「父上、本日より宜しくお願い致します」
「うむ。改めて言うが、鬼と戦う力を其方に授けるべく、稽古はかなり厳しくなるだろう。己の選択を曲げたくなければ、確りと付いてくるが良い」
「御意」
刈猟緋家の敷地は極めて広大だ。屋敷の建つ山、丸ごと一つが刈猟緋家の私有地。当然、修行場や稽古場に困ることはない。早朝、滲渼と闘志の二人は日差しが降り注ぐ広場に立っていた。
「鬼殺隊の隊士が用いるのは、大きく二つ。『日輪刀』と、『呼吸』だ。『日輪刀』は傍目にはごく普通の刀と変わらぬが…剣術を鍛えた者が握れば、刃の色が変化する。『呼吸』には多様な種類があり、それらの素養に応じて刃の色もとりどりに変わる。其方はまだ身体が小さい故、先ずは『呼吸』の稽古からだな」
「呼吸とは…今私たちが行っている?」
「否、唯の呼吸には非ず。人の身に眠る力を最大限に引き出す、特別な呼吸法よ。当然、扱う者たちそれぞれで適する呼吸法は異なる。とはいえ、基本となる『水・雷・風・炎・岩』の呼吸の何一つとして合わぬという者はそうおらぬ。案ずることは無いぞ」
滲渼の疑問に丁寧に答える闘志。説明を終えると共に、腰に携えた刀に手を掛け、抜き放つ。刃が青く染まった、美しい業物だ。
「吾輩からは、『水の呼吸』を授けよう。身に合わぬと思えば、己なりに手を加えよ。ではよく見ておれ────行くぞ!!」
「!!」
刀を構え、裂帛の掛け声を放つ闘志。身構えた滲渼の目の前で、彼は一文字に刃を振るった。
「『水の呼吸 壱ノ型 水面斬り』ィィイイイッ!!!」
「な────」
刃の軌跡に、凄まじい波濤が描かれる。瞬きののちに全ては泡沫のように消えてしまったが…滲渼にとっては、心底目を瞠るべきものだった。
「ち、父上!今の激流は、一体!?」
「うむ。これぞ、日輪刀と呼吸の真髄。正しい呼吸法をもって振るわれた日輪刀は、それらに応じた幻すらも見せるのだ」
「……何という…!!これを、私に伝授して頂けるのですか!」
想像を絶する妙技に目を輝かせ、逸る気持ちを抑えられない滲渼。しかし────
「うむ!たった今見せた通りよ!さあ滲渼、倣ってみせよ!!」
「………はっ?」
「呆けることなど何も無いぞ!肺臓をこう、ぬんっ!!として!筋肉をせいっ!!と!もう一度見せてやろうか?」
「………は、その…お願い、致します」
「相分かった!!ぜええぇいィィッ!!『水の呼吸 壱ノ型────』」
「(…………成程。これは、厳しい稽古となりそうだ………ある意味で)」
闘志には、絶望的なまでに育手としての才能が無かった。滲渼の目は、既に明後日の方を向いていた。
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稽古が始まって一ヶ月。闘志の酷すぎる教え方にも不平を漏らすことなく、滲渼は今日も呼吸の練習に励んでいた。
「むむ……動きは悪くないのだがな…やはり呼吸はからきしか」
「はっ…はっ…申し訳、ありません……」
近頃は呼吸の稽古があまりに進まないので、小さめの竹刀を持ち、剣術の稽古も並行して行い始めていた。どうしても呼吸が使えず、肉体的にも幼さが残る分、闘志との模擬戦は負け続きだ。
「目を凝らしてみよ、滲渼。筋肉の動かし方さえ学べば、じきに肺臓も赤子の手を捻るように操れるようになろう」
「(…目を凝らす、か……)」
滲渼は、この世界に産まれ落ちてからというもの、そういったことを一度たりとも行ったことが無かった。命のやり取りを行う相手が居なかったことや、それに伴ってそもそも必要が無かったというのが要因としては挙げられるだろう。
しかし、事ここに至ってはそうも言っていられない。命を懸ける戦いへの備えであるから、出来ない、やらないなどというのは通用しないのだ。
かつての日々、若かりし頃を思い出して…滲渼はその双眸に、力を込めた。
「……ッ!?」
────瞬間。世界は確かに、滲渼の瞳に透けて映った。
思わず怯み、眼から力を抜く滲渼。世界はいつも通りの光景を取り戻したが…驚くべきことが連日続くあまり、ついつい立ち眩んでその場にへたり込む。
「!?どうした、滲渼!大事無いか!?」
「ち、父上。父上の筋肉が…臓腑が、まろび出たのかと……」
「…どういう事だ?………何が見えた?」
闘志の問いかけに、滲渼は訥々と事実を述べる。
「……申し上げた通りに、ございます。父上の筋肉が…衣を、皮膚を通して見えました。同様に、臓腑も。確かに、心の臓が、鼓動を刻んでおりました。……これは、一体…?」
「何と…」
当然、闘志にとってもこれは驚くべきことだった。滲渼はこれがこの世界の常識なのかと慄いているが、決してそんな事はない。彼女という存在が、桁外れに常軌を逸しているだけなのだ。
「……滲渼。其方はやはり、神仏の寵愛を受けて産まれて来たのやも知れぬ」
「寵愛、ですか…?」
「もう一度、吾輩を『透かして見る』ことはできそうか?」
「…やってみます」
先程と同じように、眼に力を込める滲渼。やはり世界は透き通り、父の筋肉や臓器までもが顕になった。
「…できました、父上。違いなく、同じことが起きております」
「そうか……そのまま、動けるか?」
「無論です」
「…よし。では、行くぞ。肺臓を確と見るが良い。『水の呼吸』、己が物として見せよ!!」
「はっ!!」
────この日、滲渼はこれまでの苦悩が嘘であったかのようにあっさりと「水の呼吸」を習得した。まだまだ手をかけたばかりといった所ではあるが、肺の動かし方を知った彼女はここから爆発的にその力を増していくこととなる。
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「『水の呼吸 拾ノ型 生生流転』」
「……見事!実に美しい!」
初めて「水の呼吸」を習得してから一年。滲渼はついに、壱から拾の型全てを完璧に繰り出すことができるようになった。また、身体も成長したことで、日輪刀を振るうことにも大きな問題は無くなっていた。
「流石と言うべきか…一度掴んでからは、早かったな。吾輩よりも余程才がある」
「ありがとうございます。……ただ、何と申せば良いのか…」
称賛を受け、礼を返す滲渼。しかし、何やら口籠もっている様子を見て、闘志が彼女の心中を代弁した。
「合っておらぬか、水の呼吸が」
「!…はい。率直に申せば、私には少し……大人しすぎます」
水の呼吸は、滲渼に適した呼吸では無かった。「水」から派生させるというのも少々考え難く、その一切が彼女と噛み合わないものであったようだ。
「済まぬな…吾輩も水の呼吸以外はまるで素人、これ以上呼吸について教えられることといえば…『全集中』と『全集中・常中』ぐらいしか残っておらぬ。後者については又聞きした程度で、吾輩も身に付けた訳ではない。何より、どちらも合わぬ呼吸で無理に習得すれば、妙な癖が付いてしまうだろう。其方はやはり、己だけの呼吸を編み出すべきだな」
「私だけの、呼吸……」
「焦ることはない。剣術の稽古もそう間を置かずに皆伝をやれるだろう。時間をかけて、少しずつ練り上げていくが良い」
呼吸の稽古が一段落し、剣術も闘志の想像以上の速度で腕を上げる滲渼。心と体の成長に合わせ、彼女は自分なりの呼吸法を模索していく。
【明治コソコソ噂話】
・闘志は水の呼吸しかできないと言っていますが、その水の呼吸もかつての育手である先代当主からは絶対に合っていないと言われていました。しかし、変な反骨心で頑張った結果、何故か拾ノ型まで習得できてしまい、育手を仰天させました。多分本人の最適正は岩か炎です。
・今闘志と滲渼が使っている日輪刀は先代当主が遺した一振りです。闘志の刀は下弦の陸との戦いで相討つ形で折れてしまいました。