最後の希望 ベテランウマ娘、8年目の地方転戦【完結】 作:兄萬亭楽丸
とあるベテランウマ娘の傍観
(書類上はまだまだ先だが)転属契約の了承を得たことで、バルボアと共に練習する機会が増えてきた。此方としても、いつでも併走の相手が確保できるのはありがたい。
……併走中、左足に激痛が走る。
どうやら足首を痛めたようだ。歩けなくはないが、下手に動かすと悪化する可能性がある。
バルボアを止め、コース外にいる代表らを呼ぶように伝えた。
『…トレーナー!代表!姐さんが脚痛めたって!引きずってたしヤバいかもしれない!』
「…わかりました!私は保険医と
『あっ、はい!…バルボア!売店で氷買ってきてくれ!』
…診察の結果、ごく軽い左足首の
ただし、問題がある。
本日はゴールデンウィーク直前の平日。G1"かしわ記念"をちょうど翌週に控えた中での負傷であることだ。
「かしわ記念の登録抹消手続きは済ませました。明日の勤務については今から担当部署に伝えるとして…」
情けない。
怪我自体は軽く、その気になれば走れなくもないだけにやりきれなさが募る。
この所は物事が上手くいかないことに対する
他人のせいにはしたくないが、代表の残り任期のうちに何としてもG1を取りたい焦りは間違いなくある。
特に今回のかしわ記念出走メンバーではマリアークラレンスが不在。バルボアとのライン戦術も使えるため、幾分か勝算はあった。
その結果がこれだ。
「起きないように配慮していても怪我は起こるものですから…気を落とさないでください」
練習だけではなく、本業であるレース場整備でも先輩らに負担を課すことになってしまった。
完治までの間はレース開催日のパンフレット作りなどを手伝うことになった… しかしパソコンの文字入力がからっきしな私は、就業時間丸一日をパンフレットの折込作業で過ごすことになる。
学がないゆえ、体を壊すと職場の助けになることができない。
別の意味で情けない。
千葉県、船橋レース場。
出走予定はすでに取り消したため現地に赴く必要はなかったのだが、せめて現地で応援したほうがバルボアにとっても為になるだろうと考え、代表が渡航費を出してくれた。
バルボアはすでに会場入りしている。今はちょうど第1レースが始まる時間なので、ウォーミングアップ前の簡単な食事を取っている頃だろうか。
私達も正式な手続きを踏めばバルボアの関係者として控室に入る事はできるのだが、松葉杖持ちの私のことを考え関係者手続きはしないことにした。
「本日は有料指定席を取ってますので、そちらに向かいましょう」*2
ふと、トレセン学園の制服を着ているウマ娘を目にする。最初はただの生徒かと思ったが、トレセン学園でもなかなか目にしない尾花栗毛である事に気づく。
『あら…たしか、ラストスタンディンさんでしたか。JBCクラシックではお世話になりました』
マリアークラレンス。
彼女は来月の"帝王賞"出走を表明している。彼女の担当トレーナーは離席しているようだが、机の上に広げられたパソコンなどを見るに出走メンバーのデータ研究のために来たであろう事は想像に難くない。
『出走を取り消されたと伺いましたが、御怪我でしたか…。帝王賞には間に合いますか?………そうですか、安心しました』
座席が遠いこともあり、幾つか近況の話をしただけで別れ、各々の席に戻る。
双方オフということもあり、プライベートに干渉するのもよくないと思ったからだ。
ところで、昨年秋は素晴らしい戦績を残したマリアークラレンスも中東遠征は不本意な結果に終わっている。
サウジカップでは掲示板確保がやっと、ドバイワールドカップはレース前に集中を欠いてしまいブービーに終わる。
これまで取ったG1が全て地方レース場開催ということもあり、一部には彼女の実力を
また、頂点に立つものは、期待と同時に制約にも縛られている。
前走ドバイから帝王賞までは3ヶ月程度間が開くが、彼女には別のレースに出て調整する選択肢が用意されていなかった。
休養と割り切れる一方で、悪いイメージを
かしわ記念→帝王賞のローテーションを取れば地方荒らしの悪名が広まりかねず、中央開催のG3レース*3で調整するにしても弱いものいじめと揶揄されかねない。
はたして彼女が精神的に追い込まれているかは判らないが、次のレースを勝つためにできる限りの手を尽くしているのだ。
本日のメインレース、かしわ記念のスタートが切られた。逃げウマが他に3名いる中で、バルボアは二番手につく。
JBCクラシックでの進路妨害の原因はレース前に精神の集中を欠き、フォームに対する注意を怠ったこと。前走のマーチステークスではやや内側でスパートをかけても、並んでくる後続に対してぶつかることなく折り合うことができている。
多少相手を気にする面はあれど、万全の状態であれば並ばれることを怖がる必要はない。
一方でコーナーの曲がり方については未だ成長途上。小回りを意識すると追い
そこでJBCクラシックでの走りを参考にし、意図的に最内からコーナーに入り大外から出る方策を取った。
距離の不利を背負いガラ空きになった内側に二番手集団の展開を許すことになるものの、バルボアに接近するウマ娘は──マリアークラレンスの外には──誰も居ない。
彼女の直線の粘りがあれば、多少の不利を負ってでも勝ち切れると踏んでいるのだ。
──残り100メートル!先頭ジゴワット!ロッキンバルボア抜き返す!…内のチョコファクトリー抜け出した!
──チョコファクトリーだ!ジュニアダート王者、チョコファクトリーが一年半ぶりのG1タイトル獲得です!!!
──2着争いは3名接戦、西都レース場のロッキンバルボアが優勢か!
『かぁーーっ!!!惜しいー!!!!』
スタンド越しに聞こえるバルボアの大声。此方を見つけてくれたのか、大きく手を振ってくれている。
…少し後にクラレンスも見つけたようで、彼女に向けて変な顔を見せつけていた。(その後トレーナーにガチめのトーンで怒られていたようだが)
『………』
一方で、観覧席の向こうではクラレンスとその担当がウイニングライブ直前まで論戦を繰り広げていた。
冷静に分析すれば、バルボアが苦手としている左回りで想定より外に回ってしまったことで逃げウマの有利をフイにしてしまった点は否めない。
しかしバルボア陣営の顔は比較的明るい。一人フリーになることで、明らかに加速がついているのだ。
これが、得意としている右回り…来月の大井レース場・帝王賞ではどうなるか。
クラレンス陣営も、それについて熟慮しているのだろう。
ウイニングライブを見終え、最終便の飛行機で帰路に着く。
目の前で苦闘する様を見てきたバルボアも、ダート界の先頭に立つクラレンスも… 当然のことではあるが、勝つための研究、技術革新を繰り返している。
代表の練習方針を信用していることは変わりないが、目の前であれだけ見せられていると、私の走り方が不変であることを少し不安に思う。
「気持ちはわかりますが、シニア級に進級した彼女たちと貴女には、トレーナーが行うアドバイスは違ったものになります。とくに貴女に関しては、前任のトレーナーの元でこれまで
…こう答えてくれるのはわかった上で少し胸中の不安をぶつけてしまった。
負傷で多少ナイーブになっているとはいえ、代表にも甘えているのだと痛感する。未だ私も未熟だ。
「ただ、トレーナーではなく貴女の上司、そして統括団体の長としてなら…帝王賞に向けて、一つ提案したいことがありますね」
「業務命令です。有給休暇を取っていただきます」
【登場人物】
・マリアークラレンス
ドバイ大敗の原因として、ダートでも得意とするバ場状態が限られているのではないか、と挙げる専門家がいる。
ジュニア級~JDD制覇までは主に地方レース場の交流競走で勝ち星を挙げており、年末のチャンピオンズカップ(東京レース場)での敗北も中央のダートに慣れていないと考えれば説明はつく。
…何にせよ、一度ターフの主役に立ったウマ娘が結果で振るわなくなると、こういった否定的な報道も出てくるようになる。
ちなみに、彼女の中東遠征に同伴していたレビウスタアナイトは帰国の熱も冷めずにマイラーズカップ(G2)→ヴィクトリアマイル→安田記念の過酷ローテを
・チョコファクトリー
JDD以降はダートG1で何度もマリアークラレンスの
実はボクッ子。