最後の希望 ベテランウマ娘、8年目の地方転戦【完結】   作:兄萬亭楽丸

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とあるベテランウマ娘の深謀

「スタンさん。ある程度気温は下がりましたが、風はほぼありません。力の抜きどころをはっきりさせて、極力スタミナを消耗しないように」

『バルボアは普段通りに、"かしわ記念"そのままのペースで行ってこい!』

 

『…強いのはたくさんいるけど、先ずはクラレンスに勝つ!行こう、姐さん!』

 

小さく息を吸い、お互い拳を合わせた。

 

出走20分前を切ったところで係員に促され、バ道を通ってゲートに向かう。

太陽は既に沈んだが砂上を過剰なまでに照らす照明、平日とは思えないほどの観客のざわめきが、一足早い夏祭りを思い起こさせる。

 

 

 

大井レース場・2000メートル、G1"帝王賞"。

三日前の"宝塚記念"と共に、春のG1ラッシュの終わりを告げる一戦が幕を開けた。

 


 

──…予想通り先頭は西都レース場の二人ロッキンバルボアとラストスタンディン、2番手集団内からチョコファクトリー、トヨギハナフダとトヨギクチハミザケの大井コンビ*1、外にルシウスモデストスとアトキンソンこちらも川崎コンビ…

 

 

──…続いてチバノトクテンオウ、外並んでモンスターエイジ、2バ身後方に内からハマートゥフォール、ジゴワット、マリアークラレンスいずれも上位人気固まり最後方トヨギハッシャクと続きます…

 

 

バルボアとラインを組んで走るのは昨年秋の"JBCクラシック"以来になる。

この一年で、実況をもとに後方の情報を整理するのも上手くなった。

 


 

 

『代表、姐さん、バルボア。去年12月頭のG1"チャンピオンズカップ"の映像だ』

『あ、知ってる。ハマートゥフォールが勝ったやつ。"伝説の女王、復活"ってネットにも出てた』

 

『…バルボアには辛い思い出かもしれないが、"JBCクラシック"、クラレンスは大外から(まく)っての差し切り勝ちだ。まあ仮に進路妨害が無くても負けてたしな。ラスト200メートルからあの加速…末脚の使い方に関しては日本一、いや世界一かもしれない』

『ただ、クラレンスにも弱点…というのは大袈裟(おおげさ)だが、苦手な状況はいくつかある。その前に必要な情報を共有したい』

 


 

『チャンピオンズカップは中京レース場のダート1800メートル。メインスタンドのゴール板およそ300メートル前からスタートして、コースを一周する。*2つまりメインスタンドの直線コースはどのウマ娘も二度通るわけだ…ここまではわかるな?それを踏まえた上でレース序盤の映像を見てくれ』

 

 

──……まず先行争い誰が行く…好スタート切ったトヨギハッシャクとチョコファクトリー、次いで外くっついたオムニデトロイト半バ身、隊列は横長のまま固まっています…

 

──圧倒的一番人気マリアークラレンスは後方3番手から2番手に下がりますが中団は横に広がったまま収まりません、隊列そのまま第一コーナー……

 

 

 

一般的なレースであればポジション争いは開始200メートルもあれば片が付き、隊列は縦目に切り替わる。その解決がなかなか終わっていない。

枠中央の子が外枠の子を内に行かせまいとブロックし続けているためだ。

 

『認識はそれで合ってる。じゃあ最終コーナーまで飛ばすぞ』

 

──………最終コーナー曲がる各メンバー大きく膨らんで、最終直線先頭はトヨギハッシャクとチョコファクトリー!変わって内のカリギュラマシーン、外掻き分けてきたハマートゥフォール、大外マリアークラレンス末脚が届くかどうか!ハマートゥフォール先頭、トヨギハッシャク粘る!マリアークラレンスは届きそうにない!3番手集団混戦、先頭そのままハマートゥフォール………

 

 

 

『と、このレースは一瞬空いた隙間を強行突破した勝ちウマを褒めるべきなんだが…本題はクラレンスだ』

『…最終直線伸びなかったのは坂もあるんじゃないの?クラレンスが勝ったG1は平坦気味な大井と船橋だし…』

『確かに坂は影響ありそうだが、問題はクラレンスのコース取りだ』

 

…注視してみると、外にヨレているように思える。

「伝えたいことはわかりました。そうですね、視点を変えたパトロールビデオの方が見やすいかもしれません」

 

大外からコーナーを抜け加速、直線に入るクラレンス。

ただ、抜き去ろうとする集団は横に大きく開いている。クラレンスの前に4,5人固まっているため、クラレンスはさらに外から迂回(うかい)せざるを得ない状況に陥る。

若干斜め気味に走らざるを得なくなったクラレンスは最高速を維持できず、一瞬スピードを落とすことになる。

再度加速が乗る頃にはすでに先頭はゴール板を通過していた。

 

『………なんとなくわかった!』

 

『本題に戻るぞ。……"帝王賞"は大井レース場、2000メートル。坂はないが、メインスタンドのゴール板前からスタートして一周することは変わらない。JBCでは不発に終わったライン戦術だが、これが上手くいけばクラレンスの末脚を遅らせられる。で、その為には…』

 

 


 

前半1000メートルを通過したところで、バルボアはペースを落とす。狙いは直線での再加速だ。

(もっと)もこれはバルボアが重賞戦線で一貫して取り続けている戦法であるため、幾らかのレース巧者には(たくら)みを読まれている。

 

実況から推測するに、ジゴワットなどは再スパートを警戒して前に上がってきている。

これに気づいた前方の地方勢も、好位置を取られまいと前に詰めてきている。悪くない。お互い中盤で消耗してくれればこちらが有利になる。

 

クラレンスについては、聴こえてくる実況の情報から推測するのは難しい。恐らくまだスパートをかけていないのだろう。

 


 

向こう正面の直線から、バルボアが先頭でコーナーに入っていく。

後方もペースを上げていっている様子が聞こえるが、三番手はまだ3、4バ身差といったところだろうか。

 

“普段通り”コーナー最内から外に膨らんでいくように曲がるバルボア。

私が選ぶ位置どりは、更に一歩半外。

 


 

クラレンスが大外を走る理由は単純だ。

彼女が最大限の末脚を発揮できるのが“整地されたバ場”である、ただそれだけだ。

 

映像で何度も見、一度後ろに立たれて体験したクラレンスの末脚。

スパートを掛けるタイミングが来たと見るやピッチ(足の回転数)を上げ、十分な加速が確保できたところでストライド(歩幅の広さ)を大きくし一歩毎に進む距離を稼ぐ。

 

最終直線を走るためだけに最大限まで鍛え上げられたピッチと、リスクを度外視するほどのストライド。

加速さえつけば、最終直線を走り切るだけのスタミナを維持するのは容易。300メートル前後をトップスピードで駆け抜けられる。

一方で、しっかりと踏みしめられるバ場でないと加速が付きづらく、またトップスピードでは前が壁になっているような時、急な進路変更ができなくなる。

 

 

 

結論として、クラレンスの得意位置を先に陣取ることで、進路変更を取らざるを得ない状況に追い込む。これが当陣営に取りうる最良の作戦だった。

 


 

コーナーを曲がり切る手前で私はバルボアの真後ろから離脱し、そのまま外に並ぶ。

バルボアは私を視界に捉えると、逃げ切り勝ちのために残しておいた余力を全て注ぎこみ、スパートを開始した。

 

 

…左脚にチリチリとした感覚が走る。

 

 

ガラ空きの最内に差し切りを狙う集団が殺到する様、そしてはるか遠く、クラレンスの脚音がJBCクラシックで聴いた独特の歩調に戻る音を聴く。

それでもワンテンポ遅らせた。これでいい。これにて、バルボアとのライン戦術は成就した。

 

 

…左脚にチリチリとした感覚が走る。

 

 

後は純粋な実力勝負。クラレンスが届くまでリードを保てるか。そしてすぐ隣… ロッキンバルボアも戦術を共有するペアとしての役割を終え、抜き去るべき競争相手になった。

どちらが最後までリードを維持できるか。

残り200を切るかというところで、一瞬、バルボアが僅かに大きく息を吸う。

 

 

…左脚にチリチリとした感覚が走る。

 

 

双方に余裕はない。後はどちらの気力が上回るか。

 


 

──………マリアークラレンスが内を走り抜ける!……

 


 

内を?どうやって?

 

 

…左脚にチリチリとした感覚が走る。

 

 

実況から漏れ聞こえたクラレンスのあり得ない位置取り。

彼女のポジションに対し一瞬思考を巡らせた瞬間、

 

 

 

強烈な違和感を感じた。

 

 

 

脳内物質の影響か何か、世界全体がスローになる感覚を味わう。

その際私が怪訝に思ったのは、すぐ隣のバルボアが(かつ)てのダービーウマ娘、ゴーンザウインドの姿に重なったことだ。

 

*1
横に並走するのもライン戦術の一つである。横並びで壁を作ることで後方のウマ娘を内からスパートできないようにしつつ、外からほかのウマ娘が抜く負担を増大させる。

*2
JRA公式 コース解説 https://jra.jp/keiba/thisweek/2021/1205_1/race.html

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