「シンジ、そろそろ行くわよ」
「行くって、どこに」
シンジが作ったそばのつゆを最後の一滴まで飲み干した後(「ああもう、そんな風におつゆまで飲み干したら塩分過多だって!」)、同居人の少女が声を掛けてきたので、シンジは首を捻った。金髪の長い髪に、蒼い瞳。一目で他人の目を引くとびきりの美少女だった。
「あんたばか?ニネンマイリに行く日なんでしょ、今日は」
「二年参り?……よく知ってるね、アスカ」
むろん言うまでもなく、大晦日の深夜に寺社にお参りして、そのまま元日を迎え、新旧の年をまたぐ初詣が二年参りだ。
「でも、まだ九時過ぎだから少し早いかな。アスカだって、三時間も寒空の下で時間を潰せないでしょう?」
「それはそうだけど……」
「でも準備はしようか。ここからだと、何処がいいかな?」
二年前の大晦日はまさにサードインパクトが発動したその日だった。一年経っても、復興は途上で、シンジもアスカも初詣どころではなかった。だから今年はサードインパクト後、初めての初詣だ。近隣の寺社を調べるところか始めなくては、とシンジがスマホに手を伸ばすとアスカが言った。
「それはもちろん箱根神社よ!」
妙に気合いの入ったアスカの勢いに、シンジは気圧されるように頷いた。スマホでアクセスを検索して読み上げる。
「……箱根神社だね。えっと……湯本駅からバスに乗れば行けるね、バス停から十分ぐらい歩かないといけないけど」
「うん、あったかくして出かけましょ」
まあ割合、近いからいいか。アスカの下調べに感謝して、シンジは何気なく言った。
「ミサトさんも一緒に行けたらいいのに……大晦日まで仕事か……」
「御用納めは二十八日だってのにね……案外、家に帰りたくないのかもね」
「帰りたくない……?」
「そうよ。ミサトはあたしたちに顔を合わせづらいんだと思うわよ」
「ど、どうして?」
「あたしたち子供に一生背負わなくちゃいけないような重荷を背負わせたから」
サードインパクトのトリガーとなって、シンジは意図せずとはいえ、世界の破壊と再生を担った。そして、アスカと赤い海の浜辺で横たわり、愛憎劇を演じる事になった。シンジがアスカの首を絞め、殺そうとした事は永遠に忘れられないだろう二人の記憶だ。むろん、二人はそれをなかった事にしてしまうつもりはない。
ミサトがその細部までを承知しているとは思わない。しかし、二人が一カ月ほどして、LCLから人の形を取り戻したネルフクルーたちに保護された頃には、アスカもシンジも黙りこくって、互いの顔を見ようともしなかった。ミサトにはまだ幼い十四歳の二人が過酷な運命に直面し、心を傷付けられた事に動揺したのだろうか。
「でも僕らは仲直りできた。ちゃんと和解して……その……彼氏彼女になれたんだ。ミサトさんにそれを伝えれば」
それをシンジが赤面しながら口にすると、アスカは首を左右に振った。
「どうだろうね、それ。出発点はそこだとしても、ミサトもそろそろこの家族ごっこ、限界だと思ってるんじゃないの?ミサトは結局、サードインパクトを防げなかった。加持さんもリツコも失った。もうミサトには何もないのよ」
そして、やがてはあたしとシンジという偽りの家族も失っていく──アスカはミサトの生き方を哀れに、哀しく思った。報われることのない人生だ。どんどん出世ばかりしても、あんなのつらいだけじゃないか。
「だったら尚更、僕らがミサトさんの力に……」
「シンジ、いつまでもこの葛城家には居られないわよ。あたしたちだってもう十六だ。高校にいる間は居候をさせてもらえるかも知れないけど、どの道あと数年でこの家を出なくちゃいけない」
「そんな……」
本当はシンジにも分かっている事だった。いつまでも子供では居られない。でも、シンジたちが本当に子供で居られた時期は短かった。シンジで言えばこの街に来るまで「先生」に預けられていた時期は、子供では居られない、大人のように振る舞うことを意識せずとも強いられた時期だった。「先生」が冷たかったのではない。立派な教育者で、だからこそ父はシンジを託したのだろう。シンジはだから当たり前の分別はつく最低限人間と呼べる存在には育った。でも、彼「先生」に家族を感じたことはなかった。
だからシンジはこの新しい共同生活では、保護者代わりのミサトにどこか甘えていたのかもしれない。ミサトは多忙を極める仕事の中で、いつでも明るく気さくに振る舞い、実の姉のように接してくれた。しかし考えてみればそんな事をする必要などなかったのだ。だから、ミサトの振る舞いはきっと、僕たち子供を戦場に立たせることへのせめてもの贖罪だったに違いない。シンジにはようやくその事を──他人の置かれた立場や気持ちを考える余裕が生まれていた。だから、いつかはミサトとの関係も終わる。僕らがエヴァに乗れなくなるその時には。アスカの言ってるのはきっとそういう事だった。
「前にも言ったでしょ、人間関係なんて所詮は一過性のものだって、ミサトとあたしたちは本当の家族じゃない。家族が欲しければ、あたしとシンジが自前でどうにかするしかないんだ。意味、分かるわよね?」
その言葉の意味することはもちろん、少し考えればシンジにだって分かることだ。シンジもアスカも十六歳だ。あと二年で二人はその資格を得る。
「う、それって」
「そう、あんたとあたしは男と女だ。だから新しい家族を作ることが出来る。今度こそ疑似じゃない本当の家族をね」
「……僕とアスカが本当の家族に」
「当たり前の事じゃない。家族を作れるのは赤の他人だけなんだから」
それはどこか逆説めいていて、しかし、世界のどこでもそうである筈のルールだった。家族と呼ぶには遠い血縁関係であってこそ、ようやく男女が結ばれ、新たな家族になることが許される。シンジがその当たり前だが、改めて考えてみるとなぜそうなっているのかと首を傾げたくなる、その仕組みの不思議さに少し戸惑うような目をしたのを見て取ったのか、アスカは説明してやることにした。大学時代に社会人類学の授業で勉強したレヴィ=ストロースの学説のことだ。
「どうしてそうなっているのかというのは構造主義という学問で研究されている」
「構造主義?」
「要するに、女や財物を交換して、人々の集団は交わり生きていく、そういう構造なのよ」
「え……そんな、女性は財産や物じゃないよ」
シンジが慌てるように、アスカに抗議した。そう説明したアスカ自身が女性であるのに、まるでアスカの代わりに文句を言うみたいに。
「違う違う、そんな事を言ってるんじゃないの、人間は誰しも自分が生まれた家族の中で自足して、その家族の中だけで暮らしてはいけないってこと。一人前の男になったらその時、女を家族の中から調達してはいけないのよ……たとえば母親とか姉とか妹とかからは。だから男は誰でも自分の女を余所から見つけなければならないの。結果として、人類は婚姻を通して複数集団間で女を交換している事になる」
アスカはいわゆるインセストタブーについて説明している。近親相姦の禁忌のことだ。
「それは血が濃い相手だと遺伝的に良くないから?」
シンジの頭の中に瞬間、綾波レイの姿が思い浮かぶ。僕はある時までは確かに綾波のことが好きだったのだ。もしかしたら、アスカのことよりもずっと……。
「そうじゃないのよ、一般的にはそういう誤解がまかり通ってるけどね。インセストタブーはそういう遺伝学的な問題の回避のためにあるんじゃない、もっと大きな目的──人類社会を成り立たせる為にあるんだよ。家族や一族だけで閉じない、他の集団との女や財物の交換、人と人との広範な交わりを維持するための仕組みだ。そうでなけりゃ、人類は山奥とかに家族単位で孤立して、いつかは滅んでしまう。……そりゃ、知らない家に来て、お嫁さんは最初は苦労するでしょう。でも、自分の生家の慣習や文化や料理を持ち込み、家族以外の世界を持ち込み、そうやってより広い世界を成り立たせるの。女の役割はだから重要だったんだよ。家族はむしろその広い社会を成り立たせるためのインセストタブーの単位として生まれた」
アスカの長広舌にシンジは頭を掻いた。一介の高校生であるシンジにはアスカの主張の主旨はぼんやりとしか伝わらない。
「なんだか難しい話だね……」
「難しい話をしたいわけじゃないの。でも、二年前のちょうど今日十二月三十一日に起こったサードインパクトを経て、シンジとあたしは、あたしたち二人だけで閉じるのではない世界を願った。社会と世界の復活を願った。だから、今ここにこうしているシンジとあたしはいつか、この家を出て、新しい家族を作らなくちゃいけない。本当の家族ではない赤の他人だからこそ、今度こそ本当の家族にならなくちゃいけないんだ」
シンジは頷いた。
「世界のコウゾウというのがそうなら、しょうがないね」
よく分からないながらも、つまらない冗談のつもりで軽くそう言ったら、アスカはシンジの頭を近くに有ったファッション雑誌で思い切りはたいた。
「あ痛っ!」
「世界の構造も冬月コウゾウも関係ない!あんたとあたしにとって重要なのは気持ちだ!……お互いの気持ちだけなんだよ……!」
「そ、それはその通りだと思うけど……」
だったらさっきまでの説明は何だったんだよと言いたくなる気持ちをシンジは必死に抑える。
「世界の構造はあたしとシンジが家族になることを求めている。でも、あたしとシンジは世界が求めていなくたって、一緒になるんだ。……文句ある?」
そのアスカの昂然とした態度はシンジに対してというよりも、まるで世界に牙を剥くみたいな勢いに、シンジには見えた。
「も、文句なんてあるはずないよ。嬉しいと思ってる。でも僕とアスカは一歩ずつ関係を進めるんでしょ、まだまだ先のことのように思えるな……」
「二年なんてあっという間じゃない、高校の間に初体験をして、それからすぐ入籍すればいい。そして二人で一緒に同じ大学に通おうよ。やっぱりシンジも大学は出ておいた方がいいよ」
とするとアスカは二度目の大学生ということになる。学士入学というやつになるのだろうか?シンジは少しだけ調べ始めている大学入試の知識で考えてみた。いや、それよりも高校生で入籍したら、学生結婚になるのではないか。シンジは夫婦として同じ大学に通う自分とアスカを想像してドキドキしてきた。でも恥ずかしいので、嬉しさを隠すように、ことさらに難しい顔をしてみせる。
「なんだか考えることが一杯で、大変だね……」
「でもそれが人生なのよ。誰も代わりに考えてあげることは出来ない。あたしもアドバイスは出来るけど、最後にはあんたの進路はあんたが自分で決めなくちゃね」
「うん」
「大変だけど、頑張ろうよ。頑張れば、あたしたちはちゃんと幸せになれるんだから」
アスカはそう言って、シンジの手を握った。だから、シンジも頷いて、「出掛ける支度、そろそろしようか」と言った。
◆
箱根湯本駅からバスに乗り換えて、目的のバス停を降りると、粉雪の薄く積もった道を、家族連れやアベックなど沢山の人たちが歩いていた。まだ、雪はチラチラと舞っている。
人々の流れは概ね一方向で、みな箱根神社に向かうのだろう。
「こんなに沢山の人たちが……」
シンジは胸が詰まる気持ちで言った。サードインパクト前と同じ光景だ。人が大勢生きている。シンジの感動と安堵をアスカは手に取るように理解できた。シンジの感じていた罪悪感が人々の命にまで及ぶものだったのなら、シンジはこの先、十年も二十年も悩まなくてはいけなかったかも知れないのだから。
「うん、ほとんど皆がLCLの海から戻って来れた。無論、混乱の中、事故死や戦死がない訳じゃないけど、みんなシンジが見限らなかったから戻って来れたんだよ」
手袋の上から手を繋いでいる二人は歩きながら、ゆっくりと言葉を交わし、その度に吐く息が白く染まった。
「……僕は何もしてないよ」
「ううん、そんな事はない。シンジはサードインパクトの依代になった。世界はそれで物理的に破壊された。でも皆が補完計画を烏滸の沙汰だと思って、LCLに溶け込もうとしなかったのは、シンジ自身がそう思ってたから。みんなシンジの意思と意識に共感したんだよ。他人と一つになっても意味なんてない。人は別々の人間だからこそ意味がある、別々の人間が助けあって生きていく事に意味があるって」
シンジはそう思ってたんでしょ?とアスカに水を向けられて、シンジは空いている方の手で、寒さに赤くなった鼻の頭を照れたように擦る。
「僕には人類全体の事なんて分からない。あの時、僕が考えてたのはアスカの事だけなんだ。アスカが僕なんかと一つになってしまったら可哀想だと思った。それに……」
「それに?」
「恥ずかしいと思ったんだ。僕の気持ちを全部アスカに知られてしまうのは。アスカの事が好きだって事。それなのに勇気が持てないでいる事。綾波のことももしかしたら好きだったかも知れない事。エッチなことばかり考えている事。卑怯で無責任で情けなくて弱虫な事。そんなのアスカにだけは知られたくなかったんだ」
「……同じだね、それなら」
フフッと笑いながら、アスカは言った。二人のブーツの足跡が白い雪の上、二人の後ろに連なっていく。しかしその足跡もすぐに消えてしまうだろう。降り積もる粉雪と後ろから来る人々の足跡で。
「……同じって?」
「そのままの意味だよ。あたしも恥ずかしいと思ったのよ。あたしの気持ちを全部シンジに知られてしまうのは。シンジの事が好きだって事。それなのに勇気が持てないでいる事。加持さんのことももしかしたら好きだったかも知れない事。エッチなことばかり考えている事。傲慢で利己的で嫉妬深くて弱虫な事。そんなのシンジにだけは知られたくなかったんだ。だから……全く同じだよ」
それからアスカはまっすぐ前を見て言った。
「気持ち悪いって言ったでしょ、あたし」
その言葉にシンジはズキリと胸を疼かせる。今でもそれはシンジの胸の古傷に響く強い力を持った言葉だった。シンジは苦しみに耐えるように表情を固くし、しかし勇気を奮って頷く。
「うん……」
「あれは、そんな風に、全く同じ事を考えていたあたしたちなのに、それでも、気持ちが上手く重ねられない事が、気持ち悪かったのかも知れない。分かるでしょ、パズルとかをやってて最後のピースがハマらないとか、見つからないとか、そもそも計算が全部違っててやり直さないといけないとか、そういう感じ。そんなのって何だか気持ち悪いと思わない?すっきりしないというか、出題自体を疑いたくなって。あたしはあの時、人間はなんで簡単に分かり合えないんだろう、その仕組みが──人間の構造が気持ち悪かったのかも知れないんだ」
「アスカ……」
シンジはアスカを見殺しにし、彼女の首まで締めた己の罪が消えるわけではないにせよ──アスカの言葉に少しだけ気持ちが軽くなり救われる思いがした。アスカの表情は真剣で、だからそれはアスカがシンジを免罪しようとして取り繕っている話ではないようだった。
「でも、一足飛びに理解を求めるなら、行き着く先はやっぱり補完計画になってしまう。だから人類はどんなに気持ち悪くても、居心地が悪くても、このヘタッピなコミュニケーション能力で何とか他人を理解していくしかない。そりゃ喧嘩もするでしょうよ、憎んだり嫉妬したり、場合によっては別れてしまうことだって哀しいけどあるかも知れない。でもそういう可能性を向こう側に置いておくから、苦労して分かり合えた時の喜びは何よりも勝るんじゃないかな。結ばれた喜びはきっと無限に高まるのよ。構造主義の話と同じだよ。自家受粉で楽をしたらいけないんだ。手近な血族で安易に間に合わせたらいけないんだ。どんなに遠くて違うものでも、苦労して理解しあわなくちゃいけないんだよ、きっと……そうしたらあたしとシンジみたいに実は全く同じだって気付ける事もあるのかも知れない」
そして、ずっと前を向いていたアスカがシンジの方に向き直った時、アスカは蒼い瞳を潤ませて泣いていた。
「──だって、あたしはシンジが好きなんだもの。そのぐらいの苦労は買ってでもするよ。補完計画で楽チンポンに分かり合ったって意味がないよ。皆と一緒じゃなくて、二人だけで繋がらなくちゃ意味がないよ!それは否定されるべき閉じた世界ではないんだ。そうじゃなくて、その二人は広がっていく世界のまさに始まりになるんだから!」
「アスカっ……」
シンジは繋いでいた手はそのままに歩道の脇に逸れるように、か細いアスカを抱き寄せ、腰が折れそうな程に強く抱きしめた。アスカの事が本当に愛おしい。健気にシンジへの想いを抱き続け、間違いをし続けたシンジを許して、共に人生を歩もうとしてくれる彼女の愛が、本当に嬉しかった。
シンジの両目にも涙が溢れて視界をぼやけさせていく。しかし後続の歩行者は驚きながらも、器用に二人を避けていく。冷やかすものなど誰も居ない。LCLから戻ってきた人類たちは何故だか少しだけ他人の気持ちに敏感に、優しくなり、そのせいなのか、あらゆる犯罪指標に統計上有意な低下が見られていた。きっと、誰もが他の人の心の中を覗いたからだろう。そして、知った秘密は驚くべきものだった。──「他の人たちも、自分と全く同じだった」
老いも若きも男も女も、賢愚貧富民族宗教を問わず、皆、人類の心の中は同じだった。それを知って、世界は明らかに優しくなったのだ。だから、今、歩道の脇に寄って涙を流し合いながら抱き合う二人を、嘲笑うものは誰も居ない。みな、ずっとすれ違っていた己の恋人とようやく分かり合えた時のように、我が事のような温かい気持ちになりながら、微笑みを投げかけて、無言ですれ違っていく。でも、みんな心の中ではこう言っている。──おめでとう、おめでとう、と。
それはアスカが厭うた、人類補完計画がもたらした人間関係のチートなのかも知れない。人類の中で、LCLに溶け込んだ事のないアスカとシンジだけが、終生享受することのない近道なのかも知れない。でも、それはそれで良いのだろう。人類は別に他人の心を全て知ったわけではない。さわりだけ知って、他人と自分に本質的な違いがないと知って、それで少し優しくなっただけの事なのだから。そして、それはアスカとシンジが自力でたどり着きつつある相互理解と同じだった。
「シンジ、シンジ……」
「アスカ……」
除夜の鐘が一つ突かれる度に、その低い音が、涙を流しながら抱き合う二人の魂を浄化していくようだった。
◆
境内に入ると、もう人でいっぱいで、ひしめく人たちの列の最後尾に並びながら、アスカたちはカウントダウンを待った。散々に泣き腫らした二人の顔には、涙の線が乾いた跡が残っていて、それをお互いの顔の中に見いだすのが気恥ずかしかった。でも、これもまたやがては、いい思い出になるはずだ。
「……箱根神社の祭神は、箱根大神こと
アスカが二人の間に漂う照れくささを隠そうとしてか、淡々としかし流れるように、下調べの成果を説明する。
「縁結びって、僕らには、もう必要ないんじゃ?」
「違うの。……初詣に合わせて、お礼に来ようと思って」
「お礼?」
「ヒカリが中学の時にここの神社にお参りして、恋愛成就の御守りを買ってね。あたしにも一つ分けてくれたのよ」
アスカはそっと、ポケットから古びた御守りを取り出す。洞木ヒカリは鈴原トウジへの想いを込めてお守りを手に入れたのだろう。そして、アスカにもシンジへの想いが叶って欲しいという友情でお守りを分けてくれたのに違いなかった。ヒカリもトウジも学校が変わってしまったから、なかなか会えないが、サードインパクト後も家族全員元気にしているという。ヒカリとトウジの仲は良くも悪くも相変わらずのようだ。第3新東京市から転居してしまった相田ケンスケもやはり元気だという連絡をシンジは聞いている。まだ自分から連絡をとる気にはなれないが、そういった報告はシンジの気持ちを明るくする。アスカは御守りの表面を粉雪から守るように優しく撫でながら言った。
「一年経っても二年経っても叶わないから、返そうかと思った。でも、ちゃんとあたしの願いを神様は叶えてくれた。だから御礼に来たかったのよ」
御守りは一年ごとに返すものという考えもあるが、願いが叶うまで手元に置いても良いという考えもあるらしい。要するに気持ちの問題だから、それは身につける人が考えれば良いのだろう。
「……アスカは、いい子だね」
たぶん、アスカはキリスト教で教育を受けたのだろうが、日本の神様への敬意も感謝も忘れていない。バカバカしい迷信だなんて思ったりはしない。きっと人間の大切な想いが込められた風習を馬鹿にすれば、自分の想いに跳ね返ってくると理解しているのだろう。
「義理堅いのよ、あたしは」
アスカはそう言って、名残惜しそうに御守りをさすった。その御守りはアスカのシンジへの想いが二年間も込められていたもので、だからその御守りをそんなにも大切にしてくれていたアスカの事がシンジには余計に愛おしくなった。
「……それ、返さない訳にはいかないの?」
その御守りを大切にし続けているアスカがなんだか可哀想でシンジは思わずそう言った。しかしアスカは首を横に振る。
「願い事、叶っちゃったからね。返さなくちゃ……少し寂しいけどいいのよ。あたしには本物のシンジがいるんだから」
そう言って、アスカはシンジの腕を手繰り寄せた。
「そろそろ年が明けるよ!」
「あ、うん……」
アスカが境内に臨時でしつえられた大きなカウントダウン用の時計を指差して、シンジの注目を促す。やがて、どよめくように人々の数字の読み上げが起こった。
『5、4、3、2、1……』
アスカとシンジもまるでゲームにでも参加するように、周囲の声に唱和する。一度は一つに溶け合って、それからふたたび自我を取り戻した人々の声は、何だか自信と優しさに溢れているようだった。シンジにはそれが何だか嬉しい。
そして歓声が一斉に上がる。すぐ近くの芦ノ湖岸から花火が上がる。新年奉祝の花火大会ということだ。
──2018年の元日だ。シンジとアスカが十七歳になる年の始まりだ。
「あけましておめでとう、アスカ!」
夜闇の中、断続的に打ち上げられる花火の光に照らし出されながら、シンジにはもちろん分かっていた。アスカがどんな風に返事を返してくれるかってことが。
「Frohes Neujahr, Shinji!」
フローエス ノイヤール、シンジ!
そう。アスカの綺麗な発音と声が、新しい年のシンジを早速、笑顔にしてくれるのだ。