昼休み。
俺はくそ長い廊下を歩き、あるところに向かっていた。その名は......生徒指導室。
ああ、勘違いしないでくれ。確かに生徒指導室に呼ばれたが、別に怒られるとかじゃないと思う。そんな悪いことをした覚えもないしな。
それに......俺は生徒指導室を私用で使っている先生を、一人知っている。
俺は部屋の前まで来ると、扉をノックした。
「うーい、入っていいぞー」
その気だるそうな声を聞くと、彼女は本当に教師なのかと疑いたくなる。
「失礼します」
扉を開け目に入ったのは、椅子に足を組んで堂々と座っている小学生.....もとい道楽宴先生の姿だった。どう考えても成人には見えない体型と愛くるしい容姿が特徴の、二年一組担任の先生だ。
「......次、頭の中でそんなこと考えたらぶっ飛ばすからな」
......追加だ。彼女の言動は非常に暴力的。あと俺の心を読めるらしい。
「すいません.....」
「ま、ほかの奴ならすでにぶっ飛ばされてるところだがな」
そう言って、彼女は物騒な殺気を出すのを止めてくれた。許してくれたようでよかった.....。
こんな先生だが、実は俺の命の恩人である。そうなった経緯を、少し話そう――
とある日の雨が降り注ぐ夜。
まだ小学生でありながら、俺は人通りの多い夜の街に一人でいた。そんな俺を、周りの人は見て見ぬふりをして通り過ぎていく。たまに声を掛けてくれるお人好しは少なからずいたが、俺は無視していた。
父をとある事情で失い、最愛の母までも失った俺は、完全に生きる望みを失っていた。ただでさせ友達もいなかったのに、母さんを亡くした俺はたったの独り。
もう道は一つしかなかった。
おぼつかない足取りで階段を上り、俺は鉄橋の真ん中にたどり着く。その下では、何本も通った線路に電車が走っている。
橋の手すりをよじ登り、俺はその上に座った。視線を下げると、学校の四階から見下ろしたぐらいの高さはあるように思えた。
普通の人間なら恐怖を感じるものだが、今の俺はそんなもの感じない。俺には、手を広げて待っている母さんの幻影しか見えていなかった。
「今いくから......母さん」
手を広げ、下に向かって飛び込もうとした、そのときだった。
誰かの手が俺の腕をがっしりと掴む。そして、その手は強引に俺を引っ張り上げ、橋の上に投げ飛ばす。
ぶつけた頭を擦りながらゆっくりと目を開けると、俺と同じ学年ぐらいの少女の姿があった。
「何があったかは知らねえが......諦めんのが早いんだよ。こちとらお前なんかとは比べ物にならないぐらい、辛い経験してきてんだ。そんなあたしの目の前で死ぬなんて、昔のあたしへの侮辱だ。絶対許さねえ」
少女とは思えない、荒々しい口調だった。
「どうしても死にたいってんなら......あたしから逃げ切ってみせろ。そうしたら、死なせてやる」
この目の前の少女は、どうやら俺の自殺を邪魔するつもりらしい。しかも自分勝手な理由で、だ。赤の他人のくせに、余計なことをしないでほしい。
「どうした? 死にたいんじゃないのか?」
「......」
何も言わず、俺はその場から逃げ出した。別に体力に自信があったわけじゃないが、相手は女だし、どうせすぐ振り切れると思っていた。だが......
「おいどうした? そんなスピードじゃすぐ追いつくぞ?」
目の前には、何食わぬ顔で立っている彼女の姿が。
「っ!」
俺は方向を変え、全力で走り出した。
結局、俺は彼女から逃げ切ることができず観念した。そのときの俺は汗だくでもう走れないほどだったが、彼女は余裕の表情だった。正直、彼女が小学生とは思えなかった。(それは正しかった)
「鬼ごっこであたしから逃げ切ったやつは今までで一人もいないが......ここまでしつこく逃げたやつは、お前が始めてだよ。自殺しようとしてたやつにしては、なかなかやるじゃねえか」
「あ、ありがとう......」
返事を返すのも一苦労だった。
「......気に入ったわ、お前」
「え?」
そう言って、彼女は小悪魔的な笑みを浮かべる。嫌な予感がした俺はその場から逃げ出そうとしたが、足は疲労のせいで動く気配は無い。
彼女はまるで新たな獲物を見つけたかのように、嬉しそうに言った。
「あたしが一から、お前を鍛えなおしてやる。もちろん二十四時間付きっきりで、だ。これからあたしのことは、師匠と呼べ」
これが、彼女との初の出会いである。ま、ここからは言葉通り付きっ切りで修行を受けるはめになったのだが......それでも、彼女は俺をここまで育ててくれたし、毎日飯も作ってくれた。
そして何よりも、俺に帰る場所をくれた。
この晴光高校に通えているのも彼女のおかげだし、これ以上にないくらい俺は彼女に感謝していた。 いつかは親孝行しなければなと、そう思っている。
「で、師匠。呼び出した理由は何ですか?」
「別にそこまで重要なことじゃないけどな。一応確認したいことがあるだけだ」
そう言って、彼女は足を組み替えて口にコーヒーを注ぐ。凄く苦そうな表情ではあるが。
「お前、甘草の奴隷をやってるって本当か?」
俺はその質問に、思わず驚愕した。
『絶対選択肢』のことについての内容は、外部に漏れることはありえない。話そうとすれば、頭に激痛が走りそれを阻止される。
そして、それには俺が甘草の手助けをしていることも含まれていた。つまり、さっきの彼女の一言は『絶対選択肢』について知っている、ということをを意味していた。
「.......知っているんですか。『絶対選択肢』のことを」
その言葉を聞くと、彼女は悲しそうな表情で言った。
「昔は、あたしもそいつを持ってたからな」
その言葉に、俺は再び驚かされた。
まさか、師匠が『絶対選択肢』を持っていたなんて......。あんなものを持っていたら、俺だったら自殺してるってのに。
あ......もしかして、初めて俺に出会ったときに言った『俺よりも辛い経験』って......。
「その頃の話、別に聞いても?」
「いや、無理だ。あたしにも『絶対選択肢』のことは何も話せねえ」
だが、たとえ言葉でなくてもその悲痛な表情が、どれだけ辛い経験だったかを物語っていた。
「そう......ですか」
......『絶対選択肢』を作った神様ってやつ。てめえは俺の師匠を傷つけるという禁句を犯した。もし俺と出会ったら、そのときはてめえの最期だと思え。
握りこぶしに力を入れながら、俺はそう誓った。
「......悪かったな、何か変な空気にしちまって。でだ、話を戻すがお前が甘草の奴隷をやってるって本当か?」
再びコーヒーを啜りながら、彼女はそう言った。
「いい加減奴隷って言い方止めてください......。まあ納得はいってませんが、甘草の手伝いをしてます」
「何でも、あいつの話では『絶対選択肢』が見えるとか」
「はい。神が言うには、それを活かして甘草を助け――」
≪選べ ①「で、いつになったらパンツ見せてくれんの?」 ②「もういっそのことパンツになる」≫
おおっ......いきなり現れるなよ選択肢。ちょっと驚いただろうが。
「ん、どうかしたか?」
「えっと。今選択肢が現れて、甘草が女子高生に二度目のセクハラをしようとしているところです」
「はあ......可哀想なこったな」
ほんと、師匠の言葉通りだな。神様ってマジ自分勝手。それをすでに一年間耐え抜いている甘草は凄いと思う。
甘草に「頑張れ」と、心の中で応援している最中、師匠は思い出したように言った。
「そういや、今回のミッションってなんなんだ?」
突如出てきたミッションという言葉に少し困惑したが、師匠が言っているのはあの『ミッション』のことだとすぐに理解した。
俺は携帯を取り出し、そのメールの内容を読み上げる。
「柔風小凪のパンツを着用された状態で目撃せよ、です」
「あーうん、まあ......頑張れや」
露骨に視線を逸らしながら、そう話す師匠。少しぐらい協力する意思を見せてくれてもいいじゃないですかあ......。
「そろそろ甘草がボコボコになって教室に帰ってくると思うんで、もういいですか.....」
今から女子高生のパンツを見る最低野郎にならなきゃいけないと思うと、テンションが下がるのも仕方なかった。
「待て昴。最後に一つ聞きたい」
帰ろうとする俺の腕をつかみ、彼女は椅子から立ち上がる。
「今の生活は楽しいか?」
何気ない質問だった。だが、自殺しようとしたことを含め俺の過去を知っている師匠なら、きっと言葉以上の意味を込めていることだろう。
そんな師匠に軽く返事をすることができなかった俺は、正直に言った。
「昔よりかはまし、ってところです......」
教室に戻ると、さっそく目に入ったのはボコボコにされ机に突っ伏しているあいつの姿だった。
「お、南雲っち。ちょっと聞きたいんだけど、何で甘っちはこんなんになっているの?」
そう言って、突如甘草を指差しながら俺に尋ねてくる遊王子。ぶっちゃければ、選択肢に今日二度もパンツ見せろ発言を強要され、柔風親衛隊とかいう奴らにボコされたからなのだが、それを彼女に言うことはできない。
「さあな、俺は知らん」
「ふーん。あたしは知ってるけどねー」
ふふんと胸を張り、ドヤ顔を見せる遊王子。じゃあ何で聞いたんだよ......
「......南雲っち。何かあたしに隠してない?」
「へ?」
邪悪な笑みを浮かべながら、遊王子は此方に一歩一歩近づいてくる。俺は思わず、少し後ずさった。
「いや、別に......」
なんとか冷静を装って答える。でも、遊王子から感じるこのプレッシャーは、一体何なのだろうか。
「ふふ......じゃあこれは何かな?」
彼女は、ポケットから一つの携帯を取り出し俺に見せ付ける。俺は彼女の意図が分からず首を傾げていたが、暫くして嫌な予感が頭をよぎった。
俺は遊王子の携帯は今まで一度も見たことがない。そのはずなのに、彼女が持っている携帯はどこかで見たことがあった。それも、つい最近見たような......
「もしかして......これって......」
「鋭いね南雲っち。そう、これは甘っちの携帯だよ」
その言葉を聞いた途端、俺はその携帯に手を伸ばし奪い取った。
「てめえ、人の携帯とっているんじゃねえ!」
「違うよ。これは甘っちが落としてたから、あたしが拾ってあげただけって」
甘草め......なに携帯落としてやがる。これには他人に見られたら誤解を招くようなメールがあるんだぞ。もし誰かに見られでもしたら――
「でさー。小凪たんのパンツを見たいのって甘っちだけだと思ってたんだけどー......実は南雲っちももなんだ」
ですよねー。遊王子にすでに見られていることぐらい、俺分かってました。
「確か、その命令は神から送られているんだったっけ? まさか、自分たちの妄想の神(笑)に小凪たんのパンツを捧げることで自らの呪いを解除できるとか、そんな痛々しいことを考えてたな
んて......」
おい待て待て待て。いくら何でも意味を履き違えすぎだろうが。しかも、目線がさっきよりも冷たいです遊王子さん。
「いや、違うんだこれは.......」
必死に何か言い訳を考えていると、彼女は突然笑顔になりこう言った。
「......まっ、それも面白いと思うし、あたしは良いんだけどねっ!」
こいつ......一体何考えてんだかまったく分かんねえ。さすがは、『お断り5』の一人。伊達じゃない。
「というわけで、南雲っち。もしこれをクラスの皆に暴露されたくなければ、あたしの頼みを一つ聞いてもらおうか」
そう来ると思ってたよ。はあ......ま、仕方ないか。
「分かったよ。で、望みは何だ?」
「小凪たんのパンツの件、あたしにも協力させて」
「......は?」
それは......俺たちにとっては願ったり叶ったりだが、でも......なんで?
「いやーだってさー、おもしろそうじゃん。あたしも一度は他人のパンツを晒してみたいと思ってたし。それに、小凪たんは男子に免疫なさすぎるから、ここらでパンツの一つでも見せといたほうがいいと思わない?」
いや、俺に同意を求められても困るんだが。ていうか、他人のパンツを晒すとか、興味本位でやっていいものじゃないと思う。
「ということだから、甘っちにも伝えといてねー」
そう言って、颯爽と駆け出す遊王子。
「お、おい! どこ行くんだ!」
「ん? 小凪たんに伝えてくるからー!」
昼休みも残り僅かなのに、彼女は教室から出て行ってしまう。
......果たして本当に彼女に任して良かったのか、この先が不安でしかなかった。
「週末の休み、小凪たんと甘っちとあたしで出かける。かあ......」
学校帰り、夕日を背に歩いていた俺は、遊王子からきたメールを見てそう呟いた。
彼女の話では、柔風を外に連れ出し、パンツを見れるような状況を作ってくれるらしい。だから、甘草だけではその瞬間を見逃すかもしれないからぜひ俺にも来て欲しいとのこと。
正直かなり気は進まないが、甘草だけでは不安なのもまた事実。行くしかなかった。
ため息をつきながら、俺は自分の家にたどり着く。すると、部屋に明かりが灯っていることに気付いた。
彼女がいるのは久しぶりだな、と思いながら俺は扉を開ける。
「今日は仕事早く終わったんですかー?」
玄関に入り、中でくつろいでいるであろう彼女に声をかける。ちなみに、玄関には小学生が履いているような小さな靴があったので、彼女がいるのは間違いない。
「ああ、今日はほかのやつ脅して仕事任せてきたからな」
俺がリビングに入るなり、いきなり物騒なことを言いだす宴ちゃん。ほんと、何で教師になれたんだろ......
なぜ宴ちゃんがここにいるのかというと、元々ここは彼女の家だったからである。高校生になるまでは修行もあってここで共に暮らしていたのだが、「高校生ならそろそろ一人立ちしろ」という師匠の命令により一人暮らしをすることになったわけだ。
だから、時々しか彼女はこの家に来てくれないので、俺は少し寂しいとか思ってたりする。
鞄を下ろし、堅苦しい制服の帯を緩める。すると、机の上に何か置かれていることに気付いた。
机に近づき何があるのか見てみると、そこにはラップされた親子丼が置かれていた。
「今日の晩飯だ。どうせまだ食ってないだろ?」
まるでそれが当たり前のように言う彼女。正直、涙が出そう。
「いつもありがとう......宴ちゃん......」
「宴ちゃん言うな」
そう言いながらも、頬を赤く染める宴ちゃんはやっぱり可愛かった。
ちなみに、彼女のことを宴ちゃんと呼べるのは俺だけである(まあ、こういうプライベートなときだけだが。普段は師匠と呼ばないと殴られる)。他のやつが呼んだら、その瞬間に処刑。
相変らず、見た目と言動が一致しない宴ちゃんである。
「......あ、そうだ」
折角宴ちゃんもいることなので、彼女に明日のことについて聞いてみることにした。......少し恥ずかしいが。
「なあ、宴ちゃん......」
「ん? どうかしたか?」
俺は真剣な顔つきで、彼女に言った。
「俺、明日デートに行くんですが......」
「ぶっ!」
宴ちゃんが思わず噴出すという、珍しい光景に遭遇した。俺がデートに行くことが、そんなに意外ですか......
「女と、二人で!?」
「そんなわけないでしょ。男二人と、女二人とです」
俺の言葉を聞くと、彼女はほっと一息ついた。
「なんだ......男女二人きりじゃないのか」
「当たり前ですよ......」
俺が彼女を作れるようなやつにみえ......そういや、昔彼女いたような気がする。......いや、思い出すのは止めておこう。悲しくなる。
「......でも、あたしは少し嬉しいよ、昴。人間嫌いだったお前にも、ようやく友達ができたんだな」
優しく微笑んでそう言った彼女を見て、俺は思わず泣きそうになった。なぜなら、人間嫌いである俺に友達ができたのは、師匠という人間のおかげなのだから。
熱くなった目頭を押さえながら、俺はあることを彼女に頼むことにした。
「こんな俺の記念すべき初デートなので......俺に似合う服装を選んでくれませんか?」
彼女は立ち上がり、自信満々な表情で言った。
「いいだろう。お前の女友達を人目で惚れさせるような服装を選んでやる」