羊を数える教室   作:至ッ亭浮道

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第二話

「屋上に子ガラスが迷い込んだようだが、気にしないように」

 

 その日、昼休みに、先生たちからそんなお触れがでた。

 猛禽類に襲われたのか、それともなんらかの怪我を負ったのか。

 カラスの子供が一羽、僕のクラスがある校舎の屋上に墜落したらしい。

 で、そのカラスが屋上で、親や兄弟を必死になって呼ぶから、かぁかぁ、と鳴き声がうるさいのだった。

 最初は、なんだなんだ、と珍しい出来事に騒いでいたみんなも、次第にうんざりしてきたらしい。

 最終的には、先生たちもしびれを切らして、用務員の人を屋上に行かせた。

 しかし、カラスは必死の抵抗。

 ここで捕まれば殺されるとでも思っているのだろうか。より一層大声を出して助けを呼ぶ。

 トチチトチチと足を引きずりながら、片翼をかばいながら逃げ惑う。

 挙句の果てには、跳べもしないのに屋上の縁に立ったりするから、用務員さんもお手上げとなった。

 その結果、放課後になっても時折カラスの鳴き声がするのだった。

 もう、お前の親兄弟はお前は死んだと思っているさ。

 僕はそう思った。でも、それだけでは、言い足りなくて、

 最後まで一生懸命生きろよ。

 と最後に付け加えた。

 

「なにを考えているの?」

「え!?」

 

 僕は急に声を掛けられて飛び上がった。字義どおりにぴょんと跳んだ。僕は反射的に後ろへと軽くジャンプしていた。ガタガタと机に当たってしまった。日直が綺麗に並べていった机の列が乱れていた。

 

「……なに、佐藤さん」

 

 僕は乱れた列をもとに戻しながら、視界の端で佐藤さんを捉え、佐藤さんにどうしてここにいるのか聞いた。

 佐藤さんは昼間とは違い、髪を一つに結んでいた。

 今まで重たそうに垂れた髪で見えなかった耳が露わになっていた。小さな耳が顔の両側面にちょこんとついていた。それなのに顔のバランスがおかしくないのが気になった。……そうか、顔が小さいんだ。

 

「お昼のお礼をしようと思って」

「お礼……?」

「ええ。あなたから髪を貰ったでしょう? その時は、私、髪に夢中だったら、あなたに何もあげなかったじゃない」

「まぁ、そうだね」

「何か欲しいものはある?」

「……いや、特に」

 

 彼女は突っ立ったまま、何が欲しいのか尋ねてくる。一方、僕は、机の対角線の角に手をかけて、腰を微妙に曲げた状態のまま、なにが欲しいのか考えている。僕はそのまま何が欲しいか考え続けた。

 意外とすぐにその答えは出た。

 

「僕も、髪が欲しいよ。佐藤さんの真っ黒な髪」

「そう」

 

 僕は佐藤さんを困らせようと思って、そう言ったに過ぎなかった。気の利いた冗談のつもりで。自分がいざ髪を要求されると困るだろうと思ったのだ。

 が、佐藤さんはもはや僕らの常識外に属していた。思いつきに過ぎない僕の要求を受け入れた佐藤さんは、カバンからスティックタイプのはさみを取り出すと、それを180度回転させて、僕に差し向けた。

 

「好きなだけ切るといいわ」

「え……いや……」

 

 僕ははさみを受け取ることもできなかった。答えに貧している間に、佐藤さんは、

 

「そう。じゃあ自分で切るわ」

 

 と言って、一つに結んでいる根元のあたりで、じょきじょきとはさみを鳴らし始めた。刃渡りが短く、カット用のはさみじゃないせいでなかなか切れないらしい。

 佐藤さんはときどき顔の左側を引きつらせながら、しばらくじょきじょきやっていた。

 どれぐらいの間だったか。

 

 ショキンだか、シャキンだかどちらとも判断できない音がして、僕ははっとした。佐藤さんが髪を切っている間、僕は呆気にとられてしまっていた。彼女は髪を押さえていた右手を、体の前に持って来た。

 彼女の手には、つやのある黒髪の束が握られていた。

 

「持ってて」

 

 佐藤さんはそう言って、僕にその束を握らせると、首の後ろに残っている結ばれた髪の根元から、髪留めのゴムを取って、僕の手元の髪を束を結んだ。

 彼女が後頭部から髪留めのゴムを取った時、残っている彼女の髪がふあっと広がった。ぎっしりと詰まったブーケを結ぶリボンをほどいたときが、こんな感じだったな、と急に親戚の結婚式での記憶を思いだした。

 佐藤さんは切り取った彼女の髪を二重に束ねて、それを結び、僕の手に戻した。

 

「いや……、嘘でしょ……」

「他のものが欲しかったの?」

「なんで切っちゃうんだよ! 女の子に髪は必要なものなんでしょ!」

「だって、あなたは髪が欲しいと言ったじゃない。私があなたにお願いしたとき、あなたは私に髪をくれた。だから、今度は逆。あなたが私にお願いをした時は、私がお願いを叶えるようになっているのよ?」

 

 佐藤さんは、物語の寓意を言って聞かせるような口調で、とてもやさしい口調で、言った。

 

「は?」

 

 僕は彼女の言っていることがまるで分らなかった。

 ――私はそのお願いを叶えるようになっているのよ?

 まるで分らない言葉だった。僕が彼女に髪をあげたのは、彼女が僕の髪を触り、たまたま彼女の手に髪が残っていたからだ。つまり僕は、自分の意志で髪をあげたわけではない。

 でも、彼女が髪を切ったのは、まちがいなく彼女の意志でしかないし、僕の言葉にそんな拘束力があるわけない。もし言葉を言うだけで、人を意のままにできるのならそんなに楽なことはない。

 

「だから、あなたが言ったから、私は髪を切ったの」

 

 なおも、彼女は意味不明な供述を続ける。

 

「じゃあ……」

「なに?」

「じゃあ、僕が言ったことは何でも本当になるっていうわけなの?」

「それはわからないわ。なることもあるし、ならないこともあるもの」

「意味がわからないよ!」

「私だってそう」

 

 彼女の最後の言葉に、僕らの会話は途切れた。

 僕は、意味の分からないことを言って譲らない彼女に、少しずついら立ちを覚えだしていた。

 瞬間、僕はもっと悪いことを思いついた。

 このいら立ちを押さえるたった一つの方法を。

 

「……わかった。僕の願いは、佐藤さんがいなくなることだよ。もう関わらないで」

「わかったわ。じゃあ、髪はいらない?」

「気味が悪いからいらないよ、そんなの」

「私が悪いっていうの? 私が自分で髪を切っただけなのに、どうして悪いことになるの」

「……は?」

「だから、あなたが君が悪いって言ったじゃない、今。どうして私が髪を切っただけなのに――」

「それは違うってば! 僕は不気味だから、人の髪の毛なんていらないって言ったんだ」

「じゃあ、私はあなたになにをすればいいのかしら」

 

 奇妙な会話の糸が紡がれ、なぜだか、話は振り出しに戻ってしまった。

 彼女は僕になにかを施すことを譲らないつもりらしい。さっさと、どこかに行って欲しい僕は、意味の分からない対象を相手にするとき特有の焦りの混じったいら立ちを感じながらも、意識のすみっこで、カラスが鳴いているのを聞き留めた。

 

「じゃあ、わかった。屋上で一人ぼっちのカラスを助けてよ。それが僕の願いだ」

「わかった」

 

 佐藤さんはまた無表情だった。悲しいとも辛いとも思っていないようだった。かっかとしている僕に対して、彼女は冷静そのものだった。それなのに最後の最後で「君」と「気味」を勘違いしたりするんだから、変な人だ。

 彼女を分析していると、彼女は僕の手から髪を奪い、窓の方へ向かった。

 僕が、えっ、とも、はっ、とも言えないうちに、彼女は窓を開け放ち、髪の束を外に投げ捨てた。

 

「何をしたの⁉」

「カラスを助けるのよ?」

「君がしたのは不当放棄だ!」

「違うわ。私はカラスを助けるために髪を投げ捨てたのよ。――あなたもわかっているはず」

「わからないって!」

 

 と言った瞬間。

 下から、鳥類が羽を動かす時のギシギシという強靭な筋肉の音がいくつも重なって聞こえてきた。そして、がぁ、というか、かぁというか曖昧な鳴き声。それが無数に聞こえてきた。

 僕はその鳴き声のヘルツの大きさに驚き、窓から離れ、ぺたんと座り込んでしまった。

 窓の外ではカラスの大群が覆っていた。

 光は遮られた。

 教室が暗くなった。

 不気味さに気持ち悪くなった。

 僕はカラスに恐怖している。こんな大群が一度に現れるわけはないし、これだけのカラスを静かに待機させておけるはずがない。

 つまり、髪がカラスになったとしか思えなかった。

 確かによく見ると、カラスの羽の色は彼女の髪の色に似ている気がした。髪は烏の濡れ羽色とも言うし……いや、まさか。

 僕は信じざるを得ない状況を目の当たりにしていたが、どうしても信じることに抵抗感があった。

 そして、なんとかひねり出した言葉が、

 

「どうして……」

 

 だった。

 

「あなたが私に髪を切れと命じ、私は髪を切った。私はカラスを助けようと思い、私の髪を投げた。そうれだけのことよ」

「じゃあ……」

「なに?」

「僕を好きになれと言ったら、君は僕のことを好きになるの」

「それは出来ないわ。私は最初からあなたのことを愛してるもの」

「嘘だ」

「わからないわ」

「だって、理由がない」

「物事にはすべて理由があるの?」

 

 そう言って、佐藤さんは、おしりを地面にべったりとつけるように座り込んでいる僕の正面にしゃがみ、僕のでこにキスをした。

 

「始まりはこの額だったわね」

 

 佐藤さんは、彼女がキスした僕の額をなでている。

 

「ああもう! 何が何なんだよ!」

「何でもありなのよ」

「じゃあ、この教室を羊でいっぱいにしてくれ!」

 

 瞬間、教室にあった机、イス、ありとあらゆるものが羊へと化けた。

 僕は気を失いそうになった。

 が、羊に化けろといったのは間違いなく僕で、僕がそう叫んだと同時に教室の物品はすべて羊に化けた。

 僕は納得できなかったが、ついに納得せざるを得なかった。

 

「これが君の言っていたことだったんだ。なんでもありなんだ」

「ええ」

「僕、どうしよう」

「数えればいいんじゃいかしら」

「羊を数えるの?」

「ええ。最初の共同作業ね」

「……」

「羊の毛はよく見ると黒ずんでいるのよね。やっぱりあなたの髪が一番きれいだわ」

「そう言ってくれて、嬉しいよ。……多分、僕はそう思ってるよ」


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