遠くで、轟音が響いた。出処を示すように土煙が高く上り、びりびりと炭治郎たちの側まで空気の揺れが伝わって来る。
「喧しいわね塵虫が…何の音よ、何してるの? どこ? 荻本屋の方ね。それに雛鶴…アンタたち何人で来たの? 四人…いや、五人かしら?」
「言わない」
「自分で考えなさい」
「……いちいち癪に障るような言い方しやがって…ちょっとアタシの攻撃を防いだぐらいで………いい気になってんじゃないわよ!!!」
堕姫の質問に取り付く島もない様子の二人。苛立ちを抑えられなくなってきた堕姫は、早々に目の前の鬼狩り二人を殺してしまおうと帯を躍らせる。
「『ヒノカミ神楽 烈日紅鏡』!!」
「『咢の呼吸 地ノ型 鎌刈り・奈落』!!」
「ッ!!」
「(ガキの方は太刀筋が変わった…その上、格段に動きも良くなった! 地味女の技は、何……何よこれ! 痛い…斬られた帯が痛みを訴えてくる! 益々苛々して来たわ…!!)」
堕姫の攻撃を上手く凌ぐ炭治郎と尾崎。ヒノカミ神楽によって一時的に力を増した炭治郎は、堕姫とも渡り合える程になっている。また、尾崎は言わずもがな。五年以上の月日を滲渼の継子として過ごした彼女の実力は、歴代の柱と比べても決して見劣りしないだろう。
「『炎舞』!!」
「『地ノ型 迅』!!」
「ちっ…!! 鬱陶しい…!!!」
そんな彼らを、中々捉えることができない堕姫。炭治郎だけならば如何ということはないのだが、そちらに集中することはできない。尾崎は間違いなく彼女が今まで戦ってきた鬼狩りの中でも最上級に強い。ともすれば、
「アンタ…地味な癖して柱なのね? その辺の雑魚と同じような格好だからわからなかったわ」
「………私が…柱?」
だが、彼女の目算には誤りがある。
「────『天ノ型
「(速────!!)」
高速の突きをすんでの所で躱す。しかしそのまま尾崎は地面を蹴り、高く跳んで堕姫へ追い縋った。彼女の頭に振り下ろされんとした刀は、集められた帯の束に軌道を変えられ狙い通りには当たらない。代わりに、目にも止まらぬ連撃が全ての帯を切り刻んだ。
「(凄い…!!)」
「…何かご不満? アタシの頸を落とせなくて悲しいのかしら? 安心しなさい。柱如きが上弦であるアタシに────」
「柱なら。…今ので貴女を殺せていたわ」
「……何ですって?」
「わからない? 私は柱じゃないの。柱の弟子、継子なの。運が良かったわね、貴女。私の師事している人は……こんなものじゃないわよ!!!」
それは堕姫にとって、この上ない衝撃だった。目の前の鬼狩りの女は、どう考えても柱並みの実力がある。一目見ただけで、強いというのが理解出来たからだ。
だがそれよりも更に、今代の柱は強いのだという。
「(冗談でしょう…!? 一体何が……)」
「『火車』!!」
「『天ノ型 空燃る火群』!!」
「すっとろいわね不細工!! アンタなんて居ても居なくても同じなのよ!! 引っ込んでなさい!!」
「引っ込まない!! お前を倒すまで!!」
「このガキ…!!」
尾崎は明らかに堕姫に優っている。だというのに、二対一。彼女の我慢は限界に達しようとしていた。
その上…
「(! 何だ? 帯が体に入っていってる……いや、戻っているのか! 分裂していた分が…!)」
「…!! そう…
「(姿が変わった…!! 心做しか、先刻までより強くなってるような…!)」
どうやら本物の柱が来ているということまで判明した。分体を取り込んだことである程度力を取り戻しはしたものの、やはり堕姫一人では厳しい状況に変わりはない。
「おい、何をしてるんだお前たち!!」
「!! (しまった!! 騒ぎで人が…!!)」
「人の店の前で揉め事起こすんじゃねぇぞ!!」
「…うるさいわね」
そして今度は、外での喧騒を聞きつけてやって来た人間が怒鳴り声を上げる。次々と堕姫の神経を逆撫でする出来事が続き……
「だめだ下がってください!! 建物から出るな!!!」
「こっちに来ちゃ駄目────」
八つ当たりの暴力が、花街の一角を襲った。
「……はっ……!! はっ……!!」
「尾崎、さん…!」
「…本当……嫌になる程強いわね。でも、全部は守れなかった。聞こえるわ……醜い人間の醜い悲鳴が」
「…お、まえ……ッ!!!」
外に出て来ていた人間と炭治郎を庇い、無数の帯を斬り伏せた尾崎。しかし、あまりにも規模が大き過ぎた。取りこぼした攻撃が家屋を切り裂き、あちこちから血の匂いと悲鳴が届く。
「ひっ、ひっ、弘さんっ!! 嫌ァア!!」
「許さないッ!!!」
「許す許さないなんてねぇ…!! 弱い奴に決められる筋合いは無いのよッ!!!」
尾崎が怒りのままに堕姫に斬りかかり、激しい攻防が再び幕を開ける。そんな中炭治郎は、己の底から湧き上がる激憤にその身を委ねようとしていた。
「『血鬼術 八重帯斬り』────」
「『ヒノカミ神楽 灼骨炎陽』」
「!?」
「(…竈門君!? 今……動きがまるで違って見えた!!)」
「(斬られた所が…灼けるように痛い!! 再生も出来ない…!! 先刻の地味女の比じゃないわ!!)」
激しい怒りに血涙すら流しながら、炭治郎は堕姫へと詰め寄る。
「失われた命は回帰しない。二度と戻らない」
「…竈門君」
「生身の者は…鬼のようにはいかない。なぜ奪う? なぜ命を踏みつけにする?」
「…っ(この言葉…どこかで聞いた)」
「『何が楽しい? 何が面白い? 命を何だと思っているんだ』」
堕姫の脳裏で、誰かの姿が炭治郎に重なった。
「(誰? 知らない)」
「どうしてわからない? 『どうして忘れる?』」
「(これはアタシじゃない。アタシの記憶じゃない。細胞だ。無惨様の細胞の記憶……)」
それは、遥か古の記憶。五百年以上も前の、ある人間の記憶。無惨が唯一恐れる人間の記憶。
「人間だったろう、お前も…かつては。痛みや苦しみに踠いて涙を流していたはずだ」
全てを振り払うように、堕姫は地面を強かに踏みつける。
「ごちゃごちゃごちゃごちゃ五月蝿いわね。昔のことなんか覚えちゃいないわ。どいつもこいつも許さないだの何だのと……アンタたちは家畜に何かしら感慨を抱くの? 大抵は食い物としてしか見ないでしょう? それと同じよ。多少の区別はあってもね…所詮は人間なのよ。アタシは今鬼で!! 弱い人間をどうしようと私の勝手!! 何をしたっていいのよ!!」
「わかった。もういい」
「!」
強く踏み込んだ炭治郎は、一息に堕姫へと接近し、その頸に刃を振るう。堕姫は未だ帯の再生が完了していない。想定以上の速度で飛んできた黒刀を甘んじて受け入れざるを得ず…
「…アンタなんかにアタシの頸が……斬れるわけないでしょ…!!」
「! (柔らかいんだ。柔らかすぎて斬れない…しなって斬撃を緩やかにされた)」
柔軟な頸でしっかりとそれを受け止めた。
────だが。炭治郎一人では、そうなるというだけの話だ。
「『地ノ型 灼炎斬り』!!」
「あ」
尾崎の刀が、炭治郎の刀と頸を挟んで交差する。
堕姫が帯を再生させて、反撃に転じるよりも先に……
その頸が、刎ねられた。
「……! ヒュゥゥッ…!! ゲホッ、ゲホ……スゥゥ…!!」
「大丈夫、竈門君!? 斬ったわ!! 上弦の頸は落としたわ!!」
「大、丈夫、です…! 体力が……思っていたよりずっと限界に近付いていたみたいで…!!」
「ちょっと何よ!! 余所見!?」
「「!!?」」
────尾崎の判断を咎めることのできる者は、いないだろう。
「よくもアタシの頸を斬ったわね!! ただじゃおかないから!!」
「……何よお前。さっさと死になさいよ」
「ふざけんじゃないわよ!! アタシまだ負けてないからね!! 上弦なんだから!!」
鬼は頸を斬れば死ぬ。それは常識であり、頸を狙えるのならば狙うべきであるから。
「(……何? この違和感……こんなに長い間…消滅しないことなんてあるの? 頸を、斬ったのに)」
「わぁぁああん!! 死ねっ!! 死ねっ!! 皆死ねっ!! わぁああああああああ!!」
「(………そうよ、おかしいわ。だって…
────まさか堕姫がそうでないとは、誰にも想像出来ないことであったから。
「頸斬られたぁ!! 頸斬られちゃったああ!!
尾崎の行動は速かった。堕姫の身体から何かが現れようとしていると認識したその瞬間には、その頸を落とそうと動いていた。
惜しむらくは、彼女では何もかもが足りていなかったこと。
速さも、力も、技術も────
上弦の陸、「妓夫太郎」を討つには少しばかり足りていなかった。
「(躱された!? 速過ぎる────!!)」
「泣いてたってしょうがねぇからなああ…頸くらい自分でくっつけろよなぁ。おめぇは本当に頭が足りねぇなあ」
「(何だ…!? 何がどうなった!? あの鬼は一体…!? 殆ど何も見えなかった!!)」
堕姫を抱えて距離を取り、彼女をあやす新手の鬼。その姿は呼ばれた通り彼女の兄のようであったが、尾崎は気を緩めずに次の動きを注視する。
「ひでぇことするなよなああ。妹は綺麗な顔してるんだ……
────お前よりずうっとなぁ」
「!!!」
急接近。防御に意識が傾いていた尾崎は、間一髪で妓夫太郎の攻撃を防いだ。だが、それも初手の一撃だけだ。妓夫太郎は両手の鎌を素早く掲げ直し、尾崎に向かって振り下ろす。
「(どうしよう これ 躱せない)」
「『水の呼吸 拾ノ型 生生流転』」
「!!!」
だがしかし。致命の攻撃は、援軍によって未然に終わった。
「…真菰ちゃん…!?」
「一旦距離を!」
「! うん、ありがとう!! 竈門君、動ける!?」
「は、はい!! 幾らか回復して来ました!!」
到来した真菰は、攻撃を妨害しつつ妓夫太郎を斬りつける。相当硬いのか全て半ばまでしか刃が通っていなかったものの、彼の動きは一時的に停止した。
「……やるなぁ…一人一人は、大したことねぇのに……よく今のを凌ぎ切れるなあ」
「…真菰ちゃん……アイツは、強いわ。それに、後ろの女の鬼は頸を斬っても死ななかった」
「! …わかりました。今、伊之助君たちと宇髄さんがこっちへ向かっています。行方不明の人たちは、皆無事だったみたいです」
「…そう。良かった」
真菰は、荻本屋に空いた抜け穴を通って鬼の許へと向かった伊之助を追って外へ出た。そこで宇髄が地面に風穴を開けた場面に出くわし、地下で帯に囚われた人々が生きていることを確認。同時に戦闘の気配を感じ取り、炭治郎たちの所までやって来て今に至る。
「お兄ちゃん!! コイツらさっさと殺してよ!! 特に地味女と不細工なガキ!! アタシを二人がかりでいじめてきたのよォ!!」
「そうかぁ…そりゃあ許せねぇなぁ……俺の可愛い妹が足りねぇ頭で一生懸命やってるのをいじめるような奴らは皆殺しだ」
「時間を稼ぎましょう。宇髄さんたちが到着するまで」
「ええ!」
「はい!」
忙しなく刀を揺り動かしながら、全員の集結まで防御に専念することを提案する真菰。敵の実力を冷静に鑑み、炭治郎たちもこれに賛同した。
「生意気だよなぁ……時間稼ぎ? 弱い癖にそんなもんできると思ってんのかああ? 震えて刀がゆらゆら揺れてるぞ、お前」
「……そう。
「…?」
「(────本当に、良かった。そう見えてるんだとしたら……全員集合で確実に勝機が見えて来る)」
【狩人コソコソ噂話】
・「天ノ型 馘断兜割り」
「兜割り」から着想を得た技。巨躯を誇る怪物の硬い甲殻をも人の絶技は破り得る。頭蓋を割られた鬼は肉体が麻痺し、次なる連撃を躱せない。幾度となく頸を斬りつけられ、分たれ、ただ屍を散らすのみ。