季節の中のアスカとシンジ   作:しゅとるむ

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Pfirsichfest 3

 シンジたちを振り切って独り帰宅したアスカは、コンフォート17マンションに戻るなり自室に閉じこもった。ベッドに顔を伏せて外界から自分を遮断した。

 

(どうして、シンジはあの女を庇うんだよ!)

 

 アスカとシンジは、米国から来た新エヴァパイロット、マリと綾波レイの六人目のクローン体、№シスの世話をミサトに命じられて、葛城家に連れてくる所だった。途中でシスがシンジの言葉を誤解して、彼を父親だと──天涯孤独な自分にも家族がいるのだと──無邪気に喜び始めたから、アスカは見ていられなくなったのだ。クローンを兵器の生体パーツとして利用するミサトの非道がその時、幼児の身の上に降りかかる現実の不幸として意識されてしまい、どうしても許せなくなってしまっていた。

 

 だから気が付いたら、ミサトに対する怒りをぶちまけて、義憤のままに駆け出していた。

 

 もちろん、アスカも理性ではミサトの冷酷な決断の理由は分かっている。アスカは一介のパイロットに過ぎないが、小隊以上単位に匹敵する戦力足りうる航空機パイロットが基本的には士官であるのと同じように、エヴァのパイロットも士官待遇の軍属だ。仮初めながらも士官として速成教育で身に付けた軍事的合理性が彼女の中にも根付いている。士官が学ぶのは、自分の掌握する隷下の部隊全体に対する視点だ。

 

 個人として愛すべき兵士がいたとしても、士官は時に部隊全体のために彼に危険な任務を命じなければならない。単なる員数では決してあり得ない個人を、単なる員数として冷徹に計量するのが士官の任務だ。暴走するトロッコの分岐器をより少ない犠牲者の方へと切り替えるのが士官の仕事だ。──倒した分岐の先にある個人の顔はその時は見ないようにするしかない。見えているのに、見えていない振りをするしかない。

 

 高級指揮官ともなればなおさらだ。掌握する部隊が──引いては責任を負うべき国民が──級数的に増大し、その分、兵士個人の命の重みは鴻毛よりも軽くなる。そして、ミサトがネルフ司令として背負っているのは人類全ての運命なのだ。

 

 だから、ミサトが幼児であるマリや、クローンであるシスまでをも軍事利用する理由は分かる。

 

 そうしなければ人類が滅ぶから──

 

 使徒の再来寇や再度の人類補完計画発動による危険、あるいは人類を脅かす更なる未知のリスクは未だに払拭されていないのだ。

 

 だからその至上の大義の前に、全ての人道は閑却される。

 

 ミサトは軍人として正しい。

 人間としては間違っている。

 

 ミサトは元々、それが分からない程に酷薄な大人ではない。

 

 人として間違っている事と理解した上で、ミサトはそれを覚悟の上で行っている。誰かがやらねばならない事だから。人類を救うためには、誰かが悪魔にならなくてはいけないから。

 

 まだ子供であるアスカは、それに対して何も言うべき言葉を持たない。

 だから口惜しいのだ。

 

 空疎な正論を自らの手を汚さない立場から言うしかない、無力で傲慢なだけの自分に憤るしかないから悔しいのだ。

 

 

 息せき切って、家に駆け込んできたシンジは肩で荒く息をしている。アスカが鍵を掛けずにいたから不用心だと不安に思いつつも、鍵開けに手間取るもどかしさを感じずに済んで良かった──そのぐらい気が急いていた。

 

「はぁはぁ……あ、アスカ……」

 

 アスカの部屋のふすまの前で、シンジは遠慮がちに声を掛ける。

 

 アスカの返事はない。

 

 玄関先でドタドタと家に上がり込む子供たちの足音が聞こえる。

 

「ここがミサトのうちなのか!?」

「よし、シス! 全部の部屋を探検だ!」

 

 そんな子供たちのはしゃぐ声をBGMに、シンジは閉まったままのふすまに向かってゆっくりと声を掛ける。

 

「あの……ごめん。アスカが怒った気持ち、分かると思う。分かってあげなくちゃいけなかった。でも、さっきは僕の中でミサトさんをアスカの上に置いた訳じゃない──あの時、僕はただアスカの言うとおりにだけ肯いててはいけないと思ったんだ。僕には僕の考えがあって、ちゃんとそれをアスカにぶつけて、きちんと話をする。どうしても、そうしないと……って」

「……あんたは自分の考えが正しいと思ってるの?」

 

 アスカの返事がか細いながらも返ってきてその事に少しだけ安堵しつつ、シンジはふすまの外で首を横に振った。

 

「ううん、僕はバカだから間違ってるかも知れない。でも正しいとか、そういうのは多分どうでもいいんだ。人間、正しさにこだわるとあんまり良くない気がする。それは人間を正しい側とそうでない側に二つに分断してしまうだけで、でも……人間ってそんな風に二つに分けてしまっていいものではないんだよ、きっと。僕はそんな風にアスカと分断されたくない──ミサトさんとも」

 

 世の中には正論と正義が大手を振って罷り通る風潮が強まっている。それだけ、人々が世の理不尽に怒りを感じているのだと分かってはいるが、しかしその単純明快な世界観に対して、シンジは少しだけ異議を申し立てて、留保をしたかった。

 

「たとえ、ミサトさんが間違っているとしても、僕はミサトさんをただ非難はしたくないんだ──ミサトさんは今まで僕らに本当によくしてくれたし、ミサトさんだって今はつらいのかなってそう思ってあげたい。そういう気持ちをアスカとも共有したいと思うんだ」

「あんた、少し変わったわね──」

「そ、そうかな……」

「少し大人になった」

 

 アスカはいつの間にかベッドから起き上がって、ふすまを背中にして座り込んでいた。シンジもその気配を察して、ふすまに背を向けて廊下に座り込む。今、アスカとシンジはふすまを僅かに挟んで背中合わせになって会話をしていた。

 

 ふすまを開けて顔を見て話せばいいのに、互いの声だけを聞いて会話する。距離感が少しだけある会話で、お互いの気持ちのすれ違いを修復しようとする──なぜかそうするのが少しだけ心地よかったのだ。

 

「そうかな。僕にはよく分からないや」

「自分のことだけで一杯だったあんたが、保護者であるミサトの立場を考えて思いやっている。あたしは二年前にはあんたに傷付けられて、あたしも同じくらいあんたを憎んで傷付けて、そんな風にあたしたちは子供だったけど、もしあんたがそんな風に大人になれるのなら、あたしだって、きっとそうしなくちゃいけないんだよね」

「──アスカは僕よりもずっと大人だよ」

 

 女子は少しだけ男子に先んじていて、それは女の子の言語能力やらコミュニケーション能力の高さに起因するのかも知れない。そして、やがて女子は己の胎内に別の生命を宿すことにもなる。だからこそ、他者と必然的に触れ合う性として、誰かと共に生きていく術を先んじて模索し始めるのかも知れない。

 

 それがシンジには眩しくて、いつまでも遠くて、だからこそ憧れて、でも、それをずっとずっと追い続けて生きていきたいとも思うのだ。

 

「あたし……こんなに怒りん坊なのに?」

「うん──そんなに怒りん坊でも。アスカは大人だし、素敵だ」

「やになるなあ……」

 

 そんな風にシンジが優しくて、少しだけ大人に見えて、アスカには悔しい。でもシンジの言うとおりにミサトを許す気にはまだなれていなかった。自分はそんなに柔軟でもないし、人間として丸くもない。正論だけで世界を切り取るのが稚拙で、いかにも年頃の少女らしい潔癖さと傲慢さだとしても、ただひたすらに冷淡な覇道を突き進むミサトの立場に対してどんな風に寄り添ってやればいいのか、アスカには分からなかった。

 

「……」

 

 だからそこから暫し、アスカはシンジとの会話に行き詰まりと気詰まりを感じて、リビングの更に奥の辺りから、マリとシスとが突如として上げた大きな驚きの声に、救われた気持ちさえ感じたのだ。

 

「なんだこれ!? 凄いものがある!」

「Japanese roomにて、マリシス探検隊は秘宝を発見せり!!」

 

 一体、二人は何を見つけたというのか。シンジがすっくと立ち上がった。

 

「アスカ……行ってみよう!」

「うんっ」

 

 シンジの言葉にアスカも立ち上がって、ふすまを開ける。互いに頷きあって、二人ですぐにリビングルームの奥まで駆けつけた。

 

 ──まさか、ミサトの汚部屋に卒倒したわけでもあるまいが?

 

 などと思いながら、その部屋に飛び込んだから、別の意味でアスカは驚かされた。あんぐり口を開けて、シンジの顔を見やったら、シンジも参ったなと言わんばかりの表情で頭を掻いている。

 

 そこで見たのは、塵一つ無い、掃き清められた和室。間違いなくミサトの私室だが、いわゆる汚部屋だった形跡など何処にも見当たらなかった。清々しく、清涼な空間。そこに微かに桃の花の香りが漂う。床の間に置かれた花瓶に──花屋でこの時期になると並ぶ枝ものの──桃の花が一枝生けられているからだった。

 

「ミサトのやつ、一体いつの間に──」

 

 アスカが唖然とし、シンジが頷く。

 

「全く気が付かなかったよ。最近はミサトさんの部屋を覗かないようにしていたから、ずっと散らかったままかと思っていた……いつ片付けてたんだろうね」

 

 多分、深夜でなければ、シンジたちが学校に行っている間、昼休みなどに戻っては少しずつ片付け、また仕事に蜻蛉返りなどしていたのだろう。多忙を極めている筈の司令の仕事の合間に。

 

 それはミサトの如何なる心境によるものなのだろうか。

 

 部屋には三つの雛人形が飾られていた。いずれもシンプルな一段飾りだ。二つは新しく、動物が──それぞれウサギとオオカミが──擬人化された児童用のカラフルな雛人形だった。

 

 ウサギの方には「綾波レイさんへ」

 オオカミの方には「マリさんへ」と。

 

 雛壇の前に並べられたそれぞれを収めるとおぼしい化粧箱の上には、そうミサトの字で書いたメモが置いてあり、マリの方には一応英語も添えてあった。それぞれの宛名には子供宛てながら、ちゃんと「さん」付けの敬称が付されている。

 

「これは何!?」

 

 目を輝かせて尋ねる綾波レイ№シスに対して、シンジは説明する。

 

「雛人形だよ。もうすぐ三月三日、ひな祭りだから──女の子のお祭りで、こうやって男の子と女の子の人形を並べてお祝いをする。無事に育ってくれてありがとう。将来、幸せになれますようにって」

 

 そこまで言って、シンジは言葉を切る。そこに込められたミサトの想いに気付いたのだ。

 

 無事に育ってくれてありがとう──

 将来、幸せになれますように──

 

 ──そうか。そうだったのか。

 

 シンジは急に目頭が熱くなった。わっと叫び出したくなる気持ちを押さえ込む。

 

 やっぱり、ミサトさんはミサトさんだった。

 

 僕らの知っているミサトさんなんだ。そういう、温かくじんわりとした想いがこみ上げてくる。

 

「──シスが、このウサギさんの雛人形を貰ってもいいのか!?」

「うん。これはミサトさんが、君たちに呉れたものだよ。そちらのオオカミの雛人形はマリのものだ」

「マリのエヴァはウルフパック──群狼だ。──だからこれはマリにぴったりのプレゼントだね! Commander Katsuragiはステキ! ステキ!」

 

 はしゃぐ子供たちのそんな喧騒をよそに、アスカはもう一つの雛人形の前に膝を折って静かに座った。

 

 それはやや古びてはいるが、丁寧に、大切に保管されてきた事が分かる人形だった。白磁のような透明感のある女雛の顔は、古風だがどこか葛城ミサトにも似ている。普段はあまり意識させられる事はないが、ミサトは典型的な日本美人だった。その事をアスカは改めて思い起こす。

 

 他の二人宛てのものと同様にやはり人形の前に置かれた化粧箱の上に、「惣流・アスカ・ラングレー様へ」と書かれた手紙がきちんと箱の外周と平行にして置いてある。アスカは手紙を開き、シンジにも聞こえるように、静かに読み上げ始めた。

 

「『古い雛人形でごめんなさい、亡き母から受け継いだものですが、ぜひ受け取ってください。これを次に誰かに引き継ぐのはアスカからであってほしい』──ミサトのやつ……」

 

 ミサトは加持を失って、もはや伴侶、配偶を新たに得るという望みを棄てたのかも知れなかった。

 

 だから雛人形を受け継がせるべき娘は二度とミサトには現れない。いやしかし、私には既にちゃんと娘というべき存在がいるではないか──。

 

 ミサトは或いはそう思ったのだろうか。

 

 必ずしもアスカが、ミサトに好意的でないことを彼女も知っていた筈だし、互いの間には女同士の反撥心もある。難しい年頃の少女だ。かつてアスカはミサトの元恋人である加持に対する露骨な好意を示していた事もあったのだ。そして加持とミサトは焼け木杭(ぼっくい)に火が付いたように寄りを戻し──。

 

 だけど、その加持はもうこの世界の何処にもいない。

 

 曲折を経てその後、アスカは加持ではなくシンジに向き合い、年齢相応の相手を得て収まるべき場所に収まった。それはとても自然で健全なことだ。

 

 アスカの反撥心は、ミサトに対して別の理由で尚もぶつけられているが、それはもはやミサトにとっては黙して甘受すべきことになっていたのかも知れない。少なくともミサトがサードインパクト後に露骨にアスカを叱正したりしたことはなかった。

 

 箱の上にあるのは手紙だけではなかった。

 一首が短冊の形で添えられている。

 

──()しきやし 吾が家の毛桃 もと繁み 花のみ咲きて 成らざらめやも

 

 意外にも流麗達者な女の筆で、薄桃色の短冊にその和歌は書かれていた。

 

 それは、葛城ミサトが最近愛読している万葉集からの歌だった。

 

 万葉集は、他国で言えば、丁度きょう帰路にてマリが引用し、アスカが後を継いで諳らんじた旧約聖書の「雅歌」に相当するものだろう。あるいは、アメリカ文学で言えばホイットマンの「草の葉」に匹敵するだろうか。どちらも題名に「葉」が入っているのが偶然とはいえ、質朴な日米両国の民族性を表しているようだった。国籍上はアメリカ人であるアスカも草の葉所収の「アメリカの歌声が聞こえる」という詩に打ち震えるような感動を覚えた記憶がある。すなわち民族の古層にあって、その国の人々の魂を震わせ、むせび泣かせる「最も古い記憶」だ。

 

 かつて、第二次世界大戦で出征した学徒出陣の学生たちは様々な書籍を戦地に持ち込んだ。その中で一番持ち込まれたのが、この万葉集だったという。それは日本の最古の歌集であり、尚武軍国の世にあって表向きはその中に含まれる僅かな勇ましい歌を言い訳として、実際には、兵士たちは前線で、男女の相聞や望郷の歌に落涙したものと聞く。

 

 それは戦争という暴風のただ中に僅かに文化の香りを溶かし込むものだったろう。反戦というには弱々しく、しかし好戦というには明らかに程遠く。学び舎から望まずして引き剥がされた学徒たちは暮夜、陣中でこの書を読む時に、きっと、上代の祖先の穏やかで素朴な歌風にしばし戦という直面する現実を忘れた。とっくの昔に亡くなっている遠い祖父や祖母たちが、天皇から無名の庶民まで身分の差を問わずに歌った歌がそこには収められている。それを読む時、時間と空間を超えて、日本の若者たちは、きっと故国に帰っていた。

 

 その戦をもはや勝機を逸し異国を征せんとしただけの無名の師と信じる者にも、祖国の御盾として殉ずることを儚く願望する者にも、等しくその古代の歌は、彼らを故国と繋ぐものとして、末期(まつご)の救いとなった筈だ。

 

 軍人としてネルフの司令として、ミサトはだから、この歌集に惹かれている。いつか誰かを死地に追いやり、あるいは本部決戦で辛くも拾った己の命をどこかで散らせるものと思えばこそ、かつて多くの還らざる戦士たちとともにあったこの歌を手元に置いている。

 

 その万葉集の中から撰び、ミサトがアスカに書き置いた歌──

 

──()しきやし 吾が家の毛桃 もと繁み 花のみ咲きて 成らざらめやも

 

 その歌意はこうだ。

 

 愛おしい私の家の桃はこんなに繁っているのだから 花だけ咲いて 実が成らない……果たして、そんなことがあるだろうか。

 

 ──私の好きなアスカ、あなたは桃の花のように美しい娘になった。だからきっとあなたの恋も必ず実る。そうならないはずがないよ──。

 

「ミサトっ」

 

 アスカの視界がぼんやりと滲んで曖昧になった。

 アスカは肩を震わせて嗚咽する。

 

「こんなのずるい、ずるいわよっ。これじゃ、あたし、聞き分けの悪いわがまま娘みたいじゃないかっ」

 

 だけどシンジがそっとその背中に手のひらを乗せた。

 

「アスカ……」

「っ……ミサトのやつ、不器用すぎるんだよ。……でも、それに気付けないあたしは大馬鹿者だ」

 

 シンジがぽんぽんと優しくアスカの背中を叩いた。

 

「僕は──アスカがシスたちの事に本気で怒ってくれて、嬉しかったよ」

 

 肩と同じく語尾を震わせるアスカに対するシンジの言葉は、あくまでも静かで優しい。

 

 シンジはミサトの立場も分かってやりたいと思った。だからアスカの怒りに素直に従うことは出来なかった。そこに危うさを感じてもいて、アスカの為にそれを憂えた。でも、一方で──矛盾するようだが、アスカの純粋な怒りの在り様を、少女の混じり気のない真っ直ぐな魂を美しいと思ってもしまったのだ。

 

「……うん」

 

 だから、アスカはその賛美には素直に頷く。シンジとアスカ、二人の魂が直に触れ合って、シンジがアスカにこんなにも惹かれていると伝わったから、率直に受け入れられる。

 

「みんなが皆、答えのない、正解のないこの世界で戸惑い、悩みながら戦っている。僕は小さな綾波たちを戦わせるのにはアスカと同じように反対だよ。……でも、そういう酷いことをしなくちゃいけないぐらい僕ら人類は追い込まれていて、そんな戦いの中で、僕はミサトさんやアスカや綾波……そして今日、マリやシスにも出逢うことが出来た。人類の生き残るためのみっともない足掻きが、僕を一生巡り逢えなかったかも知れない遠くの国のアスカに出逢わせてくれた。それは本当に奇跡みたいな事だと思う。僕やアスカの扱われ方に誰かの冷たさがあったとしても、途中でどれほどの苦しみがあったとしても──僕はこの奇跡を生み出した運命を喜びたい」

 

 人の命を失わせる戦いを決して肯定出来なくても、それでも何かを守るための戦いは否定したくない。そしてそうした戦いの中で、抗う人々の間に初めて結ばれる絆もある。だから、シンジは怒りや憎しみや憤慨よりも、前を向いて進みたい。

 

「──世界が哀しみに満ちていても、もう僕の周りの人たちには決して近付かせない」

 

 それはシンジの決意だ。あの日、アスカを手酷く傷付けたシンジが、人間として一度は底辺に堕ちたからこそ、初めて言える台詞だった。

 

「今度こそ必ず守るから。僕が、アスカも、シスも、マリもみんな守る──アスカを二度と泣かせたりはしないから、ね?」

「シ……ンジ」

 

 アスカの見やるシンジの顔は、精悍な男の顔だった。いつか、きっとと夢見ていた物語の王子様のようだった。だからアスカは殊更に、ふんと鼻を鳴らす。

 

「かっこつけちゃってさ──バカシンジの癖に」

 

 でもアスカのその顔は照れくさそうな、それでいて、ボーイフレンドであるシンジを見つめる表情は、思い切り誇らしげで。シンジもそんなアスカの顔を見て、鼻の下を擦る。 

 

「ま、たまには僕だって、ね──」

 

 シンジの態度はその言葉とは裏腹に、気負いの無いものだった。自然体でさり気なく、等身大の格好良さが感じられた。かつて、シンジが「戦いは男の仕事!」などとうそぶいて、陥穽に嵌まったのとは違う、落ち着きがあった。

 

 そんなシンジの言葉に、幼女たちも思うところがあったのだろうか。

 

「あっしも、シンジを守る!」

「シスも、お父さんを守るよ!」

 

 口々に、マリやシスが言って、それからマリは短い少女の腕を精一杯に広げた。ぐるぐるとその場で回転しながら、雛人形や桃の花のピンク色に囲まれて、宣言する。

 

「桃、桃、桃の空間で、誓うことと言えば一つ!」

 

 ささ、みんな手を出して!といきなり促すこましゃくれた幼女マリに導かれるままに、一体何を始めるのかと首を捻りながらもアスカもシンジもシスも彼女の手の甲の上に掌を重ねた。

 

「同年同月同日に生まれるを求めざるが、只、同年同月同日に死するを願う!」

 

 シンジもアスカもシスもきょとんとしていた。

 

「あれ、知らない? 桃園の誓いだよ。三国志の──」

 

 マリは頭を掻いて、説明する。

 

「いや、ここ桃園じゃないし。大体なんであんたらと一緒に死ななくちゃいけないのよ」

「うーん、アスカちゃん。ノリが悪い! こういうのイキオイなんだから!」

「うるさいっ。あたしが同年同月同日に死するを願うのは……」

 

 アスカは重ねた手を放して、シンジの腕に手を回して組んだ。

 

「只ひとり、バカシンジだけだ──」

「アスカ……」

 

 シンジの顔をそっと見上げる。──既にシンジの背は、あたしよりも大きくなりつつある。出会った頃には同じ背丈だったのに──。でも、それはきっと良い変化なのだ。いつまでも同じではいられない。でも二人が共に進むのなら、形は少し変わっても、変わることを愛おしむ事がアスカには出来る。なぜならアスカも大人になりつつあるから。

 

「世界が滅ぶのなら、シンジと一緒に同じ日に逝きたい。でも世界を救えるのなら、ちゃんと誰も彼もを救った上で、うんと長生きして、お爺ちゃんお婆ちゃんになってから、幸せのど真ん中で──同じ日に亡くなりたい。だって、お雛様って、そういう願いが込められてるんでしょ? 好きな人と一緒になって一生幸せに暮らす。そんな女の子なら誰でも夢見る幸せを──ミサトはそれをあたしたち三人の女の子の為に願ってくれたんでしょ?」

「うん、ミサトさんはミサトさんだから──」

 

 どんなに冷たく装っても、その奥にある温かい心は隠せない。葛城ミサトはいつだって、シンジやアスカの良き保護者だった。そして、これからはきっと、マリやシスにとっても──

 

 シンジは、それから苦笑するように言った。

 

「だけどね。せっかく綺麗になったこの部屋が元の散らかしぶりに戻らないよう、そして、アスカの部屋がミサトさんに使われている間に汚されたりしないよう、ちゃんと僕らで監視しなくちゃね。だってミサトさんは『あの』ミサトさんなんだから──」

「そうだった、あたしの部屋がミサトに占拠される! 汚部屋にされる!」

 

 げっという顔をしてアスカは顔をしかめ、それから噴き出すようにシンジと顔を見合わせて笑う。

 

 家族が一気に増えたコンフォート17マンション葛城家の汚部屋クライシスは始まったばかり──。

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