シンジがNERV内部の病院に入院している頃、彼のことをアスカ並みに心配している人物がいた。その人物が彼のことを心配することは、その人の事情を知らなければ変に思ってしまう。しかし、実際の事情を汲んであげると非常に納得できた。また、年齢も鑑みれば、もっと納得がいくだろう。老齢な人物故に、若い彼に人一倍負い目を感じていて、老いた自分が安全地帯で戦いを見届けることしかないできないことを辛く思っていた。部下や対外的には恐ろしく厳しく冷酷な人でも、孫に等しいパイロットには温厚でしかなかった。
その人物は、冬月コウゾウと呼ばれる。
「医者からは安静に努めるよう言われ、監視役でアスカ君がついているか。まぁ、それが一番良い。誰よりも彼と接していて、彼と生きることを望んでいる彼女だ。適任以上に言いようがない。暫く、夫婦水入らずの時間を過ごしてもらうよ」
無駄に広い執務室の中で、部屋の広さに対し不釣り合いな大きさのテーブルで仕事に勤しむ老人がいる。この人こそがNERV本部司令官の冬月コウゾウ氏である。世界最強の組織であるNERVを彼が治め挙げているのだが、それは表向きの姿に過ぎない。老人はNERVを踏み台にして、世界を巻き込んだ壮大な計画を遂行しようとしている。
「ユーロNERVはエヴァンゲリオン伍号機の建造を完了し、第三支部(北アメリカ)はS2機関標準搭載型エヴァンゲリオン肆号機を使ったテストで忙しいか。前者は様子見させてもらうが、後者はそうもいかない。すまないが、我々の願いのため、犠牲になってもらう」
あらかたの仕事は片付け終わっている。暇な時間は、詰将棋問題集を見ながらブツブツとつぶやいていた。彼は年齢相応の趣味を有しているが、仕事における実際の能力はずば抜けている。60歳を超え定年退職が近い人に見えて、もう椅子に座って適当に毎日を過ごすだけの人物だと舐め腐っては絶対にならない。NERV創設の中心的人物の一人であり、そのNERVを今まで存続させ、二度の使徒殲滅にも多大なる貢献をしているのだ。ただ、念のため申し上げると。使徒殲滅ついては、自分は見えない箇所でサポートをしただけであって、殲滅自体はパイロット達の戦果だと考えている。
彼は裏の仕事を考えることを一旦やめ、詰将棋の問題を脳内で解いて回ることに集中する。仕事中に趣味へ没頭してしまうのことは、真面目に考えればダメなアウトな行為であろう。しかし、彼は腐ってもこの組織の頂点だから誰も咎められない。それに、ちゃんと仕事は済ませているのだ。ちょっとぐらいは許してもらいたい。
本を持ちながら、ああでもない、こうでもないと考えていると。
ビーッ!
来客を告げるブザーが流された。
「入りなさい」
「失礼します」
入ってきたのは本部でも特に力を持っている幹部級職員2名であった。1名は大胆な格好をしていて、もう1名はバリバリの研究職の感じの白衣姿をしている。
「君たちか。何か問題が発生が?」
そう、訪れてきたのは葛城ミサトと赤木リツコだった。前者は冬月の直下の部下で、これまでの使徒戦で実質的な戦闘指揮を執っている。一応でも冬月がトップである以上、彼が指揮を執るべきだと思われる。しかし、餅は餅屋の理論を持ち出し、指揮に詳しくてその能力もある人物に任せた方がメリットが大きいと判断した。そこで、冬月は彼女に全般的な指揮権を委譲している。後者の人物も自分の部下で、エヴァの研究に従事してもらっている。人智を超えた存在のエヴァ。それをただでさえ3機用意しているため、彼女には途方もない負担がかかっているだろう。NERVの対使徒戦力を維持できているのは、まさに赤木リツコ女史の尽力による。陰の功労者たる人物と言えた。
「損傷した初号機のパーツと改修予定の弐号機のパーツ共々、在庫が底をつきかけています。暫くは持ちますが、次に使徒が出現して損傷したとなれば。間違いなく両機の予備パーツの在庫は完全に尽きることに」
「ならば生産を…あぁ、そういうことか」
「はい」
彼女が真に何を言いたいのかを理解した。在庫がなくなったら、生産能力も持っている本部で作ればいい。そのように考えて当然だった。冬月もそのように言いかけたが、あることを思い出して俯くしかない。彼の頭を悩ませる面倒なことを。
「わかった。私の方で政府と国連に掛け合っておく。承知を得ても得なくても、早く生産を始めてもらって構わない。まったく…この世で生きる者たち全員が当事者だというのに、向こうのお偉いさんは意識が欠けていると断じざるを得ん」
「司令の心中お察しします」
エヴァは使徒を殲滅することが出来る、人類の希望であることについては誰も疑念を持たない。しかし、裏を返せば人類相手でも圧倒的な戦力を誇る魔の兵器でもある。そのため、エヴァを恐れた国連や各国政府は制限をかけることで対応した。その恐れる気持ちは理解できようが、NERVにとっては邪魔だ。使徒を倒すことが出来る唯一のエヴァを縛ってどうする。保有制限ならともかく、部品の生産や量についても制限されては堪ったもんじゃない。
「赤木君の申し出については全面的に了承する。さて、君はどうしたのだね?まさか、何となくで来たわけではあるまいね」
「はい。その、第三の少年についてですが」
「君にしては歯切れが悪い。ハッキリ言ってもらっても構わんよ」
凛と己を正してから、ミサトは言い放った。
「彼に真実を話すべきです。せめて、父親のことだけでも」
冬月は無表情から険しい表情へと変わった。それは単純に仕事上で厳しいことがあったことではなくて、1人の少年を想う家族としてのものだった。ミサトは司令の顔を見て、この老人への態度を改めなければならないと思った。
(噂では司令はシンジ君に負い目を感じて、誰よりも彼に親としての愛を注いでいるってね。まさか、ただ自分の良いように利用しているだけか、道具として見ているだけだと思っていた。でも、それは下らない妄想だったようね。この人は本当に彼のためを思っている)
一度の表情だけで分かるのかと懐疑の念を送られてしまうかもしれないが、分かるもんは分かる。ミサトだって歴戦の勇士なのだ。彼女の人を見る目は、一切狂っていない。
「確かに、いつか彼に。彼のご両親のことを話さないといけないことは私も嫌ほど分かっている。だが、今教えることは時期尚早だと思う。精神的に不安定で且つエヴァパイロットとして多忙な彼に、衝撃的なことを告げると何が起こると思う?」
「まず、まともに数日間は動けないでしょう」
「そうだ。そうなってしまう以上は教えられん。もちろん、ズルズルと先延ばしにすることも出来ん。物は言いようだが、機が来たら私から伝えるつもりだよ。すまんね、君に無用な心配をさせてしまって。その代わりと言っては何だが、少しだけでも、君たちには彼の父親についてを教えておこう。先に言っておくが、彼の父親は既にこの世を去っている」
机をゴソゴソと探って、一枚の資料と写真を取り出して2人に見せた。その資料には謎の怪死事件についての詳細が書かれていて、写真にはおぞましい何かが写っている。あまりにもな情報と写真によって2人とも言葉を失う。
「このことはくれぐれも内密に頼む。彼はともかく、他の職員にも」
「はっ」
「承知しました」
資料には長々と文章が書かれていて一見しただけはよくわからない。しかし、写真は真逆で一目で異常が知れた。
その写真には…
旧デザインのNERVの制服が上下セットで床に落ちている。その制服を囲むようにオレンジ色の液体が散っている。水風船が破裂した後の如く、液体が周囲にまき散らされている。
そして、首の部分から少し離れたところには…
オレンジ色の液体に塗れたサングラスがあった
続く