無惨の屍は、荼毘に付すという体で入念に焼き滅ぼされた。骨は細かく砕かれ、隠の面々によって遺灰と共に壺に納められる。それを後々海に沈めるという形で、無惨の遺骸は完全にこの国から取り除かれることになった。
────そして。
「珠世様…!! 珠世様!!! どうして……どうしてこんな…!!!」
「……珠世さん…」
……珠世の肉体は、今なお胴から上だけだった。治る素振りはまるで無く、少しずつ彼女の命の灯が小さくなっていっている。
「……ごめんなさい、愈史郎…。こうなることは……わかっていました………」
「…珠世殿。肉体が…」
「…はい。……私はもう…鬼ではありません」
「!! そ、そんな…!!!」
珠世もまた、無惨同様人に戻っていた。老化の薬まで取り込んだのか、その美貌から若々しさが失われていく。
「…無惨の体液を介してか」
「その通りです……喰われた所から、薬が混じり込んで…コホッ」
「………元よりその腹積もりであったな?」
「……多くの人々をこの手にかけました。のうのうと生き延びるなど、赦されはしないでしょう」
無惨に喰われた際に、唾液などを媒介して薬が混入していたのだ。さしたる量ではなかったが、元々珠世は取り立てて強力な鬼という訳ではない。それだけでも、人に戻るには充分だった。
「駄目だ…!! 嫌だ!!! 珠世様、珠世様!!! 生きてください!!! 死なないでください!!!」
「愈史郎……ありがとう。こんな私を、慕ってくれて」
「ふ、ぐぅううっ……!!! あぁあああっ!!! 嫌だぁあああああっ!!!」
「………本当に、ごめんなさい。…炭治郎さん」
「! …はい」
「禰豆子さんも、もう人に戻った頃だと思います。……どうか、兄妹仲良く」
「…はいっ……はい…!!!」
側に居る者たちに、別れの言葉を告げていく珠世。愈史郎の慟哭を聞きつけ、後からしのぶもやって来る。
「珠世さん…!?」
「…しのぶさん。貴女には、心の底から感謝しています。鬼である私を信じて、力を貸してくださった……ありがとうございます…」
「…!! …こちらこそ、ありがとうございます。私一人では、決して抗竜膏も五つの薬も完成しなかったでしょう。珠世さん……貴女は素晴らしい
「……あぁ…! 本当に、ありがとう……!」
掠れ、か細く弱々しい声。死の訪れは、もう間も無くだろう。
「刈猟緋さん……貴女にも、お礼を。……きっと…地獄に堕ちるとは、思いますが……それでも、私は人として死ぬことができる…全ては、貴女のお陰です」
「……神仏が居るならば、其方の尽力は見ていた筈だ。何らかの救いがあることを…私は祈ろう」
「…ふふ……お優しい方ですね…」
最期に…もう一度、彼女は愈史郎に顔を向ける。
「……珠世様……俺もすぐに後を追います…!! 極楽でも地獄でも、必ず貴女についていきますから…!!」
「…いけません。……最後のお願いです。────茶々丸の世話を、お願いね」
「……ッ!!!」
珠世が愈史郎に言いつけたのは、お使いを務め続けた愛猫の世話。
今回の戦いが始まる直前に鬼にしたのだが、愈史郎が居なければ人の血液を確保することはできないだろう。或いは、そのことを見越した上で珠世は茶々丸を鬼にしたのか…本心は、彼女にしか分からない。
…閉じかかった珠世の目が、見開かれる。すぐに表情が綻び、涙が流れ出した。
「……ごめ、なさ……! 本当に、ごめんなさい……!! ……ありがとう…! ずっと、待ってぃて、れて……あり………が………………」
珠世は、頬を緩めたまま…それきり、動くことはなかった。
「────珠世、様………ッ!!!」
「…眠りに就いた……か」
「……最期に家族が、迎えに来てくれたんでしょうか」
「…そう、ですね。……もしかすると、そういうことも…あるのかもしれませんね」
「ぐ、うぅっ……うわああああああああああっ!!!!!」
ーーーーーーーーーーーーーーー
暫くして、愈史郎が落ち着いてから。滲渼は彼に、気に掛かっていたことを訊ねた。
「鬼舞辻無惨が斃れれば、全ての鬼もまた滅びるという話を聞いたのだが…其方は何故?」
「………詳しいことはわからない。だが、珠世様の推測によれば……無惨の呪いを外した者であれば、その限りでは無いとのことだった。脳の支配権を奪った上弦の肆も、用が済んでからは放っておいたが…どうやら死んだようだしな……。奴の配下の鬼はもう残っていないだろう……」
「………そうか」
滲渼は、その話がいまいち腑に落ちない。彼の言葉通りならば、既に瞢爬は死んでいるということになるのだが…
「(……本当に死んだのか? 無論、そうであるならば何も問題は無いのだが………こうもあっさりと、全てが終わるのか? ────私の因縁に、決着がついたというのか?)」
彼女には、とてもそうは思えなかった。勘とは少し異なる…確信にも近い心情。未だ、胸の奥がざわめいている。
「鬼殺隊の皆様」
「!」
そんな折、滲渼の耳に届いたのはやけに通りの良い声。他と比べて流暢に言葉を話す鴉が、隊士たち全員に産屋敷輝利哉の言葉を代弁して伝えた。
「…先程、先代当主である産屋敷耀哉が永逝致しました」
「!!」
「お、お館様…!!!」
「……南無阿弥陀仏…」
内容は、耀哉の死。地平の裏から日が近付き始め、薄明るくなった空の下…鴉は耀哉の最期を語る。
「耀哉は、鬼舞辻無惨死亡の報せを受けて……皆様に、謝罪と感謝を申し上げたと聞きました。辛く、苦しい戦いを強いてしまったこと。悲願成就のため、多くの隊士を犠牲にしてきたこと。…それでも、皆様がここまで戦い、遂には無惨を討ち果たしたこと。────全てを言い終えると、そのまま穏やかに事切れたそうです」
「…謝ることなんて、何も……!!!」
「感謝したいのは、私たちの方なのに…!」
「…お館様。どうかゆっくり…お休みください」
彼に恩義を感じ、身命を賭して尽くすことを決意した者たち。皆が口々に耀哉の死を悼み、涙を流す。
「……鬼殺隊の皆様。私、輝利哉からも改めて…ありがとうございました。今日この日を迎えることができたのは、皆様のお力添えがあってのこと。もう、人々が鬼に苦しめられることはありません。失われたものは帰ってこない。死んでしまった子供たちが蘇ることはない。……けれど、漸く。漸く彼らも報われました。本当に、お疲れ様でした。これからは、皆様の望むように…歩んでいってください。────鬼殺隊は、本日を以て解散致します」
「あぁ……全部、終わったんだな…」
「ええ。…見て。太陽が昇るわ」
「! ……やべぇ、何か涙出て来た…! おい、皆!! 夜明けだぞォー!!!」
暖かな日差しが、辺りを照らす。それは、鬼という存在の滅亡…ひいてはこの国全体に訪れた確かな平和を、如実に示していた。
「シュルル……」
「…? どうした、鏑丸…そんなに怯えて…?」
ーーーーーーーーーーーーーーー
産屋敷家別邸では、五人の子供たちが戦いの終わりを喜んだ。額に貼り付けられた愈史郎の血鬼術の札を剥がし、鴉との視界共有を取り止める。
「ひなき姉様、にちか姉様。それに、かなたとくいな。四人も、最後まで戦ってくれてありがとう。後は子供たちのこれからを支援する方策や、身寄りのない者たちを…」
「…お館様」
「? どうした、かなた」
「……鴉たちが、皆一様に同じ方角へ向かっています」
「…何?」
しかし、そのうちかなたは札を剥がす直前、奇妙なものを見る。
鎹鴉が、渡鳥のように集団で勝手に何処かへ飛び去っていく。
………まるで、何かに追い立てられているように。
「どの鴉も札を剥がし忘れる程に酷く怯えています……一体、これは…」
「…三人とも、もう一度札を。何かおかしい」
「「「はい」」」
ーーーーーーーーーーーーーーー
「どうしたの、刈猟緋さん。随分暗い顔だけど……お館様や、珠世さんのこと?」
「………否。…尾崎。直ちに此処から去れ」
「…え?」
「恐らく…皆聞き入れはしまい。だが、其方だけでも……此処はじきに、死地となる」
「…ま、待って!? 何を言ってるの? 無惨は死んだわ! 鬼は皆滅んだんでしょう!? 戦いはもう────」
────
「……えっ? 何だ、あれ…?」
「雨雲かぁ……? にしちゃ、やたらと速いな……」
「(────やはり、か…!!!)」
「な、何が…!? 刈猟緋さん!?」
「離れていろ尾崎!! 私の側は拙い!!!」
「えっ、え!? あ、ええ…! わかった、わ…?」
「紫黒の雲」が、途轍も無い速度で天を覆っていく。
眩い陽の光が、分厚い闇に遮られる。
「…何か、変じゃないか……?」
「(…えっ? ……鬼の、匂い…!!?)」
「(!! こ、この雲……血鬼術!!! 太陽に灼かれて……でも、それ以上の速度で発動し続けて…!!?)」
炭治郎とカナヲは、その正体にいち早く気が付いた。尤も、それで何かが変わるかと言われれば…残念ながら、誤差であるとしか言いようがない。
「皆備えよ!!! 戦いは未だ終わっておらぬ!!!」
「!?」
滲渼の叫びに反応したのは、ごく僅かな精鋭だけだった。柱たちが即座に臨戦態勢となる中、事態に頭が追いついていない者も多い。
「な、何がどうなってんだ…!? 朝が来てただろ……!!? 何もかも、終わった筈だろ…!!?」
「ジャアアアアア────」
「…こ、これ…あの時……列車の裏から聞こえた鬼の音…!」
「……間違いねぇ……アイツだ…!!!」
不気味な咆哮が、隊士たちの心魂を慄かせる。
「…刈猟緋。────何が来る」
「…上弦の弐、と。呼ばれて
「(…感じる。奴の、気配を……魂の輝きを。そうか────唯の黒蝕竜ではない)」
信じ難い速度で近付いてくるのは、懐かしさすら感じる気配。
それは…かつて荒れ狂う海原で、未知なる樹海で、黄金の平原で……
────天を衝く山の禁足地で相見えた、旅の宿敵。
「(────────お前だったのか)」
白い影が、平野に降り立つ。
衝撃で暴風が吹き荒び、地盤が割れる。
「……ん、だァ…!!? この……バケモンはァ…!!!?」
滲渼以外の人間には、分からない。彼らの知る、蛇の如き
だが、別の世界では確かに────「龍」と呼ばれる存在だった。
【狩人コソコソ噂話】
・「天廻龍」
「天廻龍」シャガルマガラ。「黒蝕竜」ゴア・マガラの成体であり、幼体とは打って変わって白く光り輝く鱗に身を包んでいる。その生態は異質にして凶悪。その身から放たれる狂竜物質には生殖細胞が内在しており、各地を巡って狂竜物質をばら撒きながら他の生物の肉体を苗床として子孫を増やす単為生殖型の生物。狂竜物質に侵された殆どの生物は、これを克服しない限り遠からず狂死する。またシャガルマガラは単独での生殖を可能とする関係上、番などは必要ない。そのため、自らの子孫が確実に繁栄できるように他のゴア・マガラの成長を阻害する物質も併せてばら撒く。これにより、一つの時代に生まれるシャガルマガラは基本的に一体のみ。かつて出現が確認された際には、出現地域一帯が「禁足地」として進入不可領域に指定された。