「刈猟緋さん、行きましょう!」
「うむ。しかし、そう
「あらあら、駄目よ滲渼。こういうのは始まる前から雰囲気をじっくり楽しむものなの。折角のお休みなんだから、思う存分羽を伸ばしていらっしゃい」
「む…そう仰るのであれば……」
瞢爬との邂逅を果たしたあの日から、一ヶ月以上が経過したある日。滲渼と尾崎は昼過ぎから何処かへ出掛けようとしていた。
「(…花火、か……前世でも小さなものは見たことがあったがな。わざわざ出向く程の規模というのは、想像がつかない。尤も、祭事自体は嫌いではない。偶にはこういった事があってもいいだろう)」
目的は、花火の観覧だ。張り詰めた様子の滲渼に息抜きをさせてやろうと思った尾崎が提案したことであり、家族たちもそれに賛同した。夜間は巡回の務めがあるため、それ程長居出来る訳ではないが…それでも、彼女には心に彩りをもたらすような経験を少しでも積んで貰いたかったのだ。
そんなこんなで、屋敷を出て暫く。二人は道すがら、互いに近況報告を行っていた。
「えぇ!? 十四歳!? また凄い子が出て来ちゃったわね…」
「うむ。御館様によれば、前年には既に柱としての資格を有していたそうだ。刀を振り始めて二ヶ月で、な」
「……流石に誇張が過ぎるんじゃないかしら…? 天才なんてものじゃないわよ、そんなの」
「虚言を述べる必要はあるまい。然様な者も居るということなのだろう」
炎柱・煉獄杏寿郎の柱引退。同じ柱たちにとって衝撃的なその報せは、すぐ後に新たな衝撃によって上書きされてしまった。
後釜に収まったのは、霞柱・時透無一郎。齢十四だというのに柱となったその少年は、何と刀を握って二ヶ月の段階で柱となるための条件を満たしていたらしい。当時は柱が満員であったために、長らく階級甲の隊士として活動していたようだが、この度晴れて…というべきかはともかく、柱に就任したのであった。
「私なんて何年も何年も鍛錬を重ねて、やっとの思いでここまで来たのに…ちょっと自信無くしちゃうわ」
「案ずるな。私も呼吸と剣術の稽古を始めたのは七つの時だ。此度の少年が並外れているだけの事」
「あら…そうだったのね! てっきり刈猟緋さんもそういう感じだとばかり思っていたから、吃驚だわ。でもそうなると、新しい柱の子は本当にとんでもないのね……」
意外にも、滲渼の積んだ修練の量は人よりもかなり多い。呼吸という未知の技術を身に付けることに手間取った上、育手にあたる闘志の教え方があまりにも酷過ぎたためである。そこから咢の呼吸を完成させるまで更に数年、一朝一夕には上手くいかなかったものだった。
「…そういえば……少し前、気になる通達が鴉からあって。鬼を連れた隊士が居るって、本当?」
「……む。成程…全ての隊士に共有されていたか」
「…ということは、本当なのね」
続いて尾崎が尋ねたのは、これまた彼女にとっては衝撃的な話題。討つべき鬼を連れているという、ある隊士についての話だ。
「特例で容認されているそうだけど……大丈夫なの? 正直、不安で堪らないわ…」
「ふむ…少なくとも、隊士の素行には問題は無い。件の隊士……竈門炭治郎は、実に誠実な少年だ」
「………竈門……炭治郎…あっ! 思い出したわ! 那田蜘蛛山で会った、癸の子…! あの子が鬼を…!?」
滲渼が出した名に聞き覚えがあった尾崎は、己の記憶を探ってその正体に思い至った。以前任務先で遭遇した、市松模様の羽織を着た少年だ。快活な雰囲気の彼がそのような隊律違反を犯していたとは思わなかったし、何よりそのことが認められているというのも不可解だった。
「少年が連れている鬼は、彼の妹でな。私自身が直接目にした訳では無いが…杏寿郎曰く、人を守って戦ったのだという。故に私は、今は彼等を信頼している」
「……根拠としては、今一つだと思うけど…」
「それだけならば、勿論そうだろう。だが、人を襲わないという証明は既に為されている。それに加えて、万が一彼女が人を襲った場合には、五人の人間が責任を取り腹を切ることになっている。冨岡と鱗滝も、その内だ」
「え……そ、そんな! もし何かあったら…!!」
「…うむ。覚悟の上、ということだ。何れにせよ、御館様の決定には従わねば…我等には、あの方と彼等を信じることしか出来ぬ」
「……そう。…うん、そうよね。鱗滝君の性格は、よく分かってるもの。彼が命を懸けるだけの何かが、その兄妹にはあるんだわ。気にしても仕方ないわね」
事は、尾崎が考えていたよりも複雑であるようだった。人を襲わない鬼というだけでも俄には信じ難いことであるのに、それどころか人を守るときている。何故今更そのような例外が現れたのかは分からないが、一隊士が口出しできるようなことではない。何事もなく、味方として励んでくれることを願うばかりだった。
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「流石に、大分人も集まってきたわね…」
「うむ。場所を移すか?」
「ううん、ここが良いわ。ここが一番大きく綺麗に見えるの」
「ほう、良く知っているのだな」
「…まあ、ね。何度も…家族とここで見てたから」
「! ………そうか」
現地に到着してから少し。辺りはすっかり暗くなっており、もう間もなく花火が上がり始める筈だった。予め尾崎が決めていた地点にて、その時を待つ。
「ここの花火はね。江戸の頃から、百年以上も続いてるそうよ。人間が紡いで来た、伝統の証。きっとこれから先も、ずっと……ずっと継がれていく」
「……百年、か。途方も無いな」
「だからこそ凄いのよ。────あっ! 始まったわ! 見て!」
「……………これは」
二人が言葉を交わす中、花火の打ち上がる音が響く。漆黒の夜空に、鮮やかな光の花が咲き始めた。
滲渼の想像を遥かに上回る、壮絶な規模の光の群れ。視界を覆う色とりどりの輝きは、前世を含めてもなお彼女にとっては未知そのもの。あまりの美しさに、心を奪われる。
「(………小さな樽に詰めたようなものではない。さぞ大きな器に、ふんだんに火薬が込められているのだろう。或いは、兵器として転用し得る程に。それをこうして空に放つ…そのことに、意義があるのかもしれない。平和という、細やかながら切実な望み。手放しに、称賛に値する────至上の芸術だ)」
内からも外からも瞳をきらきらと輝かせる滲渼。そんな彼女に、尾崎が小さな声で話しかける。花火の音に掻き消されるような、か細いとすら思える声。それでも、滲渼には確かに届いた。
「────ねえ、刈猟緋さん」
「! …どうした?」
「ありがとう。私、貴女から返しきれない程沢山のものを貰ったわ。鬼への考え方も、少しだけ変わった。貴女と出逢っていなければ、私はとうの昔に死んでしまっていたかもしれない」
「…それは、大袈裟だ」
己を卑下するような尾崎の台詞を否定する滲渼。だが、尾崎は譲らない。彼女にとって、滲渼との出逢いは何物にも代え難い奇跡だ。それが自分の中でどれだけ大きなものであるか、最も理解できているのは尾崎自身だった。
「そんなことないわ。貴女が居たから、私は今ここに居る。謙遜してる訳じゃないのよ? 自信を持ってそう言えるの」
「……そうはっきりと言われると…むず痒いものがあるな」
「くすくす、本当? ……綺麗でしょう、花火」
「…うむ。真に……この上無く美しい」
花火の打ち上げはますます勢いを増し、音も激しくなっていく。二人の声は互いにも聞こえにくくなりつつあった。
「………また、来年も…ここで花火を見ましょうね。約束」
「! ………無論だ。次は────全てが打ち上がるまでを、見届けよう」
これ以上見ていることは、出来ない。滲渼が巡回を怠れば、担当地区内で鬼の被害が広がってしまうだろう。連続する玉火の終焉は、鬼が絶えない限り目にすることは叶わない。
「(…約束が、また一つ増えてしまったな。初めはただ、狩猟の滾りをば再びと……そう考えて鬼殺の道に進んだのだが。この世界で過ごす内に…人との繋がりの暖かさを、思い出してしまった。────壊させはしない。何者であろうと…
────滲渼はこの瞬間、「刈猟緋滲渼」として完成した。己の生きる世界を見つめ、愛しき全てを守り抜く…その覚悟を、確かなものとした。
今だけは、かつての仲間たちに別れを告げる。いつか還る、その日まで。