最後の希望 ベテランウマ娘、8年目の地方転戦【完結】   作:兄萬亭楽丸

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とあるベテランウマ娘の餞別

 

西都レース場に移籍してから二年。幾度も清掃を続けた控室のひとつに私はいた。

スタッフから呼び出しがあったが、出走前の打ち合わせは既に終えていた。私は代表・担当に一礼、ゆっくりとドアを開け、バ道に歩みを進める。

 

共に出走する体操服姿の後輩らに混ざり、不釣り合いなロングズートスーツを(なび)かせ、一歩ずつ階段を上る。

 

引退レースの特例として着用が許された勝負服でパドックに登壇すると、一面の歓声とシャッター音が私を襲った。

 

 

 

私の競走人生最後のレースとなる"殿春賞"、2000m。

 

 

 

この大観衆の裏で、映像に移るメインスタンドは比較的閑散(かんさん)としていた。

たった今結果が確定したばかりのメインレース"西都皐月賞"を勝った子のインタビューを差し置いて、皆が此方に向かってきていたからだ。

結果的にクラシック三冠の一つを取ったウマ娘に対する賞賛の声を彼女から奪い取ることになってしまったことに罪悪感を感じてしまった。

 

 

 

『…ロッキンバルボア先輩や、今から引退レースを走るラストスタンディン先輩のように、西都レース場の歴史に残るようなウマ娘を目指したいです!』

 

 

 

それでも、中継を通して会場全体に(とどろ)くインタビューでの受け答えは結果として私を祝福するものであった。メインスタンドだけではなくパドックからも万雷の拍手が送られていた。

 

…悔しい気持ちもあるだろうに、よくできた子だ。

新たに無限大の期待を抱きながらパドックを後にした。

 


 

観客席にはバルボアをはじめ、彼女を(した)う後輩重賞候補の姿も見える。彼女らがこのレースに出走していない理由は、単純にレースの格ゆえに出走するメリットに乏しいからである。

 

今月頭には佐賀レース場でG3"佐賀記念"が開催されていたし、翌々週には同じく"はがくれ大賞典"*1が控えている。西都レース場には同時期同路線の重賞級レースがないため、西都でも高い実力を誇る子達はそちらを選択する。

 

 

 

そうした決して一線級とは言えない… それこそ"東京大賞典"で共に走った面々には足元にも及ばないメンバーだ。

その彼女ら相手に全力を尽くしても、2バ身弱での勝利がやっとだった。そう言えば私の競走能力がどれだけ(おとろ)えていたかがが判るだろう。

 

 

 

レースを終え、最後のインタビューに至っても陣営に涙は一切なかった。私たちは既に年末、心の中で区切りを付けていたからだ。

逆に私の引退を知らなかった生徒・観客らのショックは相当なものらしく、出走メンバーの中にはレースを始める前から既に涙を流している子すらいた。

 

 

 

ウィナーズサークルを降りる。多少の不可解、それに感謝と畏敬(いけい)の混じった顔に囲まれた。今日共に走ったメンバーが、花束を用意してくれていたのだ。

G1を勝つような雲の上の存在が引退レースの相手にトップクラスでない自分たちを選んでくれた喜びはいかばかりだろう。

 

 

 

涙を流す出走メンバーと一人一人抱擁(ほうよう)を重ね、私の現役最後のレースを終えた。

 


 

『おつかれ様』

諸手続きを終え慣れ親しんだ用務員室(自宅)に戻ると、ゴーンザウインドが出迎える。

 

引退セレモニーでは既に"winning the soul"など、ローカルシリーズではまずお目にかかれない楽曲を披露することが決定している。

芝レースの楽曲のダンス教材は保有しておらず、ダンス講師も居ない。

過去に経験がある私・ウインド、中央(URA)所属で練習環境の用意ができるクラレンスと違い、少なくともバルボアはこれらの楽曲に関する知識が全くない。

そういった経緯もあり、彼女をダンス講師として招聘(しょうへい)することになったのだ。

 

 

 

『それじゃあ無事引退レースも終えたし… 呑まない?』

 

彼女の手には酒瓶が握られていた。(学園関係者に持ち込み許可は取ったが、ゴミ捨ての際は学生たちにバレないよう出す必要があったので苦労した)

成人を迎えてもトレセン学園時代は目にすることもなかったし、競走能力に差し(さわ)りがあってもよくないので移籍以降も飲むことはなかった。

 

 

 

酒の味は一昨年彼女に誘われて飲んだ時から対して変わりがなかったが、笑顔の彼女が隣にいるだけで少しばかり心地良い味であるように思えた。

ほんの少しのアルコールによる火照りと、"現役を退いてしまった"という感慨(かんがい)に包まれ、少しばかり目頭が熱くなるのを感じた。

 

 

 

"おかわり"

『私がDTL(ドリームトロフィー)引退した時も思ったけどウワバミよね。瓶一本開けてその眼はおかしいんじゃない?』

 

 

 


 

後片付けを進めるウインドを尻目に、私は寝床の支度を進める。

当然ながら彼女と一緒の部屋で眠るのはトレセン以来で、少しばかり懐かしさを感じた。

 

布団に入ったものの、眠る気はなかった。引退に関する思いは睡魔や酔いを完全に吹き飛ばしていたのだ。 

 

ほどなくして二人は昔話を始めた。トレセン入学当時から思い返した昔話は徐々に広がり、脱線を繰り返していく。時計は既に12時を回ろうとしていた。

 

 

 

"…ところで、どうしてここまで、私の引退セレモニーに尽くしてくれるの?"

 

『…それは当然、あなたと元トレーナーをくっつけたいからに決まってる』

 

 

 

早々に出た身もふたもない答え。酩酊(めいてい)から口を滑らせたことでない明確な意思であることは声色からもわかる。

 

『あなたとトレーナーの仲を全部知っているわけではないけど、傍目(はため)から見てももう"選手と指導者"の関係どころかお互い気があるようにしか見えなかったからね』

『トレーナーは転属を提案して、あなたはトレセンを卒業した。二人とも"実らなかった初恋"として処理することもできた。それでも二人は馬鹿正直に相手を待つことを選んだ』

 

『あなたの惚気話(のろけばなし)聞いてたら嫌でも判るもん、お互いずっと相手の事を思っているけど、心のどこかで遠慮してるんだって。何かきっかけが無いとこのままの関係がずっと続きそうで心配なのよ』

 

「君が東海ステークスを勝った時は本当に嬉しかった。でも、G1のフェブラリーステークスで勝つかもしれない… そういう雰囲気になった時、自分はなんてクズなんだろう、そう思った」

「自分が七年かけて勝たせられなかったG1タイトルを獲れる日が来るかもしれない、でもその表彰の場に、君の隣に自分がいない。そう思うと身が張り裂ける程苦しくて、涙が出た」

「第一、環境が変わっても頑張ってるのは君自身で、自分は本来他人の関係。それなのに、未だに君とG1を獲る夢を忘れきれない… あの時トレセンに辞表を出して一緒に移籍すれば…よかったとすら思ってる」

 

「……スタン。立場は変わっても、また君と共に走りたい。何年後になるかはわからない。いつか君に見合うトレーナーになってから、君の元に行くことにする」

 

昨年の丁度今頃。電話越しに聴いた、トレーナーからの告白の言葉を思い出す。

私はこの言葉からおよそ三か月後に"帝王賞"を獲った。じゃあトレーナーは?

 

トレーナーは現在中堅チームのサブトレーナーを務めている。重賞クラスのウマ娘も所属しているが、少なくとも本人から指導能力に満足しているという話は聞かない。

キャリアプランについて具体的な話を聞いたわけではないが、サブトレーナーは正式なスカウトを行うまでの繋ぎだろう。"()に見合うトレーナー"を目指すのであれば、ウマ娘をスカウトしてサブではない専属のトレーナー(指導者)になるのだと推測される。

 

問題はその"いつか"である。

 

自分の元でG1勝利できなかった罪悪感、代表の元でG1を獲ったことで新たに生まれたであろう後悔、そして"()に見合うトレーナー"の発言…

 

 

 

トレーナーは担当ウマ娘にG1を獲らせるまで、私の元に来ることはないのでは…!?

 

 

 

あの告白は、同時に自分に課した呪いでもあったのだ。

 

「よく頑張った………よく頑張ったな……スタン……!!」

「俺は、お前の元トレーナーで本当によかった…!!!」

 

“でも、トレーナーの前で、センターで、全力のウイニングライブが、したかった”

“ようやく掴んだG1(帝王賞)なのに、なんで、こんな怪我なんか”

“トレーナー、本当に、本当に、ごめんなさい”

 

「複雑な立場だから、自分としては中々言えることが無い。明日(東京大賞典)は応援してくれる皆のために、頑張ってほしい」

"わかった"

 

「…今日は、これくらいにしよう。おやすみ、スタン」

"その方がいいかもしれない、おやすみ"

 

そして思い返す。告白を受けた際は涙と嗚咽(おえつ)(まみ)れるばかりで、ロクな返事をすることが出来なかった。

肯定のニュアンスこそ伝わってはいるはずだが、トレーナーの告白をなあなあで済ませてしまっていたのだ。

 

以降も何度か対面し話をする機会があったが、それ以降はトレーナーに対して気持ちを伝えてはいなかった。

それこそ帝王賞の時はそれどころではなかったし、やむを得ない事情もある。

 

だが、必要なやり取りは行っている関係なのだし、その気になれば電話で感謝の気持ちを直に伝えることくらいはできたのだ。

 

 

 

馬鹿正直にトレーナーの言葉を受け取るのではなく、正直な気持ちをそのまま返せばよかったのだ。

…私の失態だ!

 

『…急に起きないでよ!?失態ってなに!?』

 

 

 

『…トレーナーに感謝の気持ちを伝えたくて引退セレモニーやるんだからさ、もういっそ、トレーナーに全部気持ち伝えちゃいなよ』

『それもいつもの大人みたいな言葉並べるんじゃなくて、もっと簡単な言葉で』

 

 

 


 


 

ある日、私は打ち合わせのため、代表のいる事務所に出向いた。

 

これまで事務所勤務の際に座っていた最奥の机にはあらゆる書類、資料が折り重なっていたが、机は後任に譲り、資料は一部を除いて処分された。

(つい)の仕事場となった隅の机には、得意先の名刺ファイルが並んでいるくらいだ。

 

私が転属してきた当初はトレーナー業に構うどころではない程多忙を極めた代表が、暇を持て余すほどになってしまったことに多少ショックを覚えた。

 

 

 

「そういえば夏からトレーナー学校の非常勤講師として勤めることが決まりましてね、自宅を引き払うことにしました」

 

 

 

自宅を引き払うということは長年親しんだ地元を去ることと同義であり、相当の覚悟だということが伺えた。

 

周りを見る限り、他の社員には既に伝えていたのだろう。代表は話を続ける。

 

退職に際し、自治体からスポーツチーム代表取締役の紹介があったらしい。*2

スポーツチームと自治体の関係を強めるためのいわゆる"天下り"というものであるが、どちらかと言えば代表の人を見る能力…長年にわたりレース場運営をトラブルなく行い、多くのウマ娘を社会に送りだした功績… これらを高く評価しているからこそ、自治体側が頼み込んだものと推測される。

 

だが代表はこれを固辞(こじ)した。

 

 

 

「…人生の半分以上籍を置いたローカルシリーズにもう一年でも長く(たずさ)わりたかったのです。特に失態があったわけでもない、身体はまだ動く、それなのに自分が昨日まで携わっていた生業(なりわい)に関われない…」

「歳の事情があるとはいえ、中々つらいものがありました。それに老いの恐怖も… スタンさんがトレセンを去る時の心境に似ているかもしれません」

 

確かに、私に似ていると思った。

 

トレセン学園に居た頃の私は、G1のために現役を続けていた。年齢の問題はどうしても付きまとっていたが、考えないようにしていた。

代表も定年退職さえなければ、レース場の代表()しくはトレーナーとして、生涯を閉じるまでこの場を見守り続けたかったのだろう。

 

ただし現実はそれを許してくれなかった。これまでの生き甲斐から離れざるを得なくなった辛さは、当時の私もよく痛感している。

 

 

 

「それでも、今後を悲観はしていません。非常勤講師として雇っていただくきっかけも、なにより競走の世界に少しでも携わり続けて夢を見たくなったのも、貴女のトレーナーとして功績を(G1勝利を)上げたから。貴女のお陰なのです」

「バルボアさんをはじめとする生徒の皆さん、そして貴女の今後を見れない事は大変残念ですが… 貴女の事を私は一生誇りに思います。これは、(いつわ)らざる私の正直な気持ちです」

 

 

ここまで話し終えたところで、代表は私にティッシュペーパーを渡す。

私の目から涙が(こぼ)れ落ちていることに、私自身は気づいていなかった。

 

もしかすると、引退セレモニーが代表との今生(こんじょう)の別れになるのではないか… そういった考えを巡らせてしまった。

 

そして私の気持ちを伝えられないまま、"私に見合うトレーナー(指導者)"になるまでトレーナーを待ち続け、今生の別れを迎えることになったら、どうすれば、と…

 

 

 

「なるほど… 思いのたけを伝えられないままというのは確かに良くないですね。それに引退してからはトレセン近辺に遠征する機会はまずないでしょうし、このまま疎遠(そえん)にもなりかねないでしょう」

「恋仲に関しては素人同然ですが… 思いを伝えられるよう、会場セッティングを調整しましょう」

 


 

 

 

"光陰(こういん)矢の(ごと)し"ということわざの意味を、これほど痛感した一か月はなかった。

 

 

 


 


 

「卒業生の皆さん、ご卒業おめでとうございます。私事(わたくしごと)になりますが、私も今月末に定年を迎え、皆さんと同じようにこの学園を卒業することになりました」

 

「さて素晴らしいことに、今年度は西都レース場から二人のG1ウマ娘が誕生しました。そのうちの一人、ラストスタンディンさんのお話をさせてください」

 

「彼女は元トレセン学園の生徒です。卒業して当レース場に勤めることになり、諸事情で私が彼女のトレーナーを担当することになりました。彼女がG1を勝てたのは様々な理由がありますが、まず第一に競走生活を諦めず、ローカルシリーズに移籍する"決断"をしたからです」

 

「これは"諦めないでほしい"という話ではありません。ラストスタンディンさんは、遠く関東を離れこちらで現役を続けることに躊躇(ためら)いもあったかもしれません。しかし彼女は"決断"をして、その決断に対して責任を負いました」

「就職される方、進学される方、卒業される皆さんは様々な"決断"をしたかと思われます。これからも様々な決断をする時が来るかもしれません。そういったときはまず自分の中にある信念…自分が何を成し遂げたいかをまず大事にして、納得のいく決断をしてほしい、ということです。どうか自分だけにしかできない決断をしたうえで、自分らしい人生を歩んでください。…ご卒業、誠におめでとうございます」

 


 


 

 

 

悔いのない引退セレモニーにすべく、トレーナーに全力の思いを伝えるべく。

 

 

 


 


 

『もうここまでで大丈夫です。バルボアさん、姐さん。デボチカさんをこれからもよろしく頼みます』

 

『…呼ばなくても大丈夫だった?』

『デボチカさんには来ないよう伝えています。彼女が見送りに来るとお互い辛くなるだけだと思って… 泣きに来るくらいなら"高松宮記念"の追い切りに戻って、当日元気よく走る姿を見せてって、突き放してしまいました。後味の悪い別れになったことだけが心残りですね…』

 

『デボチカの姉さんなら、仲間と朝練してたし大丈夫だと思う…、でも姐さんの引退を知った時の私に似てるかも』

"彼女は当時のバルボアの様な葛藤(かっとう)の中にいるかもしれない、友人としてできる限りの助けは、しようと思います"

 

『じゃあ、二人ともお元気で。デボチカさんが無事独り立ちできるよう祈っています』

 


 


 

 

 

 

まるで最後の青春を謳歌(おうか)するように、ダンスの練習に(はげ)んだ。

皆に感謝の気持ちを伝える為全力を尽くしつつも、いつまでも今日が終わらないでほしい。

 

そういった矛盾する思いを抱えながら、弥生の月はあっという間に過ぎていった。

 

 

 


 


 

『先ほど空港に到着しまして、2時間後にメイダンを発ちます。勝負服の検疫(けんえき)については多少お時間を頂きますが、手続きが遅延した場合は別衣装を用意しておりますので問題ありません』

「わかりました。…人並みではありますが、"ドバイワールドカップ"おめでとうございます」

『ありがとうございます… 積もる話はまた帰国後に改めてさせていただければ、それでは』

 

 

 

『…どうしたバルボア?』

 

『いや、次いつ戦えるかわかんないけどさ、私こんなバケモノとやり合わないといけないんだなって… それも、姐さん抜きで』

『姐さんの"帝王賞"も"東京大賞典"も、どちらも奇襲戦法がはまって、クラレンスには不利要素があった。タイマンでは未だ勝ててないからな… お前の言いたいこともわかる』

 

『不安はあるけど、私は"挑戦者"だから』 『名乗っている以上は挑むしかないよな』 

 


 

 

 

「えー… 皆様()()()()()の折にこれだけ豪華な送別会を開いていただき、本当にありがとうございました」

 

「…これまでの職員一同、トレーナー・生徒一同による尽力(じんりょく)が実を結び、私の勤務最終年である今年度、念願のG1ウマ娘を輩出するに至りました。新年度の入学希望者も昨年の数割増しだったと伺っております」

「ただし、これはあくまで各個人の一過性のものであることを念頭に置いていただければと思います。自治体や周辺住民からの理解も進み、重賞…そしてG1を目指す生徒たちの夢を叶える為の環境整備も進むかと思います。ただし、当レース場の役割の第一はあくまで各々の生徒を無事社会に送り出すことであることを、ゆめゆめお忘れなきように」

 

「それでは皆さん、ありがとうございました。引退式典でまた会いましょう」

 

 

 

担当トレーナーである代表の定年退職により、西都レース場にはトレーナー資格を持つ職員が不在となった。

私はローカルシリーズの登録を抹消され、10年にわたる競走生活を終えた。

 

 

 

いつもより遅く咲いた桜の花びらが、大空に飛んで行った。

 

*1
2000m、独自グレード重賞。3月開催のレースにしては珍しく、クラシック級とシニア級が同時に出走するレースでもある。

*2
一般的に、役員職には定年制度が無い。





【登場人物】

・代表

仕事人間で中々家庭を優先できなかったこともあり、息子二人の一人立ちを期に離縁している。




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