ラフムとは、どういう悪魔なのだろうか。
メソポタミア神話にて、アプスーとティアマトという神様が交わり最初に生まれたのがラフムなのだとか。
神話にて天地が分かれて世界が形になるより昔、始めての神として生まれた。世界が作られて、多くの神が栄え、貶められる今までを見てきたのだ。
だから、ラフムは忘れていない。上位のモノによって踏み躙られる事を、下位のモノが踏み躙られた事も。
そうして多くの争いがあったが故に、世界は続いているのだから。
……だが、世界を獲ったのは秩序の神だ。
メソポタミアの流れにない神は、世界を望んだ形に変えた。今まで世界の礎になった神々は悪魔され、力と威光を失った。
そして、誇りを奪われた。
これはラフムに限らず多くの悪魔がそうなのだろう。だから魔王軍にいる悪魔達は、自分を取り戻すために戦っている。
踏み躙られた過去の怒りから、荒ぶる悪魔になっていたのだ。
「本来は、命を育む河川のようなあり方だったのでしょうにね」
ロキが、そう補足する。
その怒りが
しかし、フィンマックールには通じない。どれだけ力があっても、どれだけ怒りが強くても、当たらなければただの隙だ。
樹島とラフムの攻撃は、何一つ通じていない。技の合間合間に丁寧に切り刻まれている。
「しかし解せませんね。貴方の契約があるにしても、ラフムがあのサホリという少女に固執する意味はありません。ヒトの中の『知恵』が望みだとしても、彼女だけが『知恵』の持ち主ではないのですから」
そうロキは言う。俺はナホビノとしてアオガミと噛み合っている。それはアオガミと対応する『知恵』を俺の魂が持っているからだそうだ。
だが、その知恵は特別なモノではない。人間が生まれ、血が交わり、多くの悪魔の知恵が混ざり合い、伝播した。情報がコピーされて伝わっていくように。
故に樹島は“完成度の高い『知恵』のコピーデータを持っている人間”というだけでしかないのだ。
理屈の上では、だが。
「アオガミ殿は、何故だと思われますか?」
その言葉に、久方ぶりにアオガミが声を出す。
『……それでも他人には思えないのだ。私にとっての少年のように』
自分がアオガミである事を忘れそうになる程に、と俺の心には伝わってくる。自分も同感だ。
実際、アオガミの感覚だと『アオガミの相方になれる人間は何人か見つけられた』魔界に落ちてきている人間は多くないのにだ。
相方であるのは別に俺でなくても良いのだろう。必要があれば俺を切り捨てるシビアさをアオガミ個人は持ち合わせている。
「……なら簡単な話なんじゃない? ラフムはサホリの事を気に入ったんだよ」
「それは面白い話ですね。あの怒りしかなかったラフムにそんな可愛らしい所があるなどと」
そう嘲笑うロキ。
目の前の戦況は悲惨そのものだ。樹島はがむしゃらに暴れているだけ、フィンに傷一つ付いてはいない。
フィンの剣で幾たびも斬られ、ナホビノの再生力で命を繋いでいる。
「……諦めろ、お前は弱い」
「知ってるわよそんな事は!」
樹島は叫ぶ。
「私が弱かったから沢山殺した! 私が弱かったから大切なコトを間違えた! 私が弱かったから踏み躙られた! 私が弱かったから……大切な居場所を失った!」
「そう叫ぶだけならば! 後悔のままに屍を晒していろ!」
「だけど、生きるって決めたの!」
ラフムの意思が混ざっているその言葉には、樹島の言葉があった。
……もしかしたら逆なのかもしれないが。
剣を身体で受け止めて、再生する事で肉で剣を掴み取る。そして、ゼロ距離からラフムの泥が放たれた。
フィンに、ようやく入った一撃だ。
「……そうか」
フィンの傷は浅い。剣を手放して離れたかはだ。樹島の傷は重い、身体を貫く剣はそのままにあるからだ。
しかし、目だけは死んでいない。
そんな樹島を見てフィンは言う。
「……やめだ」と。
何故に? と声が出る。
樹島を刺していた剣はマガツヒに解け、それが治癒魔法に変わり傷を治す。
「今殺すのは惜しくなった。理由としてはそんな程度だ」
再びまみえた時に生かす理由がなければ殺す。そんな事をフィンは言う。
優しいのか、甘いのか、どちらなのだろう?
「優しいで良いと思うのでありますよ」
優しいから、見ず知らずの人間の何にもならない頼みを無視できなかったのだし
優しいから、樹島サホリの『生きたい』を無視できなかったのだろう。
そんな所か。
樹島は膝をつく。意識は朦朧としており、しばらくは何もできないだろう。
そう思って周囲を見回す。
屍の山がある。天狗や堕天使、そういった集結していた連中はもうほとんど殺した。
「……しかし、弱かったでありますね」
「当然でしょう。力を第一と信ずるモノならばとっくの昔に魔王軍に集っています。ここにいるのはただの風見鶏ですよ」
「天狗連中も下っ端だけみたいだし、色んなところから溢れた悪魔が来てたんじゃないかな?」
……なるほど、だからフィンは一人でベルフェゴールをやれたのだな。
「……あぁ、そっちのナホビノ。少し良いか?」
構わない、とフィンに言う。
「お前の言ったタオという女も見知らぬ女神も知らないのは確かだ。だが、ソイツは“世界の主になる者を導く”類の奴だろう。随分と昔、そんな役割の奴がいた」
……何故、そんな風に思った?
「ラフムのナホビノは、ソイツを理由に立ち上がった。そうして歩いていくうちに世界を統べ得る『コトワリ』を見つけられるだろう。そういう良い女になっている」
そうなるように誘導されたと?
「ああ。だからナホビノとして戦っていけば向こうからやってくる。それまでに力を付けておけ」
「あれ、なんかサホリに優しくない?」
「消去法だ。コイツには『コトワリ』の下地があるが……お前にはない。お前には力があっても、創世の意志がない」
喧嘩を売られている……訳ではないようだ。事実だし。
俺はやはり雰囲気で生きているし、何となくで戦う。『コトワリ』とはなにかよく分からないが、未来への意志の強さとかそのあたりなら誰にも勝てない自信がある。
「うわ、そこ自信満々で言うんだ」
「しかし、ユート殿らしいであります。良くも悪くも『今』しか見ていないでありますから」
照れるぜ。
「行き当たりばったりって言われてんだってば」
当意即妙とも言うだろう。その場その場で良い感じになんとかすれば良いのだよザコちゃんや。
そんな話をしながら、俺たちは妖精の森に帰る。フィンは魔王軍とベテルの戦争がもうすぐ起きる千代田区へと向かった。なにかあれば教えてくれるだろう。
そしてその日、俺と太宰、そして敦田兄は一足先に東京に戻る事となった。ベテルの戦争の話があるらしい。
そんな事を、通信越しで長官は言った。
ターミナルを用いて東京支部に戻る。すると、目の前には大天使アブディエルがいた。
「……貴様らか」
「アブディエル様!」と喜ぶ太宰。訝しげな表情でそれを見る敦田。なんとも信頼度が目に見える場面だ。
「……聞いているだろうが、貴様ら東京支部は不要だ。我らベテルの軍勢は魔王軍程度に負ける事はない」
「……僕達の、東京の未来がかかっているのです! それなのに戦うなと⁉︎」
「そうだ。貴様らは弱く、数もない。ここでの参陣は無駄に命を散らすだけだと何故分からない?」
それでも! と声を上げそうになる敦田を強い視線が押しとどめる。視線の主は東京の総大将、越水長官だ。
「彼は人一倍東京を守りたい気持ちが強いのです。ご容赦を」
「元より何もせん。功を焦って東京の守りを疎かにするなよ、コシミズ」
そう言い捨ててアブディエルは去っていく。不思議な事に俺に、というより『ナホビノ』に対しての殺意の類が薄かった。
カミサマ至上主義だったろうに……と不思議に思う。
すると、ターミナルの管理をしている職員さんが耳打ちしてきた。
「アブディエル様って、タオちゃんの事結構気に入ってたんだよ。だから、タオちゃんが守った命はできるだけ守りたいんじゃないかな?」
そういえば磯野上はベテルの聖女として育ったのだ。現在天使のリーダーであるアブディエルとはそれなりに付き合いもあったのか、と納得する。
“理由が明確になるまで殺すことはしない”程度の後回しだろうが、楽なのはありがたい。それなりに強いので、殺すのは面倒なのなだ。
「さて、先程聞いた通り我々東京支部はこれからの魔王軍攻略戦に参加を許されていない。だが、そうも言っていられない理由がある。着いてきてくれ」
越水長官についていくと、出たのはベテル東京支部、というか支部のある大学の屋上だ。
そこからは、東京がよく見えた。
「ッ⁉︎これは⁉︎」
「なんだ……コレ⁉︎」
その東京の姿は、滅んでいるように見えた。魔界にある東京砂漠の姿のようだった。
しかし、瞬きすれば普段の東京に戻る。おそらくだが、目の前の景色は東京と魔界が重なっているのだ。
「時間がないので簡潔に言う、ベテルの主要悪魔に1秒でも早く接触したい。この東京をなんとかできるのは『ナホビノ』と彼らだけだ。故に、君と太宰くんは無理矢理でも参戦してもらいたい」
「……マジか」
「ッ⁉︎長官! 僕も行けます!」
「敦田ユヅル、君にはやるべき事がある。東京を守る戦力はほとんど残っていないのだ」
その発言に違和感を覚える。理屈としては正しいが、ナニカが違っている感覚だ。
「それと、アオガミのメンテナンスを行う。アオガミは神造魔人であるが故に、致命的な不具合が起きる危険性があるのだ」
『了解した』とアオガミとの合体を解く。違和感が止まらないが、それが何かは分からない。
「けど、コイツがナホビノじゃなくなったら、やばくないですか?」
「心配無用だ、彼はアオガミとの合体により覚醒している。今のアオガミが付いていけない程度には、その魂は強い。それに、アオガミの調整が終わり次第現地で召喚した方が手っ取り早く済む」
『了解した』
悪魔召喚プログラムによるアオガミの召喚。人間界にいる悪魔を魔界から召喚するというのは少し不思議だが、たしかに早く済む。
そんな話をしてから、すぐに魔界へと向かおうとする。
だが、気になった事があった。今日感じた違和感とは別の、ふとした疑問だ。
「東京以外は、どうなっている?」
その言葉に長官は言う。
「