最後の希望 ベテランウマ娘、8年目の地方転戦【完結】 作:兄萬亭楽丸
12月26日。
この日は例年より少し早く、西都レース場年末最後の開催日となった。
メインレースは同2000メートルの独自グレード重賞"西都オールスターUmaten杯*1"。
西都レース場に籍を置く、各方面で活躍するウマ娘が一堂に集まる文字通りのオールスターレース。
格こそ大きな違いがあるものの、"有馬記念"のようなものと思ってもらえばいいだろう。
流石にG1ウマ娘が立ち並ぶ有馬と比べるのは酷だが、出走メンバーには各路線の重賞タイトルを獲ったウマ娘達が立ち並ぶ。
上位入賞者には副賞の一つとしてスポンサー企業からスイーツカタログが貰えるということもあり、出走者達のやる気も高い。
昨年の同レース勝ちウマであるワザーヒースクリフ、今年の"西都ダービー"ウマ娘レッドラムオーダー、彼女とクラシック戦線を争ったフライングギロット…
『ハロー、姐さーん☆お仕事お疲れ様でーす☆』
…このメンバーに混じってデボチカも駆り出されている。昨年夏からスプリント方面に進んでいる彼女はここ1年以上1200より長い距離は走っていないが、運営が出走を依頼したらしい。
観客が一番見たかったであろう
また今年のG3"サマーレジェンドカップ"勝ちウマ・ブラインドフュリーは、既に競走の世界を去り次の進路に進み始めている。
距離は異なれど他の所属メンバーで唯一G3タイトルを持つデボチカが、集客面で矢面に立つのは仕方ないのかもしれない。
『スタン、代表が呼んでる。"東京大賞典"の枠順決まったって。控室掃除は明日やるし、パドックのメンツ引き上げたら上がっていいよ』
先輩の
私とバルボアは明日ここを発ち、開催2日前に関東入りすることになる。
『お疲れ、姐さん』
打ち合わせ場所となる事務室には、既にバルボア一行も来ていた。
壁に掛けられた「祝・ラストスタンディン・ロッキンバルボア 東京大賞典出走」の横断幕を横目で見ながら、机に向かう。
この横断幕に私の名前が書かれるのも、おそらく最後になるのだろう。
「それでは早速ですが…」
代表はネットで公開されたプレス向け資料を印刷し、各々に手渡す。
出走メンバーの中には、"帝王賞"や"JBCクラシック"で戦った面々も名を連ねる。
…私は7枠14番、バルボアは8枠15番。
「1番トヨギクチハミザケ、
『先月のJBCではフェロヴィアとの先頭争いで調子を狂わされましたから… 彼女と離れるのは好材料ですね』
私はともかく、バルボアの外枠不利については気にする必要はないだろう。内外に並ばれると
ただ一つの懸念があるとすれば隣。
8枠16番、マリアークラレンス。
『よりによって、か』
昨年秋、バルボアが接触による進路妨害で失格になった苦い経験が思い起こされる。
バルボアは特に反応する様子もなく、じっと資料を見つめている。
「………とはいえ、"チャンピオンズカップ"明けから推し進めていた作戦の方は、枠番の
全員が
帝王賞の際は
バルボア・私双方が先頭に並び立つ走り方ではこれまで以上に私の負担が大きく、途中でスタミナを切らし垂れることは目に見えている。
また、ハイペースでの逃げは本来後方から
…そうなれば、何らかの奇襲に近い戦法を取るしかない。そのような結論に達し、代表の指示の下で一か月弱練習を進めてきたのだ。
『クラレンスの事は… 大丈夫。姐さんにこれ以上心配はかけないから』
『…無理するなよ』
『大丈夫』
"…東京大賞典を最後に、現役を退くことを考えています"
『………現役をしりぞく…?引退ってこと…?え?待って?どうして?…………ねえ、なんで!?』
"簡単に言えば、衰え"
"バルボアに隠していたのは、このこと。帝王賞明けてケガから復帰して、スパートでの加速、長距離を完走するスタミナ、これらの衰えを感じていた" "明確なデータがあるわけではない、でも、
『衰えって……………』
"瞬間的な加速に依存しない、ロングスパートについて教えてもらったのも、そのため。でも結果は11着" "引退については、代表・担当にも初めて話す。今年の暮れでキリよく別れを告げるのが、ちょうどいいと思った"
「………意向は理解しました。しかし、レース明けで興奮状態にある今、こういった決断をする事は危険です。ミーティングの際に改めて詳細を伺いましょう」
"分かりました。今は内々に、留めておいてください"
『わかった。バルボアも……この事については決して他言無用だ』 『…………はい』
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バルボアは私の引退を表面上は理解しており、練習やミーティングの場でも普段通りに振る舞っているように見える。
しかし彼女の中に暗い影を落としているのは事実で、ここ1ヶ月の間、私的な会話は
デボチカ・フュリーも、バルボアの
彼女の性格の事を考えると、代表はともかく担当とも秘密を共有するのは良くなかった。
私の失態だ。
普段快活ではあるが、本来の彼女は非常に
そして何より、普段彼女が依存している担当が、バルボアに隠し事をしていたのも大きいかもしれない。
ただこれまでのように心を閉ざしているわけではなく、目指すレースのために気持ちを切らしていないことは練習からも見て取れる。
…これについては、バルボア本人を信じるしかない。
出走メンバーについて簡単に確認した後は、明日の移動予定について改めて共有し、ミーティングはお開きになった。
"帝王賞"の際に泊まったホテルで、前日のトレーニングを行う。
休憩の折、ホテルに置かれている新聞を手に取る。
"…ラストスタンディン:前走はロングスパート見せるも坂に泣く。大井2000では好走事例あり入着可能性十分…"
バルボアも私も、秋の凡走でいくらか評価を落としてはいるが、未だに期待をかけてくれている人は多い。
世間も私の能力が落ち目になっていることを薄々勘付きはしているものの、私の引退を知っている人間はバルボア・代表・担当の3人だけである。
おそらく、世間の皆は私が来年も普通に現役をやれるものだと、当たり前のように思っているのかもしれない。
ただ、事前にもう一人、引退について話しておくべき人がいた。
トレーナーだ。
「もしもし、スタンか。明日の"東京大賞典"、楽しみにしているよ」
"…それで、突然で悪いけど、
長い沈黙。
仕方ない。突然電話をしておいて、こういう報告をされてはたまったものではない。
それに、トレーナーは今でも私に対する後悔・自責の念が強く残っている。
レース前日にその気持ちを伝えるのは不適当だと判断して、必死に言葉を選んでいるのだろう。
「そうか。まだ明日の事だけど、よく頑張った、な…」
「引退発表とか…今後の予定は考えているのか?」
"発表は、年明けに考えている。関係者とは、軽くしか話していないけど、世話になっている職場のことも考えて、せめて地元で引退に関する場を設けたい"
「レース前日に話すようなことではないと思うが………能力に限界がきたからか?」
長い沈黙。
トレーナーも、私に似たところがあるらしい。突然引退の理由を当てられては此方もたまったものではない。
"正解。デリカシーなさすぎ、引く"
「悪かった」
"大丈夫、既に衰えについて、心には踏ん切りをつけている"
「…違和感を感じたのは"JBCクラシック"。プレッシャーのかからない好位置を確保したのに、らしくない伸びだと思った。その時に"帝王賞"のレース後、左脚の検査で……一年半ぶりに、スタンの素足を見たことを思い出した」
「初めて担当した中等部の時から、ずいぶん大きくなったと思った。同時に、一番最後にスタンの担当としてレースに出た"マーチS"から肉付きが
「ウイニングライブで"もう一度センターに立つ"と語ったスタンは美しかった。ただ"チャンピオンズカップ"、明日の"東京大賞典"の連闘…何か生き急いでいた感じがした」
"チャンピオンズカップは、ロングスパートを試したかったから。確かに生き急いでたのは事実"
"今日まで最善を尽くしてたし、明日も全力で挑む、それでも、トレーナーの前で再びG1のセンターに立つ夢は、叶わないかもしれない"
「…正直、自分の無力さが今でも申し訳なくなる」
「複雑な立場だから、自分としては中々言えることが無い。明日は応援してくれる皆のために、頑張ってほしい」
"わかった"
これまでの感謝の気持ちを口にしようと思ったが、レース前にこれ以上語るのは
おそらく、トレーナーも似たことを思っているのかもしれない。
「…今日は、これくらいにしよう。おやすみ、スタン」
"その方がいいかもしれない、おやすみ"
──大井レース場、本日の最終第11レース"東京大賞典"、既に出走メンバーがゲートに入り始めました…
──奇数メンバー入り終わりまして、6番"JBCクラシック"勝利のジゴワット、14番"帝王賞"のラストスタンディン、地方G1ウマ娘2名がゲートに向かいます…
──最後に大外16番、マリアークラレンス断然の一番人気、一礼しゆっくりとゲートに… 入りました
──世界を制した聖母か、下の世代が下剋上を果たすか、地方から大器が名を上げるか!
──ローカルシリーズ、今年最後のG1レース総決算"東京大賞典" …スタートしました!
──スタートややばらつきましたがまずは先行争い、好スタート切ったワイズアキンボそのまま前に、外ロッキンバルボアとラストスタンディン…
──外の二人そのまま内に寄って先頭はラストスタンディン、二番手集団は3名で固まり…
──先頭ラストスタンディンがいきなり差を広げます!2番手集団におよそ5バ身差をつけて先頭に立ちました!
大きなどよめきが大井レース場を覆う。
バルボアは他の逃げウマに先手を取らせないよう、私が抜け出すと同時に一瞬進路を内に取るように指示している。
2番手を争う逃げウマ2名は前に出ることを諦め、2番手集団でのポジション争いに切り替えたようだ。
バルボアはその外で、二人を
まずは上手くいった。
当陣営が選択したのは、バルボアを控えさせた上での
先頭を争う逃げウマ勢に対しては"追従して先頭に立っても余計なスタミナを消耗し、自分が損をする"と思わせ、双方理想のポジションを確保させる。
クラレンスら後方の捲りを狙う面子に対しても二人の情報・判断材料が少ない状態を作り出すことで、仕掛けのタイミングを
これも全て代表が───おそらくこの方にとってもトレーナー人生最期になるG1レースで、私たち二人に"最後の希望"を託し、心血を注いで計画した奇襲戦法だった。