最後の希望 ベテランウマ娘、8年目の地方転戦【完結】   作:兄萬亭楽丸

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とあるベテランウマ娘の極点

左脚にチリチリとした感覚が走る。

 


 

視界の端には黒鹿毛の美しい髪、映える真紅のドレス。

ゴーンザウインド。(かつ)てのダービーウマ娘。

 

身体に感じる違和感は拭えない。

それでも、一歩、二歩、必死に地に足をつけ、前に進まんとする。

 

ゴーンザウインドも必死に歯を食い縛っている。

私の身体も限界を迎えようとしている。

 

 

 

左脚にチリチリとした感覚が走る。

 

 

 

ゴール板まで50メートルを切る。

全身の疲労がピークに達しているはずの身体が、これまでの常識を無視するかのように勝手に動いた。

 

全体重を左脚に乗せて、土を蹴った。

鈍化している時間の中でも、確かに脚を踏み下ろしたという実感があった。

 

 

 

左脚にチリチリとした感覚が走る。

 

 

 

この瞬間だけ、私"ラストスタンディン"は長く厳しい競走生活の末にたどり着いた"極点(きょくてん)"に、確かにいた。

 

 

 

 

 

極点には、"弥生賞"を勝った時のような、満点の青空があった。

 

 

 

 


 

はるか遠くに聞こえる、実況の叫び声。(とどろ)く歓声。

ゴール板を通過しても私の脚は止まらない。しかしそれに反比例するかのように、時間はまた鈍化していく。

 

 

 

左足の違和感を改めて気にしようとしたその時、後ろに居るはずのゴーンザウインドの声が木霊した。

 

 

 

『ようやく、G1獲れたね。"最後の希望"(Last Standing)、託して本当によかった』

『これからは、あなたが皆に希望を託す番…───

 


 

──………姐さん!!!姐さぁぁぁん!!!

 

 

聞きなれた(やかま)しい声と共に、背中から抱きつかれる。

 

私はとうにゴール板を通り過ぎ、コーナー中間で立ち止まっていた。他の出走者も足取りを止め、荒い息を吐いている。

 

『姐さぁん!おめでとう、勝ったんだよ!G1、"帝王賞"!!!』

 

 

 

掲示板に刻まれた、私のウマ番。隣には「確定」の文字。

液晶には、未だ事態を飲み込めていない私の後ろ姿。

メインスタンドを振り返った途端会場から飛ぶ、万雷の拍手。

 

 

 

 

 

 

 

 

トゥインクルシリーズ、デビューから丁度9年。

 

皐月賞を落とし、ダービーでクラシックの夢を諦め、あらゆる戦場を試し、同年デビューの仲間は皆競走の世界を去った。

 

末にはトレーナーと別れ、代表のもとで社会人ウマ娘という茨の道を選んだ。

 

全てを(なげう)ってようやく掴んだ、G1ウマ娘。

その憧れのG1ウマ娘になって真っ先に出たのは、涙でも、歓喜の声でもなかった。

 

 

 

 

 

脂汗(あぶらあせ)であった。

 

 

 

 

 

荒い呼吸と共にアドレナリンが抜けていくような感覚、それと同時に、先程突然襲ってきた違和感が、確信に変わっていく。

 

 

 

"バルボア。今すぐバ道で、救護班を待機させて"

 

 

 

『…姐さん』

 

"………ごめん"

 

 

 

レース中感じた違和感の原因は………つい先月、()()()()()()()()()にあった。

 


 

呼吸を整えながら、この後の身の振り方を考える。

 

 

 

少なくとも骨は折れてない。前よりは悪いだろうが、一ヶ月前の捻挫と痛みのジャンルとしては変わりはない。

歩くことはできる、大丈夫だ。

 

これからやることは決まっている。ウィナーズサークルに向かい、観客席の方々に感謝の気持ちを述べ、関係者と撮影を行う。

 

…ただ、その後どうする?この脚で、ウイニングライブをやれるか?

答えは否だ。引き()るのがやっとの脚で、どう踊れと?

 

 

 

ようやく涙が出てきた。

 

 

 

感動の涙ではない。

9年間。走る以外に取り柄がない私を支えてくれたトレーナーと、代表と、バルボア、担当。他、数え切れないほど多くの方々。

その皆の支えのおかげで、ようやくつかんだG1タイトル。

 

 

 

なのに、この脚の負傷では、とてもウイニングライブを見せる事ができない。

 

これが、競走生活を懸けて成し遂げた結果としたら、あまりにも(みじ)めではないか。

 

 

 

 

せめて。

ウィナーズサークルまでは、G1ウマ娘としての責務をやり遂げなければ。

 


 

代表と担当に笑顔はない。

バルボアが迅速に連絡を済ませてくれたおかげで、ウィナーズサークルの側には担架(たんか)を携えたスタッフが待機してくれている。観客も既に私の異変に気付いているようだ。

 

「…………介助は必要ですか」

本来はウィナーズサークルを経由せず、直接医務室に向かうべきである。私が、断ることを分かっている上で声をかけてくれる。

 

 

 

“お願いです。せめて挨拶までは、自分一人の力で、させてください”

 

 

 

代表は、沈痛な面持ちで首を縦に振った。

 


 

ウィナーズサークルに上がるための階段、わずか3段。

右脚を上げることはできる。では、痛めた左はどうか。

……まさか、2000メートル走るより階段を登る方が難しいとは。

 

 

 

痛みに顔を(ゆが)ませ、立ち止まる。

客席からは“頑張れ”の声が聞こえる。

情けない。情けない。情けない。

 

 

 

脚を上げるたびに目を瞑り、歯を食い縛る。長い主体時間の末、三段目の左脚をウィナーズサークルに下ろす。

 

 

 

アナウンサーの紹介の後、マイクを渡される。

本来はインタビュー形式での応答が常であるが、これも私の負傷を配慮してくれてのことだった。

 


 

"………まずこの通り、左脚の負傷について、皆様にご心配とご迷惑を、おかけしていますこと、お詫びします。"

 

"弥生賞から8年、ようやくG1の冠を、取れました。大変遠い、道でした。"

"この日に至るまで、応援いただいた全ての皆様に、ようやく、恩返しが…"

 

 

 

…次に続く言葉が思い浮かばない。

ウイニングライブで感謝の気持ちを伝えることが、観客に対する恩返しと思っていた。

だがこの足ではウイニングライブを踊れない。周囲もそれは何となく理解しているはずだ。

 

 

 

"………本当に、ありがとう、ございました"

 

脚も痛む、これ以上言葉も思い浮かばない。

 

 

 

潮時だ。

アナウンサーにマイクをお返しし、代表に満足した意を送る。

 


 

代表・担当の介助を受け担架で運ばれる最中に、観客席を掻き分けトレーナーが向かってきた。代表が電話で呼んでくれたようだ。

 

『…通して下さい…関係者です!…失礼します!スタン!!!』

 

やっぱり見ていてくれたんだ。でも今の顔は見せたくなかった。

手首で顔を隠す。砂煙で汚れた手袋が、じっと涙で濡れる。

 

「…お待ちしていました。臨時関係者証を発行しますので、こちらの書類に記入を」

「……状態に関してはご連絡した通りです。一観客の立場で来られた方に不躾(ぶしつけ)なお願いとは存じます。私が取材対応を行いますので、スタンさんの事を、何卒…!」

 


 

 

 

『西都レース場の代表兼、ラストスタンディン担当トレーナーの淀川です。ご質問の前に、この度のラストスタンディンさんの負傷について説明します…』

 

 

 

代表は私に代わり、取材対応に向かう。負傷者についても、椅子・車椅子などに座る形でのライブ歌唱は可能… 退出の際、一言ご説明をいただいた。

 

医師の見立てでは最終コーナーを曲がった際に先月痛めた患部を(ひね)ったのだろう、ということだ。

この推測が正しいなら、最終直線ずっとこの痛みのなか走り抜けたわけになるが、よく痛みを感じずに身体が持ったものだ。

 

患部は各所に内出血を起こしていたものの、幸いにも骨には異常はなかった。詳しく検査する必要はあるが、練習復帰は一ヶ月後になるとの事だ。

 

「よく頑張った………よく頑張ったな……スタン……!!」

 

「…今までの努力は間違ってなかったんだ!誰も想像できない舞台でG1を取った!最高のウマ娘だよ…!俺は、お前の元トレーナーで本当によかった…!!!」

 

トレーナーの顔を見る。

これまで必死に我慢してきた感情が、留めることをやめた。

 


 

 

 

“でも、トレーナーの前で、センターで,全力のウイニングライブが、したかった”

 

“ようやく掴んだG1なのに、なんで、こんな怪我なんか”

 

“トレーナー、本当に、本当に、ごめんなさい”

 

 

 


 

 

もう、堪えきることはできなかった。

 

 

 

トレーナーはずっと、私の肩に手を当ててくれていた。

 

 

 


 

泣き疲れた反動で回らなくなっている頭で、今後のことを考える。

 

ウイニングライブの時間は迫っていることは知っている。

今の精神状態ではとても出れたものではないが、何れにせよ参加可否の決断をする必要はある。幸い1時間ほどは余裕がある筈だ。

 

出たい気持ちはあるが、これ以上周囲に迷惑を掛けたくはない。未だ嗚咽(おえつ)も止まらない状態では歌えたものではない。

後10分…心に整理をつけてから…決断をしよう。

 

 

 

そう考えた刹那、ノックの音。

代表が取材対応を終え、医務室に戻ってきたようだ。隣にはバルボア、担当の姿もあった。

 

 

 

『……姐さん。クラレンスから電話。至急、話したい事があるって』

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