中学校に復帰を果たしたシンジは休んでいた間のブランクを埋めるため、必死になって勉強している。ただでさえNERVの活動で学校での時間は削られてしまい、勉強面で不安があった。数少ない学校の時間でやれるだけやらなければ、皆に追い付くことが出来ない。アスカと一緒に、2人の机をくっ付けて、互いに質問したり教え合ったりの共同作業を行うことで効率的に勉学に励んでいた。
そんな日に、シンジは珍しく男子生徒から普通に声をかけられる。
「碇シンジって言ったな。ちよっと、面貸せや」
「いいよ」
普段、男子のクラスメイトに声をかけられるときは相場が決まっている。それは「アスカとレイとの間を取り持つキューピットになって欲しい」との相談やお願いだ。この2人はクラスに留まらず、学校全体において大人気の女子生徒であって、特に男子から絶大な人気を誇る。一部の男子は腹を括り、彼女らに突撃を敢行するが、全てが敢え無く散って行った。何らの策も無しに突撃を仕掛けることは愚かに尽きることを前人の玉砕から学んだ者達は、仲介者を経由することで、まずは仲良くなることからを思いついた。じんわりゆっくりと交友を深めるため、シンジに仲介を頼んだのだ。しかし、それは恐ろしく浅薄と言えよう。なぜなら、シンジと2人は既に深い関係にあり、たくさんの愛を育んでいる。その輪に入ることは出来ても、断つことは不可能でしかない。
しかし、今回はそのような感じではなかった。
「ここじゃ周りがうるさいから。移動するぞ」
教室では他の生徒が談笑していて、確かにうるさいと言えばうるさいだろう。大事な会話をするには場所が悪いかもしれない。もう少し静かで、障子に目が無くて壁にも耳が無い場所の方が好ましい。シンジとその男子のクラスメイトは教室から出て行った。
連れられたのは人気が少ないどころか、全く無い。しかも、日の当たりも極めて悪い校舎裏だった。なるほど、ここなら聞かれたくない話が出来る。して、何の用なのだろうか。
「話は何?」
「お前…あのロボットに乗ってる。そんな噂を聞いた」
「あぁ…」
言わずもがなロボットはエヴァンゲリオンを示している。そして、シンジはエヴァに乗っている。これは紛れもない事実だが、機密である以上は漏れないように配慮がされていた。しかし、そうは言っても、ここは第三新東京市でNERV本部のお膝元である。住む人間には関係者が多く、親御さんが関係者ということも十分に考えられる。したがって、小さな隙間から噂として子供たちに漏れてしまっていた。
「そうだね。僕はエヴァに乗っているよ」
「そうか…なら、貰っとけ!よくも、わしの妹に大怪我をさせてくれたな!」
全身を使って、大きく振りかぶって放たれた必殺の拳は少年にクリーンヒットするかと思われた。だが、当たるかのタイミングで空を切る。いや、空を押したと言うべきか。それはさておき、思い切り全身を使った代償で殴った方はバランスを崩してしまった。踏ん張ることが出来ずに、地べたにドデンと倒れる。当てる対象に直撃させることが出来れば倒れなかったが、外したからこうなるのだ。
「避けっ!?」
倒れた本人は殴ろうとした相手が避けたことを察し、元々の怒りを更に滾らせようとするも、その炎は一瞬にして消え去る。水をかけられたのではない。周囲の酸素が無くなって、一気に外気温が低下したことによる。
身体を起こして正面を見ると、あの少年が服装を一切乱さないで立っている。馬鹿なありえない。素早く避ける動作をするならば、多少なりとも服装が乱れるだろうに。彼らが着ている制服のように、特にシワシワになりそうな物だと尚更だった。それなのに、数分前と姿形が変わっていない。ここまで来ると、もう気味悪く感じる。
「なぜ、僕が君に殴られなければならないんだい?」
「そ、そりゃ…お前がロボットに乗って」
「それは理由になっていないよ…鈴原トウジ君」
もう一度殴り掛かった。しかし、できない。鈴原トウジは殴る気が1ミリも起こらなかった。もう一度ターゲットに避けられるとかではなく、自分の心が相手を恐れてしまっていたからだ。普段の学校生活で見ていた彼は優しそうであり、いかにも防御力が低そうな少年である。しかし、今はどうなっている。掴もうとしても掴めない。定めようとしても定まらない。物理的に捉えられない感じがする。しかも、彼の表情は虚無を示し、うっかり彼と目を合わせてしまうと、底なしの深淵に引きずり込まれてしまう。
「どうして僕を責めるんだい?どうして僕の幸せを邪魔しようとするんだい?」
「ひっ!」
ぬるりと眼前に迫って来た彼に圧倒される。ほぼゼロ距離、ナウでヤングな言葉を使うなら「ガチ恋距離」と称するべきか。そんな距離ではドキドキするしかなかった。よりにもよって、心臓に悪影響を及ぼしそうなドキドキをする。
彼の目は虚ろだった。瞳孔が全く微動だにしない。焦点が合っているのか、それとも合っていないのか分からない。彼は自分を見ているはずだが、自分のことを見てそうではなかった。何というか、自分の心を見透かしているのか。
「僕から君に忠告しておくよ。あんまり僕に関わらない方がいい。禁忌を知ろうとするなら、それ相応の覚悟が必要さ」
「…」
何も言えなかった。怒りは萎みに萎んで、恐怖と混乱に支配されている。
「そこまでにしてあげたら?哀れな男は放っておきなさい」
「アスカがそういうなら」
この場を収めたのは、まさかのアスカだった。どうやら、2人がワイワイしていることを嗅ぎ付け、少し離れた所で観戦していたらしい。そして、このままでは一方的な可愛がりが始まることを察して事態収拾に走ったと。このように理解すべきだ。
これによって、鈴原トウジは助け船を出してもらった形だったが、そうそう素直には喜べない。アスカはシンジ側の人間だから、敵の仲間に慈悲を与えてもらったことになる。それは突っぱねたい慈悲でも、受け入れなければならぬ。突っぱねたら、いったいどんな目に遭うか分からない。ここは素直に受け取るが吉に尽きた。
少女の下へ駆け寄って、少年は彼女と軽く話してから校舎へと戻って行った。その後ろ姿は恨めしく思いたくても思えない。2人で体を寄せ合っている姿は、もはや恨めしいを突き抜けている。
「ありがとうアスカ。丁度いい時に来てくれて」
「気にすることは無いのよ。それでも、シンジを脅かす哀れな人間には嫌気が差すわ。ま、それも哀れな者達に罰が下される時までの辛抱かな」
校舎に戻って仲良く教室へ戻るシンジとアスカの仲良しカップル。そのアスカは、シンジの首元に頭を据える。そして、小さな小さな声で呟いた。
「目覚めたのよ…私のシンジが。誰にも抑えられないわ。たとえ神殺しでもね」
続く