「やった、のか…!?」
「…! 見ろ!! 蚯蚓女の身体が崩れてくぞ!!」
上弦の陸。陽光以外にその命が潰える条件は、兄と妹の頸を同時に切り離した状態に置くこと。
即ち…炭治郎たちは、勝利したのだ。
────尤も、戦いが終わった訳ではない。
「逃げろォォーーッ!!!」
「「「!?」」」
気絶した尾崎を脇に抱え、炭治郎たちに有らん限りの声で呼び掛ける宇髄。真菰と共に、全速力で彼らの方へ駆けて行く。
見れば、頸を失った妓夫太郎の肉体から巻き上がろうとしている血の斬撃の嵐。消滅しかかっている今、それは最後の足掻きを意味していた。
炭治郎たち三人が逃走に転じた直後、妓夫太郎の最期の血鬼術が放たれる。花街は瞬く間に瓦礫の山と化し…全てが収まった所で、漸く吉原は深い夜にあるべき静寂を取り戻したのだった。
「……全員、無事か?」
「俺たちは大丈夫です…! でも、街が滅茶苦茶に……」
「だな……ま、花街の連中は地味に根性がある。なんだかんだ言って立ち直るだろ」
一夜にして失われた人命は、決して少なくはない。それでも遊郭に潜む鬼は、鬼殺隊によって討たれた。ここも時間をかけて、元の暮らしに戻っていくだろう。
「………鱗滝。毒はどうにかなりそうか」
「! …お気付きでしたか」
「ああ。尾崎もお前も、毒を喰らってるのは見りゃわかる。……まだ抜けてねえのもな」
宇髄はぽつりと真菰に問う。彼女の怪我はかなり深く、だというのに毒にも蝕まれているとなれば事態は一刻を争う。
しかし、心の何処かでは分かっていた。もう彼女たちが、どうしようもないことを。腕の中で命の灯火を弱めていく尾崎が、明瞭にそのことを物語っていた。
「…残念ながら。あと数分もすれば、私は死にます。尾崎さんも、恐らくはじきに」
「……そうか」
「………真菰、さん…」
「天元様ぁ〜〜!!!」
「!」
そんな彼らの許に、宇髄の妻三人がやって来る。彼女たちも早々に身を隠していたために、どうにか無事であったようだ。
「須磨! まきを! 雛鶴! 誰でもいい、解毒薬を!!」
「!! はい!」
くのいちの心得として、ある程度融通が利く解毒薬は常備している彼女たち。須磨が宇髄の指示に従い、なんとか意識の無い尾崎に解毒薬を飲ませるが…
「て、天元様ぁ…! 効いてないです、多分…!」
「……だめか…!」
尾崎の衰弱は止まらない。
再び、宇髄の手から命が零れ落ちようとしていた。
「……う、ずい、様」
「!! 尾崎! 呼吸だ!! 毒の巡りを遅らせろ!!」
「………刈猟緋、さんに…伝えて、欲しいです。約束、守れなくて……ごめん、なさいって」
「ッ! ……わかった」
「…ありがとう、ございます……」
「(そんな……!! どうして、俺が生き残るんだ…!! 尾崎さんも真菰さんも……俺なんかよりずっと凄い人たちなのに!! これからの鬼殺隊に、必要な人たちの筈なのに!!!)」
瞼が、静かに下りていく。
突然、禰豆子がひょっこり顔を覗かせた。
「ムー」
「…え?」
「うおおおおおい何してんだテメェェェッ!!? 派手に燃やすにゃ早すぎるわ馬鹿ガキィィィッ!!!」
「────宇髄様」
「!?」
止まりかけていた拍動が、力強く刻まれ始める。
「………毒が………消え、ました」
「……オイオイ」
「禰豆子ちゃん……」
眼前の奇跡、その立役者の名を思わず呟く真菰。彼女にも禰豆子は近付き、血鬼術の炎でその身を包んでやる。すると、同じように真菰の身体からも毒が抜けた。
「な、なんだかよくわからないけど……皆助かったってことで良いんでしょうか!?」
「…そう、なんじゃないの」
「まだよ! この子、傷が深いわ! 手当をしないと!」
宇髄の妻らが真菰に応急処置を施す傍ら、意識をはっきりと取り戻した尾崎は宇髄の腕から離れ、炭治郎に話しかける。
「竈門君」
「! はい、尾崎さん!」
「…あの子が、禰豆子ちゃんなのね。………あんな偉そうなことを言っておきながら、助けられちゃったわ」
「…いいんです。俺は、皆さんが助かったことが嬉しいです。きっと禰豆子も、そう思ってます」
「…本当に、ありがとう。……ねえ、竈門君。私は…貴方のことも、禰豆子ちゃんのことも……信じることにする」
「! …ありがとうございます」
「……流石にこれだけド派手な奇跡を起こされちゃあ…納得せざるを得ねえな。炭治郎…俺も、同じ考えだぜ。お前たち兄妹に、感謝と謝罪を。改めてこれから、よろしく頼む」
「…! はい! 宇髄さんも、ありがとうございます!」
その後、不安だと言って上弦の頸を探しに行った炭治郎と、それに着いて行った尾崎。二人の背を見ながら、真菰を任された宇髄は雛鶴の言葉に耳を傾ける。
「……『上弦を倒したら一線から退く』。そんな約束をしたのを、覚えておられますか」
「…ああ。今でも派手に頭に残ってる。………悪ぃが、もう少しだけ先送りにさせてくれ。五体満足で引退なんぞしちまったら、他の柱にどやされる」
「……ふふ、はい。どこまでもお供致しますよ」
「ぐわははは!! やったぞ紋壱!! 完璧に俺たちの勝ちだぜ!!! お前も笑え!!!」
「止めてぇぇ!! 何なの!!? 何があったらこうなるの!!? 身体あちこち痛いし!!! 揺さぶんないでぇええ!!!」
ーーーーーーーーーーーーーーー
「あら、猫……? 竈門君? 何してるの?」
「えっと…鬼の血を研究している方が居て! その方に十二鬼月の血を採ってくるよう言われているんです! この子はそのお使いで!」
「えぇ? 随分と難題を押し付けてくるのね……信頼できる人なの?」
「大丈夫です! 凄く良い方なので!」
「そう…まあ、竈門君が言うなら心配いらないわね」
一方で、堕姫と妓夫太郎の頸を探す炭治郎たち。尾崎の傷は浅くはないが、致命傷という程でもない。十分呼吸での止血が可能な範疇にあったので、彼女も炭治郎と共に頸の捜索に励んでいる。
途中炭治郎が妓夫太郎の血液を回収し、茶々丸に預けている場面に遭遇したが、あまり深くは考えなかった。鎹鴉という存在が身近にいるせいで、猫が使いをこなしていることにも違和感を抱かなくなっているらしい。
「…! こっちです! 鬼の匂いが強くなってきた!」
「本当!?」
炭治郎が指し示した方へ向かうと、騒ぎ声らしきものが近付いてくる。どうやらまきをたちが遊郭の人間らを避難させていたようなので、声の主は殆ど分かりきっているようなものだった。
「あれは……」
「なんで助けてくれなかったの!?」
「俺は柱を相手にしてたんだぞ!!」
「だから何よ!! 柱以外をとっとと殺しておけば良かったでしょ!? 大したことないとか言ってた癖に!!」
「そいつらには毒を叩き込んだだろうが!! ほっときゃ死んでた!! お前が耳飾りのガキ一人殺せねえからこうなったんだ!!!」
「後から二人来たの!! 三対一だったのよ!!?」
「お前は最初は一対一だった!! なのに柱でもねえガキを仕留めきれなかった!!」
「じゃあアンタが操作するべきだったんじゃないのアタシを!! 大体そっちだって最初は柱は居なかったじゃない!!!」
「(まだ生きてる…しかも言い争ってるぞ)」
「(こんな時まで他人のせい? つくづく救えないわね、鬼って…)」
堕姫と妓夫太郎は、頸だけで喧嘩をしていた。散りゆく中、残り少ない命で仲違いをしていた。
「うるせぇんだよ!! 仮にも上弦だって名乗るんならなぁ!! 下っ端の一匹や二匹くらい一人で倒せ馬鹿!!」
「!!」
感情の昂りに応じて、反射的に二人の呼吸が荒くなっている。かつて人であったことを、思い出したかのように。
「…アンタみたいに醜い奴がアタシの兄妹なわけないわ!!!」
「「!!」」
「アンタなんかとはきっと血も繋がってないわよ!! だって全然似てないもの!! この役立たず!! 強いことしかいい所が無いのに!! 何も無いのに!! 負けたらもう何の価値もないわ!! 出来損ないの醜い奴よ!!」
「────何言ってんのよ、アイツ」
あまりにも残酷な言葉の数々。妓夫太郎も、口汚く罵り返す。
「ふざけんじゃねぇぞ!! お前一人だったらとっくに死んでる!! どれだけ俺に助けられた!!? 出来損ないはお前だろうが…!! 弱くて何の取り柄も無い! お前みたいな奴を今まで庇ってきたことが心底悔やまれるぜ」
「(…そうじゃないでしょ? ……兄妹なら……もっと言うべきことがあるんじゃないの?)」
ーーーーーーーーーーーーーーー
それは、まだ尾崎が刈猟緋邸に出入りし始めたばかりの頃。滲渼の兄、泰志との一幕。
「…あ。…こんにちは」
「やあ、こんにちは。今日も剣術の稽古かな? 頑張ってね」
「はい。………あの」
「? 何だい?」
「……刈猟緋家は、代々鬼殺の任を務めているのだと聞きました。…どうして、貴方ではなく刈猟緋さんが?」
ある意味当然の疑問。滲渼の父である闘志が鬼殺隊に所属していたということは、少なくとも跡継ぎであるから免除になるということはない筈だった。しかし、現実として隊士となっているのは泰志ではなく滲渼だ。尾崎はそれが何故なのか、気になって仕方がなかった。
「……それはね。僕が、逃げたからだ」
「…え?」
「父は僕にも、鬼と鬼殺隊の話を聞かせてくれた。その上で、どうするかを僕に委ねたんだ。そして恐れをなした僕は……鬼殺隊に入ることを拒んだ」
「…」
尊敬する親しき友人、その兄としては実に似つかわしくない告白。あまりの衝撃に、尾崎は声が出なかった。
「父は刈猟緋の伝統を重視している人ではないから、今代で鬼殺の責務が途絶えても特に気にはしなかっただろう。それでも僕が鬼殺隊に入隊していれば、滲渼にその話が行くことは無かったかもしれない。………まあ、こんなものだよ。面白い話じゃなくてごめんね」
「……泰志さんは」
「?」
「泰志さんは、それで良かったんですか? 刈猟緋さんが危険に晒されていることについて、何も思わないんですか!?」
彼が臆したからこそ、尾崎は滲渼と出逢うことが出来た。だとしても、兄ならば妹を想って後からでも代わってやるべきではなかったのか。滲渼が望んで進んだ道なのだとしても、共に歩んでやるべきではなかったのか。そんな考えが、彼女の心を支配する。
だが。
「思うよ」
「!!」
柔和な泰志の雰囲気が、突然引き締まる。眼鏡の奥に光る眼差しは、彼が滲渼と血が繋がっているのだということを尾崎に思い出させた。
「今日は無事に任務を終えただろうか、明日は大丈夫だろうか……毎日そう思いながら過ごしてる。それでも、僕は滲渼の隣には立てないよ。僕には僕のやるべきことがあるから」
「…」
「……兄弟というのはね、尾崎ちゃん。誰だって自分の兄弟のことを大事に思っているものだよ。たとえ一雫程であろうと、ね。だってそうだろう? 生まれたその瞬間から兄や妹を憎むことが出来る程、人間は感情的にはなれないんだから。身も蓋もない言い方をすれば、肉親を守ろうとするのは生物としての本能だ。人間は理性だけで出来ている訳じゃない。………君は、家族を失ったそうだけれど…或いは君にもそんな想いを抱いていた兄弟が、居たんじゃないかな」
「……兄弟は…誰だって自分の兄弟のことが大事、ですか」
「うん。こんな安全圏にいる僕が言ったって、説得力は無いかもしれないけれど……出来るなら、心の片隅にでも留めておいて欲しい」
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「お前さえいなけりゃ俺の人生はもっと違ってた!! お前さえいなけりゃなあ!!」
堕姫の瞳から、涙が零れる。
「何で俺がお前の尻拭いばっかりしなきゃならねえんだ!! お前なんか生まれてこなけりゃ良かっ────」
「嘘だよ」
妓夫太郎を遮ったのは、炭治郎だった。尾崎も、彼らの側に座り込む。
「本当はそんなこと思ってないよ。全部嘘だよ」
「…兄弟はね、誰だって自分の兄弟のことが大事なんだそうよ。……貴方たちはどう? 本当のことを言いなさい。────これが、最期なのよ」
「────」
『俺たちは二人なら最強だ。寒いのも腹ペコなのも全然へっちゃら。約束する…ずっと、一緒だ。絶対離れない。ほら……もう何も怖くないだろ?』
「兄妹」の脳裏をよぎる、過ぎし日の思い出。口をついて、溢れ出していく。
「………うる、さい………!!! 何よ…!! アンタらに何がわかるのよ……!!! お兄ちゃんっ……!! お兄ちゃんっ!!! 一緒な゛ん゛でしょ!!? ずっど!!! ぐずっ、離れ゛な゛いって!!! 約束、したでじょ!!? ごべんな゛ざい゛ぃっ!!! 謝る゛がらぁっ!!! アタシの、ことっ!!! 見捨てな゛いでえ゛ぇ!!! 置いでかな゛い゛でよぉ゛ぉっ!!!」
「…!! う、梅!! 嘘だ!! 全部、嘘だから!!! な!!? 俺が居るから!!! ずっと、側にいる!!! 俺たちは…いつまでも一緒だ!!! そうだろ!!?」
「ゔんっ!!! ぐすっ、えへへ!!! ずっと、ずっと────」
「梅ェ!!! 梅────」
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「────この先に、楽しいことなんてねぇぞ」
「知らない!! お兄ちゃんと一緒がいい!!」
「……馬鹿だなぁ。どうしようも、ねぇ奴だなあ」
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「…仲直りできて、よかったです」
「……もっと苦痛と悲嘆の内に死ぬべきだったわ。あんな救われたような死に方…殺された人たちは納得しないわよ」
「……大丈夫です。報いは必ず、受けているはずですから」
「…あの世ってこと? 竈門君、意外とそういうの信じてるのね…」
「あはは……────でも、ありますよ。きっと」
月は今宵も、煌々と輝いている。
なんかどんどん文字数が増えていってますが、大丈夫です(?)
これから余計に忙しくなり、予告なく更新しない日が出てくるかもしれません。二日以上の間隔は空けないよう努めますので、今後ともよろしくお願いします。