カナエが引退してから一年と少し。蝶屋敷には、しばしば鬼殺隊の隊士たちが運ばれて来るようになっていた。本格的に医療施設としての稼働を始めた屋敷内は、日夜慌しい雰囲気に包まれている。落ち着くことのできる時間は、住人の少女たちにとっても貴重なものだった。
「年号、変わりましたね…」
「そうねえ。けれど、鬼殺隊の日常は変わらないわね。……アオイちゃん、しのぶはどうかしら?ちゃんと良い師匠になれてる?」
「あ…はい。カナエ様とはまた違ったやり方ですが、ちゃんと力は付いていると思います」
「………そう。…それなら、良かった」
「…? …あ、しまった!もうこんな時間…!カナエ様!」
「ええ。そろそろお昼の支度、しましょうか」
近頃、カナエはしのぶと一緒に居ることが少なくなっていた。蝶屋敷の住人たちもその事には気付いてはいたのだが、環境が変わったことによってそれぞれの役目が出来たためにたまたま別々になっているのだろうと…そう、考えていた。
しかし、どうもそうではないらしいとアオイは感じ取る。カナエは頻りにしのぶのことを気に掛けているようだが、その顔はいつも明るさに欠ける。しのぶは何かに追い立てられるように鍛錬に打ち込むようになり、稽古も少々厳しくなった。
「(…カナエ様、ひょっとして……)」
二人の様子がおかしい理由に思い当たったアオイ。意を決して、隣を歩くカナエに問いかけた。
「……カナエ様は、しのぶ様に鬼殺隊を辞めて欲しいんですか?」
「────え?」
「その、突然すみません。でも何となく、そうなのかなって…」
カナエはアオイの質問に意表を突かれたか、目を丸くして立ち止まった。不安そうな顔をして同じように足を止めた少女に向き直り、少し間を空けて口を開く。
「……そう、ね。ごめんなさい、アオイちゃん。貴女が鬼殺隊に入りたくて、ずっと頑張ってきたのは知ってるわ。だから、今もしのぶに稽古をつけて貰っているんだものね。…でも、私はあの子には普通の女の子として生きて欲しいの」
「…カナエ様。しのぶ様は、私以上に努力しています。今までずっと、この屋敷で見てきました。血の滲むような努力を重ねて重ねて……そうです、ついこの間には階級も甲まで上がったって…! ……今辞めてしまったら、何のために今まで…」
「分かってるわ。あの子の頑張りを、誰よりも長い間側で見てたもの。…それでも、どうしようもないことはあるのよ。……力の無さは、足で、知識で補った。けれど、何方も通用しない相手は居るわ。そんな相手と、出会ってしまったら………もう私は、助けに行ってあげられない。手の届かない所で、しのぶが死んでしまうかもしれない。……ごめんね…本当に、ごめんなさい……ただただ、怖いのよ…!!」
「………カナエ様……」
震えながら声を絞り出すカナエ。尊敬するかつての師、愛する姉に等しい彼女の、これ程までに弱々しい姿を見たのは初めてだった。アオイはあまりの衝撃に立ち尽くし、掛ける言葉が見つからない。
「…その────」
「全く、もう…」
「「!」」
と、そんな中…厨への廊下に新たに現れたのは、今まさに話題の中心であった人物。
「し、しのぶ…」
「こんな所でする話じゃないわよ、姉さん」
「ち、違うんですしのぶ様!私が差し出がましいことを言ってしまって…!!」
「アオイは悪くないわ。悪いのはずっとくよくよしてる姉さんよ」
「う、ううぅ……」
二人の会話を聞いていたしのぶは、開口一番姉を咎める。アオイが庇うが更にしのぶは姉を詰り、カナエはとうとう小さくなってアオイの背に隠れてしまった。
「……刈猟緋さんに『覚悟はしてたから』なんて言っておきながら、妹が死ぬのは怖いのね」
「……当然でしょう?たった一人の肉親なのよ」
「────ええ、当然だわ。私も姉さんが死ぬのは怖いもの。考えるだけで心が張り裂けてしまう」
「…えっ?」
揚げ足を取るようなことを言うかと思えば、直後には打って変わって同調する。しのぶの言いたいことが、カナエには中々見えてこない。
「でもね、姉さん。私がずっと『鬼と仲良くするなんて無理だ』って言っても、姉さんは聞かなかったでしょう?だから、私もそうするわ。姉さんが幾ら辞めろって言ったって、辞めるもんですか」
「そ、それは…」
しかしてしのぶが口にしたのは、子供のような理屈。意地っ張りには意地っ張りで返す、側からは命が懸かっている話題だとはとても思えないような言い分だ。しのぶはそのまま、懐から一枚の手紙を取り出してカナエに見せる。
「ほら見て、これ」
「……嘘」
「柱の打診よ。さっき、承諾の返事も書いて送ったわ。…どう、姉さん?最初に辞めろって言った時、何て言ってたかしら?『柱になんてなれっこない』? お生憎さま、この通りよ」
「…しのぶ……」
「……姉さんみたいにはなれないってことぐらい、私が一番良く分かってる。でも、私には私のやり方があるから………だから、信じて。絶対に、姉さんを…皆を置いていったりしない」
命を捨てるような真似はしない。それが、
「……いいわ。そこまで、言うのなら……しのぶ。貴女を信じます。今の言葉、決して忘れてはなりませんよ」
「…うん。私、ちゃんとやり遂げるから」
「……………はい!えと、それじゃあお昼の支度を急ぎましょう!!ね、カナエ様!!」
「うふふ、そうね。カナヲたちもきっとお腹を空かせてるわ」
────大正元年。胡蝶しのぶ、『蟲柱』に就任。
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「…と、いうのが半年程前の出来事ですね」
「そうか……何にせよ、丸く収まったというのならば良きことだ。しのぶ、改めて宜しく頼もうぞ」
「こちらこそ、よろしくお願いしますね!」
そうした一連の出来事を、しのぶはその後の柱合会議にて顔を合わせた滲渼に話した。就任直後の臨時柱合会議では蝶屋敷が忙しい時期だったために、またこの頃は滲渼も尾崎の「咢の呼吸」習得に向けて一層力を入れつつあるために、どちらも中々ゆっくりと話す機会が作れなかったのだ。
久々の談笑を楽しむ二人…そこに突然、闖入者が現れる。
「…刈猟緋」
「!? …と、冨岡さん?私の後ろから刈猟緋さんに話しかけるの止めて貰えませんか…?」
水柱・冨岡義勇。滲渼が苦心して他の柱たちとの橋渡しを試みているが、今尚馴染めない埒外の人見知りだ。
「…胡蝶の話に出て来た、姉について聞きたい」
「無視ですか……」
「む…それならば肉親であるしのぶの方が、詳しく知っていると思うが……」
「……………」
滲渼の返事を受け、視線をしのぶに移した義勇。そのまま彼女の顔を穴が空くかという程に見つめ続ける。しのぶは呆れながらも、彼に姉について話してやることにした。
「はぁ……仕方ありませんね。何が聞きたいんですか?」
「…鬼と仲良くするとは、どういうことだ」
「! ……姉さんの…夢、みたいなものですよ。別に鬼に情けを掛けようとか、そういうことではないのでご心配無く」
「…そうか。…………例外は、居ると思うか」
「…え? ……ひょっとして、『仲良く出来る鬼が居ると思うか』って聞いてます?まさか…考えられませんね」
「…そうか」
しのぶにカナエのことを尋ね、「鬼」の例外について尋ね、返事を聞くだけ聞いてさっさと立ち去った義勇。しのぶは彼の不審な行動を訝しみながらも、不審なのはいつものことかと思い直した。
「……冨岡さんって、本当に生き辛そうですよね。この間も偶然任務にご一緒したんですけど、縛られてるのに『自分で何とかする』って…どう考えても無理でしょう」
「…ふむ……しかし、今日の冨岡は様子がおかしかったな」
「────えっ?」
「何か、隠し事でもしているかのようだったが……考えすぎだろうか」
「え、えっと……具体的に、どの辺りがおかしかったと思うんですか?」
「む? …表情が、強張っていた」
「(???)」
しかし、滲渼は冨岡の様子が普段とは違っていたと話す。しのぶ自身彼と出会ってそれ程長い訳でもないが、記憶に残る以前の彼と比べても全く滲渼の言う変化が分からない。これ以上首を捻っても時間の無駄だと思い、考えるのを止めた。
「そうだな……鱗滝に訊ねてみようか。彼ならば、或いは冨岡の異変の訳を知っているやも知れぬ」
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義勇の異変の理由を、錆兎に手紙で訊ねた滲渼。ところが返って来たのは、期待通り半分といった程度の内容だった。
『久しいな、刈猟緋。そちらも健在であること、喜ばしく思う。さて、義勇が隠し事をしているのではないか、という件についてだが…確かに義勇はお前に隠し事をしている。だが、それは俺や妹弟子の真菰も承知していることだ。そして、まだお前に話すことはできない。時が来れば、恐らくはお館様の方からお前に何かお伝えになられるだろう。それまでこの件を秘すること、許して欲しい』
「……ふむ………どうやら、思いの外重大な事であるようだな…」
「刈猟緋さあああん!!!!!出来た、出来た、出来たわあああっ!!!!!」
「!! 真か!!? 少し待て、今行く!!」
手紙の内容に従い、一先ず義勇の隠し事については気にしないことにした滲渼。すぐ後に聞こえてきた尾崎の絶叫に、手紙から顔を上げて応答を行いその場を後にした。
────────それからも、時は流れ。新たに炎柱、蛇柱、恋柱が柱に加わり、遂に九人の柱が揃い。
「今宵は、任務か?」
「ええ。山に鬼が巣食ってるみたいで、部隊を組んでその討伐に向かうみたい。確か……那田蜘蛛山、だったかしら」
滲渼が錆兎の手紙を受け取ってからおよそ二年が経った、ある夜のことだった。
【大正コソコソ噂話】
・本作ではしのぶはカナエの真似をしていないので、鬼に対してお友達になりましょうとか言わずに普通に黙って殺します。それによって何かが大きく変わったりはしませんが。
・柱メンバーは原作から無一郎OUT、滲渼INです。理由は単純に柱になった順番の問題。もしかしたら甘露寺の方が無一郎より後だったのかもしれませんが、本作では無一郎が最後だったということにします。アオイちゃんは普通に選別で心を折られました。