最後の希望 ベテランウマ娘、8年目の地方転戦【完結】   作:兄萬亭楽丸

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■レース場職員のお仕事
とあるベテランウマ娘の業態


社会人生活が始まる。

 

レース場の事務所で私だけの簡素な入社式を終え、名入りの刺繡がついた制服(と言っても作業服に近いか)を受け取る。

これにて「私」は学生から地方レース場職員になった。

 


 

 

 

…ここで、「地方レース場」についてある程度情報を整理しておきたい。

 

 

 

カサマツをはじめとするローカルシリーズに所属する各種レース場には、レースそのものを運営するレース場管理団体と所属するウマ娘たちの教育を行う学園・寮がそれぞれ存在する。

私はこのうち管理団体に所属し、レース場清掃などの業務を担当する。

 

一般的に中央(トゥインクルシリーズ)は週末開催だが、全国各地で開催されるローカルシリーズは開催日・時間ともにバラバラで、平日に開催されることも多い。

どのレース場も週に一度、(おおむ)ね2~3日開催されるのは変わらない。ちなみに月ベースでローカルシリーズ全体のスケジュールを見ると、毎日どこかしらで開催されていることがわかる。

年末のG1"東京大賞典"をはじめとする、URA重賞格付けが認定されているレースでは中央からも多くのウマ娘が出走登録を行い、数少ない出走権利の奪い合いが起こる。地方レース場での重賞は中央対地方の争いとして話題になることも多い。

 

ローカルシリーズを行う各種レース場は一般的にダートコースのみ。ダートは中央で輝かしい道を進むダービーウマ娘等はあまり走ることのないコースである。

一方で砂上最速の道を志し最初から心中する者、挫折(ざせつ)の果てに中央を去り砂上で活躍の道を見出す者、はたまた地方レース場から中央への成り上がりを目指す者…

 

報道量や受けることのできる名誉の差もあり決して輝かしい道とは言えないが、格落ちという言葉で決して片づけることのできない世界と言っていいだろう。

 


 

05:45。起床。

 

私は現在、学生寮そばの用務員室を仮住まいにしている。

トレセン学園の自室を一人部屋にした程度の広さで風呂は学園生徒と共同。住まいとしてはかなり簡素なものだ。

とはいえ今後競走生活を送る上ではグラウンドの(そば)で生活したほうが効率が良く、レース場は山奥にあるので交通の便も良くない。

自動車免許もないため郊外に家を借りるメリットもない。当分は此処で生活することになるだろう。

 

 

 

06:17。学園寮併設の食堂で朝食。

 

ここで働いてからというものの、食生活の九分九厘(くぶくりん)は食堂で(まかな)われている。さすがにトレセン時代と比べるのは酷だが栄養・量ともに申し分ない。

学園生徒のウマ娘に交じっての朝食だが、職員ウマ娘が混じって食事を取ることは元から日常である為、特に怪訝(けげん)な目を向けられることはない。

 

 

 

06:55、タイムカードを切り、先輩ウマ娘方と業務開始。

 

私の主な業務はレース場のダートコースや学園内グラウンドの整備。トレセンでは整備用の車輌(しゃりょう)が毎日の様に駆け回っていたが、地方で運用するにはコストがかかりすぎるのだろう。

このレース場には整備を担当するウマ娘が私以外に二人しかいないため、担当日によっては一人で全コースを整備する必要がある。

もしかすると、夏合宿の練習より消費カロリーが多いかもしれない。

 

 

 

10:16、グラウンド・レース場整備終了。レース場パドック、バ道の清掃開始。

 

レース開催が近づく際は出走者控室をはじめとする施設全体の清掃、開催当日はパドックの警備も担当する。

警備の日は別途手当も出るが、目の前で走るウマ娘を見ると走りたい気持ちが抑えられなくなるのであまり好きではない。

 

 

 

12:04。事務所に報告し業務終了。

 

…いくら運動量が多くても、6時間足らずの勤務で社会人を名乗るのは(いささ)か申し訳ない気はする。

通常はこれから昼食を取り、その後学園生徒に交じってのトレーニングに時間を費やすことになるが、今日は今後のレース出走予定を決める面談を挟むことになった。

 

 


 

「…本日の業務、お疲れ様でした。タイムカードはまだ切らなくていいですので、応接間で待っていてくださいね」

 

事務所の一番奥で、"代表"が早めの昼食を取りつつ待っていた。

レース統括団体の長であり、自治体・ローカルシリーズ統括団体との対外折衷や人事・予算の最終決定を担当する、私の上司にあたる人物だ。

 

「…お待たせしました。こうして顔を合わせるのは面接と入社式以来になりますね。改めてよろしくお願いします。お話しした通り、()()()貴方のトレーナーも務めさせていただきます」

 

 

 

"書類上"と代表が強調するように、レースを走るウマ娘としての立場は少々複雑である。

 

ウマ娘のレース出走にはトレーナーとの契約が必要となる。

しかし他の学園生徒と年齢・経験が大きく異なる私は、移籍した元で新たなトレーナーとの関係を構築することは難しく、さらに私のような法定年齢を過ぎているウマ娘はトレーナーと肉体関係に関するトラブルに発展する事態も少なくない。

また、私の様な中央の重賞を勝っているようなウマ娘に対し、対等に意見できるだけのトレーナーを用意できないという地方特有の事情もある。

 

更に加えて言えば、レース場職員の中で唯一トレーナー免許を持つ代表はNAU(地方ウマ娘全国協会)の会合に出席するなど、国内を頻繁(ひんぱん)に飛び回る立場にある。

資格を持つ代表本人が直接指導することが難しいため、レース場を運営する管理団体に所属する他の職員が補助を行う、といった名目になっているようだ。

 

 

 

代表は営業活動の先頭に立つ立場であるため、事務所に顔を出さない日も多い。

そのためウマ娘の指導に関与できる時間は多くのそれに比べ短く、トレーナーとしてサポートできるのはレース出走や遠征の手続きを承認する程度。

練習などは全て自分で管理する必要がある。事実上の単独活動なのだ。

 

「さて、これからの予定ですね。先月の"マーチステークス"は見せていただきましたが、地方レース場のバ場環境でも走れるかを確認したいと思います。まずはクラス一般競争を走ってみて、それから今後の方針を決めましょう」

 

本来ローカルシリーズの一般競争は戦績によってクラス分けがされるが、中央時代に重賞を複数勝利している私は自動的に最上級のクラスに編入されている。

つまり、今回の競走相手は当学園でもトップレベルにほど近いウマ娘達だ。

私としては相手の強い弱いは関係ない。職場環境にも慣れてきたので、なるべく1日でも早くレースに出たい旨を伝えた。

 

「わかりました。それでは翌週…金曜日の第11レースで申し込みます。レース当日・翌日は規定により業務はございません。…それと、レースに関してお話しなさる際はそこまで他人行儀でなくてもいいですよ」

 

 

 

18:00。練習終了。

 

学園グラウンドより門限のアナウンスが流れると、私や生徒らはそれぞれの自室に帰っていく。

トレセンより門限が早いのは、照明設備の格差もあるだろう。

 


 

レース当日。 私は最終レースに出走する。

 

控室で体操服に着替えパドックに向かう。平日開催ということもあり人は(まば)らだ。

受け渡された体操服からは、URAのものとは違う柔軟剤の香りがした。

 

パドックでは観客から奇異の眼差しが飛ぶかと思ったが、思ったほどではなかった。

(場所にもよるが、成人を迎えたウマ娘がレースに出ることは珍しいことではない)

 

…ふと周囲に目を向けると中央時代の応援幕があった。

後日話を聞いたところ、ファンが現地の友人に送り掲示してもらったらしい。

経年劣化で布色は()せていても、力強い筆致で書かれた私の名前。

 

私をここまで追いかけてくれてることに少し同情したと同時に、心の中で深い感謝の念を送った。

 

 

 

一方で、ウマ娘やトレーナーからは別の視線が飛んでいた。強者に対する警戒の目だった。

仮にもつい数か月前中央の重賞を獲ったウマ娘である。環境が変わったとはいえ、今回のメンバー中では明らかに私が格上なのだ。

 

 

 

「レース場の特性については昨日お話しした通りです。移籍初戦ですが今日は気負わずに自分の走りをしてきてください」

代表は面談の時と変わらぬスーツ姿で私を見送ってくれた。

胸に付けられていたトレーナーバッジは、一昔前のデザインではあったがよく手入れされていた。

 


 

…レースは後続に悠々2バ身差をつけての勝利。末脚を使い切る前に走り切ってしまい、物足りないくらいだった。

数か月ぶりのウイニングライブ。いくらローカルと言えど、センターに立てた喜びに変わりはなかった。

 

 

 

「正直、驚いています。先日は慣らしていくと言いましたが、貴女には杞憂(きゆう)でしたね。そうですね… 当・西都レース場のG3"サマーレジェンドカップ"か他地方の交流重賞を経由して、秋の"収穫祭杯"を目指しましょう。…まだ気が早いですが、秋には"南部杯"や"JBCクラシック"も狙えるかもしれませんね」

 

南部杯。JBCクラシック。

 

どちらもローカルシリーズ上で開催される、URA認定のG1レースだ。(国際的には異なるらしい。私にはよくわからない*1

各ローカルシリーズ、トゥインクルシリーズから勝ち上がってきたウマ娘らが覇を競う、地方ウマ娘が得ることができる最高の栄冠のひとつと言っても過言ではないだろう。

 

どれだけ足掻いても取れなかったG1タイトル。

かつて目指していたものとは異なれど、まさかまたその頂を見る権利が来ようとは思わなかった。

改めて、"まだ走り続けていいんだ"と言われたような気がした。

 

 

 

「…今は感情を抑えなくても大丈夫ですから」

初めて代表にタメ口を使った。

*1
筆者註:上述の南部杯・JBCクラシックなどは正確には国際格付けではないG1「Jpn1」という区分に入りますが、当作品では全ダート重賞に対する表記を「G1~G3」に統一しております。




【登場人物】


・代表
物腰は柔らかいが、定年を近く控えるとは思えないほど活力にあふれた人物。
元はいちトレーナーだったが、担当ウマ娘の引退とレース場を取り巻く時世的な都合でローカルシリーズ管理団体に就職。以後30年間勤続の末に代表に就任した。

本名は「淀川」。息子は二人、すでに社会人として独り立ちしている。


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