ウマ娘とトレーナーの小話   作:raioncat

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エアシャカールと夢

「……おっせェな」

 

 エアシャカールの瞳にスマホのデジタル時計が反射する。時刻は21時手前で、いつもなら門限を守って寮の自室にいる時間だが、今日に限ってはトレーナー室で険しい顔をしている。

 

 幼馴染と飲みに行ったトレーナーの帰りを待っているのだ。

 

 幼馴染は女性らしい。しかも小学校から高校までの。

 

 エアシャカールはトレーナーを信頼してる。まさか朝帰りになるはずがないと分かっていながらも、危機感や焦燥感は拭えない。

 

 トレーナーはそこそこ几帳面な人間だから、飲みから帰ってきたらトレーナー室に寄って明日の予定を確認するだろう。この眼で無事に帰って来る姿を確認するまで、眠ることなど許されない。トレーナーは自分が卒業するその日までトレーナーでなければならないのだ。「既婚済み」などと余計な肩書を追加させるわけにはいかない。

 

 いや、本来なら別に彼女持ちだろうが既婚済みだろうがバツイチ子持ちだろうがどうでもいいはずだったのだ。

 

「クソッ……」

 

 眉間にシワを寄せて、眉ピアスをカリカリと掻いた。

 

 他のウマ娘がこんなことをしていたら鼻で笑うというのに、いざ自分がその立場に立たされるとイライラが募る。

 

「なんでオレが夢如きに……」

 

 エアシャカールは夢を見る。

 

 悪夢とも吉夢とも言えないが、夢には現実世界の担当トレーナーが出てきて、現実世界と同じように自分の専属トレーナーになる。

 

 夢とは忘れるものだ。軽い悪夢程度ならば、昼頃になれば「何か嫌な夢があったなぁ」くらいで詳細は忘れてしまう。ゲロを吐きそうなくらい鮮烈な悪夢であっても1週間すれば忘れるものだ。

 

 けれども、エアシャカールが見た夢は大脳皮質にこびりついて剥がれない。

 

 3年━━━━きっかり3年だ。中央トレセンでメイクデビューから3年間、トレーナーと二人三脚で歩むことになる。まさに今自分が歩んでいる軌跡を辿り始め、自分が見たことのない事象を経験しながら時節を歩む。

 

 夢の中の3年間は激動の毎日だ。

 

 時に春の三冠に輝き、時に秋の三冠に輝き、夢物語と指さされて笑われ続けた有を制したことだってある。4月には3女神様が降臨するイベントが発生。それを機に、何もかもが上手く行く夢では帝王様も恐れ戦く「G1総なめエアシャカール様」の出来上がりだ。7冠どころの騒ぎでは無かった。苦手としている短距離だろうがダートだろうが、距離・場・脚質を選ばずに走れた。対峙するライバルの戦い方に合わせて柔軟に作戦を立てられる。

 

 まるで羽が生えたようだった。

 

 G1だけでなく、URAファイナルズだって何度も優勝して、あのこっ恥ずかしいダンスを踊ったものだ。中には自分の知らない「アオハル杯」なるレースもあった。接点の無かった、一生関わることのなかったであろうウマ娘たちと一丸となってレースに挑んだ。あれも燃えた。

 

(まぁ、良い夢だらけじゃねーンだけど)

 

 快進撃を決め続ける夢は、ただの妄想の域にとどまる。むしろ現実に近いのは悪夢の方だ。

 

 シンボリルドルフやトウカイテイオーやマルゼンスキーなどのビッグネームに破れたり、ジャラジャラやリボンララバイなど名も知らぬウマ娘に苦渋を飲まされてメイクデビュー勝利や優勝を逃した夢もあった。生々しい。なんて生々しくて現実味があるのだろう。

 

 途中、脚が故障して引退を余儀なくされたこともあるし、練習内容に反発するオレに愛想を尽かしてトレーナーが別のウマ娘を担当しだしたこともあった。

 

「ッ……!」

 

 あの夢を思い出すと怖くなる。夢だと割り切っていても、トレーナーが急にどこかへ行ってしまうのではないかと不安に駆られ、手に、額に、汗が滲む。

 

 代わりに上手く行った夢で3年経つと、トレーナーと温泉旅行にでかけたりして、まるでプロポーズのような素面じゃ言えないことを口にして、これからも一緒に走り続けることを約束してそれで━━━━それで、また1年目から始まるのだ。

 

 温泉も、有勝利も、トレーナーに見放されても、全てが何事もなかったかのようにメイクデビューを走る。

 

 1からやり直すことになる喪失感はあるが、所詮そんなのは夢の話。

 

 そういった悪夢を見た日は、少しトレーナーとの距離が近い気がする。現実世界ではまだまだ道半ばでありトレーナーとの二人三脚を味わえる安堵感があるからだ。

 

 ここまで来ると疑いようがない。

 

 現実世界のエアシャカールは、精神が夢に引きずられている。それもトレーナーという一人の存在に。

 

「ありえねェっつーの……」

 

 今までの自分だったらそう切り捨てただろう。

 

 こんなの自分のキャラじゃない。ロジカルはどうしたのだ、ロジカルは。脳細胞が見せる幻覚と切り捨てればいいじゃないか。何がどうなったらトレーナーに依存する自己が確立されるのだろう。

 

 しかし、夢とはかくも難儀なもの。医学は発展めざましく、前頭葉の一部を切り取って患者の感情を失わせる手術がノーベル賞を受賞してから大きく進歩した。

 

 ━━━━にも関わらず、未だに夢を見るメカニズムはハッキリと断定されていない。むしろロジカルに考えれば考えるほどドツボにはまる。

 

 深層心理学において『夢』は永遠のテーマだ。

 

 フロイトは、現実世界で抑圧された欲望・願望を補完する『映像』になって夢に現れると唱えた。特に夢で見たものは性的な物と関連付けられやすい。壺は女性器、剣は男性器のように。一方のユングは、性的なだけでなく多角的に捉えるべきだと提唱している。

 

 いずれにせよ、フロイトもユングも共通するのは、細部は違えど「夢は無意識が反映されている」と提唱したわけだ。

 

 一方の現代医学は諸説あるが、一般に浸透している話だと「寝ている間に脳みそが記憶の整理をしているだけ」という説が有名だろうか。頭の中にはいくつもの引き出しがあり、寝ている間に現実世界で得た情報を整理をしているのだとか。

 

(オレが見た夢はなんだってンだよ……)

 

 深層心理学では昼間に抑圧された願望━━━━。

 

 G1を多く取りたいという欲望は確かにある。だが、全ての夢のラストシーンではトレーナーと懇ろな関係になるのだが、この説を認めると、普段から自分がトレーナーとそういう関係になりたいと妄想していることになる。

 

(……)

 

 反証を考えるが、ダメだ。そういうことを思ったことが無いと否定はできない。

 

 ルームメイトのメイショウドトウや、世間知らずお嬢様なファインモーションからトレーナーとの間柄を揶揄われた時(二人は至って真面目)に、思わずそういう妄想をしてしまったことはある。さすがに四六時中考えるようなピンクの脳みそはしていないが、それを機に異性として意識してしまうことが多々あった。

 

 フロイトとユングの言う通り、自分はトレーナーへの抑圧された欲望を内に抱えているのだろうか。

 

「……いや」

 

 流石に決めつけるのは早計すぎる。もっと詰められるべきところは詰めよう。

 

 では現代医学の「記憶の整理」はどうだろう。

 

 自慢ではないが自分はG1ウマ娘だ。春にはダービーこそ逃したものの皐月賞を制している。しかし獲得したことのない、それどころか走ったことのないコースを走る夢を見て、挙句の果てに一着で受賞までしている。

 

 コレに関しては中央トレセンに保管されている過去のG1の映像を死ぬほど見てきたから、それらが組み合わさってそういう夢になったと考える可能性がある。そう考えれば記憶の整理とも捉えられるだろう。

 

 ━━━━じゃあ吉夢でトレーナーが最後に現れるのは?

 

 これだ。

 

 記憶の整理という説は全てこれで否定される。

 

 どの吉夢もトレーナーと一緒に歩むことを約束して終わるのだが、結末が同じになるのが理解不能。出走するレースも、レース結果も、何もかもが変わる夢の中で、吉夢におけるオチは絶対に変わらない。

 

 いや吉夢に限った話ではない。オレの夢は最後に必ず、トレーナーと決別するかパートナーになるかの二択がある。これは現代医学的の「記憶の整理」では説明がつかないだろう。

 

(じゃあ何か? オレはトレーナーとずっと一緒にいてぇって無意識に思ってるってことか?)

 

 ロジカルに考えると、「記憶の整理」じゃないなら「深層心理」で密かにそう願っているということになる。ロジカルだ。自分が最も信頼しているロジカルで考えれば「トレーナーは自分にとって大事なパートナー」と結論付けられるのだ。

 

 すべての夢に登場し、すべての夢でトリを飾る。ロジカルに考えれば考えるほどトレーナーの存在が際立つ。

 

「……」

 

 認めたくはない。

 

 キャラじゃない。

 

 それでもロジカルに考えれば、帰結する答えはトレーナーが大事ということ。

 

(そういやアイツくらいなもんだったな……オレに小言一つも言わずにスカウトしてきたの)

 

 エアシャカールは個性の塊だ。眉ピアスも、右腕のタトゥーシールも、外見による世間体はあまりよくない。

 

 スカウトしてきた他トレーナーは自分の走りに惚れたと言っていた。その言葉に偽りはないだろうが、品定めをするように目を細めると誰も目を合わせてこなかった。自分の威圧に負けているようでは対等なパートナーには相応しくない。そう断ると必ず体外的なものさしで一言二言余計なことを言ってから去っていく。男トレーナーだろうが女トレーナーだろうが関係なく。

 

 だが今のトレーナーだけは違う。スカウトされた時も真っ直ぐに目を見てくれた。試用期間も、ちょっと捻くれた態度を取ったら大人として嗜めたり叱ったりすることはあったが、頭ごなしに怒られることはなかった。感情的な怒りではなくロジカルに責められるのは悪くはない。それどころか、同じ目線に立った大人との対話は心地いいとすら感じていた。

 

 自分に似たロジカル派だからこそ、彼をトレーナーに本指名したのだ。

 

 今や、ブドウ糖摂取のために愛用していたラムネはトレーナーによってスポーツキャンディになった。気性の荒さも、トレーナーに迷惑をかけたくないからと鳴りを潜めて角が丸くなった。

 

(……アイツ、オレの人生に踏み込んで来すぎだろ)

 

 スマホに視線を落とすエアシャカールの頬に、少しの熱が帯びる。

 

 時刻は21時を過ぎていた。寮の門限が脳裏をかすめ舌打ちする。外泊許可証は取っていないため、寮長に怒られることを前提にあと30分は居座ろうと覚悟を決める。

 

「あれ……電気がついてる……?」

 

 それから5分、ようやくお目当ての人物が現れた。髪の毛がしっとりと濡れていて、数冊のスクラップブックやら分厚い本を抱えているではないか。ひとまず朝帰りですっぽりしっぽりの可能性は潰えたようだ。

 

「よォトレーナー」

「シャカールちゃんじゃん、どうしたの?」

「テメェがべろんべろんに酔っちまってたら明日は自主練になるからな。そうなっても困んねェように、トレーニング内容を確認しに来たんだよ」

「あぁそうなんだ。心配かけてごめんね。でも大丈夫、少し酔ってるけど悪酔いはしてないからさ。いやーそういう心配もあったかぁ、グループラインで『俺は大丈夫だよ~』って一言連絡すればよかったか~」

 

 まさか「トレーナーが幼馴染とあんなことやこんなことをしているかどうか不安だったから、帰ってくるか待ち伏せしてた」なんて口が裂けても言えない。そのため適当な言い訳をしたが、トレーナーも納得したようだ。

 

「トレーナーこそ、寝間着でなにやってんだ」

 

 トレーナーは近畿出身なため、中央トレセン敷地内にある社宅に一人暮らししている。そこから学園の資料室まで、空色のボタン付きパジャマで歩いてきているのだ。まだ学園内にいるウマ娘や他トレーナーや教員はさぞ驚いたことだろう。一部からは夢遊病で徘徊していると勘違いされたに違いない。

 

「いやぁ幼馴染と久しぶりに飲んだんだけど俺お酒に弱くてさぁ。もう眠くて眠くてしょうがなくて、歯磨いて風呂入って、さぁトレーナー室行って明日の予定をチェックするかって時にソイツとの会話を思い出して、ピンと来て! これトレーニングに生かせないかなって思って考えを纏めようとして、資料室まで行ってきたんだ! ほら、スタートダッシュが上手く行かないってボヤいてたでしょ? 脚だったり、反射神経だったり、両隣のウマ娘にビビったり、色々要素は絡むけどフォームを見直そうと思ってさぁ!」

 

 若干酔っているだろうか。要領を得ないながらもニコニコ笑顔でトレーナーは語る。しかし寝間着のままトレーナー室まで歩いてきた理由に頭を掻いた。

 

 明日の予定を再チェックするために彼はトレーナー室に寄るだろうと予想していたが、まさか自分の新トレーニングのためとは思わなかったからだ。もっと自分の体を労われ。

 

「あぁ大丈夫。ほどほどにしか飲んで無いから、明日のトレーナー業に支障はきたさないはずだよ」

 

 柔らかい笑みを浮かべながら、どっこいしょとノーパソの横に資料を置いて座った。トレーナーはロジカルなところが自分に似ているが、それと同じくらい頑固だ。こうなったら、少なくとも1時間はテコでも動かないだろう。

 

「オメェなァ……」

 

 思わずため息をついた。しかし呆れたのではない、安堵のため息だ。

 

 ほれ見たことかと。

 

 トレーナーは自分を第一に考えていてくれているだろうと。

 

 エアシャカールは『エアシャカールのための新トレーニングを考える』という言葉を反芻した。

 

 ノーパソを立ち上げて、資料室から持ってきたスクラップを眺めるトレーナーは寝ぼけ眼ながらも真剣な顔つきだ。こんな優秀なトレーナーを困らせるのはガラス脚のマッドサイエンティストの領分である。性格難で、時には天の邪鬼な態度を取るが、傍若無人に振る舞うのは一般的な良識のある自分の柄じゃない。なにより最近は人に優しくすることも覚えた。

 

「濃いモン食いたくなってねーだろうな。特にラーメン」

「全然飲んで無いから大丈夫。小腹は空いたけど」

「アサリの味噌汁作ったら飲むか?」

「もう寝る準備万端にしとこうと思って歯磨いちゃったからいいや」

「じゃあデカフェの紅茶でも淹れてやるよ」

「あぁそっちならもらおうかな。っていうかエアシャカールはここに居てもいいの? 寮に戻らなくていいの?」

「見るモン見たから紅茶淹れたら戻ってやるよ。言ったろ、オレはただ明日の予定確認しにきただけだって」

「あぁそっか。ありがとうエアシャカール、大好き。チュッチュ」

「くっせぇ息吐くな、空気が腐る」

「テヘヘ、スマソ」

 

 適当に会話しながら併設されてる給湯室のドアを開けた。明かりをつけ、電気ケトルに水を注ぎスイッチを押す。

 

「あいつ、マジで全然飲んでねェでやんの」

 

 本当にダメなほど飲んでいるなら酩酊状態にあり、簡単な受け答えもままならないだろう。肝臓がアルコールを分解するために炭水化物と塩分を要求しているはずだ。特に飲み会が終わったのが1時間前ならば、炭水化物があって、塩分が高く、水分も取れるラーメンのような〆を欲しているはず。しかし代謝の症状は見られず、風呂に入って歯も磨き終わり、マジで眠る五秒前。なんなら自分がゴネたら今日の飲み会も行かないでくれただろう。

 

 全てはオレのために。

 

「……へッ、大好きってなんだよ」

 

 自慢ではないが、自分は気難しい性格をしている。そんな自分が信頼を置いているトレーナーが、愛を差し置いてアルコールを暴飲するはずが無いとロジカルに考えれば分かっていた。

 

 ロジカルに。

 

 ロジカルに。

 

 そう、ロジカルだ。

 

 夢がなんだ。そんなのより現実のトレーナーを見るべきだ。彼はこんなにも自分を犠牲にしてくれているじゃないか。

 

 だが━━━━ロジカルに考えれば考えるほど、夢が濃霧のように立ちはだかり先が読めなくなる。何時まで経っても、夢は不安要素で排除できるものではない。むしろ、夢について調べれば調べるほどオカルトに近づいている気もするのだ。

 

 『胡蝶の夢』という有名な中国の説話がある。

 

 蝶々になってひらひらと飛ぶ夢を見たが、逆に現実世界の今の自分が、蝶々の見ている夢ではないだろうかという説話だ。ある種の『明晰夢』であると分析できるが、大事なのは「仮に夢であったとしても覚めなければ意味がない」ということだ。コマが回り続けるのを眺めても、コマはいつか止まるものと認識しなければならない。

 

 夢が現実か。

 

 現実が夢なのか。

 

 夢は現実を侵食する。

 

 夢で現実の未来を知ろうとする『予知夢』がそうだ。あれこそ「夢の内容は現実で起こる」と仮定しなければ成り立たない。

 

 夢と現実は、ガラスよりも脆く薄い板一枚を隔てているだけに過ぎない。

 

 トレーナーはオレを見捨てない。トレーナーはオレを一番に考えて行動してくれる。そんなことは分かっている。けれど━━━━。

 

『大事なレースの前に3連続でやる気が下がっちゃって……休んだのに寝不足になられて……5%の怪我引いてさ……もう無理だ……。心が折れたよ……ごめん、エアシャカール……』

 

 けれど、トレーナーがオレに愛想を尽かしてトレセン学園を去ってしまったり、新たなウマ娘の担当になる悪夢が忘れられない。もしもその悪夢が現実であって、今こうしてトレーナーに紅茶を淹れようとしている自分が夢だとしたら、もう最悪だ。

 

 ならばいっそのこと、現実である夢が覚める前に強硬手段を取るのはどうだろうか。

 

 もしもトレーナーがここで寝てしまって、たまたま自分がその場に居合わせただけなら、トレーナーを介抱していたという言い訳が寮長や学園に通用するだろうか。

 

 だが、トレーナーを追い詰めるような真似はしたくない。自分の欲望のためにトレーナーを利用するのはフェアじゃない。ロジカルに考えればトレーナーと良好な関係を築き続けることこそが、中央トレセンで走るウマ娘として幸せな未来が待っているのだから、そういう強硬手段はむしろ逆にマイナスになりかねない。

 

 ピッ!

 

 ピーッ━━━━!

 

 電気ケトルの音が鳴る。ビクリと、エアシャカールは体を揺らした。明らかにエアシャカールは『悪夢』に影響されている。そんなのと比べ物にならないくらい『吉夢』を見ていたはずなのに、なぜか思い出す夢は悪夢ばかりだ。

 

 頭を軽く振り、脳内の悪魔が囁く強硬手段とやらを脳内から追い出す。

 

 ここは現実だ。リード楽器を吹き鳴らす魔法使いはいない。マーベラスと叫ぶウマ娘もいない。デカフェのティーバッグを黄色いマグカップに放り投げたところで、給湯室から顔を出した。

 

「なぁトレーナー、マグカップは黄色ので━━━━おいその首、何だ?」

「え、何? 首? なんかある?」

「……いや、すまん、オレの見間違いだ。マグカップはこれで良いよな」

「うん、それでお願い」

 

 机越しで少し遠かったが……いや見間違いであるものか!

 

 無理やり会話を切り上げたエアシャカールの瞳孔が狭まる。机の上に積まれたファイルをペラペラと捲るトレーナーの寝間着の隙間から覗く、首筋にあるピンクの二本の線が上唇と下唇の写しで無くて何なのだ。

 

 あれはキスマークだ!

 

 中央トレセンのトレーナーは高給取りだ。知らない親戚が増えたりしていてもおかしくないだろう。今日飲みあった幼馴染も下心があったことは疑いようのない事実だ。トレーナーからはアプローチをするはずないだろうから、飲み相手が酔に勢いをまかせてキスマークを付けたに違いない。

 

 もはや猶予はない。実行に移すべし。

 

 栗東寮寮長にメールを一通送る。既読も返信も待たず、ティーバッグの紐がフチから落ちないようマグカップにお湯と白い粉を「サーッ」と注いだエアシャカールは給湯室を出て、遠回りになるがトレーナー室の鍵をかけておく。

 

「……ほらよトレーナー」

「あぁありがとうエアシャカール」

 

 ノーパソ横のコルクコースターにマグカップを置く。

 

 その日見た夢を日記に記し続けると、やがて夢と現実の区別がつかなくなり、夢が現実を侵食していくという都市伝説がある。名作フリーゲーム「夢日記」の原案だ。「夢日記」では形容し難い化け物が夢の中を彷徨いており、段々と主人公は夢を見ることをやめていく。最期は夢そのものを見ないよう自らの命を断つのだが、その夢が二度と覚めたくないほどの心地良い物だったとしたら、拒絶するのはロジカル的に正しいのだろうか。むしろ夢を見続けるのが正しいのではないだろうか。

 

「……うん、エアシャカールの淹れてくれた紅茶は美味しい……うっ!?」

「おいトレーナー、寝ちまったのか? おい、おい! ……よし」

 

 今までの夢、そして現実世界での自分のトレーナーに対する気持ち━━━━。

 

 それらを加味したとして、トレーナーを受け入れることがロジカル的に正しいと考えるのが自然ならば、それはきっと幸せなことなのだろう。エアシャカールの眉ピが怪しく光った。

 

 遂に逆転現象が起こる。現実が夢を侵食する時が来たのだ。

 

「さァ……トレーナー解体ショーの始まりだァ……」

 

 

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