ある日のこと。蝶屋敷の縁側、渋い顔をした炭治郎が見つめるのは数枚の手紙だ。
「(鋼鐡塚さん、滅茶苦茶怒ってる…)」
すみたちから渡されたその手紙は、彼の担当刀鍛冶である鋼鐡塚からのもの。禰豆子の轡代わりに使ったせいでボロボロになってしまった刀を再び新調しなければと考えていた炭治郎だったが、鴉の連絡に対して帰って来たのは怨念の塊のような手紙だけ。その後一週間程待ってはみたものの、新たな刀が届けられることは無かった。
そういうわけですみたちが炭治郎に伝えたのは、刀鍛冶の里へ赴いて直接話をしてみてはどうかという提案。許可があれば行くことができると知らなかった炭治郎は目を丸くしながらもその提案に乗り、刀鍛冶の隠れ里へと向かうのだった。
────そしてこれは、その裏で起きていた話。
ーーーーーーーーーーーーーーー
「………あれが、富士の山…」
「満足したか? 偶々この辺りに来ていただけなんだ……呑気に山を見つめていられるような余裕は無いぞ。『青い彼岸花』の情報が得られなければ、早々に去る」
「……………違う。あの山では、ありません」
「ちっ……貴様の我儘に付き合わされる俺の身にもなってみろ。これ以上探し回るような面倒な真似はせん。とっとと行くぞ」
「……はい」
東京府を離れ、無惨の求める「青い彼岸花」について調べているのは猗窩座と瞢爬。尤も瞢爬は猗窩座について来ただけで、その捜索にはあまり積極的では無い。彼が熱を上げているのは、専ら己の記憶を辿る旅だ。
「(どうしてなのだろうか。猗窩座様と共にこの国の至る所を巡ったというのに、気になるものに限って見つからないのは……。私は一体、どこであれらを見たのだろうか)」
記憶の混濁は、以前にも増して酷くなった。以前猗窩座に教えられたこととして、人間だった頃の記憶は鬼になって時間が経てば経つほどに薄れていくらしいというのは知っている。だが、どうも瞢爬はそうではないらしい。
「(知らない記憶が増えていくばかり。きっと人であった時のものなのだろうが……こうもわからないことだらけでは、頭が割れてしまいそうだ)」
漠然とした、形容し難い不安感。記憶と己が乖離していくような、奇妙な感覚。唯一確かなものとして強く意識したのは、一人の鬼狩りの存在だ。
「(刈猟緋滲渼…。彼女とは、あの日初めて会った筈だった。彼女の方も私と会ったことはない筈だと言っていた……しかし互いに、何かを感じた。………これは、偶然なのか?)」
彼女のことを考えると、無性に背中の辺りが疼く。己が血鬼術を行使した際に、禍々しい翼を伴った巨腕が突き出る位置。瞢爬は茫然と猗窩座の背を追いながら、頻りにその辺りを気にしている。
「(……教えてくれ。
肉体の一部に問うたとて、答えが返ってくることはない。それでも彼は、繰り返し同じ質問をする。どうしても知らなければならないような、そんな気がして。
ーーーーーーーーーーーーーーー
「さて……手をつけていくとするか。来い瞢爬」
「……はい、猗窩座様」
猗窩座は百年以上も「青い彼岸花」の発見に心血を注いでいる。勿論彼にとっては強者との戦いも望むべきことではあるのだが、無惨に任された使命を遂行することは何よりも優先される。他の上弦についてもそれは同じであるとはいえ、彼程真面目に「青い彼岸花」を探している者は居ないだろう。
そして一世紀を超える月日をただ一つの花の捜索に費やしてきた猗窩座は、その捜索範囲をある程度絞り始めていた。
「この港は大きい……何かしらの手掛かりが見つかる見込みは十分考えられる」
「はあ……そうですか」
「…生返事する暇があるなら手を動かせ」
それは…港。彼が目をつけたのは、海外からの輸入品だ。これだけ国内を探しているのにも関わらず一向に見つからないということは、そもそも彼岸花の原種同様外つ国由来の植物なのではないか……そう、猗窩座は考えたのである。
…しかしながら、彼の奮闘と努力が報われることは無い。
「青い彼岸花」という植物は、
無惨の求めるものは、少なくとも一つは未来永劫彼の手に渡ることは無い………のだが、そんなことを知る由もない上弦の鬼たちは今日も今日とて無意味な捜索に励むのであった。
「あっ、猗窩座様見てください。植物の……図鑑、でしょうか? 丁寧に挿絵が載っていますよ」
「……外つ国の言葉が読めなければ無意味だろう。…とはいえ、『青い彼岸花』について記されていないとも限らんな。念の為持っていろ」
「はい」
猗窩座に図鑑を確保しておけと告げられた瞢爬は、彼が青い彼岸花の捜索を続けるのを尻目に図鑑をぱらぱらとめくる。もしかすると、この中に記憶の手掛かりとなるような植物が載っているかもしれないと考えたのだ。
「(……しかし、当然ではあるがまるで字が読めない。意味が理解できたなら、少しは助けになったのだろうが……国内の図書も、可能ならば確認したい所だ)」
目に入るのは、文字とも認識できない記号の羅列。かなり出来の良い挿絵がなければ、瞢爬にとっては流し見る価値も無い代物だっただろう。
────つまるところ、彼がここでこの図鑑を手にしたことは…不運以外の何物でもなかった。
「────────」
頁をめくる手が、止まる。
「(────似て、いる。雲を衝く山の、小さな植物。霞のような……この爪先で触れるだけで、押し潰せてしまいそうな程に儚い────)」
目を向けたのは、己の掌。
「(────そんな馬鹿な。私の指は……幾らなんでもそこまで大きくはない。……一体、何が…)」
ーーーーーーーーーーーーーーー
誰かが、目の前に立っている。
ーーーーーーーーーーーーーーー
「(!? ……まただ…! やはり、暗い…!! 覚えのない、記憶……!! 暗雲の立ち込める、空────)」
ーーーーーーーーーーーーーーー
その
ーーーーーーーーーーーーーーー
「(……………見たことは無かった それでも一目で理解できた)」
ーーーーーーーーーーーーーーー
翼を、広げる。
ーーーーーーーーーー
吼え、猛る。
ーーーーー
六つの脚で、駆け出した。
ーーー
猗窩座が異変を察知したのは、瞢爬が港の積み荷を崩したためだった。
「おい…何をしている? 余計なことは…」
「猗窩座、様…!!? こ、れは、
血鬼術が、暴走する。
「!!? 瞢爬!!! 貴様、何を…!!」
「戻ら、なくては………何処へ? …何処かへ…!! う、ぐぅぅゥ……!!」
「何だというんだ……!! 『破壊殺・羅針』!! まずはその翼を捥いで────」
飛び出した闇が、剥がれ落ちていく。
「な────」
────猗窩座が気付いた時には、既に瞢爬は消え去っていた。
倒壊した倉庫の瓦礫を押し退け、遠い富士の山を見遣る。無惨から何と言われるだろうか……そんなことを考えながらも、視線はその頂に被さった夜の闇よりも暗い雲に注がれていた。
というわけで、刀鍛冶の里編はカットです。下手に手を出すと立たなくなってしまうフラグがそれなりにあるので…原作とほぼ同じ流れで進みましたということで一つ。