最後の希望 ベテランウマ娘、8年目の地方転戦【完結】   作:兄萬亭楽丸

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とあるベテランウマ娘の有給

「帝王賞に向けて、一つ提案したいことがありますね。…業務命令です。有給休暇を取っていただきます」

 

 

 

 

 

ユウキュウ、キュウカ…    ああ、有給のことか。

 

レースでは到底出てこない単語に対して、一瞬筋肉の名前か何かと思考をめぐらせてしまった私を恥じたい。

代表から見ても、私はかなりぽかんとした顔をしていたのであろう。かなり噛み砕いて説明してくれた。

 

「…理由をお話ししますね」

 


 

「昨年、私は貴女の出走するレース当日に現地合流の形をとっていましたが、今年から貴女に同伴しての前日移動ができるようになりました。その際思ったのですが、スタンさんは移動中…かなり神経を(とが)らせられているのではないでしょうか?」

「もっとも、前回のフェブラリーステークスは非常時でしたし今回も多少懸念がある中での移動とは思います。ただ、普段とは違う環境で寝ることもありますし、当日万全な体調でレースに臨めていないのではないか…そう思ったのです。それでしたら有給を使って早めにレース場近辺に現地入りし、前日調整を行う方が理にかなっていると思いました。勿論毎回こうするわけにも行きませんが」

 

気が張っていた…なるほど。

思い起こせば、中央時代にも移動中にガムや飴を食べ過ぎていたのをたしなめられていたし、新しい環境に慣れるのは時間がかかるタイプだとは思っていた。

環境変化によるストレスが直線的ではないにせよパフォーマンスを落とす要因の一つであるなら、それを極力軽減する試みは確かに必要かもしれない。

 


 

「それと、貴女が未だほとんど有給を使われてないのを懸念しています。…法令上、10月までに最低5日は使ってくれないと役所から怒られてしまいますので」

 

 

 

間をおいて、お互い苦笑いする。

有給を取ったのは、天候不順により早朝からの移動を強いられたフェブラリーステークスの時と、先週の怪我明けの2日だけ。

 

「なるべく業務に穴を開けたくない気持ちは分かります。レースに悪影響を与える事はないと思うので今後は前日に有給を取るようにしましょう。帝王賞開催は水曜日で秋まではG1も有りませんし…法定分をクリアする為にも日月火でお取りしようと思うのですが…*1 どうでしょうか?」

 

多分、今後も理由がない限り取る事はあまりないだろう。代表に全て任せることにした。

 


 

土曜日。前日開催レースの後清掃のため、普段より退勤時間は後ろにずれてしまった。

普段の遠征用より二回り大きいキャリーケースを引きずり、職場を後にする。

レース休暇はともかく、ここまでの長期休暇は社会人生活初めてだ。すれ違う社員たちに必死に頭を下げながら、代表の待つ駐車場に向かった。

 

 

 

トレセン学園は関東にあるが、例えばG1・菊花賞は京都レース場で開催される。このように所在地と出走するレース場が遠方にある場合、前日をレース場近隣のホテルで宿泊することが義務付けられている。急な交通機関の乱れなどで出走できなくなるような事態を極力無くすためだ。

裏を返せば、別に前々日に現地に到着しても違反にはあたらない*2。有給を使った早着現地入りはすでに一部の社会人ウマ娘も取り入れているようだ。

 

今回宿の確保は全て代表にお任せしたが、まずホテルに驚く。まず広いロビー、小綺麗なラウンジ。ホテルマンが客室まで荷物を運んでくれる。

予算の限られる中で取る普段のビジネスホテルとは一線を画している。

「私は貴女のトレーナーでもありますし、お金に関してはお気になさらず。一年の半分はホテルで暮らしていますし、ポイントは有り余っていますから」

 

大浴場は一部のビジネスホテルにも備え付けられていたことはあるが、今回の宿はそれに加えて提携のジムまである。流石にトレセン学園の設備には劣るがウマ娘用の設備も完備されている。

客室も広めの部屋を用意してくれた。簡単なダンス練習であれば室内でも行えそうだ。*3

存分に使わせてもらおう。

 


 

「年頃の女性とお話しするのに、なかなかふさわしいお店が思いつかなくてですね」

 

日曜日。代表から、"雑談をしたい"との前置きをされた上で食事に誘われた。

食べる場所が思いつかなかったので、トレセン学園に程近いファミレスに行くことにした。かつての母校を遠目にでも見る機会も欲しかったからだ。

 

 

──やはり三強対決になりそうだ!先頭ヴォルテに三冠ツバサヒーローが食らいつく!グランドダイザーも間に合いそうだ!

──大外集団一気に上がってきた!グランドダイザーのさらに外レビウスタアナイト!ドットマトリクスも見えている!

 

本日が宝塚記念ということもあり、客席のそこかしこではレース動画を見る客で溢れている。

私たちは言うに及ばず、ファミレスにいる客、店員までもが箸を止めレースに見入っていた。

 

 

──残り50メートル!ドットマトリクス!横一線だがヴォルテ!ヴォルテ!いやツバサヒーロー抜き返した!

 

 

──ツバサヒーローか!?…5名完全に並んでゴールだぁぁ!!!

 ──写真判定を待つことになりますがとんでもないレースになりました!

 

 

周囲では小さいながらも歓声、驚愕の声が漏れる。テレビ画面がレースリプレイから解説席に変わると、ファミレスからはようやく食器の音が戻ってきた。

 

「そういえばトレーナーを目指されるようですね。なんだか私が誘導したようで、申し訳ないですね」

 

「素晴らしいトレーナーになれると期待していますが…失礼を承知で言えば、理想と現実の差に(さいな)まれて苦しまないか心配です。周りの皆さんを見ればわかるでしょうが、現実はG1どころかレース一つ勝つのが精一杯な娘の方が大多数ですから」

 

「目指すとすれば、ちょうど貴女の以前の担当トレーナーが一番向いていると思います。私は数度しか会っていませんが… 能力も人格も素晴らしい方なのだと思います。もっとも職場の愚痴をあなたに話すことは情報漏洩(じょうほうろうえい)の観点からしたらあまり好ましいことではありませんが…」

 

勿論、トレーナーにも私と一緒にG1を獲る夢はあった。

善戦を繰り返していた以上容易には諦めきれなかったのだろう、卒業させるという判断を下すのには長い時間をかけたかもしれない。

それでも、彼女()には卒業後の生活があり、そのようなところまで面倒を見るような立場ではない…

 

トレーナーは、葛藤(かっとう)の果てに教え子として送り出すことを選択したのだろう。そう代表は語った。

 

「トレーナーは、初めて担当するウマ娘に情が移るとよく聞きます。実際に当レース場でもそういった話をよく伺います」

「ただ、トレセン学園にいた当時の貴女は社会を知りません。G1を獲らせたい気持ちもあったでしょうが、何より一人の社会人として自立してほしくて契約を解除したのだと思います」

 

「言葉に出すことはなくても、トレーナーさんは貴女をとても深く、愛しているのでしょう。傍に寄り添って、共に歩むだけが愛情ではありませんからね」

 

 

 

かなり長居してしまった。テレビからは、ウイニングライブ"Special Record"の歌声が響く。

歌唱メンバーの違いもある為当然だが、2年前に聴いた時とは違った響きに聞こえた。

 

 


 

前日夜、別のホテルで現地入りしたバルボアの担当と、作戦について改めて確認する。

 

 

 

「出走表に変更はなし…。クラレンスさんとは半年ぶりの対決になりますね」

『出走メンバーを見るに…逃げを打つ子はバルボア以外いません。先頭バルボア・すぐ後ろに姐さんでレースを引っ張り、最終直線は前走通りバルボアを外に。去年の"JBCクラシック"と似た構図になると思います』

「空けた最内には前走勝ちのチョコファクトリーさん、1月の川崎記念を勝ったトヨギクチハミザケさんが入ってくるでしょう。ジゴワットさんが内に固まって競ってくれるとこちらは助かるのですが…何にせよ最終直線大外と決めた以上は気にしてはいけませんね」

 

『結局仮想敵はハマートゥフォール、そしてクラレンスになりますが… JBCではバルボア苦手の左回り・前半1000メートル58秒のハイペースで、進路妨害はありましたがクラレンス以外は結局バルボアに届きませんでした。*4再確認ですが、今回もハイペース指示でいいですか?』

「はい。…バルボアさん、スタンさんの地力があれば、と信じています」

 

 

 

この有給、できる限りの時間をすべて調整に費やした。人事は尽くした。

G1、帝王賞は翌日に迫る。

 

*1
10日間ある有給休暇のうち、年間5日までは使用者(雇用主である代表)が有給付与日を決めることもできる。

*2
※URAからは前日の宿泊費しか支給されないため前々泊以前は自腹となる。

*3
代表は別のシングルルーム。

*4
「独唱」も参照。もし仮に進路妨害が無ければ1着マリアークラレンス、2着ロッキンバルボア、3着チョコファクトリーとなっていた。




【登場人物】


宝塚記念に出走した三強
ツバサヒーローはシニア2年目、他はシニア1年目。

・ツバサヒーロー(Tsubasa Hero)
主な勝ち鞍:クラシック三冠、サンクルー大賞(フランス国際G1)
・ヴォルテ(Voltes)
勝ち鞍:皐月賞・日本ダービー・有馬記念、弥生賞・神戸新聞杯(G2)
・グランドダイザー(Grend Dizer)
勝ち鞍:ホープフルS・菊花賞・天皇賞春、阪神大賞典(G2)、京都ジュニアS(G3)


・ドットマトリクス(D.O.T. matrix)
「遠征」に登場。ヴォルテらと同世代だがクラシック戦線では芽が出ず。課題のスタミナを克服する為体重を大幅に増やした昨年末のチャレンジカップではレコード記録タイで勝利、一気に覚醒。今年春の阪神大賞典でも5着につけている。
シニア級以降は本格化が進み食べる量が大幅に増えた。あだ名は「パックちゃん」。
勝ち鞍:チャレンジカップ・京都金杯(G3)



・レビウスタアナイト
二月のサウジアラビア遠征から月単位で出走しているため、ついた二つ名が「鋼の女騎士」。イクノディクタス程ではないものの、G1級ウマ娘がここまで間隔を空けずに出走を繰り返すのはリスク管理の観点からしても異常。
クラレンスとは中東遠征に同行したりと、表面上は非常に仲がいい。
勝ち鞍:阪神JF・NHKマイル・安田記念、マイラーズカップ(G2)



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