「滲渼ちゃんだったかな?君、凄く強いからさ……俺も様子見は止めるよ────『結晶ノ御子』」
「! …これは」
童磨が徐に鉄扇を振るうと、現れたのは彼を象った小さな氷像。
その数────百七体。夏の夜の空気までもすっかりと冷え込んでおり、明らかに尋常な様子ではない。
「『冬ざれ氷柱』」
「!!!」
そのまま童磨が血鬼術を放つと、なんと百七の氷像も同様に血鬼術を繰り出した。数え切れない数の氷柱が、辺り一面に降り注ぎ始める。更に氷像の内幾つかは別の血鬼術を発動したらしく、氷の霧が滲渼の足元へと迫って来ていた。
「逃げ場は無いよ?」
「…そのようだ。故に、作るとしよう────『咢の呼吸 嵐ノ型
これに対して滲渼は、深く腰を落とすと……周囲を数度、刀で斬り払う。
「…正直、これで終わるなんて思っちゃいなかったけどさあ……全部斬っちゃうんだ?ほんとにおかしいね、君」
ただそれだけで、百七の氷像は無数の血鬼術諸共塵と消えた。流石の童磨も不快感を示し、顔を顰める
「ほらほら、折角だしもう一回やってみせてよ。この子たちなら幾らでも出してあげられるからさ」
「………偽り、だな」
「あはは、そう思うかい?でもね、それが出来るから俺は上弦の弐なんだぜ?その辺の鬼と一緒くたにしないでおくれ」
「否。純然たる事実だ…全ての鬼は、際限無く血鬼術を使うことは出来ない。其方は私に、精神的な揺らぎを与えようとしているだけだ」
「……あぁ、可哀想に。現実を受け止め切れないんだね…すぐに俺が、君を救ってあげるから────」
「そして」
氷像を並べ、滲渼を挑発する童磨。実際の所、「結晶ノ御子」はまだまだ召喚すること自体は可能ではあるが、無限に生成し続けることは不可能だ。どんな血鬼術であったとしても、血であれ何であれ鬼として必要なものを費やすことに変わりは無い。
だが、童磨はあくまでも己の術に終わりは無いと主張する。百七体の「結晶ノ御子」を瞬時に斬り滅ぼされたのを見て、正面から滲渼とぶつかるのは得策ではないと考えたために、肉体ではなく心を攻めることにしたのだ。果ての見えない戦いに、滲渼が精神を疲弊させることを狙ったのだ。
────まさか、己の心の穴を突かれるとは、夢にも思わずに。
「偽りは、もう一つ。先程から其方は恰も感情が豊かであるかのように振る舞っているが……その実、何も理解出来てはいまい」
「………どういうことかなあ」
「感情の機微は分かるのだろう?但しそれは、これまでの経験の中からそうなると知っているだけだ。何故そうなるのかは、理解出来まい。表情の意味は分かるのだろう?但しそれは、これまで見てきたものの中からそうであると知っているだけだ。何故顔色が変わるのかは、理解出来まい。────────心の底から同情しよう。其方程哀れな鬼は、後にも先にも現れまい」
滲渼は、その瞳の輝き方に見覚えがあった。よくよく観察していると、それが作られたものであると気付くことが出来るのだ。
「(世界を旅していた頃は、本当に多種多様な人間と出会ったものだ。………己の心が他と違うことに悩み苦しむ者も、一人や二人では無かった)」
「…凄く意地悪なこと言ってくれるんだね。俺はむしろ、周りの人間がそれはそれは頭が悪いものだから、そっちの方が可哀想だと思ってたけど」
「……そうか。人であった頃から、既に心の形が異なっていたのか。………殊更に、哀れだな。そうでなければ、或いは鬼とならぬ道もあったやも知れぬ」
「────ねえ。ねえねえねえ!何だろうね、これ!?胸の辺りかな!?脳味噌かも知れない!!何だか凄くざわざわするよ!!!君を喰べれば、分かるかなあ!!?『血鬼術 霧氷・睡蓮菩薩』!!!」
カナエからの言葉。滲渼からの言葉。募り募った心の靄…遂に童磨が、爆発する。無表情のまま声を荒らげ、己の血鬼術の中でも最大の規模を誇る技を繰り出した。周りの氷像も、一斉に同じ技を使い…真冬の夜にも等しい極寒が、一帯を包んでいく。
「残ってね、滲渼ちゃん!!!喰べてあげたいから!!とっても莫迦な君を、救ってあげたいから!!」
「……済まぬ、童磨。私を捉えた積もりだろうが────この位置、この距離ならば…外すことは無い。其方の期待に応えることは、出来ぬ」
「そっかあ!!良く分かんないけど、残念だなあ!!
────『
童磨の生み出した百八の菩薩像が、音を立てて砕け始める。像が崩れていく程に、空気もまた一段と冷たくなっていく。このままでは滲渼は絶対零度の冷気を全身に受け、微塵に砕けて死ぬだろう。
────だがしかし。それは、起こり得ない未来の話だ。
「(………何だろう 何か 途轍も無く拙い何かが)」
童磨は、言いようの無い怖気に襲われた。
ただ、それだけだった。何をすることも、出来なかった。
冷たい風が、吹き荒れる。
夏の暑さを取り戻した夜の空気………逆さになった景色の中、童磨は確かに────
嵐に舞う黒い影を視た。
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「あれえ?ひょっとして……琴葉?てことは、やっぱり俺死んじゃったのかー……でも、まさかあの世があるなんてねえ。頭の悪い妄想じゃなかったんだあ」
「…教祖様。私、貴方のことはまだ怖いです」
「? ……いきなりどうしたの?」
「…でも、貴方の側で伊之助と過ごしたあの日々は……本当に、暖かくて楽しかった。せめてそのことは、お礼が言いたかったの。………さようなら。もう、会うことは無いでしょう」
「え?え? …行っちゃった。一方的に変なこと言うんだもんなあ……ほんとに琴葉って頭が悪いんだ。会話にならないぜ」
その身を灼き始めた地獄の業火にも、童磨は特に気を払わなかった。
ただ少しだけ……滲渼とのやり取りを経験した上での、先程の愛らしい女性の言葉。そこに少しだけ、何かを感じたような気がした。
答えを教えてくれる者は、もう誰も居ない。
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「こ、れは……」
呼吸の度に感じる痛みを堪えながら、どうにか遠目から激しい戦闘が見えた地点へと辿り着いたカナエ。そこは正しく、災害が通り過ぎたかのような様相を呈していた。暫く呆然としていた彼女だったが、ぽつりと佇む滲渼を見て、我に返る。
「…はっ!か、刈猟緋さん!!無事なの!?」
「うむ。たった今、上弦の弐は討った。……実に哀しき、鬼であった」
「! ……ええ、そうね…。きっと、沢山の人を喰らったんでしょうけれど……いつの日か、その罪を浄めることが出来ますように」
朝日が射し始めた、激闘の日。それは、鬼殺隊の歴史が大きく覆された日でもあった。
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「(童磨が死んだ。……率直に言って、嫌悪していた男だったが…実力は確かだった。まさかたかが女一人に敗れるとは……最期まで、本当に苛々させてくれる)」
暗い夜の町、まだ日が昇り切らない頃。一人の男が腹立たしげに顔を歪め、目の前にいる別の男を眺めていた。別の男は直前まで地に伏せていたものの、丁度立ち上がろうとしている所だ。
「(だが…私は運が良い。何ということもない、通りすがりの男。このような時間であるから、人通りも少なかった……癇癪半分で大量に血を流し込んでみれば、これ程早く適応するとは)」
「う、ぅ……一体、何が…くっ!頭が、割れそうだ……」
意識が混濁しているのか、何事か呟きながらふらふらと立ち上がった男。しかし、瞳孔が縦に伸びており、口からは鋭い牙も覗いている。彼は、鬼と化していた。
「(────呪いを外されてしまったことが気掛かりだが、これは千載一遇の好機だ。太陽を克服する可能性は、十二分にある。逆らうようならさっさと殺してしまえばいいだろう)」
「……あ、あの…?貴方はどういった方なのでしょうか…?ぐ、く……私、どうやら倒れていたようなのですが…」
「…ほう。素晴らしい……理性も残っているか」
「…はい?」
「貴様は選ばれた……着いて来るがいい。この私の役に立てることを光栄に思え」
「?? …その、私はこれから………あ、れ…。……何をしようと、していたんだったか………き、記憶がぐちゃぐちゃで…」
「……呪いが外れると、こうも面倒なものか………鳴女。この男も入れろ。それと、上弦共を呼べ。奴等の無能と怠慢には呆れる…一度釘を刺しておかねばな」
────運命の歪みは、四方八方へと波及していく。
【狩人コソコソ噂話】
・「極ノ型」
極致へと到りし、畏怖すべき自然の権化。生きとし生けるものに抗うことを許さない命の旋律は、相対する者に絶対的な格の差を思い知らせる。
・「嵐ノ型 燎原」
「爆鱗竜」バゼルギウスから着想を得た技。通り過ぎた地に根付く全ての命を焼き滅ぼす、加減を知らぬ気高き外道。刀を振るった領域、またその衝撃が及んだ領域に存在するあらゆる鬼や血鬼術を斬滅する。
・「極ノ型 風翔け」
「鋼龍」────或いは「風翔龍」クシャルダオラから着想を得た技。嵐を纏い、天候すらも司る鋼の龍は、尾の一薙ぎを以て飛竜の命を奪い去る。ただ、一刀。一撃の下に全ては風に拭い去られ、天災に巻かれた鬼は跡形も無く葬られる。
【明治コソコソ噂話】
・童磨が本気を出したのは、本人的には「何となくそうしたかったから」ぐらいの気持ちですが、実際には本能的な防衛反応です。ただ、残念ながら逃走が正解でした。
・「血鬼術 天上ノ無」
完全なる創作。そもそも百七体の御子が創作。御子&自分で繰り出した百八の睡蓮菩薩を一斉に粉砕し、辺りを絶対零度の空間へと変貌させる。完遂されれば技の範囲内の全ては粉々に消えて無くなり、天国も地獄もない「無」が出来上がる。滲渼には通じなかった。