時世を廻りて   作:eNueMu

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倣うべきは

 

 滲渼は、気付けば十歳になっていた。闘志との模擬戦ではもう久しく負けていない。呼吸を覚えたこと、そして肉体が育ち、前世での感覚を取り戻しつつあることで、剣術の勘を取り戻したことが理由だ。唯一、己に合った呼吸だけが見つけられないままだった。

 

 

 「はい、宜しいでしょう。美しい字でございますよ」

 「ありがとうございます」

 

 

 そんな彼女は、今は文字を書く練習をしている。結美や芳江が、滲渼にも最低限の教養を身に付けさせるべきだと闘志に進言したのだ。そのため、稽古が始まる前よりは少ない時間ながら、引き続き勉学に励んでいる。しかし滲渼本人は、あまり身が入らないようだった。

 

 

 「では、次は……おや?どうかなさいましたか?」

 「…その……呼吸法について、考えておりまして」

 「おやまあ…少々、根を詰めすぎではありませんか?たまには刀を置いて、他のことに目を向けてみてはいかがでしょう」

 「はい…尤もだと思います」

 

 

 滲渼は芳江の提案に賛同してはいたが、どうしても己の呼吸を編み出すことに囚われてしまう。呼吸法の模索を始めて既に三年、悩みの大きさも一入だ。

 

 

 「残念ながら、私にはそういった心得はございませんで…奥方様もあまり積極的にはなれないでしょうし、困りましたねえ……」

 

 

 芳江にとっても今の滲渼の状態は喜ばしいものではない。どうにかして力になってやりたいとは思うものの、彼女に出来ることは限られていた。そんな折、ふと思いついて口に出す。

 

 

 「そうですね、泰志様に聞いてみるというのはどうでしょうか?あの方もお年の割に随分と聡明な方でありますから、何か色よい答えが得られるかもしれませんよ」

 「…兄上に?しかし、兄上は戦いに身を置くことを厭悪していると…」

 「ええ、その通りでございます。しかし、こういうことは何事も先ずは手を拡げるというのが肝要です。意外な見方というのもありますから」

 「……ふむ…」

 

 

 ややあって、確かに芳江の言い分も一理あると考えた滲渼。自分だけで試行錯誤を続けるより、少しでも手掛かりを得ることを選んだようだ。

 

 

 「…一度、兄上の下に足を運んでみようと思います」

 「それがよろしいかと。では、書き取りを続けましょうか」

 「御意」

 

 

 ーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 「兄上」

 「…滲渼!?珍しいじゃないか。近頃は稽古で忙しそうだったのに」

 「はい。そのことで少し、相談事がございまして」

 「相談?」

 

 

 滲渼は兄…泰志に、己が今行き詰まっている内容と原因を掻い摘んで説明した。呼吸などの具体的な単語は出さなかったが、それでも泰志は大凡を理解した様子で頷いた。

 

 

 「成程…自己流の技術か。僕から何か、その材料となるものを引き出したいんだね」

 「良き案は、無いものでしょうか」

 「うーん……」

 

 

 滲渼は、思っていたよりも積極的に頭を動かしてくれる泰志に驚きつつも、彼が言葉を発するのを待った。こういう時に口を出すのは、邪魔立て以外の何物でもない。ただ静かに、兄を見据える。

 

 そのまましばらく沈黙が続き…ふと、泰志は一言問いかけた。

 

 

 「………滲渼は、無から有を捻り出そうとしていないかい?」

 「…?それは、己だけの流派を築くために……」

 「ちょっと、違うかな。滲渼は凄く賢いけれど、頭も凄く硬いね」

 「??」

 

 

 泰志の指摘に首を捻るばかりの滲渼。くすりと泰志は笑いながらも、自らの考えを妹に告げる。

 

 

 「全ての流派には、必ず源流がある。それは学問であっても武芸であっても、或いは子供の遊びであっても変わらないよ。元となったものから、少しずつ、時に大胆に手を加えて、別なものとしていくんだ。この時大事なのは…何にどう手を加えるか」

 「……」

 「剣術に筆捌きを重ねるも良し、手遊びに斬り合いを重ねるも良し。父上から教えてもらったものが肌に合わなかったからといって、滲渼は暗闇に突き落とされた訳じゃない。今まで見てきたものから、何か着想を得られる筈だよ。後は、それを自分に合わせていけばいい。こっちは簡単だ。まだ形が決まっていない、在るが儘の素材を…自分の中に流し込む。そうすればほら、ぴたりと嵌るだろう?」

 「見てきたもの……好ましいものがあると良いのですが」

 「あるさ、間違いなくね。見つからないと思っても、無意識のうちに除けていたりするものさ」

 

 

 

 「────────無意識」

 

 

 泰志の言葉に、視界が白んでいくような錯覚に陥った滲渼。彼女は自らが気付かぬ間に分けていた、記憶の山に思い当たった。

 

 

 「(そうだ………私には、半世紀を超える経験の蓄積があるではないか。何故、これ程素晴らしい原石の数々を見過ごしていたのか。己より遥かに経験の少ない兄に気付かされるとは、恥ずべきことだ)」

 

 「…力になれたかな?」

 「!…はい。兄上、誠に感謝致します。貴方のお陰で、光明が射しました」

 「……そうか。………滲渼」

 「はい」

 

 

 顔を輝かせる妹に、泰志は小さく頭を下げた。

 

 

 「!?兄上…?」

 「済まない。僕が君より勇敢だったなら……父上は、君に刀を持たせる道を示すことさえしなかっただろう。僕は跡継ぎだからと自分に言い聞かせて、悪が蔓延ることを良しとした………卑怯者の臆病者だ。この先も辛いことがあるようなら…その怨み、存分にぶつけてくれて構わない」

 

 

 滲渼と同じ、七歳の頃。泰志は父から鬼の話を聞いて、すぐに臆した。真偽はともかく、外に出ることが無性に恐ろしくなった。彼が選んだのは、刀を持って悪を討つ道ではなく、広くも狭い屋敷の中で生涯を終える道だった。対して勇敢にも戦いの道を選んだ妹に、彼はずっと罪悪感を抱いていた。

 

 

 「……兄上。私が貴方を怨むなど、未来永劫あり得ません」

 「…滲渼」

 

 

 しかし、滲渼にとっては降って湧いた千載一遇の機を掴んだだけのこと。誰かを怨むなど、初めから慮外な事でしかなかった。

 

 

 「これは私が己の意志で選んだ道です。それに、この刈猟緋の家門を継ぎ、護ることが出来る者は兄上を置いて他に居りません。我等は互いに、為せることを為しましょう」

 「……そうだね。…ありがとう」

 

 

 兄と妹。分たれた道は、時に引き返せば再び手を取り合うこともあるだろう。

 

 

 ーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 翌日。早朝から、屋敷の裏手で一人佇む滲渼。彼女は今、呼吸の原型を己の内から引き出し、また同時に己の内に収めんとしている。

 

 

 「(命のやり取りをする者の動きは既に知っている。この肉体は、かつてのそれより遥かに脆い。しかし同じだけ、遥かに身軽でしなやかだ)」

 

 

 滲渼の肺が、軋む。雄大な自然が、人の器に溶け込んでいく。

 

 

 「(────滾らせろ。私の血がさざめく音を思い出せ。模倣の経験は、今世で十分過ぎるほどに得た)」

 

 

 過ぎし日の自身を核に、あらゆる猛威から、少しずつ。

 

 

 「(()()の力を、借り受ける。比すれば矮小な人の身なれど、その断片を背負うぐらいはしてみせよう)」

 

 

 

 

 

 「ガルルルル……」

 

 

 刈猟緋滲渼の『呼吸』は、遂に…その重い(あぎと)を持ち上げた。





 【狩人コソコソ噂話】
・モンハンシリーズには多種多様な武器種がありますが、滲渼の前世はその全てを超人的センスをもって扱うことができました。もしかすると、特定の武器種しか使わない所謂縛りプレイを己に課していたかもしれません。その辺りもご想像にお任せします。

 【明治コソコソ噂話】
・現在、本作の時系列は日露戦争真っ只中。しかしながら刈猟緋家は徴兵の条件に沿う人物が居ないので、三割ぐらいは他人事です。
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