ギリセーフ。
「え? 刈猟緋さん、柱稽古やってないんですか?」
「そうなのよ…何だか忙しいみたいで。頻繁にどこかへ出掛けてて、たまに戻ってきたかと思えばまたすぐにどこかへ……その繰り返しなの。蝶屋敷に出入りしているようだから、きっと大事な用事なんでしょうね」
柱稽古が始まって半月と少し。炭治郎は最後の柱稽古の場である悲鳴嶼の屋敷の許で、偶然出会った尾崎と近況を伝え合った。尾崎曰く、滲渼は刈猟緋邸には殆ど滞在していないらしい。無論全ては瞢爬への対策のためなのだが、そんなことなど知る由もない彼女は滲渼の稽古が受けられないことを大層残念に思っているようだった。
「そういえば、不死川様の所で何か騒ぎがあったそうよ。大丈夫だった? 巻き込まれたりしなかったかしら?」
「あぁ〜……えっと、ですね…むしろ俺が中心といいますか……」
「えぇ…? ………ひょっとして、禰豆子ちゃんのことで何かあったの?」
「いえ、そうじゃないんです。俺の友人に、不死川玄弥という隊士が居るんですが…」
「不死川? もしかして、不死川様の兄弟?」
「はい。でも、不死川さんは玄弥のことを弟なんかじゃないって……それに、なんのかんのと言って無理矢理玄弥に鬼殺隊を辞めさせようとしたんです。それで結局…」
「う〜ん、聞いた限りだと不死川様が悪い気もするけれど……何か事情があるのかもしれないわね」
「…成程。確かに、そうかもしれないですね…」
また、不死川邸での一悶着についても話した炭治郎。こんな時まで仲違いしている場合では無いような気もしたが、尾崎の言葉にはっとする。不死川は、必ずしも玄弥のことが嫌いだという訳では無いのかもしれなかった。
「それじゃあ、私はそろそろ行くわね。竈門君も頑張って」
「あれ……尾崎さん、もしかして岩を動かせたんですか!?」
「ふふん、驚いた? こう見えても力は付いてるのよ! ………動いたのは、ほんのちょっぴりだけど…」
話が終わると、尾崎は一足先に悲鳴嶼の許を去った。次は義勇の屋敷で稽古に励むということらしく、炭治郎も彼女や兄弟子らに追いつかんと猛奮起する。後日合流した玄弥の助言もあり、彼は本来よりも少しだけ早く岩を動かすことに成功したのだった。
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そうしてやって来た冨岡邸。様子のおかしい善逸や預けたままの禰豆子のことを案じつつ、炭治郎が屋敷の庭を覗くと…
「(あれっ! 刈猟緋さんだ! 用事が落ち着いたのかな────)」
「『風の呼吸 壱ノ型 塵旋風・削ぎ』!!」
「『水の呼吸 参ノ型 流流舞い』」
「『咢の呼吸 天ノ型
「(────はっ…速っ!!! 冨岡さんと不死川さんの動きは何とか目で追える、けど! 刈猟緋さんは相変わらず何してるのか殆どわからない!! というか、二対一なのか!? どういうことだ!?)」
そこに居たのは、三人の柱。中には用事で忙しい筈の滲渼も混じっており、かと思えば次の瞬間には三人がそれぞれ木刀を振るって技を繰り出すという状況に。まさか喧嘩でもしているのかとも思ったが、割り込むには激しすぎる。炭治郎は一先ず、隠れて様子を見ていることにした。
「チィッ……!! 余裕ぶってくれやがってよォ…!! 『捌ノ型 初烈風斬り』!!」
「『地ノ型 轟咆』」
「ぐぉ…!!」
「『漆ノ型 雫波紋突き』」
「(! 当たった!?)」
「────『地ノ型 鏡花水月』」
「!」
滲渼は殆ど動かない。不死川と義勇の攻撃を待ち、鮮やかにそれに対処してみせる。命中したように見えた攻撃も、いつの間にか位置をずらしていた滲渼に反撃を取られてしまう。
「『陸ノ型 黒風烟嵐』!!」
「『拾ノ形 生生流転』」
「『嵐ノ型 燎原』」
「「!!」」
「(あっ…!! 木刀が…!)」
執拗に滲渼へと喰らい付く不死川に、義勇もしっかりと息を合わせる。しかしながら、彼女が一枚上手だった。二人の攻撃が届くよりも速く彼らの木刀をはたき落とし、それで漸く戦いが一段落したようだった。
「よォしじゃあ次は素手でやるぞォ」
「すみません!! その辺りで一旦止めましょう!! 何が何だかわからないけど!!」
「…うるせェんだよテメェはァ。そもそも接触禁止だろうがァ…先刻から盗み見しやがってこのカスがァ」
「案ずるな竈門少年。我等は決して果たし合いを行っていた訳では無い」
「え? そ、そうなんですか?」
「おい無視すんじゃねェ」
慌てて止めに入った炭治郎だったが、どうやら喧嘩をしていた訳ではなかったらしい。滲渼が木刀を置きながら、彼に説明する。
「柱は柱同士で稽古を行っているのだ。とはいえ、先日迄は少々都合が合わず……本日より漸く、私も加わることが出来るようになった」
「そうだったんですね。でも、どうして二対一に?」
「コイツはそれぐらいじゃなきゃ稽古にならねぇんだよ。……二人でも足りなかったみてぇだがなァ」
「然様な事は無い。其方と冨岡の連携には、目を瞠るものがあった。反りが合わぬかと思ったが…存外仲は良いようだな」
「おォい冗談じゃねぇ…!! 誰がコイツと仲良しこよしだとォ…!? 反吐が出るぜェ」
「…不死川とは、仲は良くない」
「む? そうか…」
「(うわぁ……本当に相性悪そうだ…)」
稽古の説明の最中、不死川と義勇の連携を称賛した滲渼。二人の仲も良いのかと考えたようだが、残念ながら彼らの相性は最悪に近い。彼女は微妙に鈍感な所があるのかもしれないと、炭治郎は学んだのだった。
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「成程……上弦の弐は、そんなに拙い血鬼術を?」
「うむ…本音を言えば、鬼舞辻無惨よりも遥かに危険だと考えている」
「そこまでですか…!?」
不死川がさっさと帰ってしまった後、炭治郎は滲渼がこれまで何をしていたのかを尋ねた。滲渼は瞢爬についての話を一通り彼に伝え、加えてしのぶたちへの感謝を述べる。
「彼女等には、感謝してもし過ぎるということはあるまい。……兄上にも、な」
「兄上…? お兄さんがいらっしゃったんですか?」
「うむ。兄上は、鬼殺隊には縁の無い暮らしをしていた。よもや…此処で救われるとはな」
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「しのぶ、お客様がいらしてるわ」
「お客様……? 誰かと会う予定は無かった筈よ?」
「ええ…でも、どうしても会いたいって。刈猟緋さんのお兄さんだそうよ」
「刈猟緋さんの…? ……とりあえず、会うだけ会ってみましょう」
ある時蝶屋敷を訪問したのは、滲渼の兄・泰志。突然現れて面会を持ち掛けてきた彼に対して、しのぶは懐疑を抱いたまま玄関へと向かう。しかして戸を開けた所に立っていたのは、上背だけならば宇髄をも上回る青年であった。
「こんにちは、突然すみません。ここで『紫黒の雲』について調べているとお聞きしたもので。どれほど役に立てるかはわかりませんが…力を貸させて頂く訳にはいきませんか?」
「……『紫黒の雲』? …そんな噂を耳にしたことはあります。ですが、それについて何かをしているということは…」
「いいえ、間違いない筈ですよ。貴女がたが『上弦の弐』と呼んでいる鬼と『紫黒の雲』は、同一の存在と考えて良いのですから」
「! ………一体どこでそのことを?」
泰志は、明らかに知りすぎていた。蝶屋敷へと辿り着いたこともそうだが、ここでしのぶたちが瞢爬の血鬼術について研究していると知っているのは異常というほかない。滲渼の兄だということは、彼女が洩らしたのかと考えたが…
「ああ、滲渼から聞いた訳ではありませんよ。私がここに居るのは、地道に調べた結果です。あの子を疑うのは止してあげてくださいね」
「(……何、この人……でも…これは確かに────)」
滲渼の兄だということを、会って数分もしないうちに思い知らされた。その言動から漂う底知れなさ…それがあまりに不気味で、しのぶは彼に警戒心すら抱き始めていた。だが、その上で信用すべき相手だとも感じる。
「……私が信用するに足る何かを提示して頂ければ、屋敷にお招き致します。今すぐにとは言いませんから、また日を改めて…」
「ふむ……それなら、こういうのは如何でしょう?」
しのぶの提案に対して、すぐさま泰志は動きを見せる。懐から取り出した小さな袋をまさぐり、日に当たらないように何かを摘み上げて提示した。
「これ、鹿のフンです」
「……………あ、あの…」
「調べてみたところ、未知の物質が混入していました。またフンの主は狂乱ののち、突然死したようです」
「!!!」
────それは、か細い光明を広げる糸口となり得るものだった。しかし同時に、災厄の兆しとも言えるもので。
「上弦の弐がもたらす災いは、生きとし生けるもの全てを巻き込みます。ですが鬼を討てば、それに連なるものも消え去るのでしょう?…破滅の到来は、我ら皆で防がねばならないのです」
「………お入りください。今は少しでも人手が必要です」
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滲渼が蝶屋敷へと戻ったのは、それから一週間程経った頃。
「…!? 兄上……!!? 何故此処に…!?」
「やあ滲渼。大変なものと、戦って来たんだね…改めてそう実感したよ」
「刈猟緋さん。細かいことは後ほどお話しますが……泰志さんのお陰で、完成しましたよ。こちらです」
「真か!?」
しのぶが差し出したのは、掌に収まる程度の円形の箱。蓋を外せば、軟膏状の薬が姿を現した。
「名付けるなら…『抗竜膏』。狂竜結晶に含まれる特定の物質の働きを極端に抑える膏薬です。人差し指の先程の量を刀に塗って使用してください。また、自分が感染した場合には肌に塗り込んで頂ければ宜しいです」
「…自分が? 生物への感染も確認済みであったか…効果の程は判明しているのか?」
「うん。僕が身を以て実証済みさ」
「な…!?」
「あはは、生体状のものをうっかり吸い込んでしまってね…けれど、人間とは相性が悪いみたいだ。症状としては風邪のようなものだったよ」
「…いえ、咎めることは出来はしませぬな。元はと言えば、私が持ち込んだ話である故」
少々危ない橋を渡ったようだったが……とにかく期せずして、抗竜膏の有効性は確認された。
後は、瞢爬と猗窩座を討つのみとなったのだ。
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「…と、いう訳だ」
「凄いです…刈猟緋さんのお兄さんも、凄い人ですよ…!」
「……ああ。私の兄は、素晴らしい人だ」
炭治郎と滲渼は、その後も会話に話を咲かせる。朗らかな彼らの様子は、最後の戦いに見出された微かな希望を象徴していた。
義勇は、二人の隣で黙ってにこにこと相槌を打っていた。
【狩人コソコソ噂話】
・「天ノ型 不壊なる鎧」
「鎧竜」グラビモスから着想を得た技。重々しく歩みを進める巨竜の外殻は、壮絶な硬度を誇る。鈍重な動きは強さの証、かの竜の縄張りに天敵は居ない。彼の鎧を破ることの出来ぬ弱者が、ただその身を竦ませるのみ。緻密な無数の太刀筋が使い手の身を守り、一切の攻撃を内側に通すことはないだろう。