子にあの部屋に閉じ込められて、ずっとずっと助けを待っていた、その果てに……あの人は誰よりも早く、わたくしを迎えに来てくれました。

 わたくしにまた手を差し伸べてくれました。

 

 

 それだけで、とても嬉しくて、とても幸せだったから。

 

 あの人を再び信じる理由なら、それだけで十分だったのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 メジロマックイーンさん。

 貴方はわたくしです。

 けれどわたくしではありません。

 

 わたくしではないわたくし。

 わたくしではなれないわたくしです。

 隣り合う世界の、血の繋がっていない双子だと思っています。

 

 

 だから貴方に託したいのです。

 あの人を。

 わたくしが成せなかったことを。

 そして、わたくしが見えていないのかもしれない、お姉様が見えていたのかもしれない、まだ見えていない何かを。

 

CODING…

 

 不躾な願いであるとは分かっています。

 ただ、貴方にしか任せられないのです。

 ……もうひとりのわたくしである、貴方にしか。

 

 彼はわたくしほどお金をかけられていません。

 自然出産体に手を入れたわたくしより、安価な技術で製造している分、内蔵機能を削っているため、自分の肉体機能だけでコーディングが行えないはずです。

 

 

 それが今、よい方向に働いているのです。

 

 理由不明の記憶喪失。

 それに伴った基本機能の欠損。

 コーディングの不足。

 ウマ娘という、既存判定定義に存在しなかった、異世界の生命体。

 

 それらが全て、彼の判断基準にバグを起こしています。

 

 もしかしたら。

 今なら。

 お姉様が危惧していたものを、取り除けるかもしれません。

 

 わたくしではダメなのです。

 お姉様でもダメなのです。

 何故ならあの人は、わたくしとお姉様にその人生を捧げるために造られた者。

 わたくし達を前にするだけで、あの人はかつてのあの人に戻っていってしまいます。

 お祖父様が設計した通りのあの人に。

 

 回帰してはなりません。

 

 わたくしの言葉は、フィルター越しにしかあの人に届きません。

 わたくしは会話するだけで、あの人にとっては有害です。

 たとえそう望んでも、わたくしが『真っ当な意味で』あの人の特別になることはありません。

 

 "飼い猫と飼い主の間で恋愛は成立しない"―――飼い主が飼い猫の意図を汲むことはできても、飼い猫は飼い主の言葉を理解できないでしょう?

 

 

 わたくしにはどうにもできないのです。

 何をしても。

 何を与えても。

 何を言っても。

 おそらく、わたくしではもうあの人を変えられません。

 

 むしろ、かつてのカタチに戻っていくだけでしょう。

 

CODING…

 

 わたくしはもう割り切っています。

 後ろ髪引かれるようなことはありません。

 彼を受精卵からやり直させて思い通りにしようだなどと、もってのほか。

 

 それでも。

 彼のことがどうでもよくなったわけではないのです。

 彼を家族のように思っていた気持ちがなくなったわけではないのです。

 彼の幸せを願っているのです。

 行方知れずのお姉様と同じように。

 

 けれど、わたくしには何もできません。

 彼がそう造られたから。

 わたくしがそう生まれたから。

 最初から、わたくし達の関係は破綻しているのです。

 

 生まれた時から、そう定義されているから、わたくしは永久に彼の特別で、永遠の彼の特別にはなれないのです。

 

 それが嬉しくて、悲しいのです。

 

 わたくしは、彼の前で自分が上手く笑えているのかさえ、分からないのです。

 

 

 そんなことを思っていることしかできないから、貴方に託すことしかできないのです。

 

 メジロマックイーン。誇り高き、もうひとりのわたくし。

 

 夢を追うわたくし。まっすぐなわたくし。自分の生き方に疑問さえ持たないわたくし。

 

 話していて、貴方のように生きられたら……何度そう思ったか分かりませんわ。

 

 わたくしは()()()()()()()()のかもしれない―――そう思うたびに、貴方という血の繋がらない双子への尊敬と信頼が湧き上がるのです。

 嫉妬はありません。

 後悔もありません。

 心に傷がついたわけでも、苦しくなったわけでも、憎らしいと思うこともありません。

 

 今はただ、貴方のような存在が居てくれたことに、感謝の意があります。

 

 貴方が選んだ選択ならば、わたくしが反対することはありません。

 わたくしが選ぼうとする選択を、貴方は同様に選んでくれます。

 "もしも"があった時、『正しい選択』ではなく、『わたくしだったら選んでいた選択』を同じように選んでくれるのは、貴方だけですわ。

 

 これを。

 

 

 これはわたくしの手元に残った最後の携帯端末です。

 

 多少ですが、システムの処理に干渉することができますわ。

 

 平行世界の同位体である貴方なら、これで生体情報に僅かな偽装を行い、偽装検知に引っかからないようにして、わたくしの生体情報が暗号鍵として登録されている施設が利用できるはず。

 

 ……彼にも気付かれずに、です。

 

 無知ながらに、わたくしが知っていることは全て伝えました。

 貴方は今、より正しい意味でもうひとりのわたくしですわ。

 現場で貴方が考えて動いてくだされば、いざという時、何かできるはず。

 何かが起こるとは、限りませんわ。

 けれど備えておくに越したことはありません。

 

 どうか忘れないでくださいませ。

 貴方の選択はわたくしの選択でもあります。

 貴方は貴方の正しいと思った選択をなさってください。

 その選択は、いつもわたくしと共にあります。

 貴方は一人ではありません。

 

 

 どうか。

 あの人を。

 お姉様でも救えなかったあの人を。

 わたくしの血の繋がらないたった一人の『お兄様』を。

 救う一助に、なってあげてください。

 

 夢に見るのです。

 

 誰もが笑顔で、誰もが幸せな、そんな未来に辿り着いた夢を。

 

 そんなものは現実にはありません。

 

 そんなことは分かっています。それでも。

 

 かつてそんな夢物語を信じたわたくしだからこそ、諦められないものはあるのです。

 

 

 

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