時世を廻りて   作:eNueMu

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歌の続き

 

 上弦の弐・瞢爬。数多の犠牲を出しながらも、最後の鬼は遂に討たれた。負傷者も柱を中心に一刻を争う者が多く、全てが落ち着いたのは討伐から一ヶ月以上も経ってのこと。

 

 今回の戦いで命を落とした隊士たちの葬式は、その間に行われた。産屋敷家現当主である産屋敷輝利哉が一人一人の名前を読み上げ、それぞれへの焼香が為され…仲間たちは犠牲者を想い涙を流しながらも、彼らの分まで精一杯生きていくことを心に決めた。

 

 また、別日に行われたのは悲鳴嶼行冥・刈猟緋滲渼の葬式。隊士たちの命の重みは平等ではあるが、その扱いまでも平等にするという訳にはいかなかった。特に滲渼については、柱であるというのも勿論のこと、彼女が鬼殺隊に及ぼした功績は計り知れない。刈猟緋家自体もそれなりの名家であるために、どうしても葬式の規模は大きくせざるを得なかったのだ。

 

 

 「……と、いうわけだ」

 「…お館様のお葬式は……」

 「産屋敷家だけで小さく済ませたらしい。それが産屋敷耀哉の最後の願いだったとか………不気味な男だとばかり思っていたが、少なからず負い目は感じていたようだな」

 「…そうですか」

 

 

 力を使い果たし、長い間眠っていた炭治郎にそれらを伝えたのは愈史郎。瞢爬の死によって「紫黒の雲」が突然消えてしまったために地中への退避が遅れたものの、どうにか茶々丸と共に命からがら逃げ遂せたとのことだった。

 

 

 「禰豆子にはもう会ったか?」

 「はい。すっかり人間に戻っていて……俺の怪我が治ったら、一先ず家に帰ろうって」

 「そうか。…良かったな」

 「! …ありがとうございます…!」

 

 

 愈史郎が見せたのは、穏やかな笑み。いつも刺々しい態度を取っていた彼からは想像もつかない柔らかな表情に、炭治郎は驚きながらも礼を述べた。

 

 それと同時に、思い出すのは最後の鬼について。

 

 

 「………『瞢爬』。無限列車で出会った時から…一度もあの鬼とはちゃんと話したことがありませんでした」

 「……奴に関しては未だに謎が多い。あれ程の力を持ちながら、何故『上弦の弐』に留まっていたのか……何故刈猟緋に執着していたのか……そして、何故刈猟緋は奴の能力や戦い方を詳らかに知っていたのか。………今となっては、何一つわからんがな」

 「……刈猟緋さんのように匂いが強い人は、感情の機微がわかり辛いんです。そういった匂いが、他の匂いに紛れてしまって」

 「…何の話だ?」

 

 

 炭治郎は、瞢爬から感じ取った僅かな感情を愈史郎に打ち明ける。

 

 

 「……瞢爬は…ずっと、『帰りたい』って思ってました。…きっと、昔住んでいた家に戻りたかったんじゃないかなあ………」

 「………考え過ぎだ馬鹿。奴が殺したのは人間だけじゃない。あの辺りの山や森からは動物が消えた。川は魚の血に染まった。ああも残忍な帰郷があっては堪ったものではない」

 「勿論、そのことは許せません。ただ……凄く哀しいなって、そう思っただけですから」

 「…全く、お前は……手当たり次第に甘い奴だな」

 「え、えぇ…?」

 

 

 鬼となった者に狂気的とも言える程の慈しみを向ける炭治郎。口では呆れたように言いつつも、愈史郎はその態度が嫌いではなかった。

 

 

 「…尾崎さんは…大丈夫でしょうか」

 「……目の前で親しい者が死ぬなど、鬼殺隊では日常茶飯事だったろう。…尤も、俺も刈猟緋が死ぬとは思わなかったが」

 

 

 二人の話題は、瞢爬と相討つ形で命を落とした滲渼に関わる話へと移る。あの日の尾崎の慟哭は、側で見ていた炭治郎も胸を引き裂かれそうになる程のものだった。刈猟緋滲渼という人物は、彼女にとって…ひいては鬼殺隊に連なる者にとって極めて大きな存在であったといえる。

 

 

 「無惨の強さは本物だった。珠世様は常々、あの男と正面から戦うのは不可能なのだと仰っていた。策を練り、罠を張り巡らせて、それでも時間稼ぎが精々だと。……だが、蓋を開けてみれば刈猟緋が殆ど一人で奴を追い詰め、倒してしまった。仮にあいつが居なかったならと思うと………心底寒気がする」

 「…それでも……そんなに凄い人でも、死んでしまうんですね」

 「…あいつも、人間だったということだ」

 

 

 彼女が死ぬことを予期出来た者など、誰一人として居なかった。或いは耀哉ならばそういった勘が働いていたのかもしれないが、とにかく考えられるのは彼ぐらいのものだった。

 

 

 「………俺はもう行く」

 「あ……」

 「…心配するな。俺が珠世様の言いつけを破ると思うのか?」

 「……いえ。お元気で」

 「…ああ。────じゃあな」

 

 

 話すべきことを話し、愈史郎はその場を後にする。もう彼と会うことはないだろう…そんな漠然とした予感の中、炭治郎は朗らかに別れを告げた。

 

 まだまだ寒い、冬の夜のことだった。

 

 

 ーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 それから少し月日が流れ、滲渼の四十九日を迎えて。尾崎は早朝から刈猟緋家の墓前に立っていた。

 

 

 「………」

 

 

 ただ只管に立ち尽くし…既に時間は昼を回っている。自分がどうしたいのか、彼女自身にも良く分かっていない。そうして墓を眺めていた所で死者は戻って来ないということは分かりきっているのに、何故ここに居るのかが分からない。

 

 

 「…仇は討ったって……伝えたわ。私の家族も…少しは救われたかしら」

 

 

 待ち望み、希い、漸く成し遂げた鬼の根絶。だというのに、心は少しも満たされない。

 

 

 「(………これから…どうすればいいんだろう)」

 

 

 尾崎は、暗闇に一人取り残されていた。

 

 

 

 

 

 「……尾崎? お前も来てたのか……うわ!? 酷い顔だぞ…!?」

 「…村田君」

 

 

 そこにやって来たのは村田。同期であり、共に最後の戦いを生き抜いた友人の一人。彼は尾崎の顔を見て、その暗澹たる様子に思わず声を上げた。

 

 

 「……お前の気持ちがわかるとは言わないけどさ。少しずつ、前向いていこうぜ。でなきゃ刈猟緋も安心して眠れないんじゃないか」

 「………私…何も、わからないの。…どうして……生きてるのかしら」

 

 

 あの日から今日まで、死のうと思えばいつでも死ねた。それでも、彼女は今も生きている。自分でも不思議な程に、死にたいとは思えなかった。

 

 

 「それこそ俺にはわからない。でも、死ぬのは駄目だ。刈猟緋が命懸けで戦った理由…落ち着いて考えてみるんだぞ」

 「…死ぬつもりは無いわ」

 「そうか、だったら大丈夫だ。お前なら…ちゃんと歩いていけるよ」

 「……知った風なことを言うのね」

 「知ってるさ。お前も刈猟緋や鱗滝と同じぐらい凄い奴だって」

 「…」

 

 

 

 

 

 線香を焚き、目を閉じて手を合わせる村田。ややあって元に直ると、そのまま踵を返して去っていく。

 

 

 「……それじゃ。また、どこかで」

 「…ええ。また」

 

 

 遠ざかる背中を見送りつつ、彼に倣って墓に手を合わせる。無気力の内であっても空腹は誤魔化せない。そろそろ、潮時だ。

 

 

 「…また来るわね」

 

 

 

 「…! あやめちゃん…!」

 「!」

 

 

 立ち去ろうとした正にその時、彼女の名前を呼んだのは…滲渼の母、結美だった。彼女の側には闘志と泰志も居り、四十九日の法要が一段落したのだということが窺えた。

 

 

 「…お久しぶり、です。…お葬式の時は…お声掛けできず、すみませんでした」

 「良いのよ……あやめちゃんも、大変だったでしょう? お疲れ様」

 「…ありがとうございます」

 

 

 滲渼の葬式には尾崎も出席していた。憔悴のあまり当時の記憶は殆ど無いが、その場に居たのだということは記憶している。

 

 

 「……あの時はお伝えし損ねましたが…刈猟緋さんから結美さんに、言伝が」

 「────!」

 

 

 故にここで、滲渼の遺言を彼女に伝えた。

 

 

 「………約束を守れなくてごめんなさい、と…そのようなことを」

 「……………そう………。…そう、なのね。…………………滲渼は………本当に、帰ってこないのね」

 

 

 結美は、取り乱すでもなく静かに受け止めた。

 

 …静かに、滂沱の涙を流している。震えて次の言葉を紡げない彼女に代わり、闘志が感謝の意を表した。

 

 

 「…心より謝辞を申そう。此れであの子も報われるというものよ」

 「いえ、そんな…」

 「謙る事は無い。……尾崎君。君さえ良ければ…我が家に来ぬか?」

 「…え?」

 「身寄りは無いと聞いている。屋敷の使用人たちも、君であれば歓んで受け入れるだろう。…悪い話では、無いと思うが」

 

 

 そして彼から提案されたのは、尾崎にとって思わぬ内容。だが、言葉の通り悪い話ではなかった。産屋敷家が支援してくれるとはいっても、女一人で新しい生活を始めるというのは容易なことではないだろう。刈猟緋家の人々とも長い時間を過ごしたことで親しくなっている。断る理由は、無いように思われた。

 

 …しかし。

 

 

 「…本当に、ありがたいお話だとは思いますが…すみません」

 「……で、あるか。構わぬ…君の意志を尊ぶとしようぞ」

 

 

 尾崎は、闘志の申し出を断った。無論、考え無しにその選択に至った訳ではない。

 

 

 「(本当に、本当に嬉しい提案だけれど…今私が刈猟緋家に転がり込むのは、刈猟緋さんの居場所を奪ってしまうようで……それがこの上なく心苦しい。…私は私の生きる場所を探さなきゃ)」

 

 

 

 「…尾崎ちゃん。代わりと言っちゃなんだけど…これを」

 「…! これ…刈猟緋さんの…!?」

 

 

 すると、やり取りを見ていた泰志がその背から何かを下ろして尾崎に差し出す。上背のある彼が抱えても大きさが明白なそれは、滲渼の大太刀だった。

 

 

 「実を言えば、断られるような気はしていてね。もしそうなったとして、せめてこれぐらいは持っていって欲しくて…ちょっと大きくて重いけれど」

 「そ、そんな…! こんな大切なもの、頂けません!」

 「…あやめちゃん……私たちの家には、もう一振り…入隊した頃に滲渼が使っていた刀があるの。だから、それは貴女にあげるわ」

 「! …そういえば……初めは、普通の刀で…」

 「という訳で、はい」

 「あぁ、ちょ…!」

 

 

 言われるがまま、半ば押し付けられるようにして大太刀を受け取った尾崎。鞘の分もあるとはいえ抱えるだけでもずしりと来るそれを、滲渼は時に片手で振り回していたと思い返して…妙な感慨を覚えた。

 

 

 「……尾崎ちゃん。滲渼のこと、忘れないでやってくれ」

 「…勿論です。一生……忘れません」

 「困ったことがあれば、いつでも頼りにしてね」

 「はい、ありがとうございます。…たまに、屋敷にお邪魔してもいいですか?」

 「! ええ、待ってるわ…!」

 「二振りの玉虫色の刀…道が分たれようと、何時か必ず滲渼が再び我等の血族を巡り合わせるだろう。……達者でな」

 「…はいっ…!! 大切に、します…!!!」

 

 

 

 

 

 足を踏み出す。

 

 何度も振り返り、頭を下げ、手を振る。

 

 

 

 いつの間にか、暗闇は光に照らされて消えていた。

 

 

 

 

 

 『生きろ』

 『どうか 永く』

 

 

 それは、(のろ)いのようで、(まじな)いのようで。

 

 

 『道が分たれようと、何時か必ず』

 

 

 尾崎の脳裏によぎるのは、あの日聞いた歌の続き。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「(『御魂がその目を覚ますなら   

 

彼方に命が生まれ来て

 

心がその目を覚ますなら

 

此方に想いが生まれ来る

 

すべてを包むは御魂なれ

 

あまたの想いは力に変わり

 

命が御魂に帰る時

 

新たな想いが生まれけん

 

消えぬ想いは御魂に帰り

 

新たな命の息吹待つ

 

共に回れや 命と心

 

常世に廻れや 命と心

 

そしてひとつの唄となれ

 

共に歩みて戻り来よ

 

共に歌いて戻り来よ

 

共に生きるは

 

   魂と想い』)」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「刈猟緋さん……私、生きるわ」

 

 

 

 

 

 その日も風は、吹いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 「………ぁ…」

 

 

 

 「…お母さん!! おばあちゃん起きた!!」

 「! …お母さん…!? お母さん!! 分かる!? 私!!」

 

 

 老婆は、病院のベッドに横たわっていた。傍目から見てもその衰弱は瞭然で、天寿の全うが近いのは確実だった。

 

 

 「お母さん…!!」

 「……おはよう……………夢を、見てたみたいね……」

 「…夢?」

 「ええ………とっても、懐かしい夢………」

 

 

 死を前にして、老婆は実に穏やかだった。静かに、娘と孫に語りかける。

 

 

 「……約束、覚えてるかしら…?」

 「…虹色の、刀のこと?」

 「…そう………大変だった……鋳潰されそうになった時には………心底、肝を冷やしたわ……」

 「うん…売ったり、捨てたり……とにかく手放しちゃいけないって」

 「………お願いね……ずっと、ずっと…………伝えていって……。……()()()と、一緒に…」

 「おばあちゃん」

 「……うふふ…………良い子でね…」

 「…ん」

 

 

 孫の頭を撫で…開いた瞼が、再び閉じられる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 『────尾崎』

 「────………え………?」

 『…良く、頑張ったな』

 「……………刈猟緋、さん………!! かが、り………び……………………」

 

 

 

 

 

 家族が見守る中、老婆は涙を流しながら永久の眠りに就く。

 

 

 

 

 

 その顔に浮かんでいたのは、悲痛な歪みではなく…喜びの笑みだった。

 

 

 

 

 





次回、最終話です。

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